未確認につき、それは凛として刹那

小鳥遊咲季真【タカナシ・サイマ】

タイムマシン編

第1話 平成最後の夏休み

 夏休み最後の日にプールに忍び込んで泳ぐなんてのは、平成最後の年の最後の日にしてはらしくない行為かもしれない。しかもここは北海道だ。いくら県庁所在地だと言ってもお盆を過ぎれば、思わず半袖の腕をさするような寒さが始まる世界である。しかし、中学二年にもなって部活もやらず、勉強もせず、アニメと動画を謳歌するだけで冒険の一つもしないのは寂しいと思ってしまったのだから仕方ない。かと言って近くに洞窟も森も異世界への入り口もない。マチナカまで行けば地下に歩行空間はあるが、あそこは潔癖までにキレイすぎる。夜中飛び出したはいいが、特段思いつかず、そこで不意に目に止まったのが、学校の室内プール場である。

 


 

 繰り返す。本日は平成最後の夏休みの最終日の夜である。

 


 

 実の事を言うと、目に止まったのはそこに建物があったからではなく、室内プール場の頭上に何やら巨大な円盤状の建築物が見えたからに他ならない。建物ならば、途中にあったコンビニや24時間営業のスーパー、ファミレスのほうが目に入った。実際、その誘惑もあった。しかし金がなかった。中学生の小遣いでは、新発売のトレーディングカードを購入するので精一杯なのである。しかもそれは、大型ショッピングモールに買い物へ行った時、親にその購入の是非を手のひらを合わせて頭を下げ、その心情と財政状況に対して祈ることで不足分を買い集めていたシロモノであった。何を同じものを、と知らない人からすれば見えるだろうが、決して同じではない。あと同じカードは三枚は必要なのだ。ご理解願いたい。


 

 

 それはそうとしかし、それはよく見ればプールとは別物であるようだった。薄暗くぼやっとしているが、その円盤は、よく見やれば、たしかに浮いているように見えるのだ。暗いので街灯が頼りだが、いや、あれは、そうだ、たしかに、なんと浮いているではないか。

 

 

 ゆーふぉーだ。

 

 

 間抜けな声すら出なかった。すぐさま手持ちの、先々月に買ってもらったばかりの二世代前のスマートフォンで写真を取ろうとカメラを向けるがーーそこには映っていなかった。

 

 

「あれ?」

 

 

 ここでようやく声が出る。だが、カメラには幾ら角度やモードを変えても映らない。写らない。まるでそこには無いかのようであり、自分が見えていることの方がおかしい事だと言わんばかりだった。

 

 

 いや、実際そうなのであろう。

 

 

 これは所詮、中学二年生の空見であり、戯言であるとするのが不真実でありながら実は正解なのである。冷静に考えれば、果たしてそのようなものを見たと言いふらしたところで何になろう。部活もせず、勉強もせず、遊ぶ相手を小学生卒業と同時に失い、一人で読書と文芸同好会を放課後に開くような人物が、ある日突然である。ゆーふぉーを見た、未確認飛行物体だ、宇宙人だ、侵略者だと騒いでみろ。前から一人でぶつくさと喋るやつだと思ったが、やはり頭がおかしいやつだったのだと合点されておしまいである。そして、残り一年と半年に起こり得るかもしれない友人との邂逅、奇跡的なガールフレンドと言う名の彼女ができるという、ミクロコスモスレベルでの可能性ではあるが、その奇跡を希望として持ち続けることすら、そんなことを言い始めては出来なくなるのである。

 

 

 それは絶望だ。

 

 

 たとえ今見えているゆーふぉーが本物であっても、嘘であってもそれは変わらないのである。希望を残して義務教育を卒するためには、それは自分の中の思い出として置けば良いのだ。そう思い、考えをまとめると、なぜだか泣きそうな気持ちになるのを堪え、その巨大な円盤状の未確認飛行物体を目に焼き付けながらひとり、プールへと向かった。

 




 

 

 * * *

 






 

 

 プールの鍵は二箇所ある。一つは学校の職員室。これは無理である。そもそも学校の門と玄関と職員室の鍵がない。取りに行くのは現実的ではない。友達はいないが、回る頭はあるのだ。勉学ができなくとも、雑学なら大人より知っている。日常にも将来にも使えなさそうだが、自称文芸同好会部長を名乗る本の虫である以上、ある程度は利口なのだ。間違いない。

 

 

 ちなみに二箇所目は入り口床に敷かれたプラスチック製のトタンのようなものの下である。プール掃除当番の際、いつか役に立つかもしれないと紛失を装って盗んだものを隠したのだ。それがこんな時に使えるとは。実に利口である。間違いない。

 

 

「さてと、っと」

 

 

 カチャリと開けて誰もいないのに静かにこっそり忍び足。あとから考えれば、バシャバシャと泳ぐのだから忍ぶも何もない。堂々たる犯行である。

 

 

 更衣室に行き、これまた隠していた予備の水着とバスタオルのセットを取り出し、プールサイドへ向かう。そこで明かりをつけたくなったが、ふと思ってそれはさすがに怖いのでやめた。薄暗いなか泳ぐのも、背徳感が倍増して良いではないかと自分の中の何者かが鼓舞し始めたのである。正直なところ、電気がついた途端に通報なんてされてもかなわないと思ったからなのだが、これまた冷静になってよく考えれば、なんてことの無い。それこそ、侵入した時点で通報されていそうなものである。なんと頭の悪い子だろう。間違いない。

 

 

 着替えを終え、準備体操をきちっとワンセット行い、室内の温水プールにはしごを使って足から入った。利口であれば、それこそこの時点で温水であること、プールに水が張られていることに気づくべきだったのだが、気づかなかったのだから阿呆である。温かさに喜んだくらいであるから、確実なまでに間違いない。無念。

 

 

「よしっ、スタート!」

 

 

 ニジュウゴメートルをサクッとクロールで泳ぎ、壁に着くとターンして戻ってくる。一気に泳ぐと、それはやや息があがるくらいの心地よい疲れた感じが体に来た。それが本当に心地よかった。サッカー野球テニス五十メートル走はダントツのビリで、鎌倉健はスポーツ苦手で生きてきたはずなのだが、プールだけはできた。もしかすると陸で生きるべき生物ではなかったのかもしれない。人間の生活が水中を主としているのであれば、それは友人がたくさんいて、羨望有望の眼差しに囲まれ、たくさんのガールズフレンドがいたであろうに。人類の進化たるや、ああ、無念。

 

 

「ぷはっ」

 

 

 五十メートル泳ぎ切った時だった。水から顔を出せば、そこには既に人が居て、しゃがんでこちらを見ていた。

 

 

 ドキリとした。

 

 

 その対するこちら側と言えば、またもや声すら出なかった臆病者なのだが、しかし、それは大人ではなくどうやら子供……よりは成長しているが、大人ではないから少女か。暗くてよく見えにくいが、年上の感じもあまりなかったので、同級生か1つ上下だろう。そう思った時に彼女によって何かライトのようなもので照らされたので、どうにも眩しくて仕方なくなってしまった。片手はプールサイドを掴み、もう片方の手が反射的にその光を覆い、その姿をよく確認しようとした。どうやら、彼女はこちらへ手を伸ばしているらしい。

 

 

「こんなとこで何してるの?」

 

 

 それはこっちが聞きたいセリフだったが、どうやら夏の夜に忍び込んだ侵入者を捜索通報するためにいるわけではないらしいと分かると、安堵してその手を掴んだのだった。

 

  

 

 繰り返すが、これは最後の夏の、今日は平成最後の年の夏休み最終日の夜のことである。

 

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