雪の聖母幼稚園

瀬戸はや

第1話 チャペル・井戸

坂を上がったところに小さなチャペルが見えた。ここは丘の上の住宅地 なのだから チャペルなんかないだろうと思って見つめると屋根の先頭に間違いなく十字架があった。あーこんなところに十字架が 、教会があったんだと思った。通っていた頃はいつも迎えに来てくれるマイクロバスに乗っていたので 歩いてこの岡に登ったことは一度もなかった。子供の頃にはもっと ずっと高くて 上の方にあったと思った 教会がそれほど大きくも高くもなくて、割と こじんまりとしていたことに驚いた。

入り口から入って 奥の方に園児たちのための下駄箱が用意されていた。そこから見上げると チャペルの入り口のあたりに聖母の像が淡いグレーのステンドグラスに描かれて子供たちを見下ろしていた。ステンドグラスでもよく教会に使われている色とりどりのものではなく 薄いグレーのすりガラスに描かれたマリア像 だった。そのすりガラスは朝の光を受けると、白く雪のようにマリア像を浮かび上がらせるのだった。子供達は 毎朝 来るたびに自分たちの頭の上で微笑んでくれる聖母 を見上げながら挨拶をした。僕はすりガラスに描かれた聖母が何かを話しかけてくれるような気がして耳を澄ませるのだった。

子供達は毎朝紺色のジャケットと短パンそして ベレー帽をかぶって 登園する。お弁当と水筒はもちろん 毎日母が作ってくれたもの持っていく。子供達は毎朝 迎えに来る マイクロバスに乗って 母親たちに見送られながら登園する。僕は毎朝マイクロバスの自分のお気に入りの席に座ることができた。運転手さんの隣のその席はみんなが座りたがっていた。一度みんなで その席を取り合ったことがあったが シスターがみんなを宥めて運転士さんの隣の その席にはどうしてなのかわからないが、 僕が座ることになった。僕は何も疑問に思わずに運転手さんの横のその席に座って 毎朝登園した。登園した子供たちが毎朝 やることは決まっていた。まず 運転士さんに挨拶をして、それから 車の中で僕らの面倒を見てくれたシスターに挨拶をする。それだけだった。そして細くて急な上り坂を上がって 何度も急な坂を曲がってマイクロバスは雪の聖母幼稚園の入り口に到着する。ここは 修道院が経営している幼稚園だった。だから 幼稚園の先生 は みんな 修道院のシスター だった。子供達は シスターの言うことにはよく従っていた。子供達は誰も シスター 先生を疑ったりはしなかった。シスター 先生は皆頭から修道院 服をかぶっていた。そういう制服だから頭からかぶっているのは当たり前なんだと思っていた。子供達もみんな制服を着ていた。男の子も女の子も ベレー帽をかぶっていたし、シスターたちが頭から頭巾をかぶっているのも当たり前だと思っていた。子供たちは皆制服のことについて あんまり考えることはなかった、考えなくても それは当たり前のことだったから。

礼拝堂に行くのは週に1日ぐらいであとは教室に入ってシスターの言うようにお絵描きしたり 字を書いたりしていた。僕は絵が上手だったらしく 時折 シスターから褒められていた。僕は褒められるのが当たり前なんだと思っていた。だって、いつもそうだったから。時々ある父兄参観日に僕は指にのりをつけて画用紙に書いた海苔の絵に砂をつけるという 砂絵のできるのが早くて手をあげたら、僕が一番でシスターから絵を見せてと言われて見せたらすごく褒められた。見に来ていた母親もものすごく嬉しそうだった。僕はそれから 絵を描くのがもっと好きになった。実際、自分は絵が上手いんだと思っていた、みんなに褒められたから。僕は中学生になっても高校生になっても お絵かきが好きだった。学校だけじゃなく家に帰っても自分でお絵かきをしていた。そうすると みんなが僕の絵を見て上手だと言ってくれた、すると ますます 僕は絵が上手なんだと思って中学生になっても高校生になっても、自分は絵が上手なんだと思っていた。

雪の聖母幼稚園では毎朝 幼稚園に行くと 庭にある子供用のハウスの中で僕のことを待っている女の子がいた。僕はその子のことが嫌じゃなかったし、毎朝僕の出てくるの をハウスの中で待っているから 僕もハウスの中へ 毎日出かけて行った。その子はまるで僕の母のように あれこれといろんなことをしてくれた。僕はその子が僕に言った いろんなことはできるだけするようにしていた。幼稚園の庭にあるハウスの中でその子は僕の母親の役だった。その子は僕のことをお父さんと呼ぶようになった。お父さんは毎日サラリーマンのように働くことになった。その女の子の名前はゆきこちゃんだった。ゆきこちゃんの家は僕の家と近かったので幼稚園がなくても家でも一緒に遊ぶようになった。ゆきこちゃんの家はとても大きくて、裏には広いお庭があった。裏のお庭にはもう使っていない井戸があって、今は金魚を飼っていた。井戸で飼っている金魚をよく見ようと思って 乗り出した僕は 井戸の中に落ちてしまった。暗く冷たい井戸の水の中に落ちていく自分の姿が金色に光って見えた。僕はゆっくりと水の中を落ちて行った。僕は水の中を落ちていく自分の姿を少し離れたところとから見ていた。僕は自分が暗い井戸の中に落ちていることを知っていた。不思議に金魚は全然見えなくて、井戸の入り口からゆきこちゃんの声が聞こえてきた。僕は井戸の中からゆきこちゃんの家の人に引き上げられた。そして僕は見たこともない 寝巻きのようなものを着て家まで送ってもらった。

僕はどうして 井戸の中なんかに落ちたのか全くわからなかった。ただ 金色の金魚を見ていたことは覚えている。あとは黒い水の中に落ちてしまった自分の体が金色に光って、上の方に上がっていくのを覚えているだけだ。僕のことを井戸水の中から引き上げてくれたのはどうやらゆきこちゃんのお兄さんかお父さんらしかった。最後に 強い力で引き上げられたことを僕は覚えていた。井戸に落ちてずぶ濡れになった僕は、着替えを済ませて家の人に自分の家まで送ってもらった。母が出てきてゆきこちゃんのお母さんと笑いながら色々話していた。結局僕が井戸の中の金魚をよく見ようとして、井戸の中に落っこちたということで話は終わった。誰も井戸の中で金色に光って上に上がっていく僕の体の話はしなかった。金色に光って 井戸の中を上に上がっていく僕を見たのは僕一人だけだったからだ。

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