第30話 ザーディの怒り
「今の、どういう意味?」
「え、あ、それは……」
確か彼はノーデ達と一緒にいて、ザーディを捕まえようとしていたはずだ。
ルーラと一緒にいる、とノーデが話していたが、その点については本当だったらしい。
事情はよくわからないが、ルーラがさっき「レクトの所へ行って」とザーディを押し出したから、味方と考えてもいいのだろうが、大事な女とは何なのだろう。
「一緒にいる間に、そうなっちまったってことだよ。ずいぶん手が早いな」
レクトの代わりに、ノーデがそう応える。
「ちょっと、変な風に言わないでよね。自分がおかしな魔法かけたくせに!」
ルーラがわめいた。
「いいから、お嬢ちゃんは黙ってな。やかましいんだよ」
ルーラとあまり背の変わらないノーデ。ルーラがわめくと、ちょうど耳の横でわめかれているようなものらしい。
それに気付いたルーラはスウッと息を吸うと、思いっ切り大声を出した。
「わあぁぁぁっ」
「うわっ」
驚いたノーデの手から、力が抜ける。その瞬間を狙い、ルーラはノーデの束縛から逃げた。
「ま、待てっ」
慌てたノーデが、ナイフを持った手を振り回す。
「痛っ」
ナイフの切っ先が、ルーラの右頬に触れた。髪が何本か宙に舞う。
切れ味のいいナイフだったらしい。軽くだったが、触れた部分から血がにじむ。
ザーディから鱗を取ろうとして、その肌にあてていたナイフだ。ザーディには影響がなくても、少女の柔らかな頬はそうもいかない。
「ノーデッ、お前っ」
ルーラの頬から出た血を見て、レクトが怒鳴る。
どうにかノーデの手のうちから逃げたルーラは、駆け寄って来たレクトに走った勢いで抱き付く形になった。
ザーディは……怒鳴らない分、完全に何かの線が切れる。
ザーディの身体を中心にして、空気が震えた。
風かと思ったが、風じゃない。ザーディの身体から、力が勢いよく放出されていた。
「ルーラを傷付けて……許さないっ」
ザーディの表情が変わった。あの気の弱かった、おとなしいザーディはどこにもいない。
青かった瞳は白く光り、怒りの表情しかなかった。歯を噛み締めた口から、わずかにのぞく牙がある。銀色の髪が逆立ち、身体全体が燃えているみたいだ。
そんなザーディを見て、ルーラは思い出す。
ザーディは人間ではなかったのだ、と。
正体が何か、知らない。でも、魔法力が高い存在。
そんな場合ではないのだが、そんなことを考えてしまった。
急に霧が全てなくなる。周囲に漂っていた霧がなくなり、そこにはただの森が広がっていた。
「どうして霧が……」
ノーデもザーディの変貌ぶりと、急に視界が開けてしまったのとで不安が襲ってくる。
どこからか、ゴゴゴッというくぐもった音がした。何の音かわからず、そこにいる人間みんなが周りをキョロキョロと見るが、音の出所はわからない。
やがて、ザーディの上に現れたのは、水のかたまり。水は竜のような形をしていた。視界に収まり切らない程、巨大な竜に。
「まさか、周りの霧が集まって? そんなことが……」
ノーデが呆然としてつぶやく。
あの霧が集結したと言っても、こんな大量の水になるだろうか。しかも、水が宙に浮いている。
だが、ここは魔の森の中だ。人間の常識は通じない世界。
そして、力を使っているのは竜なのだ。
どんなに否定しても、現に水はこうして現れている。
「や、やめてくれ……たっ、たす、助けてくれーっ」
竜の形をした水は、真っ直ぐノーデへ向かっていった。ただ落ちるのではなく、明らかに意思を持って動いている。
水の竜は、ノーデの身体を直撃した。とんでもなく強い衝撃となって、ノーデは全身を打たれる。力をもろに受けてしまったのだ。
しぶきがかかるように、モルにも水の攻撃がなされた。しぶきと言っても、そのエネルギーは絶大。
二人してイモ虫のように、地面にはいつくばってうめく。
ノーデを打ちすえた竜の形の水は、再びザーディの頭上にとどまり、次の攻撃に備えるべく待ち構えていた。
「次で終わりにしてやる」
ザーディの口からそんな言葉がもれ、ノーデとモルがうめきながらもビクリとする。
「た……助けてくれ……」
ノーデがかすれた声で
「ルーラや母様にひどいことしておいて、自分の時は助けを求めるの? 自分だけが助かればいいの?」
ザーディの様子は変わらない。まだ怒りが収まっていないのだ。
むしろ、ノーデが助けを求めたことで、怒りが増幅される。目はまだ白く光っているし、身体から力は放出されたままだ。
終わりにする? それって……殺すって意味?
ザーディの口からそんなセリフを聞き、焦ってしまったのはノーデ達ばかりではない。ルーラもおおいに驚き、戸惑う。
レクトの手から離れ、ルーラは叫んでいた。
「ザーディ、ダメ! 人を殺しちゃいけない。ザーディ、お願いだからやめて!」
ザーディは明らかに不満そうな表情で、ルーラの方を向いた。
「この人間達は、ルーラや母様にひどいことをしたんだよ。それなのに、許せって言うの?」
実際にルーラが何をされたかザーディは見ていないが、ルーラと自分が離れ離れになったのはノーデ達が何かしたからだ。
ルーラの声を聞いたと思ったのに、夢だと言われた。
今ならわかる。
ルーラは、本当に近くまで来ていた。そして、あの時もルーラは何かされたのだ。だから、またいなくなって。
そして、目の前で出血するようなケガをさせられた。傷の大きい小さいは関係ない。ルーラが傷付けられた、という事実が許せないのだ。
それなのに、当のルーラがやめろと言う。
ザーディにはその意図がわからなかった。
「そうね。ザーディもあたしも、ザーディのお母さんもひどいことされたよね。でもザーディ、その人達を殺したりしたら、あなたもその人達と同じになっちゃうのよ」
「同じ?」
「そうよ。だって殺すっていうのは、生を奪うってことだわ。それは簡単にやっちゃいけないことよ。生きるために動物を殺して食べるっていうのは、自然の法則で仕方のないことだけど。生きるため以外で、殺すというのはいけないの」
ルーラは言いながら、ゆっくりとザーディへ近付く。
まだザーディの身体からは力が放出されていて、不用意に近付くとその衝撃でどうにかなってしまいそうだ。下手すると、さっきのモルのように飛ばされてしまうかも知れない。
でも、ルーラは構わず、ザーディのそばへ寄って行く。初めて出会った頃と比べて、ずっと大きくなったザーディに。
初めは五、六歳くらいの男の子だったのに、今は十歳と言われればうなずいてしまう程、背が伸びている。顔つきも、さらにしっかりして。
一気に、ルーラとの年の差が縮んだように思えた。いくらルーラでも、ここまで変わればわかるはずだ。
しかし、まるで気が付いてないように見える。いや、ルーラにとって、そんなことはどうでもいいのだ。
「ルーラ……」
服や髪が吹き上げられる。でも、ルーラは止まらない。
やがて、ザーディの目の前まで来ると。
ルーラはゆっくりと、ザーディを抱き締める。
ドリーが言っていた。自分の気持ちを忘れないで、と。あたしの気持ち……。あたしは、ザーディが大好き。確かにノーデ達はひどい人達だけど、でもザーディに殺してほしくはない。
たとえザーディが人間でなくて、人を殺しても良心の
あたしはとてもザーディが好きだから、相手がたとえ悪人でも、人を殺すところなんて見たくない。まして、それがあたしのためなんて、絶対にいや。
「ザーディ、お願い。いつものザーディに戻って」
吹き上げられていたザーディの服や髪が、ゆっくりと元に戻ってゆく。
白かったザーディの目が、あのきれいな青になってゆく。
嵐で波立っていた湖が、静けさを取り戻してゆくように。
「ルーラ……」
ザーディが、ルーラを抱き締め返す。
「またあなたに会えてよかった。ザーディ、大好きよ」
「ルーラ……ルーラ……」
泣いているのかと思った。でも、ザーディの目から、涙は流れてはいなかった。
「ザーディ……ありがとう」
色々な意味を込めて。
ありがとう。
ルーラは、強くザーディを抱き締めた。
☆☆☆
「この二人、どうするの?」
今や完全に落ち着きを取り戻したザーディ。
地面の上で呻いている二人を見て、ルーラの顔を見る。ルーラに判断をゆだねるつもりだ。
「どうしようかしらね。帰れって言っても、この状態じゃ無理だろうし、放っておいたらまた何をしでかすかわかんないしなぁ」
判断をまかせられても、ルーラだって解決法はすぐに浮かばない。
「欲にかられた、哀れな人間だ……」
いつの間に近付いて来たのか、ラルバスがそばにいて、同じように二人を見下ろしていた。
その隣りには、目を覚ましたルシェリが寄り添うように立っている。
「油断してましたわ。まさかイオの実の粉をまだ持っているとは、思いもしませんでしたから」
ああ、本当にこの人達、ザーディに似てる。で、ザーディがトカゲだったから、つまりはこの人達もトカゲ……なのかしら。あ、ザーディはトカゲじゃないって言ってたっけ。正体が何にしろ、すっごい美形親子だわ。
「この二人、なぜかザーディが竜だと思い込んで……竜の身体は色々とお金になるからって、ザーディのお母さんまでさらおうとしたんです」
ラルバスは少しきょとんとして、ザーディを見た。
彼はてっきり、ルーラがもう自分達の正体を知っているのだ、と思っていたのだ。
ザーディは笑みを浮かべ、わずかに首を横に振った。
「本当に……欲に振り回された男だよ。モルはノーデにくっついてりゃ、おいしい話のおこぼれをもらえると思っていたんだろうし、ノーデは……もしかすると最終的にはモルを殺して、手に入れた金を独り占めする気でいたかもな」
レクトが無表情でノーデ達を見ていた。が、すぐに目をそらす。
その心の内は、かなり複雑かも知れない。
レクトを助けたノーデの目的がどうであれ、彼にとって恩人には違いないのだ。
「それで? きみはいいのか? 彼らにひどい目に遭わされたのだろう?」
ラルバスの言葉に、レクトが目を丸くする。
「どうして……知ってるんだ」
「だいたいの話は、精霊が伝えてくれるのでね。私達とて、息子を放ったらかしにしていた訳ではない」
柔らかな微笑で、ラルバスは応えた。
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