第17話 ザーディのいない夜
「俺がか?」
「他に誰がいる。お前の馬鹿力は、こういう時のためにあるんだ」
逆らえないモルは、しぶしぶザーディに背を向けてしゃがんだ。
「さぁ、おぶさるんだ。それなら楽になるだろう。それに、先へ進めるからな」
言われて、ザーディは気がすすまないままおぶさった。
広く、ゴツい背中だ。子どもなら大きな背中におぶされば喜ぶのだろうが、ザーディはやっぱり気分が休まらない。
歩かなくて済むから、身体は確かに楽なのだが。
ここからは自分ひとりで行く、と言えたら、どんなに楽になれるだろう。
ザーディはふと、そんなことを思った。
でも、思うだけ。本当に言える勇気があれば、とっくにひとりで歩いている。
やっぱりたったひとりだけ、というのは恐いのだ。こんな二人でも、少なくとも今は自分を傷付けようとしてないし、いるだけでも孤独の恐怖が薄れるのは、悔しいながら事実だった。
「ねぇ、ルーラは大丈夫かなぁ」
「だ、大丈夫って何が」
モルが少し慌てたように聞き返す。
ザーディは、なぜモルが慌てるのかわからない。何かおかしなことでも言っただろうか。
「だって、ルーラはケガしたんでしょ。どこをケガしたの?」
「えーと、それは……おい、ノーデ」
モルがノーデに助けを求める。
細かい打ち合わせをしてないから、おかしなことは言えない。
「足だよ」
ノーデはあっさりと答えた。
「こんな足場の悪い所だからな。ひねってしまったらしい。なぁに、大したことことはないだろう。ただ、こんな森の中でいつまでもウロウロしていたら、具合もさらに悪くなるかも知れない。薬もないからな。だから、帰らせた。ちゃんと足代わりに、レクトがついててくれるさ」
あの世でな、とノーデは心の中で付け加える。
足場の悪い所で突き落としたから、身体のあちこちを打ってるさ。生きてたって、雨に濡れながらそのまま森にいたんじゃ、長くは無理だろう。レクトと仲良く逝っちまってるさ。
しかし、ザーディにノーデの心の声は聞こえない。
この盗賊の嘘を信じて、ひとまず安心していた。自分と一緒にいる相手がこの二人の盗賊、というのがやはり引っ掛かるが。
「お前さんは安心して、わしらと一緒に北へ向かえばいい。無事に両親に届けるまでは、見捨てたりしないからな」
ノーデの「見捨てない」という言葉は「逃がさない」という言葉と同じ意味だ。
もちろん、ザーディはそのことを知らない。
☆☆☆
「自分の魔法力を高めるため、とは言え、よくそんな無茶をしようなんて気になったな」
「え、無茶かなぁ」
「無謀とも言えるな。他に方法はなかったのか? 魔法についてはよく知らないから、俺は何とも言えないけどさ。盗賊と一口に言っても、ピンからキリまでいる。俺達みたいな、ドジをやらかすような奴ばっかりじゃないんだぜ。魔法を使う前に捕まったりしたら、どうするつもりだったんだよ。お前の親父、よく一人旅になんて出したな。娘の性格、知らないんじゃないか?」
夜になり、今日これ以上追うことは危険だとあきらめた。無理をしてもいいことはない。
火を起こし、ルーラとレクトはお互いここへ至るまでの話をしていた。
レクトについては、さっき話していたいたこととそう代わり映えしない。アルミトの国で兵士をしていて、内戦に負けて国を出た。家族はなく、いわゆる天涯孤独の身というやつだ。
一方で、レクトはルーラがこの森へ入った動機を聞いて、半分以上あきれているのである。
「あたしを信じてくれてるのよ」
「それって信じてるって言うのかな。親の義務を捨てたのかも……まぁ、それは冗談」
ルーラが睨むので、慌ててフォローする。
「あたし、少しでも上手になりたかったの。こういう自然だけの所なら、魔法も使いやすいかなって思って。と言うより、使わざるを得ない状況になってしまえば。上達しないと自分の命が危なくなるって風になってしまえば、いやでも上達すると思ったの」
自然だけの所、と言うなら、もっと小さな森でもいいはず。
でも、ルーラは自分をある程度追い詰めようと思ったのだ。
「まぁ、お前の魔法が下手なのはわかったけど」
あんまりそういうことを、しみじみと言ってほしくないのだが……。
何か必要な物を出す時に何度か失敗をしたため、ノーデほどでなくても、ルーラがあまり高いレベルでないと知られてしまったのだ。
「きっとお前、コンプレックスの固まりなんだよ」
「あたしがコンプレックス?」
ない訳じゃない、というのは自覚しているけど、固まりとまでいくのかしら……。
「魔法使いの娘だから、とか、家族が腕のいい魔法使いばかり、とか。どこかでそれを気にしてる。で、うまくいけば当たり前、うまくいかなきゃ才能がない。どっかでそう思ってるだろ」
「そうかなぁ。腕が悪いから、うまくいかないのは当たり前、とは思ってたけど。うまくいけば、こんなもんよねって」
「ほとんど俺が言ったままじゃないか。仮に自覚してなくても、意識の底で感じてるよ。お前、気付いてるか? 家族の話をしてた時に『腕のいい魔法使い』ってのが強調されてるっての」
そう言われて、少し戸惑う。
「え……そうだった? 同じ調子で言ったつもりだけど」
「だから、無意識のうちに出てるんだよ。家族が腕のいい魔法使いだから、自分も腕のいい魔法使いにならなきゃいけないって。そう思ってるうちは、絶対になれない」
「絶対って……ひどいわね」
今の言葉は、ルーラの心に突き刺さる。魔法に関してはど素人のはずのレクトから、断言されてしまった。
「お前がしてるのは『腕のいい魔法使いの家族のために、腕のいい魔法使いのフリ』だ」
「フリ? 違うわよ。あたしは本気で、腕のいい魔法使いになりたいと思ってる。魔法を使うからには、上手に使えればって思うのは当然じゃない」
これは黙って聞いていられない。ルーラは断固、抗議する。
でも、レクトは悪いことを言った、という表情にはならなかった。
「フリが違うってんなら、お前は頭のどこかで『家族のために、腕のいい魔法使いになろう』としてるんだ」
「さっきの言葉と、どこが違うのよ」
「まぁ、そう大して変わらんさ。つまり、お前は家族のために魔法を使おうとしてるってこと」
「違うっ」
ドンッと地面を叩く。柔らかい土だから、音はしない。
「あたしは自分のために使うのよ。家族のためにじゃないわ」
「そうか。じゃ、家族は忘れろよ」
「え?」
急に話が飛んだみたいで、ルーラはついていけなくなる。
「本気で自分のために使ってみろよ。腕のいい家族に縛られずに。家族はみんな腕がいいけど、あたしはってのはやめる。あたしはあたしのためにこの魔法を成功させるって、本気で思ってみろよ。自分に対する気迫が違ってくるぜ」
あたしはあたしのために……。
「あたし、今まで魔法を使う時に、誰かのためにって思ったこと、なかったわ」
使う時はあくまで、うまく使えるように、としか考えなかった。
他の人はどうなのだろう。誰かのために、と思いながら呪文を唱えるのだろうか。
「魔法ってのはさ、言い方悪いけど、自分のために使うもんだろ」
「そんな……そうとは限らないわ。誰かにああしてほしいって頼まれて、使う時だってあるわよ。エゴやナルシズムのためにじゃないわ」
魔法を侮辱されたみたいで、ルーラはムッとして言い返す。まあまあ、とレクトがなだめた。
「だから、言い方は悪いけどって、前置きしたろ。俺が言いたいのは……自分がこうしたい、と思ったら自分のために使うだろ。で、他人から頼まれた時に魔法を使うのは、その相手を思う自分のために使うってこと」
「相手を思う自分のため?」
「一番身近な例でいけば、あのチビ助を大切に思う自分のために魔法を使うって意味」
誰かを思う自分のために……。ザーディを思うあたしのために。
「具体的に言葉にしてそう考えてる奴なんて、いないだろうけどな。あ、失敗した時、あたしの家族はこれくらいできるのにって思うなよ。それがトラウマになって、できなきゃどうしようって風につながるからな。自分だけのために成功させようという気持ちが足りなきゃ、先へは行けない」
ルーラは少し重い気持ちで、レクトの言葉を聞いていた。
あたし、うまくやらなきゃって、実は気ばかりが焦ってたのかしら……。知らないうちに、魔法使いの家族ってものに縛られてたの? 気にしていないつもりでも、やっぱり気にしてたのかなぁ。
……そうかも。だから、ファーラス兄さんに「あたしは突然変異なのかな」なんて言ったりしちゃったんだ。
「……なんてな。感じたままを言ってみただけだ。俺は普通の人間だし、偉い魔法使いの心理まではわからない」
今までのセリフをごまかすように、レクトが笑う。
「お前くらいの年なら、自分だけをかわいがってりゃいいんだ。で、大人に近付いてきたら、他の奴もかわいがってやりゃいい。自分のできる範囲でな。所詮、人間は万能じゃないんだ」
メージェスの村の誰も、ルーラが家族に縛られてる、なんて言わないだろう。みんな、ラーグの娘、という目でしか見てないだろうから。できて当然、と考えているだろうから。
レクトはルーラの話の断片しか聞いていないから、こんなことが言えたのだ。完全な第三者の目で見て、感じたことを。
父のラーグも、実は同じようなことを考えていたのだろうか。娘が魔法使いの家族に縛られている、と。
だから、いきなりルーラが旅に出たいと言い出した時、家族から少し離れて自分を見詰め直すいいきっかけになる、と思ったのかも知れない。
「ガラにもなく、説教みたいになっちまったな。あんまり深く考えるなよ。どうせ大した内容のことは、しゃべっちゃいないんだから」
「ううん」
ルーラは首を振った。
「大したことあるわ。もしかしたら、本当にそれがあたしの欠点だったかも知れないんだから」
とりあえずやってみようと思う。ザーディを守ってあげたい、と思う自分のために。ザーディを守る魔法を使う。……できそうな気がする。
「あ、でもあたし……一度ザーディを助けようとして、逆に死なせそうになった……」
あの湖でのことを思い出してしまった。
うずに巻き込まれ、おぼけかけたザーディ。
たとえあのままであってもザーディがおぼれることはない、と知らないルーラは、あの事件を思い出すとつらくなる。
「単に焦って失敗しただけだろ」
そんなルーラの重い気分を、レクトはあっさりと消してしまった。
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