第27話 某大尉に転生したつもりが中年男に…

「“奴”がいたんだ」


 と西松は呟いた。


 午前10時。

 俺は“奴”と遭遇した後、自宅へと戻り、夜が明けてから西松と約束した時間に所沢駅へ来ていた。

 俺と西松は所沢駅前で狭山ヶ丘国際大学最寄りへ行くバスを待っている。


「でも、大丈夫なの?

 “奴”ってペヤングの男だろ。今頃、これから俺たちが来るって話でもしてるんじゃないの?」


「“奴”は俺たちと一緒にペヤングが飲み込まれた話をしても、表情一つ変えなかったし、ペヤングの話をしてもまるで他人事のようだった。

 しかも前に校内で、ペヤングに喰らわされている場面を見たことから察するに、二人の仲は円満ではないのだろう」


「それなら俺も二回ぐらい“奴”がペヤングに喰らわされているのを見たことあるよ」


「なんだ、割と有りがちなことなのか?」


「ペヤングはちょっとでも思うようにならないと、すぐ暴力振るうんだよ。

 俺は末端だからやられたことはないんだけど、近ければ近い奴ほどやられてると思う。

 心の底からペヤングに従ってる奴なんていないんじゃないのかな。

 堀込みたいに仕方なくって奴が多いと思う」


「身近だからこそ、当たりがキツいってところか」


「そうだね」


 その時、西松が俺の脇腹を肘で軽く押してきた。

 何だ?


「噂をすれば影だ」


 西松が俺の耳元で囁いた後、吹き出すような笑いを漏らした。


「なんだよ、あれ。コスプレか?

 某大尉みたいだな」


 西松はバス待機列の後方へ目配せする。そこにはちょうど、バス待機列に並んだ“奴”の姿があった。


「“奴”だ。行くぞ」


 と言うと、俺はバス待機列から離れ、最後尾に並ぶ“奴”の元へ向かう。西松も俺に続く。



「グーテンモルゲン」


 と、“奴”の声が聞こえた。

 待機列に並ぶ、同じく狭山ヶ丘国際大学の学生と思われる、女子大生風に挨拶をしている。

 そうだ。“奴”は何かと覚えたてのドイツ語で挨拶したがるのだ。

 そのわざとらしく鼻に掛けた発声が癇に障る。

 それでいて、挨拶された全ての女が“奴”を一瞬で惚れたような態度になるのだ。その流れが余計に腹立たしい。


 しかし今日は様子が違った。

 挨拶された女は“奴”を無視したのだ。

 さらにその女は連れと思われる女と、“奴”に向かって不快そうな視線を送り、女同士で何やら内緒話を始めた。

 愉快な事があるもんだ。

 晴れやかな気分で、俺は“奴”へと近づき、


「グーテンモルゲン」


 と茶化したような調子で声を掛ける。


 一瞬、“奴”のサングラスの黒いレンズが光を反射し光った。


「風間か」


「お前もこの世界について気になっているのだな」


「そんなことはない。昨日はあんなことを言ったが、少々取り乱していたからだ。

 私には世界のことなどどうでもいい」


 “奴”はニヒルぶった返答をしてきた。その返答もだが、格好付けたような“奴”の声色も癪に障る。

 しかし、今日の“奴”は少々、精彩を欠いている感がある。

 髪には寝癖があり、服は汚れていた。


 俺は流し目加減の視線を“奴”へ送り、


「痩せ我慢はよせ。見ていて痛々しいぞ」


「痩せ我慢などしておらんよ」


 と“奴”は口元に笑みを浮かべた。

 その様子が精一杯、虚勢を張っているように見えなくもない。


「大尉もバスに乗ることあるんだね」


 唐突に西松が口を挟んできた。

 そうだ、“奴”はいつもフェラーリだかポルシェで通学しているのだ。


「そうだったな。大尉殿、今日はどうされたんですか?」


 “奴”はわざとらしいぐらいに俺から顔を背ける。


「大尉殿、いつものフェラーリだかポルシェはどうされたんですか?」


 “奴”は俺に向かって電光石火の如く振り返った。


「フェラーリだのポルシェではない!アルファロメオだ!」


 “奴”のその怒号に周囲の空気は凍りついた。

 その一瞬の衝撃と勢いに俺は圧倒されたのだが、早速、周囲のおせっかいを焼きたがる奴らが集まろうとし始める。


「なんでもないです。大丈夫ですから」


 と集まろうとしている野次馬へ呼び掛ける。


「大尉殿も知っての通り、余計なお世話焼きたがるのが集まるから、ここは冷静に」


「そうだな」


 と言いつつ、“奴”は納得したように頷くのだが、


「いつも自動車で通学している大尉殿が今日はどうされたんですか?」


 俺は諦めない。


「風間、まだそのことを言うのか。

 車検に出しているのだよ」


「車検?代車借りなかったの?」


 西松だ。

 

「そうだ。私は自分の愛車しか運転しない主義なのでね」


 “奴”はそんな台詞を誇らし気に吐いた。声色もいつもの鼻に掛かった甘いトーン気取りの声へ戻っていた。

 “奴”の声は甲高い間抜け声。

 そのくせ気取った声を出しやがるから、不快な事この上ない。


「大尉殿、自分の愛車しか運転出来ないの間違いではないのですか?」


「風間君、それは逆なのだよ。

 私の愛車であるアルファロメオは、私の高い運転技術に合わせてかなり極端な調整をしてあるのでね。私にしか運転出来ないのだよ」


 また“奴”は誇らし気に語りやがった。このまま言わせておくと、通常の三倍の速度が出るとか言い出しそうだからな。


「それはそうと大尉殿。今日もペヤングの姿が見えませんが、彼女はどうされたのでしょうか」


「風間。しつこいぞ。いつも一緒にいるわけではないと言っただろう」


「大尉さ。この前、学食でデザート持ってくるのが遅いって、ペヤングに引っ叩かれていたよね」


 西松だ。“奴”はこんな事でペヤングに喰らわされていたのか。


「大尉、もしかしてペヤングに振られたの?ペヤングに振られたの?」


 西松だ。大事な事なので二回言いました、ってやつか。


「お前らっ!大尉、大尉ってしつこいぞ!」


 “奴”の怒号が響き渡る。


「私は大尉ではないっ!私には名前があって」


 俺はこの刹那、


「お前の名前など知ったことか!

 お前はもう“奴”ではない。今日からは“大尉”だ」


 俺は奴に名乗らせず、“大尉”と命名した。

 俺のその言葉の後、大尉は口を半開きにして固まった。


「勝手にするがいい…」


 大尉はそう呟くと背を向けた。



「彼女は変わってしまった」


 バスを待ちながら、不意に大尉が呟いた。


「ペヤングか?」


「そうだよ」


「ペヤングがどう変わったのだ?」


「見ればわかる」


 とだけ、大尉は呟いた。

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