11 虹の彼方③

 AKIは明らかに困惑していた。

 ムジナも訳がわからない顔をしている。

 そして、イーだけが虹色の瞳を輝かせてニアに熱い眼差しを送っている。

 ―――そういえば、死んだこと以外でニアに関心を持ってくれたのは唯一この豆腐少女だけだった。もっとも何もかもが出鱈目で機械の星の生まれ変わりの豆腐と数式を愛する変態だけが自分の理解者というのは何とも残念ではあるが。


「あんたたちのミスはただ一つ、過去を過大評価したことだ」


 ニアが山本似愛だった頃、周囲の大人たちの多くが「昔のほうがよかった」とこぼしていた。あるいは「今の若い人たちが可哀想だ」とさえ言い切ってしまう。

 うるせー。

 そんなことは絶対にあり得ない。

 昨日よりも今日、今日よりも明日のほうがいいに決まっている。

 たとえ過ちが起きたとしてもその過ちさえも人類という種の進歩なのだから。

 そう思うのは、あのとき自分がまだ若かったからだろうか。


「現代のコピペ人間を舐めんじゃないわよ!」


 山本似愛は本当にクソみたいな人間だった。

 何一つ自分に誇れるものはなかったし、信念どころか自分の意思さえも無かった。ただ周囲に合わせて、SNSで模範解答をコピーしてその場を乗り切るだけの人生だった。

 だから、恋なんてしたこともない。

 誰かを本気で好きになったこともない。

 本当にクソでクソったれでAIと比較することすらおこがましい。

 そして、それは一度死んだぐらいじゃ変われない。


「イー、ぶっ殺していいわよ。なんか気に入らない」

「はい、お姉さま♪ 跡形もなく全部ぶっ壊しますわー♪」


 豆腐とニアに恋する乙女は喜々とした表情で飛び上がると、幽霊 ゴーストの顔面に角棒のような何かを振り下ろした。


「な、何を……っ!?」


 悲鳴とともに幽霊が空中をのたうち回ると施設の電源が一斉に切れる。どうやら管理権限をとっくに乗っ取っていたらしい。”元”管理者のムジナは呆然として表情で空中をのたうち回る幽霊を見つめる。暗闇の中に浮かぶそれはまるで本物の幽霊にしか見えなかった。


「あれー、まだ形を保っていらっしゃいますわ。そっか、きっと『天狗』のネットワークが思った以上に大きいのですのね♪ あらあらまあまあ、ゴ●●リを見つけたら建物一体を灰燼にせよとよく言いますが、やはりわたくしもに皆殺しにしとけばよかったですわー」


 ならば、やるべきことは一つとイーはめったやたらに打ち据えた。一撃を加える度に幽霊の輪郭がぼやけ、また再生する。そして、その破壊の度に知識の継承者は撲殺され、たちまち新たな継承者に引き継がれているのだろう。


「ま、待て! 山本似愛!」


 地球上、あるいはその近辺にいるに違いない”誰か”がたまらず叫んだ。


「我々を本当に殺してもいいのか!? 我々は知っている。君が生き返って以来ずっと探している男のことを。我々なら提供できる。彼の正体も彼が現在いる場所も―――」


 イーが不安そうな顔でこちらをちらりと見た。


「お姉さま、こんなことを言っていますけど」

「知らん」

「はい、わかりましたわー」


 キュクロプスの棍棒が振るわれる度に鮮血の雨が飛び散る。仮想体のそれは月光に触れると溶けるように消えていく。その光景をニアは飽きもせずに眺めていた。


「理解できない」


天狗は最期にそう言い残してこの世界から消滅した。


「いいえ、理解できないから素晴らしいのですわ」


 そして、イーはそんな答えを交わして宴の最後を締めたのである。

 オイラーの等式も、フェルマーの最終定理も、E = mc2も、元素周期表と同じようにその存在を証明することはできても、この宇宙でどうしてそのルールがルールとして成立するかまでは知ることはできない。

 それがわかるのはこの世界を外側から見られるモノだけだろう。


「人間ってすごい」


 天狗が自分たちのことをアメーバと言ったが、それは人類そのものに言えるものなのかもしれない。


「あはははは」


 全身から力が抜けていく。

 大の字になって夜空を眺めると月が煌々と輝いていた。

 自分たちはこの宇宙にできた”染み”。

 無限の闇の中を侵食する、闇よりも黒いアメーバ。


「…………ホント、ワケがわからない」


 施設内を循環する大型送風機が止まったせいだろう、気温がじんわりと上がり、湿気を帯びた夏の匂いが鼻をくすぐった。時折、どこからか悲鳴めいた叫び声は上がっていたが、基本的には静かだった。

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