10 別れる気ありません



「本気で今日も行くの?」

「当たり前じゃん、四葉さん待ってるかもだし」

「お金は? バイトしてたっけ?」

「一番安いジュース頼めばいいんだって」

「営業妨害……」



 ぼそりと葵はそうこぼしていたが、何かを頼むんだし別に営業妨害じゃないでしょ、と私は気楽に考えていた。お客様が神様ってまでは思っていないけど、注文して店員さんと話すぐらいなら許される範囲じゃないかと思ったのだ。それに、恋人が押しかけてきて嫌な人はいないだろう。周りに人がいなければの話だけど。

 葵も優も部活があるからいけないといって断られてしまった。葵はバレー部、優は茶華道部だ。私も途中まで部活に入っていたけれど、つまらなくなってやめてしまった。どうせ来年は受験生だし、部活に時間を割いている暇などないと思ったからだ。早めに辞めれて、皆よりも早く受験勉強ができると思えば安かった。

 そうして、二人と別れて昨日のカフェに向かう。

 結局あれから、四葉さんからの連絡はなくて、ずっとスマホとにらめっこしていたが、通知が来るのは、いらない広告ばかりだった。メールも、「転職希望者」なんてものがきて、そもそもまだ学生だっての、と突っ込みを入れていた。こんなにも相手からの連絡が待ち遠しいとそわそわしたのは初めてだった。初めて大人と付き合うっていうのもあって、きっと落ち着かなかったんだと思う。子供な私を隠して、少しでも大人っぽくしようと思った。でも、前の恋人とのやり取りを見ると、自分の幼稚さが露見してみるに堪えなかった。



「絵文字多すぎかも。後、スタンプも気持ち悪い……こんなんじゃ、四葉さんに嫌われちゃうかもしれない」



 そう思って、前もっていたスタンプを消して、大人の女性が使うような実用性のあるスタンプを買った。これなら少しは私のことを見直してくれるだろうと。

 静かな部屋でそう一人で盛り上がっていた。誰も私の邪魔をする人はおらず、虚しさもあった。



(そういえば、昨日もお母さん帰ってこなかったんだよな……)



 いつものことといえば、いつものことで、たまにしか帰ってこないお母さんを恋しく思う時がある。もういい年だし、母親離れをしようとは思っているけれど、お母さんのことが気になって仕方がなかった。



(でも、今はそんな暗いこと考えている暇はないの! まずは四葉さんと距離を縮めることが最優先よ!)



 勉強も部活もそっちのけで、たどりついたカフェの前で深呼吸をする。息を吸いすぎて、吐くタイミングを逃してむせこんでしまう。変なところに入って、気管支が馬鹿になる。



「げほ……げほごほ。こんなかっこ悪い姿見せられないよ」



 でも、こんなところで立ち往生しているわけにもいかず、私はもう一度呼吸を整え、そうして重く建付けの少し悪い扉を開いた。

 カランコロンと、気持ちの良いベルが鳴り「いらっしゃいませ」と声が飛んでくる。紛れもない四葉さんのものだった。



「いらっしゃいま……幸、さん」

「来ちゃいました。四葉さん!」



 エプロン姿の私の恋人はカッコいい。でも、迷惑そうに眉を葉の字に曲げたのはマイナスポイントだ。そう思いつつ、私は好きな席に座っていいかと四葉さんに尋ねた。四葉さんは我に返ったようで「分かりました。お好きな席にどうぞ」と営業スマイルを向ける。

 私は店内を見渡して、昨日のように誰もいないことを確認したのち、カウンター席に座ることにした。少し高めに調節してある椅子に上るのは大変で、座れたと思ったら足がつかない浮遊感に落ち着かなかった。



「ご注文は?」

「オレンジジュースでお願いします」

「かしこまりました」



 注文を取りに来た四葉さんに、私は昨日と同じものを注文する。見栄を張ってコーヒーと言いかけたが、残す方が悪いと思って大好きなオレンジジュースにする。シフォンケーキが頼めないのは金銭的な問題だ。バイトをするには手続きが必要で、何より親の承認が必要だった。だから、帰ってこないお母さんにそんなものを強請るぐらいなら、やらないほうがいいとバイトはしていない。

 そうしているうちに、オレンジジュースが私のもとに運ばれてくる。昨日は、四葉さんに見惚れていて気付かなかったけれど、オレンジジュースはこの店内でミキサーにかけたものらしく、オレンジの皮がズッとストローを通り抜けてくる時がある。そういう小さなこだわりがいいなと私は思った。



「それでは、ごゆっくり……」

「四葉さん、どうして連絡してくれなかったんですか?」

「幸、さん」

「後、恋人なので『さん』付けは大丈夫ですから。それで、何で?」



 言いにくそうに、口ごもった四葉さんにそう問い詰めた。彼は、何かを言おうと必死に口を動かしていたが、言葉が見つからないのか、開いては閉じてを繰り返していた。その様子から、恥ずかしい、ということじゃないことは明白で、私は言わせてなるものかと、口を開いた。



「私、別れる気ありませんから!」



 そういうと、図星だったのか、四葉さんは「どうして?」とようやく口を開いた。



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