第32話兄side

 あの男にとって桃子は所詮親が勝手に決めた相手だ。

 元々婚約に対して不満があったのだろう。それでも、早川陽向と出会うまでは『個人』ではなく『家』を最優先に考えていた筈だ。だからこそ、早川陽向との関係を学生までと自分でルールを決めていた。大学卒業までの数年間、一度も何らかの意思表示を示さなかった事がその証拠だ。



 それなのに――


 彼らは妹の誇りも尊厳も何もかも土足で踏みにじり、心の奥底にまで侵入し、壊した。


 許せるはずがない。


 だからこそ、今回は桃子の憂いがないようにしたかった。

 前を思い出したのは桃子の婚約が決まった後で、何故もっと早く思い出さなかったのかと悔やんだ。記憶をもう少し早く取り戻していれば、鈴木家との縁談に反対したものを!!


 終わってしまった事をとやかく言っても仕方がない。


 私は妹の意識改革を実行した。

 要は、桃子が鈴木晃司に惚れ込まなければ良い。


 前は少々夢見がちだった桃子を現実的な子に育ててしまったが、後々の未来を知る身であれば仕方のない事だった。


 それに……。



「君は、どうだい?」


≪何をですか?≫


「桃子とのことさ。何処まで進んでいるのかと思ってね」


≪……何処まで、と言いましても……今の処なにも、としか言いようがありませんね≫


「何をしてるんだい?折角、婚前旅行を許可したと言うのに」


≪名目は、“傷心旅行”です。それに離婚して未だそんなに時間が経っていません。事を急ぐつもりはありませんよ≫ 


「まあ、君の事は信頼しているからね。そこのところは安心しているよ」



 彼もまた私と同じくだ。

 そして前回、妹の夫でもあった。鈴木家からの仕打ちに打ちのめされた桃子の心を救ったのは間違いなく彼だ。


 彼のお陰で、桃子は幸せになれた。

 その彼が同じように前回の記憶を持っているのは実に頼もしい。


 鈴木晃司の再婚話。

 それはセンセーショナルな噂として各報道機関に取り沙汰された。

 今の御時世だ。どんな場所で噂が広がるかわからない。質の悪いマスコミが執拗に鈴木家を張り込んでいる。流石にヨーロッパにいる桃子の所まで押しかける事はないだろうが用心に越したことは無い。まあ、彼なら桃子を完璧に護るだろう。ヨーロッパは元々彼のホームグラウンドでもある。


≪大丈夫ですよ、彼女は必ず護ります≫


「ああ、頼んだ」



 本当に未来の義弟は頼もしい限りだ。


 前回の記憶がない妹は、私の教育が行き届き過ぎたせいで少々冷めた性格になってしまった。特に男女関係の複雑さや男の身勝手さを遠回しに伝えてきたからな。前よりも別の処で口説きにくくなっているがそこは理解して頑張って欲しい。



 桃子は離婚したことを気にしているが、別にバツイチになったところであの子には何も傷にならない。今も引く手あまたの『伊集院家の令嬢』だ。妹を妻に望む男は多い。


 だからだろう。

 何故、鈴木晃司が早川陽向に惚れ込んだのか理解できない者達が上流階級には多かった。



『鈴木様の新しいお嫁さんは随分と品位のないかたですわね』


『大変聡明だとお聞きしましたけれど、とてもそうとは見えませんわ』


『作法を知らない方が何故こちらに?今日は素人の方は御呼ばれされていない筈ですけど……門下生ではありませんの?』



 ご婦人方の悪意なき評価。

 それに気付かない鈴木家の嫁。

 彼らの評判は国外にも及んでいる。


 バカな連中だ。

 桃子を敵に回した罰だ。

 前回と違って、妹は“花嫁修業”として二年間ヨーロッパ社交界で人脈を作っている。

 友人のレベルを考えても、鈴木家を潰せるだけの人材ばかりだ。

 桃子の友人達も今回の鈴木家の対応に怒り心頭だ。


 ある香道の時期家元は、鈴木家を出禁にするべく働きかけた。

 ある大企業の令嬢はパーティー会場で鈴木家の在り方をひっそりと噂した。

 ある大病院の跡取り令嬢は、鈴木家を患者ごと見切ることを院長に掛け合った。

 ある大物政治家の令嬢は、鈴木グループに対して契約している手作製品の販売を全て中止にする進言をした。


 私の妹は大勢の人々に愛されている。


 その価値を今更知ったとしても遅すぎる。



 私は妹の幸せのためならば労力を惜しむつもりはない。

 妹の今生の幸せのためであるなら、何でもやってやるさ。もっとも、未来の義弟は他に色々考えているようだ。彼なりの報復行動だろうか?暫く静観して見守るのも一興か。果たして鈴木家は何処まで耐えられるのか見ものだな。




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