第12話 出立
「さあ、参りましょうか兄さん!」
昨日のうちに出立の準備を整えた私は、一の鐘が鳴るよりも早く兄の下宿を訪れていた。ミルーシャは既に起きていて井戸の水を汲み、体を清めた後らしくて髪が濡れていた。朝の水は冷たいだろうに相変わらず信心深いことだ。ミルーシャが招き入れてくれた部屋で私は兄を叩き起こしていた。
「ルシア……朝メシくらい食べさせてくれ……」
「ふふっ。どうぞ、今日の分のパンです」
ミルーシャはテーブルの上にパンを置く。一の鐘も鳴っていないのにどこで買ってきたのだろうか、焼き立てのパン――ちょうど三人で食べる一日分くらいの量の――をいつの間にか手にしていた。
「家族が増えましたからね、パンも増えました」
「家族? 私? 兄さんも?」
「ええ。私には家族がおりませんので、お二人が一緒に居てくださると嬉しいです」
「う……ん、まあいいです……」
「では、どうぞ。――地母神様に一日の恵みの感謝を」
「地母神様に一日の恵みの感謝を」
「……って、えっ?」
ミルーシャに続いて兄まで地母神に祈りを捧げていた。
戦女神の国の私たちに、食事の前に祈る習慣はなかった。
「――どういうことです? 兄さん」
「まあなんだ、パンを恵んでもらったんだ。感謝くらいしてもバチは当たるまい」
「えっ、確かに穀物は地母神様の恵みですから構わないですけど……」
私も一応、祈っておいた。ミルーシャは地母神の国から来たんだろうか。
地母神はもう居ないというのに……。
◇◇◇◇◇
その後、下宿を引き払った二人は、大家にまた戻ってきたときは世話になるかもしれないと告げ、少ない――いや、ほとんど無い荷物を持って通りに出た。以前通った道を逆行し、例の穀物倉庫の隣の酒場までやってくる。店の前には大型の馬車が八台も居る。そのうちの六台は穀物の袋を満載して、覆いをかけていた。後の一台は樽をいくつも載せていて、もう一台は幌付きだった。
「団長、いつでもいけますぜ」
「ああ、それはいいんだが、本当に全員来るのか?」
その場には
「そりゃあもちろん」
「給金なんて出せないぞ?」
「食い扶持がありゃあ今はいいっスよ」
「故郷のためでもあるからな」
「成果報酬くらい出るんでしょ?」
「バァカ、出ねえよ」
元傭兵や古参の戦士たちが兄に答える。
「まあ、歓待くらいはしてくれるだろう。魔術師たちも全員来るのか?」
「はい、団長について行きます!」
「団長が居なければ私も活躍できませんでしたし」
王都で訓練された者たちの多くは他の団などに組み入れられたが、兄について来た者もそこそこ居る。
「じゃあ行くか。――
おう!――と応えた一団は、馬車を進め始めた。
「それで? 兄さんはどこへこの穀物を運ぶんです?」
「西だ」
「西って地母神の国?」
「そうだ。王都周辺の穀倉地から集められた穀物を届ける」
「兄さん、お金は無かったんじゃないんですか?」
「
「そんなに前から? でも
「助けてやると約束したんだ。戦略上、これはもう彼らの物だよ」
「俺らは後始末をしに行くだけなんですよ、閣下」
「閣下はいいって言ったでしょ。ルシアでいいわ。私も
そうして八台の馬車と三十人を超える
「ミルーシャは馬車に乗っていてもいいんだぞ」
兄がミルーシャに告げる。
「ご心配なく。オーゼと同じくらいは歩けると思いますから」
「乗っていた方がいいと思いますよ? 兄さんはこれでも加護持ちの魔術師なんですから」
「ええ、ありがとう。でも大丈夫」
ミルーシャは意外にも丸一日私たちについて歩いた。よく見れば、上はゆったりとした上下繋がりの服だけれど、足元は年季の入ったブーツだった。
◇◇◇◇◇
夜は野営をするそうだ。
城塞都市は宿と税金の問題があって迂回する予定だし、普通の町でももちろん宿の問題がある。それならばと、戦士団の頃の経験を活かして野営ということになったらしい。ま、別に少し前まではごく当たり前の光景だったので今更だった。
ミルーシャと私にはテントが与えられた。女の団員向けにいくつか用意されている。
「疲れたでしょ? みんな魔王討伐の遠征に行ってた団員ですので」
「そうですね、流石は元
ミルーシャと二人きりのテントで横になって話をしていた。
ただ、そういうミルーシャもそれほど疲れた様子はなかった。
「ミルーシャはどうして兄の手伝いを?」
「んんー? 助けて貰った恩ももちろんありますが、今は彼の手助けをしてあげたいなと」
「兄に惚れてるんですか?」
「憧れではありましたね。成人したときからの。ただ、今のオーゼは辛い思いを押さえつけているようなので……そんな人が頑張ってたら手助けしたくなりませんか?」
ミルーシャがいつ成人したかはわからないが、そんな頃から兄を知っていたのだろうか。そしてミルーシャの見立てはおそらく間違っていない。兄はエリン姉さまの事が今でも忘れられないのだろう。ただ、下宿での様子を見る限り、彼女は兄を奪おうと考えているわけでも無さそう。
「私にはミルーシャがよくわかりません」
「じゃあ知ってください。私が好きなものとか。あ、いえ、それ以前に敬語はなしにしましょう。せっかくの家族なのですから」
「ミルーシャの方こそ敬語なんですけど……」
「私はいつもこうですから。でも、ルシアさんはオーゼ以外にはそうではないでしょう?」
「……考えときます。あと私も呼び捨てていいので」
「嬉しい。妹ができたみたいですね、ルシア」
そう言うとミルーシャが抱きしめてきた。
「ちょっ、ちょっと……」
ただ、いい匂いと温かさが私を包み込んだのが存外心地よく、抱きつかれるに任せてしまった。母が居たらこんな感じなのだろうか。私の母は私を生んでしばらくして亡くなってしまったらしい。継母は居るが貴族然とした女性であったため、抱きしめてもらえるほど親しくもなく、私はいつも兄に寄り添っていた。
◇◇◇◇◇
国内の行程は順調に進んできていた。やがて辺境領に入ると、戦禍の爪痕はまだ癒えていないことが見て取れた。この辺りを故郷に持つ団員は多いという。昔から辺境領で戦ってきた者たちも多く、今回の魔王軍の襲撃が理由で戦士団への入団を希望してきた者も少なくないらしい。
そしてかつての国境の町。
辺境伯の兵士たちが町を出る者を止めていた。
「やめておけ。少し前にこの先の峠で化け物が出たという話だ」
「化け物ってお前、
そう。ガネフの言う通り、隣の領地は私たちが最初に攻め落とした領地で、その隣も併せて直轄地として
「他領からの化け物の相手でそれどころではなくなっているのだ。いずれせよ、向こうから連絡があるまでここは通れん」
「いや、その連絡はいつ来るんだっての」
「兄さん、ここで話していても始まらないので進みましょう」
「ルシアの言う通りだな。行くかガネフ」
「いや、ちょっと待て。話を聞いていなかったのか!?」
兵士たちが行く手を遮ろうとする。兄は自分たちで化け物を何とかすると交渉を始めるが――。
「うっさいわね。私が行くって言ったら行くんだから退いてよ」
兵士たちは顔をしかめるが、兄は溜息をついて呆れた顔をする。
「
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オーゼは9話の領主たちの約束を果たしに行くようですね。
ルシアが兄にべったりな理由も判明しました。
宿場や町の迂回はともかく、城塞都市の迂回は地形のボトルネックもあり結構大変です。
街道は基本、行軍距離二倍で計算します。
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