風が吹いてもラブコメになるわけない

ヤギ執事

新学期早々ラブコメになるわけない

第1話 新学期

 暖かい風が耳をくすぐる。


 春というのは不思議なもので、こうして自転車を漕ぎながら風に撫でられているだけで、なにかが始まりそうな、変わっていきそうな、そんな予感を与えてくれる。


 しかし、そんな予感はまやかしであり、実際にそれをきっかけに変わることはない。昨年の同じ時期、同じ予感を覚えたにも関わらず、華のFDK、その時期のほとんどを一人で過ごすハメになった俺は、その事実をはっきりと認識している。


 世間一般的には友達のいない人、いわゆるぼっちのことをどこか哀れに思う人が多いだろう。しかし俺はそうは思わない。一人で勉強し、一人で趣味に没頭し、時折気分転換に一人で外出する。そんな生活もなかなかに楽しかった。

 しかし、一人でという言葉に修飾されるとなんとなく寂しく聞こえてしまうのはなぜだろう。夜の、と語句の頭につけたらなんでも卑猥な想像を掻き立ててくるというのは有名だが、それと同じ気がするな。

 まだ自分の中にこんな偏見が残っていたとは。今年中に撲滅してやる。


 学校へ近づくにつれ、周りに人が増えていく。人々は挨拶を交わし、クラス一緒だといいね、緊張してきた、などとタイムリーな会話をワイワイと繰り広げながら学校へ向かう。そんな中を一人と一台で進むのは、なんだか肩身が狭いように感じる。

 学校がほぼ目と鼻の先になると、歩いている生徒たちに加え、送迎の車で道はいっぱいいっぱいだ。さすがに自転車に乗ったままだと生徒とぶつかりかねないと思い、降りて押すことにする。何事も安全第一だ。

 クラス替え特有の期待に胸をふくらませるような、でもどこか不安で緊張しているような、そんな雰囲気にのまれながら歩いていく。胸をふくらませる期待もないなんて少し情けないなと思いながら歩いていたその時、突然耳をつんざくような一際大きな声が真横から響き渡る。

 

「おはようございます!!!」

「あ、うっす」


 それが自分に向けられた挨拶だったことを辛うじて認識すると、驚きで固まる頭の中からなんとか言葉をひねり出す。日焼けした顔ににやりと笑みを浮かべるその顔を見ると、わざとやったんじゃないかと思う。南の裏門を目指すと野球部の挨拶運動ゾーンに引っかかるのか。ハメやがったな。

 こちら側の通学路を経由することになった原因の人物に理不尽な怒りを向け、明日からは挨拶運動の時間を避けようと思いながら教室へ向かうのだった。




 突然だが、この勝板高校の校舎には北棟とそれより少し小さめの南棟、そしてその二つの棟を繋ぐ、内部に職員室や保健室などが内蔵された渡り廊下がある。上空から見ると、丁度漢字のエのような形をしている。今年から南棟に教室が移動するため、普段と違うルートを初見で通ることになり、先ほどの挨拶運動トラップに引っかかるハメになったわけだ。考え事してた俺が悪いんだけども。


「ここか」


 あまり見慣れない景色を、教室の名前を頼りに突破すると、三階の突き当りに目標の教室をついに発見する。一年ぶりの緊張感だ。俺は肺の中にある空気をふーっと出し切ると、戸をガラガラと開く。


 教室を見渡すと、ほぼ全ての机に荷物が置かれている。新学期初日は、やはり皆登校が早い。気合い入ってんな。

 俺はいつも通り空気へ溶け込むと、黒板で自分の座席を確認する。右から二列目の前から二番目、ハズレだ。言うまでもないが、一等地は教室の四隅である。理由は上下だけでなく左右、斜めにも挟まれることがないからである。オセロと同じだ。


 着席してからしばらく、荷物を漁ってみたり、スマホをいじったりして、最終的にいつも通り机に突っ伏して時間をつぶしていると、自分の机を叩く軽やかな音と微かな振動を感じた。自分にはこんな風に会いにきてくれる友人もいなければ、朝からいたずらしにくるような小悪党に目をつけられた覚えもない。であれば、導き出される答えは一つだ。俺が眠たそうな雰囲気を演出しながらゆっくり顔を上げると、そこに見知った美人がいる。若々しく見えるが、無論生徒ではなく、数学の教師である。


「おはよう、篠塚。初日からおねむちゃんか?」

「おはようございます、磯村先生。そうなんですよ、朝から挨拶運動トラップにかけられちゃって疲れてるんですよね…このまま一時間ほど寝てても大丈夫ですか?」

「挨拶運動トラップとはなんだ?そして残念ながら、まもなくホームルームだ。」


 英数クラスを勧めてきた身でありながら、知ってすらいないとはなんと残酷なことか。トラップの仕掛け人はその豊満な胸を強調するように腕を組んで押し上げると、質問を続ける。ちょっと目のやり場に困るな。


「ところで、新しいクラスはどうだ?」

「最高ですね。去年と比べて静かなので、シエスタに打ち込めそうです」

「まあ、私の授業以外でなら許そう」


 許すのかよ。

 磯村先生は満足げな顔でそのまま教卓へ向かうと、ちょうどチャイムが鳴り響く。各々席には戻ったものの、未だざわざわと騒がしいクラス全体に、先生はホームルームを始めるぞ、とよく通る声で自分に意識を向けさせると、淡々と連絡事項を伝えていく。実に鮮やかな手際に脱帽だ。俺はというと、先生の話などには意識を向けず、だらだらととりとめのないことを考えていた。しばらくそうして時間を潰していると、妙にはっきりとした声が聞こえてくる。


「次のホームルームで早速自己紹介してもらう。最低限名前、好きなこと、クラスのみんなに一言を言うように。各自休憩時間中に考えておくこと」


 どんなに騒がしい場所でも、自分を呼ぶ声や興味関心のある話題は自然と耳に入ってくる。そんな現象にカクテルパーティー効果という名前がついているが、今その効果を身をもって体感した。来る決戦に体が勝手に反応し、鼓動が早くなる。この年で自己紹介にいちいち緊張するなんて情けないな、と思いながら、現実逃避するかのように机に突っ伏すのだった。

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