第10話 6月1日 夜 エルンスト家
「これは、ひどすぎる」
リュシエンヌから渡された手紙の内容に、自然と口から言葉が漏れた。
図書館でセレーネ達を見送った後、修学室でリュシエンヌと読書をした。
時々軽い雑談を交わしながら、穏やかな雰囲気に安心していると、少し興奮気味のセレーネが早足で戻ってきた。
気付けば一時間が過ぎていた。
俺とリュシエンヌに、いかにアレシアが優秀で素敵な女性かを、セレーネは必死で話し続けた。
絶対に仲良くなれるから紹介するねと言われ、二人とも笑顔で応えることしかできなかった。
その後、セレーネの様子に不安を残しながら、一人図書館を出て屋敷に戻った。
ヨハンにたっぷりの紅茶を頼み、自分の部屋へと急ぐ。
封筒は前回より分厚かった。
リュシエンヌのイニシャルが押された封蝋にペーパーナイフを差し込む。封を切り、恐る恐る手紙を開いた。
そして、読み終えた今、文字通り頭を抱えている。
リュシエンヌの手紙はそれほどに衝撃的だった。
とにかく俺が酷い、最低だ。これはアレシアに心を奪われた俺の責任だ。
しかし、いったい彼女のどこに惹かれたというんだ?
リュシエンヌの手紙を読む限りでは、意外と早くからか……なんといっても今月の28日には婚約破棄を申し出ている、無茶苦茶だ。
机の引き出しから、今月の予定が書かれている手帳を取り出した。
28日には何も記入されていない。
アレシアはまだやってきたばかりだ。きっと、近いうちにカトラン子爵家から案内状が届くのだろう。
もう一度手紙の内容を確認しながら、3日、10日、12日、18日、28日に下線を引いた。
しかし、何かがおかしい……。
俺の発言の中に『無視したり嘘の情報を教えていたことも知っている』とあるが、どうも客観的だ。誰から聞いたと言うのか?
事件の始まりが楽譜、次は図書館でインクのいたずら、お茶会の案内状……ん?
ああ、そうか! この日も、この日もそうだ。
何か引っかかっていたのはこれか……!
すべての日に俺自身が居ないんだ。
アレシアに何かが起きた日。リュシエンヌはもちろんだが、それ以外にたくさんの人がその場にいた。
なのに、婚約破棄を告げた28日以外は、俺がいない……。
じゃあ、なぜ見ていたかのようにこんな暴言を言った? 最低すぎるだろ。
リュシエンヌが、何度も腹が立つと言っていたことも、不安で早く婚約破棄をしたがっていたわけも、今ならすぐ納得できる。
彼女の心の中には、自分勝手で理不尽な俺が残っているんだ……。
机から離れ、窓を少しだけ開く。
乾いた風が部屋に流れ込んでくる。
この手紙を読むまでは、アレシアとの接触を避けていればいいだろうと単純に考えていた。
もちろんそれは必要だ。だが、それだけではない。
あきらかに、リュシエンヌの悪い噂、しかも嘘を俺に吹き込んだ者がいる。
今まで、彼女の悪口やおかしな噂なんて聞いたことがない。
それがなぜ、この一か月に集中して起こったのか?
そう、アレシアが来てから急に……。
再度、リュシエンヌからの手紙を読み返す。
―― アレシアは歴史を学ぶためにこの国に来た。
ああ、そうだった、肝心なこれを忘れていた。
昨晩も父から『王女に館内を案内してさしあげろ』なんて言われたんだ。
歴史を学ぶには貴重書架の開架が必要だ、その鍵はエルンスト家が管理している。
だから、リュシエンヌの知らないところで、俺とアレシアの接触が思っていた以上に増えていたに違いない。
高祖父であるシャルム・エルンストは、自然科学の研究者だ。
一度見聞きしたことは忘れないという頭脳を持ち、国王から直々に王立図書館の蔵書の管理を頼まれるほどだった。
それにより、現在でもエルンスト家が王立図書館の管理を任され、貴重書架に入る鍵は、館長ではなくエルンスト家が保有している。
きっと、アレシアの為に貴重書架を開架することが何度かあった……いや、これからあるのだろう。
こればかりは、リュシエンヌも一緒というわけにはいかない……。
手紙を何度も読みなおし、またひとつ、違う箇所に疑問を持った。
すべての出来事に対して、アレシアの対応が冷静すぎるのでは……。
焦ることも驚くこともなく、もちろん怒りの感情さえ見せない。王女なのでそれくらい当たり前なのかもしれないが、少し奇妙な感じがする。
窓から吹き込む風に、カーテンが揺れている。
「ああ、もう」
なんだか答えのないパズルの中に放り込まれた気分だ。
とにかく、この事件が起こったすべての日、リュシエンヌに同行すべきだ。
もし、何かが起こったとしても、自分の目で判断できる。きっと彼女も安心してくれる。それに、アレシアとリュシエンヌが二人きりになることを絶対に避けたい。
もちろん、俺自身もアレシアとは二人きりにならないつもりだ。
だが、父に頼まれた場合は難しいこともあるだろう。その時は、前もってリュシエンヌに報告をすればいい。
いま、俺が優先するべきなのは、リュシエンヌを不安させないことだ。
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