天使様のお気に入り




 ――翌朝、目を覚まして吃驚。上体を起こして欠伸をしたジューリアが最初に見たのは、ソファーの上で寝る子供のヴィル。昨日彼が人間じゃなく、天使よりも上の神の一族、しかも神の叔父さんときた。甥っ子の神に子供姿にされた挙句、暫くはそのままで過ごさないとならなくなって大天使を連れて現れた。自分と気軽に会える方法を見つけに家に帰ったら子供姿にされる。何とも言えない。ベッドから降りてソファーで寝るヴィルの寝顔を覗いた。子供姿になっても肌の美しさや純銀の髪、睫毛、眉毛は変わらない。子供になった分幼さが目立つ。

 暫し眺めているとピクリとミルク色の瞼が反応。ゆっくりと開けられた瞳は眠たげで、何度か人の顔を見ながら瞬きがされた。「ジューリア……」寝起き特有の掠れ声。



「おはよう、ヴィル」

「おはよう……ふあ……」



 欠伸をして起き上がったヴィルは眠そうに目を擦り、思い切り伸びをした。髪が跳ねている。そっと触ったら予想以上のサラサラ具合に嫉妬した。



「ヴィルって身嗜みに気を遣う?」

「人並には」

「髪サラサラだし綺麗」

「ありがとう」

「此処で寝て大丈夫なの?」

「いや? 今頃、ミカエル君が探し回ってる最中じゃないかな」

「……」



 困ってるだろうと面白そうにするヴィル。苦労してそうなミカエルに同情する。

 そろそろ侍女が来る。

 ヴィルはどうするのかと訊ねるとソファーから降り、何故か窓を開けた。バルコニーに出たヴィルを追い掛けて隣に並んだ。



「こういうシナリオにしよう。人間の世界に来て興味津々な俺は、隅の部屋だけ強く張られた結界に興味を持って降り立った」

「そういえば、結界を張り直したのにどうやって入ったの?」

「天使や神には通じないよ。魔物や悪魔、人間には効果があるけどね」

「なるほど?」

「で、そこに君が出てきた。これでどう」

「ヴィルが此処にいる理由作り?」

「そういうこと。理由もなくいたら人間は何でも驚くだろう?」

「まあね」



 それでいこうと決まるとノックの後侍女が入室した。カートに朝の洗顔の準備を載せて現れた侍女は、バルコニーにいるジューリアが見知らぬ少年といて吃驚した。慌てて此方に来るから手で制し、父シメオンに天使様が来たと報せてほしいと頼んだ。



「公爵様なら、天使様とだけ言えば分かってくれるわ」

「わ、分かりました!」



 カートを置いてシメオンの所へ早足で向かった侍女を見届けるとジューリアは桶を持ち上げた。テーブルに置き、次にタオルを持ってこれも置いた。桶の中の水は温水。熱くもなく、冷たくもない。丁度良い。セレーネとえらい違いだと笑み、まずはヘアバンドをした。次に温水に手を突っ込み、掬って顔を洗っていく。ある程度洗うと騒がしい足音が幾つか聞こえる。そろそろ来たか、と顔を上げたら普段着に着替え終えたシメオンとマリアージュがやって来た。

 二人は昨日ジューリアと急に現れたヴィルを目撃している。天使と言っても嘘ではないと通じる。



「て、天使様が何故?」

「フローラリア公爵であってるかな?」

「は、はい。私がフローラリア公爵シメオンで御座います」

「世界でも稀な癒しの能力を持つフローラリア家のお陰で救われた者達は大勢いる。これからも帝国の為、民の為その力を存分に発揮してください」

「は、はい! 勿論で御座います!」



 ……急に天使ぶるヴィルに驚きつつ、ジューリアはスキンケアを始めた。落ち着きを取り戻し始めたシメオンは普通にスキンケアをするジューリアを叱責した。畏敬の念を抱く天使に対し失礼な行動だと思われても仕方ない。二人はヴィルと知り合いだと知らないのだから。タオルで手を拭くとヴィルが助け船を出した。



「構わないよ。人間の生活を知りたいから、自然体でいてくれと言ったんだ。続けて」

「うん」

「大教会から人を遣わせるから、午後になったら遊びに来てよ」



 天使と偽っているが大教会の人達には正体を話しているのだろうか。後で聞こう。ヴィルに気に入られたと判断したシメオンが恐る恐ると口を開いた。



「て、天使様」

「ヴィルでいいよ」

「ヴィル様、ジューリアを気に入って頂いたのですか?」

「見てて面白いから」

「この子には婚約者がいます。遊び相手を欲していられるなら、他の子を用意致します」

「俺はジューリアがいい。まあ、他の人間とも会って人間を知るのも勉強になるから、またの機会にね」

「分かりました……」



 相手が天使でなければ、まだまだ断っていたシメオンだが折れるしかなく。

 スキンケアを終えたジューリアはヘアバンドをしたまま、タオルを畳みカートに載せ、テーブルに置いた桶もカートに戻した。舌を巻く演技を見せるヴィルに感心しつつ、中々部屋を去らないシメオンとマリアージュに早く出て行ってもらいたい。



「お父様、お母様、そろそろ朝食の時間では。メイリン達が食堂で待っていますわよ」

「そ、そうだな。行こう、マリアージュ」

「え、ええ」



 忘れる前に朝食を部屋に運んでほしいと頼みたかったが「ジューリアも食堂に来なさい」と、昨日とは違い、有無を言わせない声色。大方、天使に不仲を見られたくないのだ。嫌だと断ってもシメオンは多分折れない。先に折れた方が楽で、朝食を抜かれる心配もない。渋々了承するとシメオンだけじゃなく、マリアージュも安堵し、部屋を去って行った。

 ヘアバンドを外してカートに載せ、侍女に持って行ってもらって二人だけになった。



「ヴィルは帰る?」

「戻ろうかな。ミカエル君、きっと怒ってるね」

「ミカエル様ってどんな天使様なの?」

「昼に会わせてあげる。必ず来てね」

「うん」



 絶対だよ、と念を押してヴィルは消えた。カートを戻した侍女がジューリアを食堂に呼びに戻った。



「ジューリア様。旦那様と奥様がお待ちしています」

「メイリンともう一人は?」

「グラース様ですか? お二人とも、既に食堂に来ています」

「分かった。今行くわ」



 行ったら遅いだの、食事が冷めるだの、とうるさく言われそうだ。

 侍女と共に食堂を訪れると案の定グラースから遅い、メイリンから食事が冷めると文句を飛ばされた。スルーして席に座ると事情を知っているマリアージュが説明した。天使が来たと聞かされても実物を見ていない二人の反応はいまいち。パンにイチゴジャムを塗るジューリアはある提案をした。



「後で大教会に行くなら、二人も行けばいいのでは?」

「メイリンは癒しの能力の練習、グラースは領地の視察が控えています。大教会へは行かせません」

「何の話ですか?」



 先程ジューリアの部屋に、昨日城に現れた天使が居た事、その天使から大教会へ遊びに来てほしいとジューリアが誘われている事を説明。

 話を聞いたメイリンはぷにぷにほっぺを大きく不満げに膨らませた。



「狡いですわ! お姉様! 天使様なんてわたしは一度も見たことがありません!」

「私もヴィルが初めてよ」

「ヴィル?」

「その天使様の名前」

「第二皇子殿下の婚約者なのに天使様と親しくするなんて! いくら優しくされたからって見境が無さすぎでは?」

「なら、メイリンが殿下の婚約者になればいいじゃない。無能の私なんかより、優秀なメイリンなら殿下は気に入ってくださるわ」



 本人が兄である皇太子に強い劣等感を抱いているからこそ、魔力しか取り柄のないジューリアを毛嫌いする。逆に、将来有望と名高いメイリンを婚約者にしたら、むかつく態度も優しい態度に変わる筈。相手がジューリアだから嫌がっていると知ったメイリンは勝気な顔を見せた。



「お姉様と違って優秀ですから」

「そうね」

「大体、魔力しかないお姉様のような欠陥のある方が」

「メイリン! 姉に向かって何て言い草だ!」

「ひっ」



 生まれてこの方シメオンに怒鳴られた回数がゼロなメイリンは瞳に涙を潤ませ、顔を手で覆って泣き出した。「あ……」と冷静になったシメオンだが時既に遅く。声を上げて泣くメイリンを慰めるマリアージュは何とも言えない顔をしていた。それはジューリアも同じ。子は親の背中を見て育つ。前世の兄二人が攻撃的なのは父の影響もある。シメオンやマリアージュから無能、欠陥品の烙印を押されたジューリアはメイリンにとって見下して良い相手だと認識された。馬鹿にした言葉を放とうが叱られはしないと高を括ったらこの有様。今更姉妹仲良くをするつもりもなく、家族仲良しをするつもりもない。そっと溜め息を吐いたジューリアは泣いているメイリンに謝るシメオンに大教会へ行く旨を示した。



「天使様からの遣いの方が来たら、大教会へ行きます。優先すべきは天使様でいいですよね?」

「あ、ああ。分かった」

「ひくっ、ううっ……わ、わたしも、天使様に会いたいですっ」



 泣きながらメイリンが自分も大教会に行きたいと言い出す。これについてはマリアージュの許可を得ないとならない。癒しの能力の練習は全てマリアージュが指導役として指揮している。涙目でマリアージュは見上げられ、困った顔をしながらも首を振った。



「いいえ。あくまで呼ばれるのはジューリアだけ。もしメイリンやグラースの同行を天使様が許して下さるのなら、行ってもいいわ」



 多数の視線がいきなりジューリアに向いた。驚きつつ、視線の意味を解し肩を竦めながらも「天使様に今度聞いてみます」と適切な答えを出した。さっきの視線はどう考えてもジューリアが天使に聞けと言っていた。


 食事が食べづらくなり、食欲も失せたジューリアは呼び止める声を無視して部屋に戻った。







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