ツーリング日和16

Yosyan

アリス

 アリスって名前は嫌いじゃないけど、妙な先入観を持たれやすいと思う。とりあえずアリスと聞いただけで、


『不思議の国のアリス』


 これを脊髄反射で連想するのが多すぎた。まあ、アリスも逆の立場だったらそう連想しないとは言えないから仕方がない部分とは思ってるけど、だからと言って、


『どこか不思議ちゃん』


 こっちに結び付けるな。そんな訳がないだろうが。人を宇宙人にみたいに決めつけるな。どこにでもいる普通の女の子だ。だいたいだよ、不思議の国のアリスだって、不思議過ぎる冒険をするけど、アリス自体は常識人に近いだろうが・・・とも言えないか。


 今夜来ているのは三宮。夜の三宮の中心は阪急三宮の北側になる。そうだね、南は生田新道、北は山手幹線、東は北野坂、西は東門筋に囲まれた一角かな。そこだけじゃないし周囲にも広がってるけど、夜の中心はそこだと神戸の人なら思ってるはず。


 ここもかつては東門筋が一番栄えていたって聞いたことがあるけど、今はそうでもなくなって北野坂に繁栄が移ってるかな。だから飲んで食べるなら東門筋から、北野坂の間にある三本の南北の筋沿いだ。


 アリスのお気に入りは、北野坂から西に一本目の筋かな。でっかいゴミ箱があったり、自転車がたくさん停まっていたりして裏通り感が溢れてるのだけど、安い居酒屋とか、スナックばかりが並んでいるところじゃない。


 そういう店もあると思うけど、三宮でも名店と呼ばれるお蕎麦屋さんがあったり、ミシュランの星が付いてる天ぷら屋さんがあったり、家庭料理と銘打ってあるのに料金は高級料亭並って言う和食屋さんがあったりするところだよ。


 アリスが入ったのは雑居ビルの中のお店。ビルは年季が入ってるのだけど、ここにも神戸を代表する店が二軒も入ってるのよね。より有名なのは四階かもしれないけど、アリスが来てるのは二階のお店。


 どちらも老舗のオーセンティックバーで、そのお弟子さんのバーが何軒もあるっていう名店になるのよ。こういう老舗バーには名物カクテルがあるのよね。四階の方はソルクバーノが有名なんだけど、こちらの方は、


「モヒート下さい」


 モヒートはタンブラーにミントの葉、ライム、砂糖を加え、ペストルで潰すんだ。これにラムとソーダ水と氷を加えて出来上がり。ミントジュレップと似てるけど、そっちはべースがバーボンなのが大きな違いかな。モヒートが有名なのはキューバのボデギータ。ヘミングウェイも通ってた店で、


『わがダイキリはフロリディータにて、わがモヒートはボデギータにて』


 こんな言葉が遺されているぐらい。ちなみにこの店でもダイキリは絶品だ。だって、前に得意のカクテルはってマスターに聞いたらダイキリって言ってたもの。マスターもヘミングウェイが好きみたいでフロリディータにも、ボデギータにも行ったことがあるそう。



 アリスだけどアラサーだ。こんな店に一人で来てるぐらいだから独身だ。けどね、別に独身主義者じゃないし、仕事が恋人でも、LBGT系でもない、ちゃんと結婚願望はあるし、子どもも家庭も欲しい。


 だからちゃんと恋もしてきてる。男と女の関係が変って来るのは小学校の高学年ぐらいからだと思う。それまで同い年の友だちだったのが、異性の友人として意識し始めて、これをさらに進めて恋人関係になりたいぐらいに成長していく感じだ。個人差はもちろんあるけど。小学校の高学年から中学生ぐらいの間に初恋の洗礼を誰もが受けたはず。


 でもさぁ、高校ぐらいまで恋人関係になれるのは恋愛エリートだけだったよな。いわゆる美男美女カップル。それぐらい男からでも、女からでも人気が偏ってた。そうでない人間はひたすらその他大勢だったもんな。アリスもそうだった。


 アリスは大人になってからが勝負だと思っていたけど、社会人になるって現実を知っちゃったかな。あんなに出会いが少なくなるのは想定外だった。これも今になって思えば、学校の環境って異常だよ。


 だってだよ、男女半数ずつぐらいで毎日教室で顔を合わせるし、学年が上がればクラス替えで新しい顔に会えるじゃない。そんな学校にずっといれば、社会人になっても同じような状況が続いてくはずだと根拠もなく思ってたのよね。


 そりゃ、大きな会社なら似たような状況が続いたかもしれないけど、アリスの勤めた規模の会社なら新入社員で入った時のメンバーで固定されちゃうのよ。異動とか、新入社員で少しはメンバーは変わるけど、学校時代とは雲泥の差じゃない。


 だからじゃないかと思う時もあるけど、エっと思うような組み合わせでの社内結婚もあるもの。必ずしも貶してるわけじゃないけど、ホントにそれで良いのみたいな組み合わせ。そんなのを横目で見ているうちにアラサーだ。


 よく会社員を企業の歯車に例えたり、酷いところなら社畜なんて言われたりする。アリスもそんな感覚になりかけてたのだけど、このままお局様になって生きていくのは良くないと思ったのよ。厨二病じゃないけど、アリスがやりたかったことはこれじゃないはずだって。


 アリスは本が好きだったし、文章を書くのも好きだった。だから陰キャでモテなかったのは、ほっとけだ。だから小説家になりたいと思ってた時期もあったけど、もっとアリスに合ってそうなジャンルを見つけたんだ。


 それはシナリオライター、日本語なら脚本家だ。そう映画やドラマの台本を書く人だ。それなりに本気で大学の時に通信講座を受講したぐらい。でもならなかった。親どころか友だちにも大反対されたものね。夢を見るのもエエ加減にしろってね。


 だから就職して会社勤めにはなったのだけど、こっちはこっちで自分に合ってるとどうしても思えなくて、副業みたいにシナリオをまた書き出したんだよ。書いただけじゃ、誰の目にも触れないからシナリオコンテストに応募してた。


 そしたらあるコンテストでなんとなんと大賞になったんだ。大賞作品はドラマ化される特典付きだったのだけど、このドラマもそれなりにヒットしてくれた。そこからボチボチと仕事の依頼が増えてくれた。


 シナリオライターはフリーランスが基本だから、会社勤めの副業としてやってたのだけど、シナリオを書くのも片手間じゃ追いつかなくなってしまい、会社は退職、シナリオライター専念になった。


 聞いただけなら順風満帆みたいに感じるかもしれないけど、シナリオライターの世界も甘くない。こうやって仕事を回してくれるところまで漕ぎつけるだけでもシビアすぎるところだけど、とにかく才能剥き出しの芸術系の競争分野だ。


 シナリオライターの平均年収が五百万円弱だってどこかに書いてあったけど、五百万円もらってるのがどれだけいるかってお話なの。プロスポーツの世界と同じで、トップクラスのほんの一握りが平均を引き上げてるだけ。だから食うためにバイトしてるのも珍しくない。アリスはなんとかバイトせずに済むクラスぐらいかな。


『カランカラン』


 このバーのドアにはカウベルが付けてあって、お客さんが出入りするたびに音が鳴る仕組みなんだよ。入って来たのは若い女の二人組だけどマスターが来るよな。


「すみません。席を詰めてもらえませんか」


 詰めなきゃ座れないものね。アリスの隣に座ったのだけど、


「ダークラムにしょっか。ロックで」

「わたしはアイラにする。おもしろいのある」


 二人ともロックか。飲める口だな。隣だから聞くともなしに聞いていると、


「もう決めた?」

「無理言うな。そんな簡単に見つかるか!」


 旅行の話でもしているかと思ったら、旅行は旅行でもバイクのツーリングみたいだ。バイク女子ってやつだな。そんな時にマスターがやってきてアリスに、


「バイクは来ましたか?」


 毎月のようにボヤいてたものね。突然みたいにバイクが乗りたくなって免許を取りに行ったのよね。目指したのは中型のMT免許。だけど苦戦した、苦戦どころじゃなくて、最終的にAT免許取得に切り替えてる。


 この時に実感したのだけど、中型の400ccでもアリスが乗るには重くて大きすぎるってこと。クルマと違ってバイクは乗り手を選ぶのよね。あの大きさと重量を扱える体格と体力が必要なんだよ。



 だから中型の免許まで取ったのに買ったのは小型なんだけど、これがまぁ、なかなか納車されなかったんだよね。半年以上待たされてようやく手に入ったけど、それでも早い方かもしれない。


「へぇ、バイク乗ってるんか」

「なに買ったの?」


 バイク女子なら食いついてもおかしくないか。買ったのはダックスだよ。


「ダックスってか!」

「よく半年で手に入ったね」


 これはラッキーな部分が大きいのよね。オーダーしたバイク屋は親戚になるのだけど、アリスより先にオーダーしてた人がキャンセルしてくれたんだ。そこで親戚のコネでキャンセルしたダックスを回してくれたんだ。


「ホンマにラッキーやな」

「まさに棚からボタ餅」


 ダックスにしたのはサイズが小型だったのもあったけど、変速機付きのバイクが欲しかったんだ。でもさぁ、免許は中型とは言えATじゃない。でもダックスは四速チェンジではあるけどAT免許で乗れるんだ。


「そやったんか」

「クラッチが無ければATになるのよね」


 ここも先にダックスを気に入ったのだけど、これがAT免許で乗れるとわかって小躍りしたもの。


「ツーリングは行かへんの」


 行くつもりだよ。これはバイクでツーリングしたいのもあるけど、仕事からみでもあるのよね。初のお泊り付きのロングツーリングにしたら冒険も良いところだけど、


「なるほどな。ほいでもおもしろそうやんか」

「行っただけでも自慢になりそう」


 そこからバイク談義、ツーリング談議で盛り上がったのだけど、腰が抜けそうになったのは、この二人が全国あちこちにツーリングに出かけてること。だってだよ、北は北海道の宗谷岬から、東は納沙布岬、南は鹿児島の佐多岬って言うもの。


「飛騨も信州も良かったで」

「四国カルストもUFOラインもしまなみ海道もね」


 阿蘇も東北も行ってるって信じられないよ。だって乗ってるのは小型バイクだよ。


「根性出したら行けるで」

「根性というより、どれだけ休みが取れるかかな」


 二人は会社員みたいだけど、それならマスツーしないかって誘われちゃったのよね。


「無理にとは言わんで」

「マスツーはお嫌い」


 マスツーの言葉の使い方も妙に広くて、ソロツー以外はたとえ二人でもマスツーって言うのよね。アリスも一人旅より仲間がいる方が安心だし、楽しそうじゃない。それにこの二人組のバイクも小型なのが良い。


 小型バイクにもメリット、デメリットはあるのだけど、ツーリングを考えるとネックになるのが高速も自動車専用道も走れないこと。だから大型や中型とマスツーはしにくいというかお荷物にされかねない。


「峠道でも苦しいもんな」


 それもある。平地はまだしも峠道になると、下道でも付いて行くのが難しくなるのが小型なんだよ。


「ほなら決まりな。また連絡するわ」

「楽しみにしてるからね」


 乗りでOKしたけど、ホントに行くのかな。

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