第2話

 私はシャーロット。その日暮らしの冒険者だ。故郷を離れて以来、流れに流れ、その日暮らしで生きてきた。


 エルフの村を離れたことにたいした理由はない。ただただ、小さなコミュニティに窮屈さを感じた。それだけだ。しかし若かった私には、たったそれだけが耐え難い苦痛のように思え、ひとり旅立つ決意を固めたのだ。

 外の世界は広かったが、ひとりきりの私には厳しかった。エルフというだけで、最初はもてはやされる。珍しがられ、容姿を褒められて、魔法が使えると重宝がられた。だが人間たちはやがて人間どうしで家族を作る。なんど仲間を作ろうと、何年か経てば、私はいつも蚊帳の外となった。


 そんな放浪の生活を送っていた私だったが、ついに、今度こそと思える仲間ができた。


 人間の、戦士の男だ。名前はライオネルという。


 彼は猛獣のような大きな体を持っていた。その体に負けないほどの大きく頑丈な盾を、まるで紙切れのように軽く扱い、武器として、あるいは仲間を守る壁として縦横無尽に使いこなしていた。

 荒々しく太い腕に、見上げる上背の、筋肉の鎧。毛むくじゃらの顔。太い眉毛に、岩でもかみ砕きそうに頑丈な顎。

 人々は彼を見た目で恐れ、低くガラガラと濁った声におびえていたが、彼は実のところ、非常の情の深い男だった。

 魔法を使うためには魔力を高め、集中する時間がいる。その間はモンスターに対して無防備になる。彼は、私が魔法を発動する時間を稼ぐため、いつも身を挺してくれた。いくら傷だらけになっても、私の盾として、私を守ってくれたのだ。


 そうして私たちが信頼関係を醸成するうちに、いつごろからだろうか。

 彼を恐れない人間たちが集まってきた。

 ひとり、ふたりと数を増し、いつしか旅団を名乗るほどの人員となった。

 誰もかれもが、行き場のない根無し草、一癖も二癖もあるものたちだったが、私たちは疑似家族として、ともに仕事をこなし、あるいはともに世界を旅するようになったのだ。


「あの気位の高いエルフが、こんなに信頼をしているのだ。見た目と違い、きっと誠実な人間に違いない」


 私と共に過ごすうち、彼の印象は、そう変化していったという。

 ある宿屋で、夜中にひそり、彼が涙を見せた。私はその夜のことを忘れない。


「……シャーロット、オマエのおかげでな、オレにもな、仲間ができたんだ。いっしょう、かんしゃするよ」


 ライオネルの指は、まるで岩のようにゴツゴツしていた。拳闘士の使うグローブよりずっと大きな手だった。

 その手で、不器用ながら私を傷つけないようにと細心の注意をこめて私の手を握った。学のない彼がたどたどしく紡ぐ言葉は、率直で、なにより私の胸を打った。

 私も泣いた。

 あなたがいたから、私にも家族ができたのだと。

 私にも、居場所ができたのだと。

 長い彷徨の末に得られた、唯一の場所なのだと。


 そんな矢先のことだ。


 国と国との境界としてそびえたつオーエ山。標高も高く、切り立った岩肌が容易な侵入を拒む、鬼の巣。人の手が入らない分、魔物が多くひそみ跋扈する、恐れられた地帯。その山越えの最中のことだ。

 私とライオネルは、斥候を担った。旅団を街に残して先行し、二人きり、入念な準備の上、じゅうぶんな物資を手に、綿密な計画で山に入った。

 通常ならばなんの問題もなく、隣国に入ることができただろう。


 ところが、非常事態が起こったのだ。


 この時期には決して姿を見せないはずの真っ赤なドラゴンが一匹、突如として山頂に現れたのだ。その体表はまさに灼熱に燃える溶岩そのもののウロコで覆われ、さながら巨大な隕石、火の玉のようだ。赤々とした翼を青空に広げ、虚空から私たちを見下ろしている。


 悪名高い、暴虐の王、レッドドラゴンだ。


 私たちは戦慄した。助けも呼べぬ山の上、頂上付近には目立った木すらも生えておらず、見通しが良すぎる。逃げる場所も隠れる場所もないなだらかな起伏が続く、そんな場所だ。

 人間がドラゴンに相対して、生きていられるわけもない。少なくとも、国を挙げた軍隊を引き連れてこなければ、戦闘にもならない。

 たったふたりの私たちが相手では、起こることは蹂躙される死だ。


 大空を背に雄大な翼を広げるドラゴンは、まっすぐに私たちを見ている。

 まるで縄張りに入り込んだ敵対者を見る、燃える憎悪の瞳だ。

 彼からすればおそらく、まさにそうなのだろう。私たちは侵略者なのだ。


 会敵一番、ドラゴンの咆哮が山野の空気をつんざく。音波の衝撃で、私も、ライオネルも、耳を抑え、頭を抱えてその場に伏す。頭が割れるように痛み、わんわんと揺れ、音の圧力で吹き飛ばされそうになるのを、地に両足を踏ん張って耐える。

 たたみかけるドラゴンは、ぞろりと鋭い杭のような牙が生えそろった口を開けた。両目の横まで裂けた禍々しい口角からは、ちろちろと涎のように炎が漏れている。


 ――ブレスが来る!


 わかっているのに、体が動かない。いや、私の反応速度よりもずっとドラゴンが速いのだ。

 無情な轟音が鳴り響いた。巨大な火炎放射器のような、いいやまるで火山の噴火口が私たちに向けて溶岩を吐き出したような、そんなドラゴンのブレスが、私たちに襲い掛かった。


 死ぬ。


 私は覚悟した。


 これは、もう、どうしようもない。あがきようもない現実として、目の前に死が迫っている。

 恐怖は一瞬で焼き切れた。私は諦観した。ここで、塵芥のごとくこと切れるのだと、現実を受け入れた。


「……ぐ、ぅ……」


 しかし、あきらめていない男がいたのだ。

 私は耳に届いたうめき声で、はっと目を開いた。

 ドラゴンの姿は目の前にある。だが、それは誰かの肩越しで、そのせいで半分ほどは隠れてしまっている。

 私の前にある肩は焼け焦げ、ぶすぶすと黒煙をあげている。防具の革にはめらめらと火がともり、金属のつなぎは溶けてひしゃげ、元の形を失っている。


「ライオネル!」


 私は名を呼んだ。

 倒れかかる体を抱きとめようとして、私たちはふたりとも、もんどりうってその場に倒れた。

 転がり、もつれて、そのせいでよく見えてしまったライオネルの体の前面は、ほとんど炭化してしまっていた。

 黒く固まってしまった顔で、それでもライオネルは私に言う。


「……逃げろ、シャーロット、オマエだけでも……」

「バカな! 私ひとりで逃げるなど!」


 私は回復の魔法を詠唱しはじめる。

 わかっているのだ。ここで多少回復したところで、ドラゴンに吹き消されて終わりだ。いくら治療したところで、それよりも大きなダメージがたたみかけてくる。焼け石に水だ。かないっこないのだ。

 それに、これだけ重症なのだ。私の魔法で全快させることはできない。私の力は、そこまで強くはないのだ。

 絶望。自分ひとりが死ぬことよりも、ライオネルを目の前で失うことが、私にはほとほと恐ろしかった。


「神よ、どうか、ライオネルを救ってくれ!」


 私は全力であがいた。すべての力を出し切り、ここで力尽きて構わない。そう腹を決め、体内の魔力を総動員させ、あらん限りの力を持って――

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