第41話
ジルベスターがミリアの危機に駆けつけたのは、視察のために地方へ向かう途中、違和感を感じたからだった。
どこへ行くにも必ず随行していたヘンドリックスの姿が見えないことに気が付き、とてつもなく嫌な予感を覚えた。
「クリス、ヘンドリックスはどうした」
「おや、出発時にはいたんですけどねぇ。先行して宿泊先の先触れにでも行ってるのかも知れませんね」
クリスはそう言うがジルベスターはどうにも不安が拭えない。まさかと思いつつも書類を忘れたことを口実にして、護衛のサミュエルだけを伴い、馬車から馬へ乗り換えて来た道を引き返した。
何もなければ笑ってミリアの部屋に忘れた書類を持ち帰ればいい。
そして安心して地方視察へ赴けばいいだけだ。
しかし悪い予感は的中し、ジルベスターが目撃したのはヘンドリックスに切りつけられ階段を転がり落ちていくミリアだった。
頭が真っ白になり生きた心地がしなかった。何とか致命傷になる傷口だけはミリア自身で治癒させることができたが、頭を打ったらしく頭部から血を流している。
───すまない、ミリア、私のせいだ。すまない!
ジルベスターはフェルナンドの自宅が近くにあることを思い出し、急ぎ助けを求めた。
階段で落ちた傷は頭部の裂傷と全身の打ち身で、幸い命に関わるものではないと言われ安堵の溜め息を吐く。
───ミリア、君を守れなかった私を許してくれ。
君のためを思うのなら、君と別れてそれぞれのを道を歩む方がいいとは分かっている。
しかし君のいない人生など考えられない。君は私の魂の半身なんだ。
君がいなくては生きて行けない。
愛してる。私を見捨てないでくれ。
どうかお願いだ。
こんな身勝手な私を許してくれ。
ジルベスターは眠るミリアの手を取り、祈るような気持ちで握りしめた。
出来上がったパン粥は、ジルベスターの記憶にあるものとは少し違う気もするが、八割方合っている気がするので、皿に盛りトレイに載せて寝室まで運んだ。
「ミリア、起きてるか。食べれるか」
「あ、ありがとう」
ミリアはむくりと起きるとジルベスターからトレイを受け取る。
トレイに載っている皿の上には野菜を細かく刻んだミルクスープに、煮込まれたパンが盛られていた。
しかしジルベスターはパンを一口サイズに切るということまで気が回らず、普段から食卓に出すバケットのスライスが二切れ。そのままの大きさで入っていた。
「美味しそう」
ミリアはジルベスターが自分のために料理をしてくれたのが嬉しくて、思わず笑みが溢れた。
しかしスプーンを持つ手が震えて上手く掬えない。今更ながらに怖かったのだと気が付いた。
「ああ、私が食べさせよう」
ジルベスターはトレイを自分の膝へ載せると、パン粥をスプーンで一口分掬う。
「何か違うと思ったらパンが大き過ぎた」
苦笑いしながらもジルベスターはそれを吐息で冷ますと、ゆっくりとミリアの口元へ運ぶ。
パンは大きくてもしっかりと煮込まれているため容易くスプーンで切れた。
「美味しいわ。ありがとう、ジル」
「私が作ったのだ。当然だ」
「ふふ、子供のとき以来だわ。こんな風に食べさせてもらうの」
「親鳥になった気分だよ」
そんな会話をしながらミリアは嬉しそうに笑っている。しかし震える手を抑えるように握りしめているのをジルベスターは見逃さなかった。
皿の半分程で食事を終え、ミリアは再び横になる。
ジルベスターはいい夢を見られるようにと、彼女に闇魔法をかけた。
*
何日経ったのか分からない。
今が昼なのか夜なのか判別できない地下牢で、ヘンドリックスは覚醒した。
カツカツと石床に靴音を響かせて一人の人物が近付くのに気付いた。
「クリスか…」
「ヘンドリックスさん、なんてことしてくれたんですか。おかげで閣下は多くの臣下に疑いの目を向けるようになってしまいましたよ」
クリスは非難の目で鉄格子の向こうのヘンドリックスを見下ろす。
ジルベスターはミリアの存在を許さない臣下がヘンドリックス以外にもいるのではないかと疑い始めた。
どの勢力が、もしくはどの者がミリアを排そうとしているのか、常に疑いの目を向けるようになってしまった。
それに慌てた多くの臣下が、『閣下が城外で誰と逢おうと一切関知致しません』と表明し、言外にミリアとの関係を認めるようになった。
「クリス、あの女を仕留めてくれ。
あれは閣下にとって、いやヴェルサス辺境領にとって害悪にしかならん女だ」
「まだそんなこと言うんですね」
はぁ、と溜め息を吐きながらこの人は手の施しようがない、とクリスは思った。
ミリアが仮初の妻だったころはヘンドリックスと同じような考えの臣下や使用人も数多くいた。
しかし今のミリアは有能な治癒士として有名である。診療所でミリアに治癒された貴族も多いと聞く。
ミリアとジルベスターの身分差の恋を応援する者や、ミリアを養女にして自らの家からジルベスターに嫁がせようと考える者がいたりするくらいだ。
現状、ジルベスターの敵に回るような考えを持つ者などいなくなっていた。
「クリス、私はいつ出られる」
本来ならすでに釈放されていてもおかしくないはずが、ヘンドリックスは二週間経っても地下牢に入れられたままだった。
ヘンドリックスは貴族であり、ミリアは平民である。
平民を『処罰』という名目ならば殺してしまっても貴族にはお咎めなしなのがこの国の法律だった。
しかし武器を持たない無抵抗の罪のない相手なら多少の審議をする。
「審議中です」
とクリスはジルベスターが言っていた言葉をそのまま伝えた。
しかしジルベスターの言った『審議中』とは、永遠に処遇を決めることはしない『永遠の審議中』だ。
愛する人に手をかけられた怒りは一生収まらない。ジルベスターはヘンドリックスを許す気は毛頭なかった。
しかしこの国は平民のために貴族を罰する法がない。だからこその『永遠の審議中』だった。
「そうか、閣下も目が覚めれば私が正しかったと思い直す日がきっとくる。
それまで閣下に嫌われる日が続くだろうが、その日が訪れれば大いに感謝され、重臣としてお側に侍ることになるだろう」
「そんな日がくることはないと思いますよヘンドリックスさん。
では、お元気で」
クリスは冷たく彼を見下ろし、踵を返し地下牢から立ち去った。
ヘンドリックスは今か今かと釈放される日を待った。
そして数日経っても何も連絡がないことを不審に思う。
何か情報を聞いているのではないかと思い、少し離れた場所に立つ牢番に話しかけた。
「おい!牢番!私の処遇はどうなっている!」
牢番はチラリとヘンドリックスを見ると感情のない声で答えた。
「審議中です」
「は?!それは前にも聞いた!
一体いつまでっ!……いつまで?」
ヘンドリックスはここでようやく気が付く。
この『審議中』が永遠に結論が出されることがないことを。
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