3 人間嫌い①
3 人間嫌い
長い回想は終わり、物語は冒頭に戻る。
奥多摩駅の構内にニアの足音と0Gカプセルのモーター音だけが響いていた。秦野駅も静かだったが、旧東京都圏内で最も標高が高いこの駅はそれに輪をかけて静かだった。周囲の風景も相まってまるで山の中に取り残されたような気分になる。
「―――ここまで来てアレだけど、本当に記憶なんて消せるの?」
何度か実験的試みはあったようだが、記憶の消去や改ざんは未来世界においても実用化されていないらしい。そんな超技術を奥多摩の温泉施設が、しかも得体のしれないカルト集団紛いの連中が持っているとか明らかに眉唾な話だ。
もう何度目かわからない同じ質問。人間であればウンザリされるのだろうが、サポートAIは嫌な顔一つせず、それどころか死体の脳でもわかるように話してくれた。
「記憶を消すんじゃなくて周囲の記憶を強化することで消したい記憶と他の記憶がつながらないようにするんだし。例えて言うならー、SNSの嫌なヤツをブロックしてリンクが完全に断つ感じ?」
記憶は情報を覚える「銘記」、情報を保存する過程の「保持(貯蔵)」、そして、情報を思い出す過程の「想起」。これらに「忘却」を加えた4つの過程に分類できる。
そして、これから訪れる宗教団体『神の貌』は対象の記憶を「想起」できなくさせるという。
「ニアは人間だからピンとこないだろうけど、アタシらAIには記憶も情報の一つに過ぎないし。でも、人間は情報に優劣の差をつけて、後生大事にとっておいたり、苦しんだりしてるワケよ」
アクセス数の違いや実用性の差こそされ、基本的に生きるための道具に過ぎない。しかし、人間はときにその道具である記憶に人生を支配されることもある。
「なるほど。記憶のタグを取っ払って、検索しづらくするというわけね。確かにそれなら記憶を消すわけじゃないから空白ができないし、同一性が損なわれることもない」
AKIが調べたところ、実用性も問題ないらしい。『神の貌』によって記憶障害が増えたことは報告されていないし、逆に詐欺のトラブルも起きていない。また鄙びた場所にも関わらず、利用者が増加する一方である。これは観光資源に対して明らかに異常であった。どうやら”記憶が消せる”という謳い文句はどうやら事実らしい。
「ま、ニアっちの場合は状況がちょっと違うからねー。変な女の子が仮想AIのバグのトリガーになるっしょ? それを取り除くという目的ではいいんじゃね?」
「いやいや、普通のトラウマだってーの」
「それな。でも、知らないとはいえ、4回目も殴り殺されたんでしょ? 普通はすぐに、最悪でも2回でインをやめるっしょ? ぐふふ、やっぱ、ニアは変態さんなんじゃないのー?」
「ぐぬぬ…………」
AIからの直截的すぎるツッコミにぐうの音も出ない。とはいえ、AKIの言うことは的を得ている。要はバグのトリガーにならないように豆腐少女を思い出さなくなればいいのだ。
決意も新たに駅前広場に出てみたが、そこには予約しているはずのタクシーの姿はなかった。念のため道路やかつてのバス乗り場も探してみたが、やはりない。そうこうしているうちに駅舎の照明は無情にも消され、無人の町を前にしてニアはうすら寒さを覚えた。
「ちょっとアキ! タクシー来てないじゃない!?」
「ちょい待ち。あー、なんか通信障害が起きてたっぽい。迎車のオーダーが届いてないし。ありゃ、こりゃダメだ。明日の夜まで動けないわ」
「はあー!? 今から送迎呼べないの!?」
「うーん、呼べるけどチョー高いよ?」
AKIから提示された金額を見てニアは目の玉が飛び出そうになった。未来世界の物流は高度に
「どうする? 明日の夜まで待てば通常料金に戻るけど?」
「どうする?て言われてもねえ…………」
こんな山奥の無人駅でどうやって20時間過ごせばいいのだ。仮想空間に退避すれば一日ぐらいあっという間だが、例のバグのせいでそれもできない。睡眠導入剤で直接眠ってしまう方法もあるが、最近は0Gカプセルの盗難事件も多いと聞く。眠っている間に電波の遮断された鉛箱に入れられてしまったらどうすることもできない。
「困ったわね…………」
「アハハ! しりとりゲームでもする?」
「AIのあんたに人間の私が勝てるわけないでしょう…………」
さて、大富豪か桃鉄かモンハンかどれにしようか迷い始めたとき、白いヘッドライトが駅の広場に差し込むのが見えた。
「おや、これはまた可愛らしい山の聖霊だ」
車の運転席側から出てきた男はニアの姿を認めると目を丸くした。男の右手には未来世界ではすっかり絶滅危惧種となって久しい乾燥タバコ。どうやら喫煙をするために駅前に立ち寄ったらしい。
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