2 フルーツ味の豆腐⑤

「そうですかそうですか。お豆腐の世界はとても奥深いものですもの。世の中にはあえて混沌ケイオスにして食するお料理もあるとお聞きしています。

「ああ、麻婆豆腐? ゴーヤーチャンプルー? みんな、美味しいよねー」

「そうですかそうですか。お姉さんは豆腐の達人マスターなんですね。わたくしのようなこの世界に入ったばかりの俄か豆腐好きとは違うんですね。そうですかそうですか」

達人マスターなんて大げさな。私は食べるだけよ」


 ミシリ。嫌な異音が耳に入って何事かと思うと少女の掌中で箸が握り潰されていた!


「…………えっ!?」

「他人様のお好みはそれぞれですし、尊重されるべきですわ。それがたとえ『大山豆腐』という素晴らしい遺産レガシーがありながら、大衆に迎合した結果、見るも食べるも無残な残骸になり果てた『フルーツ豆腐』というお豆腐の名を騙るまがい物であっても、です。わたくしは絶対に食べませんが。ましてやお姉さんはお豆腐好きの同志なのです。とても素晴らしいことなのです。お姉さんのお豆腐に対する深い愛と造詣をわたくしに一欠けらでもご教授いただければ大変嬉しいですわ」


 三流惨劇スプラツター映画の開始15分ぐらいで出てくるような間抜けな端役のように、ニアは本当にようやく自分がやべえヤツと相対していることに気がつく。画面外からツッコミと呆れのため息が聞こえてくるようだ。


「そ、そうね! 今はナイフとフォークで豆腐を食べる時代なんだものね!」

「ですが、お姉さん」

「う、うん? な、なあに?」

「他の誰かが作ったお豆腐ならどんな食べ方をされても構いません。たとえそれがお豆腐の持つ幾何学的ジオメトリツクな美しさがどれだけ損うとしてもです。でも―――」

「でも?」


 少女の首がゆっくり70度の角度まで曲がり始める。そして、その瞳に宿る狂気としか表現できない熱情を認めたとき、ニアは蛇に睨まれた蛙のように凍り付いた。


「でも、わたくしが作ったお豆腐を食されるのであれば、わたくしが苦心の末に作り上げたこの完璧な姿をした食べ物の食すのであれば、絶対に形を崩して欲しくありませんわ。わたくし、そんなところ万が一でも見てしまったら、わたくし、本当に何をするか、わかりかねますもの―――」

「ふ、ふーん。そうなの? へ、へえー」


 わからないと言うなら箸を逆手に持つのは止めろ。そして、箸先を私の太ももにロックオンするのも止めろ!


「あらあら、お豆腐のお話が盛り上がってしまいましたね。うふふ、せっかくの冷奴がこれでは湯豆腐なってしまいますわ♪」

「あははー、ナイスとうふジョーク(サムズアップ)」

「それでは粗豆腐ですが、改めてお召し上がりくださいませ」

「う、うん…………いただきます」


 ナイフとフォークを手に取ると立方体をまずは横に半分に切って、それから縦に2回、半分に切る。元の立方体からみて1/8になるようにする。


「じーーーーっっっっっ」


 その間、少女の視線を痛いほど感じていた。意識すると手元が狂いそうだし、そもそも絹ごし豆腐がぷるんぷるん震えて、バランスゲーム(失敗すれば即死亡)でもやっているような気分だ。未来世界の人の途絶えた露天風呂でとんでもない美少女と二人きりで全裸で豆腐を崩れないようにナイフで切っている。文字で書くと状況がわけわからなすぎて頭がおかしくなりそうだ。これは本当に現実なのか!?


「…………ふう。じゃあ、改めていただきます……」


 どうにかカットは成功したが、油断は禁物。もう一度手元に全神経を集中する。滑らないようナイフでしっかり側面を固定しながら、フォークをそっと通す。


「(こら、頼むから暴れるな!)」


 液体と固体の境界にあるような少女の豆腐は意思を持ったかのようにぷるんぷるりと震えてニアのフォークから逃れそうとするが、どうにかそれを抑えて口に入れる。最後などはぱくりと口中に流し込むような感じだった。


「やっは!…………っ!?」

「どう、ですか…………?」

「…………」


 先ほどまでの猟奇的な雰囲気はどこへやら、少女は不安そうに尋ねてきた。しかし、ニアの耳にはその声は全く届いていなかった。


「…………えっ?」


 その声がニアのものだったのか、少女のものだったのか、あるいは2人ともだったのか今となってはわからない。

 ただ一つ確実だったのはニアの頬にお湯よりも熱いものが一筋流れ落ちたということ。

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