希望を抱いてはいけないのか



 慌ただしい一日はやっと夜を迎えた。一人、私室で夕食を摂るジューリアはしつこく食堂で食べようと誘ってきたシメオンやマリアージュを退散させ、僕は此処で食べるとしつこいグラースを連れて行ってもらった。色々あってとてもじゃないが重苦しい空気の中完食する自信がなかった。

 最後の一口として残していたステーキを食べ終えるとナイフとフォークを置いた。



「御馳走様」



 食べている食事は食堂で他四人が食べているのと同じ物らしい。

 セレーネが侍女だった時もそうだが変なところで律儀だ。

 外出から帰宅したシメオンが昼間の出来事をマリアージュや執事から聞き、急ぎジューリアを呼んで話をした。マリアージュが話しているのなら自分はいらないだろうと思うもシメオンはジューリアからも聞きたがった。目の前で起こった出来事をそのまま話すと難しい顔をして唸った。

 ジューリオとの婚約解消をマリアージュが先に話しており、理由が理由だけに皇帝が納得するかは可能性として低くても話すだけ話すと約束してくれた。



「本当に婚約解消になったらいいのに」



 自分を嫌っている相手と生涯一緒に生きたくない。独身貴族を満喫する方が遥かに楽しい。その前に、家を出る準備を少しずつでもいいから進めないと。子供の姿になったヴィルに何時頃元の大人姿に戻れるか訊ねよう。ヴィルが大人にならないと家を出て行けない。


 資金面に関しては当分の間は迷惑にならない程度の金額になる不要なドレス類を預かってもらっている。


 椅子から降り、テラスに出たジューリアは生憎の曇り空に落胆しつつ、結界が張られていると言われても何も見えない上空を見上げた。



「魔法の練習をしたら私にも見えるようになるかな」



 魔法を使う特訓を密かにしたい。魔法が使えるようになったと家族に知られたところで、今までの冷遇は無かった事にならない。今更過ぎる優しさも要らない。内緒のまま家を出るのが最大の目標だ。



「私からヴィルに会いたいって手紙出そうかな」



 いつも勝手に来るヴィルだが、明日は自分から行くと報せたい。室内に戻ると早速手紙を書こうと机の引き出しから便箋と封筒を引っ張り出した。お茶会に中々参加させてもらえないジューリアは友達がいない。まあ、名家の長女でありながら魔法が使えないジューリアと親しくなっても得をする者はほぼいない。交流を持つなら妹メイリンとなるだろう。


 手紙一式があっても送る相手がいないくせにとセレーネにはよく馬鹿にされた。文頭を書くと不意に手を止めた。



「そういえば、セレーネはどうしてるのかしら」



 気になって呼び鈴を鳴らし、侍女に入ってもらった。食事の片づけをしてもらいつつ、前の専属侍女であったセレーネの現状を興味本位で訊ねた。

 手を止めた侍女は困り顔で「分かりません」と首を振った。



「確か、家を勘当されたとは聞いています」

「そう、なんだ」

「お嬢様は気にしないでください。セレーネの自業自得です」



 失礼します、と食器を下げ出て行った侍女の背が見えなくなるとジューリアは天井を見上げた。七歳以前は毎日長時間見上げていた花柄模様の天井。体の弱さが嘘みたいに今は健康になったものの、その代償が魔力しか取り柄のない無能呼ばわりとは誰が想像するか。少なくともジューリアは想像していなかった。


 確かセレーネの実家は男爵家。いくら無能と言えど、フローラリア家の長女の侍女を務めていながら虐めていたなどと知らされた男爵家の面々が多少気の毒にはなった。自分達の首を切られない為不要者をばっさりと切り捨てるのはどこの家でもある。



「うーん」



 引っ張り出した便箋と封筒がいまいちだ。新しい家庭教師が決まったとは聞かない。ヴィルが来るのを待ち、便箋と封筒は今度買いに行こう。お小遣いなら沢山ある。

 引き出しに戻し、椅子から降りて庭を散歩しようかと部屋を出た。公爵家の面々の部屋は同じ階にあってもジューリアは最奥なので何をするにしても遠い。下へ降りる階段を目指すとグラースの部屋を通った時に扉が開いた。



「あ」



 出て来るのは当然の如くグラースだが。

 ジューリアは構わず歩き続けた。



「ジューリア!」



 呼ばれてしまえば無視は出来ない。



「なんですか」

「何処へ行くんだ?」

「庭で散歩でもしようかと」

「僕も行っていい?」

「一人で考え事があるのでご遠慮ください」

「考え事って?」



 一人でってという単語は華麗に無視され、悩みがあるなら聞くとしつこいグラースを室内にいる従者に目線で「引っ込めて」と訴えた。ジューリアと関わるのをあまり良しとしない従者は今日の復習が終わっていないと言いくるめてグラースを戻した。こういう時、あの従者は役に立つ。名前を知らないので今度侍女に聞いておこう。

 一人庭に出たジューリアは何をするでもなく、なんとなく花を眺めながら歩き出した。夜でも上空に設置された魔法光で周囲を照らしてくれるので灯りを持たなくても花は見れる。



「ジューリア?」



 次は誰かと思えばシメオンだった。誰も付けていないのを見ると恐らくシメオンも散歩に来たのだろう。会釈をすると来た道を戻るべく踵を返した。



「待ちなさい」



 呼び止められ、渋々、振り返ったジューリアは側に歩み寄ったシメオンを無言で見つめた。



「結界は万全だ。今後は悪魔の侵入を許さない。心配しなくていい」

「そうですか。神官様に確認をしていただいては」

「そうだな。後日、大教会から神官を派遣してもらおう」

「話は終わりですか? 私は部屋に戻りますね」



 シメオンがいては考え事をしながら庭を歩くのは無理である。



「待て。久しぶりに一緒に歩かないか?」

「メイリンや跡取りの人と間違っていませんか?」

「ジューリア……」



 拒絶の態度を崩さない様はシメオンを大いに落胆させる。確かにシメオンに手を繋がれて庭を歩いた記憶はある。体調が安定し、外を出歩いても大丈夫だと医師に太鼓判を押された時。一緒に散歩をしようとシメオンが手を繋いで歩いてくれた。前世では体験出来なかった父との散歩。当時のジューリアは初めての体験に部屋へ帰ってから泣いて喜んだ。自分がずっと憧れていた親子らしい触れ合いを今世では沢山するのだと楽しみにしていた。


 全てが崩れたのは七歳の時の無能の烙印を押された瞬間から。



「私にそんな記憶はございません」

「……そうか。じゃあ、今からすればそれは記憶に残るだろう?」

「お断りです。我が子との触れ合いをしたいなら、ご自分の子とされては?」

「…………」



 お前は娘じゃない。


 一度放った言葉は二度と戻らない。言葉は刃物だ。そして、一度放てば二度と鞘には戻せない凶悪な刃。

 失意の相貌を浮かべるシメオンは深く項垂れ、ジューリアが立ち去っても引き止めなかった。



「どうして……私は……」



 一人残ったシメオンは動けず、修復不可能なジューリアとの関係を是が非でも元に戻したいと考えた。考えて考えて、考えても——どうすれば鉄壁の拒絶を崩せるか見当もつかなかった。

 第二皇子ジューリオとの婚約は皇帝たっての頼みで、皇族の伴侶になれるならジューリアを守る力も強くなる、魔法を使えない原因を探る手助けにもなると踏んで了承した。一度もメイリンとの婚約をと打診されなかったのは怪訝に思うも、以前からメイリンには遠縁のフランシスの伴侶にと考えていたのを話していたのもあって言ってこなかったのだと納得した。


 更にジューリアが天使のお気に入りになるとは考えもしなかった。ヴィルと名乗る子供の天使は大天使を君付けで呼ぶのを見ると、彼の方が側にいる大天使より上位の可能性が高い。大天使以上にヴィルには気を遣う必要がある。



「私が出来るのは……なんなのだろう……」



 父親として、公爵として、娘の為に出来る事は何かと暫く考えた。






 部屋に戻ったジューリアはベッドに飛び込んだものの、すぐに起きた。湯浴みを済ませていない。自分で着替えを用意し、浴室へと向かった。侍女に準備させていないので浴槽には何も入っていない。



「しまった……ヴィルには、冷水をお湯に変える魔法しか習ってないんだっけ」



 やはり侍女を呼んでお風呂の準備を頼んだ。

 次に習うのは水を出す方法と決めて。






 ——同時刻。昼の出来事が皇帝の耳に入り、皇帝、皇太子、皇后の前に呼び出されたジューリオは夕刻にフローラリア家から婚約解消を求める報せが届いたと皇帝に激怒された。政略結婚の意味を長時間に渡り聞かされ、個人の感情で台無しにするなと説教をされ、終わるとジューリアへの詫びとして明日は謝罪に行くよう命じられた。


 ベッドの上で膝を抱えるジューリオの目元は赤い。散々泣いた後だった。


 どうして自分ばかりがこんな目に遭うのだと嘆いていると、ふと、目を覚ました時に見たジューリアを思い出す。ジューリオの顔を覗き込む青緑の瞳には純粋に心配していると伝わる感情しかなかった。海と空を彷彿とさせる解放感のある美しい瞳。



「……」



 初めてまともにジューリアを見た瞬間でもあった。



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