異世界転生者はもう必要ない
ありま氷炎
前編
ある日を境に、お嬢様は変わってしまった。
「ごめんなさい」
ワガママ放題、癇癪持ちだったお嬢様は、酷い風邪を引かれ寝込まれた。
三日間熱にうなされた後、我々の前に現れたお嬢様は深々と我々に謝罪した。
その日から、お嬢様は変わった。我儘を言うことはなくなり、使用人たちは女神様の祝福があったと喜んだ。
喜んだのは勿論、使用人だけではない。
旦那様と奥様、そして御坊ちゃまだ。
それまで色々物を強請っては、数日使った後は放置。もし願いを叶えなければ癇癪を起こして、叫ぶ。そんなお嬢様だったのに、旦那様に物を強請ることがなくなった。
また奥様のしつけに対しても大人しく従うようになり、御坊ちゃまにも理不尽なこと言わなくなった。
「ジャック。本当にごめんなさいね。色々我儘に付き合わせて、もう私のことなんて気にしなくていいからね」
庭師である俺は一人で庭で作業していることが多い。
以前であれば癇癪を起こしたお嬢様がよく庭に迷い込んでくることが多かった。俺は庭の小屋にお嬢様が落ち着くまで一緒にいて、話を聞いた。
お嬢様は喜怒哀楽が激しい。
話を遮られるとものすごい怒る。
けれども黙って聞いていると、たくさん話してくれる。怒ったりしない。
そのうち、癇癪を起こしていないのに、庭に現れることが多くなった。
お菓子を持参していて、一緒に食べた。
俺にとってはその時間が貴重で、嬉しかった。
だけど、今のお嬢様にとって、それはごめんなさい、なことだったのだ。
みんなに好かれる優しいお嬢様。
誰もが女神様に感謝した。
お嬢様を改心させてくれてありがとうと。
だけど俺はお嬢様に不信感を持った。そしてお嬢様の動向に気を使った。
するとお嬢様は俺たちが知らない言葉を使って歌を歌ったり、見たことない文字を書くことを知った。
(やはりお嬢様は前のお嬢様とは違う)
俺は勇気を出して、旦那様の部屋に駆け込んだ。
しかし、俺の話は聞いてもらえず、屋敷を追い出された。
救いは紹介状を書いてもらったことだが、屋敷のことを何か漏らしたら制裁を加えると脅された。
一体何なんだ?
もしかして、旦那様は知っているのか?
お嬢様が前と違う人物かもしれないと。
お嬢様そっくりで、声も何もかもが一緒だ。
別人のはずはない。
だけど、俺の心があれは別人だと訴えた。
紹介してもらった新しい屋敷で、俺は仕事を始めた。
住み込みなのでとても助かった。仕事内容もほとんど前と代わり映えがしない。
単調な日々。
だけど俺はお嬢様のことが忘れられなかった。
別人だとしたら、本当にお嬢様はどこにいったんだろう。
屋敷に二度と近づくなと言われているので、様子を窺うこともできない。ただ、新しい屋敷の使用人から、お嬢様の噂を聞き出した。
女神様の奇跡を体現した令嬢、お嬢様はそう噂されていた。
俺は気になって、女神様の奇跡を調べることにした。
教会なんて好きじゃないけど、とりあえず休みの日を利用して行ってみた。
「女神様の奇跡?お前知らないのか?」
教会に祈りにきていたおじさんに、ちょっと聞いてみると簡単に話してくれた。
どうやら素行の悪い者がある日改心し、善い者に生まれ変わったようになることを、女神様の奇跡と呼んでいるらしい。
気持ち悪い。
奇跡でもなんでもないじゃないか。そんなの。
お嬢様は決して素行の悪い者じゃなかった。なのに、今の状態の方が良いと思われているなんて。
お嬢様の事以外でも女神様の奇跡は、至る所で起きていた。
教会では、これは女神様が世界を救うために行っている奇跡だと触れ回っているようだ。
「そういや、この間の娼婦。やけに気取っていたけど、元伯爵令嬢なんだって。おかしいよな。あれだろう?女神様の奇跡によって強くなられた姉に追い出されたひっでぇ女だろ?娼婦の娘の癖に令嬢づらして、異母姉を虐めていたらしい。それは女神様も奇跡を与えたくなるわな」
「女神の奇跡は、素行の悪い者たちを改心するんじゃないのか?」
「ああ、通常はな。だが稀に酷い環境で虐げられていた者に女神様の奇跡が訪れ、生まれ変わったように状況を変える力を手に入れるらしい」
「変な話だな」
「おい、そんなこと言うなよ。教会の者に聞かれたら」
酔っていた男が急に素面に戻り、キョロキョロと周りを見渡す。
「くっそ。酔いが覚めちまった。じゃあな」
名を聞かなかったが、男は勘定を払うと酒場を出て行ってしまった。
「娼婦か。なあ、あんた。さっきの男が言っていた娼婦の名前わかるか?」
さっきの男と話していたもう一人の男に聞いてみる。
「お前さあ、しつけぇよ。女神様の奇跡について、調べているのか?」
「ただ知りたいだけだ」
「小鳥の館のケイトだよ。ケイト。お前、気をつけろよ」
「なんだ?気をつけろって」
男は俺をじっと見た後、肩を叩くと飲み物を持ってカウンターへ戻って行った。
どういう意味だ?まあ、いい。今日は時間がないから、次の休みに行ってみよう。
次の休み、俺はケイトに会いにいった。
勿論客としてだ。
「さっさと終わらせてよね」
ケイトは赤毛に緑色の瞳で、俺より年下に見えた。
綺麗な女だと思う。
だけど、平民としてだ。
手入れもされていない髪がカサついていて、顔色は化粧で誤魔化しているみたいだ。
「必要ないから」
ケイトが服といっても、薄い下着のようなものを脱ごうとしたので止めた。
「はあ?服の上からやる気?やめてよね」
「話をしたいだけなんだよ」
「変なやつね」
顔をしかめつつ、少しホッとしたような顔をケイトはした。
「あんたの姉は女神様の奇跡を受けたの?」
「はん、その話?」
周りくどい言い方は好きではない。
というか時間もないので単刀直入に聞いた。
「俺の知り合いで、女神様の奇跡を受けた人がいた。だから、知りたいんだ」
「そう。それなら話してあげるわ。何から聞きたい?」
「どんな風に変わったのかだ」
「それは突然だったわ。あの子、階段から落ちて死ぬそうになったのよ」
思わず俺は彼女を確認のため見てしまった。
虐げられていると聞いていたのだ。
もしかして、殺そうとしたのか?
「私は何もしてないわ!勝手に階段から落ちたの!本当よ。でも翌日マリアが目覚めた時、私のせいになってたけどね」
「本当に何もしてないのか?」
「階段に関しては何もしてないわ。ええ、噂通り、私は彼女を虐めていた。だから報いと言われればそうかもね。まさか、私も自分の親に売られるとは思わなかったけど。マリアはわたしたちを追い出しただけ。その後、私を娼館に売ったのは親だから」
そこまでの事情を知らなかったので、驚いてしまう。
親、伯爵だった男、その妻が実の子供を娼館に売る。
信じられない話だった。
「横道に外れたわね。あの子が変わった時でしょう?階段から落ちて目を覚ました時は、すでにあの子ではなかったわ」
「あの子ではなかった?」
「ああ。違ったわね。女神様の奇跡によって生まれ変わった、ね」
「全然別人のようになったのか?」
「そうよ。記憶とかは一緒だったみたいだけど、言い方とか、視線とか全然。前は私に怯えたようにいつも俯いていたのに。私を真っ向から睨んで、私が階段であの子を突き飛ばしたって言ったわ」
「本当にやってないのか?」
「やってないわ。虐めていたけど、暴力振るったことはないわ。だから階段から落とすなんて濡れ衣よ。だけど、彼女は私を階段から落した犯人に仕立て上げた。あり得ない目撃者もいたわ。その後、あの子は叔父様を呼んだの。ああ、叔父様といっても、私とは血が繋がっていない。あの子の母親の弟ね。あっという間に、お父様は家の実権を失って、お母様ともども家を追い出されたわ。どうにか持ち出した宝石や手切金で食い繋いでいたけど、ある日、私はここに売られた。置き去りだったわ。追いかけようとしても、私がお金を持っていないし、無理だった。まあ。女将さんが親切な人でよかったわ。確かに仕事はしなきゃいけないけど、他の場所に売られるよりはマシだったから」
ケイトは気怠げに髪を書き上げた。
元はもう少しふっくらしていたはずの顔、頬が少しこけていて、化粧にうまく隠されているが隈ができているようだった。
「俺が、あんたをそのうち身受けしてやるよ」
「はあ?」
俺は気がついたらそう言っていた。
「慰めなんていらないわ。あの子をいじめていたのは事実だし。女神様があの子に同情して、したことよ。ここまで私が落ちぶれたのは、親のせいだし」
「あんた、あの子のこと気にならないか?」
「は?」
「俺の知り合いの子も酷い風邪にかかって、目を覚ましたら別人になっていた」
「別人、女神様の奇跡でしょ?」
「本当にそう思うのか?まったく別人に見えなかったか?」
「た、確かにそうだけど。でもそれは、女神様が」
「ああ、女神様が本当にしたかもしれない。だって人には無理だろう。中身を入れ替えるなんて」
「中身?」
「俺はずっと考えていたんだ。お嬢様が別人になった理由を。俺は、女神様が中身……魂を入れ替えているんじゃないかと想像している」
「ば、馬鹿なことを言ったらまずいよ。教会に聞かれたら」
「あんたも同じこと言うんだな」
「教会の奴らが接触してこなかったの?」
「なんだそれ」
「私たちが家を出た時、教会の司祭が来た。そして、あの子のことは他言するなって」
「他言って、今、あんた。俺に話したじゃないか」
「そ、そうだけど。あなたならいいかなって思って」
「信用されてるんだな。俺。初めて会ったのに」
「まあね。話を聞くために私に会いに来た人は初めてだったし。あなたのお嬢様だっけ?その人に対して必死そうだったから。悪い人じゃないと思ったんだ」
「そっか」
なんだか、照れるな。
初めて会ったばっかなのに。
「じゃあ。また来るよ」
「うん。待ってる」
それから、俺たちはたわいのない会話をしてから別れた。
そして次の休みに俺はケイトにまた会いに行った。
「あの子は死んだよ」
「はあ?なんの冗談ですか?」
「本当だ。嫌な客がいてね。さっさと帰っておくれ」
「あの、葬儀はあげたんですか?」
「葬儀?あげるわけないだろう?共同墓地に葬ったよ。会いたきゃ、そこに行きな」
ケイト曰く親切な女将さんは、箒を片手に俺を追い立てた。
「共同墓地。どこだよ」
一回しか会ったことない女性。
だけど、話してとても楽だった。
性格は悪いんだろう。人を虐めることができるのだから。
でも、彼女に惹かれた。
それが、急に死ぬなんて。
近くの共同墓地は、教会に隣接している。
小鳥の館のケイトと言うと、すぐに共同墓地に案内してくれた。
大きな石碑があって、たくさんの名前の中で、一番最後に彼女の名前があった。ケイト、とそれだけだった。
「……あなたは、ケイトさんの友達でしょうか?」
「はい」
この人がケイトを埋葬してくれたのかな。
「君のために、ケイトさんは命を落としました。警告はしましたよ。嗅ぎ回る真似を続けるなら、今度は君自身の番だ」
「な、何を言って!」
「誰かに私のことを話してみなさい。どういうことが起きるか、わかるから。私たちは君をいつも見ている」
そう言って司祭は立ち去った。
ぞっと身体中の毛が逆立った気がした。
ケイトは警告を受けていた。
誰にも話すなって。
だけど、彼女は俺に話した。
それで殺された。
あの女将もきっと知っている。本当は誰に殺されたのか。
でも、なんで俺を殺さないんだ。
酒場でも嗅ぎ回ったし、ケイトにも色々話したし、色々聞いた。
だけど、俺はこれ以上誰も巻き込みたくなくて、いや、死にたくないんだ。
俺自身が。
だから、忘れることにした。
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