葛藤と決意

「……はぁ」

 翌朝、若宮は登校中、一人でため息をついた。

 昨夜は長時間ぶっ通しで警察から事情聴取を受け、真夜中にようやく誰もいない独り暮らしの部屋に帰った。ろくに休む間もなく、翌朝には学校に行かなければならないのである。

 時々思うのだ。自分は、どうして人助けなんてやっているのだろうか、と。

 たしかに自分は正義の味方だ。弱き者のために、悪しき魔術師を狩っている。言ってしまえば、同族狩りだ。当然、魔術師は一般人に手をかけてはいけない。それは暗黙のルールだ。だから、そうした禁忌を犯した者を捕まえることは自分を守ることでもある。

 魔術師であることが原因で、学校の人に避けられているのもあるのだろうが……でも、もう後には引けない。信念は簡単に曲げては行けないものだ。

 それが大切なものなら、絶対に。

「あの……若宮さん!」

 若宮は突然声をかけられて、後ろを振り返った。

 そこには、制服に身を包んだ女子高生がいた。黒髪ロングで、まるでお人形のように美しく、黒いブレザーと青いリボンがよく似合う。そう、他でもない一ノ瀬渚である。

「一ノ瀬さん……おはよう、元気?」

 若宮はぶっきらぼうに答えた。

「げ、元気です! えーっと、言いたいことは沢山あるんですけど……まず、私の親友を救ってくれて、本当にありがとうございました!」

「!」

 一ノ瀬は涙ぐみながら、若宮に抱きついたのだった。

「ニュースで見ましたよ。あの悪い人たちが捕まったって! どうやって倒したんですか⁉ みんなのヒーローですね!」

「そ、そんなに褒めんといてや。うちは自分のやれることをやっただけや」

 若宮は頭をかいた。もちろん、彼女もニュースでルックロビンの薬物偽装事件が取り上げられたのを知っていた。今頃、彼女に情報を提供したショルツもネタができて大喜びしているだろう。

「牡丹ちゃん。あなたは私と真凜の命の恩人で、そして憧れです」

「いやいや、やめてや。うちはそんな大層なもんやない。それに、うちに言わせれば、あんたの方がすごいと思うわ。一人で奴らの場所突き止めて、立ち向かおうとしてたやん。本当は危ないからやめた方がええけど、でも……感心したわ」

「いえ、私なんか全然ですよ……! 親友のために何かしたいと思って、それで行動に移しただけだし。むしろ、私も牡丹ちゃんのように強くなりたくて!」

「はは、照れくさいわ」 

 若宮と一ノ瀬は、笑い合った。

 それにしても、誰かと学校に行くなんて小学校ぶりではなかろうか。とっても愛おしい時間だ……若宮はそんなことを思う。

「あ、あと……ハンカチ落としてましたよ」

「なんやと⁉ あ、ありがと……」

 素早く受け取って、若宮はハンカチをポケットにしまう。少し不自然だったからか、彼女の顔をのぞきこんで、一ノ瀬は言った。

「ネコ、好きなんですか?」

「べ、別にいいやろ!」

 若宮は慌てて顔を逸らした。可愛いですね、なんて言いながら一ノ瀬は微笑んでいる。若宮は恥ずかしがりながら、顔を上げた。今まで何度も魔術師狩りをしてきたけど、やはり格別な瞬間はここにあるのである。

 どうして人助けをしているのか──その答えはよく分からないけど、それで守れる笑顔があるなら、別に分からないままでいいじゃないかと思う。

 ……そして、同じ日の放課後、若宮は屋上にいた。フェンスに寄りかかり、遠くに見える夕日を眺める。なんとなく、一人になりたい気分なのだ。いつも一人じゃないか、なんて小言を挟みたい奴がいたら、それはぜひとも黙ってほしいところである。

 結局、一ノ瀬の親友であり人気アイドルでもある吉田真凜は仕事の疲れから体調を整えるために、ネットで話題になっていたビタミン剤を購入し、クスリに侵されていたことが明らかになった。今は芸能活動を休養し、依存症の治療を続けているのだという。

 ルックロビンの件は被害者の数が多く、中にはオーバードーズで死亡した人もいたらしい。魔術師と科学者の巧みな連携によって引き起こされたのが今回の事件だった。共犯の科学者はまだ捕まっていないが、ルックロビンの極刑は免れないだろう。

「……ふぅ」

 ため息をつくと、後ろから足音が聞こえてきた。

「若宮さん──いや、牡丹ちゃん。こんなところにいたんですね」

「……一ノ瀬さんか」

 どこからか嗅ぎつけたように、一ノ瀬が現れた。そしてそのまま、若宮の隣に座った。

「ひとつ、質問してもいいですか?」

「ええよ。どした?」

「牡丹ちゃんは、どうして魔術師狩りをやっているのですか? 正義の味方だから、だけでは説明がつかないような」

 一ノ瀬は単刀直入に聞いた。

「……」

 若宮はしばらく黙っていたが、やがて口を開いた。

「うちな、実は普通の女の子になりたかったんや。みんなと同じように勉強して、遊んで、あわよくば恋をして……でもな、そんなの無理やって気付いた。だって、うちは魔術師の家系に生まれてしまったから。ほんとは、魔術師なんて嫌いや。魔術師のせいで苦しんでいる人もたくさんいる。でも、うちはそんな人を見過ごすことなんてできない。特別な能力を持って生まれたんやから、せめて良いことに使おうと思ったんや。だから、悪い魔術師を倒す」

「そうだったんですか。なんだか、意外でした」

「……幻滅したか?」

「いえ、むしろカッコいいと思います。私も、牡丹ちゃんみたいになれたらなって」

「ははっ、それは言い過ぎや」

 若宮は苦笑しながら、立ち上がった。

「じゃあ、うちはもう行くわ」

「あ、ちょっと待ってください!」一ノ瀬が呼び止めた。

「これ、真凜が今回のお礼にって」

 そう言って手渡されたのは、二枚の半券だった。

「これは……」

「真凜がお仕事関係の方から貰ったんですけど、今は治療に専念したいから、よかったら牡丹ちゃんにって」

「いや、それはありがたいんやけど……」

 若宮は貰った青い半券を茫然と眺めていた。そして、ゆっくりと噛みしめるように、口を開いた。

「水族館……?」

「はい!」

 一ノ瀬は得意げに頷く。

「気になる異性を誘って、一緒に行くとか──」

「一枚はメルカリ行き、っと……」

「貰い物をメルカリで売ろうとしないでください!」

「だって相手がいないんやもん! ウチぼっちやし! でも魚は見たい! タコとかクラゲとか大好き!」

「厳密にいえばどっちも魚じゃない気が……」

 若宮はその場に崩れ落ちた。それを見て、一ノ瀬はある提案をする。

「じゃあ、こうしましょう。今から、気になる異性を見つけるんです!」

「見つける……?」

「はい!」

 一ノ瀬はとびっきりの笑顔を浮かべて、言った。

「思い切って合コンに行くとか!」

「⁉」

 衝撃的な提案に、若宮は慌てふためいた。

「い、行くわけないやろ!」

「えー、いいじゃないですか〜。たまに超イケメンのモデルさんとかもいるんですよー?」

「行ったことある感じやん! 一ノ瀬さんはそんなタイプやないって信じてたのに!」

「行ったことないです」

「なんやねん!」

 やったことないのに人に勧めるな……と、若宮は肩を上下させながらそう言う。

「ごめんなさい……そうですか。一緒に行く人……」

「決めた。一ノ瀬さん、水族館は二人で行こ」

 若宮はそっぽを向いて、そんなことを言う。

 想定外の提案に、一ノ瀬は目をパチリとしてから言った。

「え、いいんですか……?」

「うん。でも、また忙しくなるかもしれへんから、一段落着いたらまた空いてる日教えるわ」

「ありがとうございます!」

 願ってもない展開に、一ノ瀬は頬を緩ませた。友人を地獄から救ってくれた、いわば命の恩人──そんな人と、一緒にお出かけができるなんて!

「……」

 しかし、対照的に若宮は近い未来を憂いていた。

(この子と遊びに行くためにも……ルックロビンの件はどうにかせなあかん)

 若宮の見立てでは、ルックロビンは彼自身の持つ組織よりも、もっと大きな組織と関わっていると踏んでいた。何なら小手先の小手先の、更に小手先に過ぎないのかもしれないと。事件は、まだ終わっていない。むしろ、これから始まるのかもしれなかった。

「約束や。うちはあんたを守る。どこにいても、何があったとしても──」

 若宮は独り言のように呟いた。一ノ瀬がそれを聞いていたかどうかは、言うまでもない。

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