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 父は僕に夢を見るようにいったけれど、僕に夢を追わせることはできなかった。僕の両親は、貧しいとは言えないけれど、豊とも言えなかった。もちろん、相対的な意味で。両親共働きで、父は博士号を持っており、母も学士を持っているから、同年代の平均年収に比べて年収は高かったけれど(まぁ、それだけが理由ではないのだろうけれど)、パソコンやスマートフォンを毎年のように買い替えるほどの金銭的な余裕はなかったし、ましてや、成人しても尚、息子がある分野で成功するまで待てるほどの心理的な余裕もなかった。

 学歴は高いけれど、両親共に愚かな人だ。自分たちが働くのはお前たちのためで、つまり自分たちが苦労しているのは、お前らのせいだ。だから、子供の意見を親が真剣に訊く必要はなく、ましてや自分が好きでやっている行動を変える、子供が嫌だからという理由で止めるなんてありえない、という思想の持ち主だ。さすがに、これほど強い口調で言われたことは、三回くらいしかないけれど、僕が両親の行動、というより習慣に口を出すと決まってキレられたり、ヒステリーを起こした。僕も姉も、酒を止めろ、喫煙を止めろ、せめて減らせと、両親の健康を心配して言っていることなのに。

 両親が好きなことをやれとか、夢を追えとか、お前にしかできないことをしろというのは、自分がそういう人間になれなかったからなのだと思う。もしくは、夢を追っている時の自分が人生で最も大切な期間だったのかもしれない。自分がそういう時期に、夢を追っていない人を心底程度の低い人間だと思っていたのかもしれない。どちらのなのかはわからないけれど、このような背景があるなら、両親の僕や姉に向けるあの態度は、失われた、あるいは得られなかった本当の自分を取り戻すためのせめてもの抵抗なのだとしたら、両親の愚行にある程度は共感することができる。くだらない、愚かな人間であることに変わりはないが。

頼むから「息子娘に好きな事をやらせる許可を出しているのだから、自分にも好きなことをやらせろ。それに人権と自由があるのだから、法を犯したわけでもないのに、なぜ、健康に悪いからという理由だけで自由を制限されなければならないのだ。つまり、酒を飲むことを不快に思うお前らの方が間違っている。間違いは、正義によって正されるべきで、この世界にある唯一正しい正義は、法であり、人権と自由だ。故に、人の好きなことに口を出すお前たちが間違っていて、私たちが正しい」という破滅的な考えではあって欲しくない。(いや、まじで)

 社会には、僕の両親と同じように夢を追えとか、好きなことを仕事にしようとか、自分にしかできないことをしよう、人にはみなその人にしかない強みがあり、その強みを活かせることをしよう、というメッセージをわざわざ探さなくても目耳に入ってくる(そう、考える僕の両親の教育方針は社会のトレンドに合わせたスタイルなのかもしれない)。僕から言わせれば、そういう人は全員、本気で夢を追ったことがない人なんだと思う。だから、そんな無責任なことを言えてしまうのだと思う。でなければ全員詐欺師だ。ねずみ講みたいに法律で取り締まれない分、詐欺師たちよりたちが悪い。

 僕はだいたい大学生の時に、本気で夢を追った。僕と羊と猫は本気でゲームで天下を取ろうとした。自分たちにしか創れないゲームで、天下をとる、壮大すぎる夢だ。

 大学生の本来の役割は勉強で、ゲーム創りはそこからかけ離れたことに見えるかもしれない。けれど、僕たちは、誰よりも真面目に勉強した。心理学やら、美術史、文学理論から、プログラミングに経済学、性科学まで、考えられる限りのゲーム創りに必要なことを学んだ(おかげで、大学のレポートに苦労することはなかった)。

 結論を言ってしまうと、天下を取ったとは言い難かった。僕たちのゲームは一部界隈ではカルト的な人気を博したけれど、とてもじゃないが天下を取ったなんて言えなかった。バイトよりかは稼げたし、最終的な収益は黒字だったけれど、ゲームだけで食っていけるほどの自信を僕たちに与えるような結果ではなかった。

 大学四年の五月、僕の家での会話である。

「これからどうする?」と僕は飼っている猫を撫でながら言った。

 猫は、急に立ち上がり歩き出した。

「どうするって?」と猫。猫は、猫の伸ばした足を踏みながら、羊の方へ歩いた。

「夢を見続けるか、いい加減目を覚ますかってこと」

 猫は、羊の上で丸くなった。

「社会人になってからでも、僕たちなら良いゲームを創れる」と羊。

 こうして僕たち、一度目を覚ました。

 僕たちのゲーム制作関して語ろうと思えば、いくらでも語ることができるのだけれど、それは、老人の昔話のように教訓を与えるようなものでもないし、話していても気持ちの良い話じゃないからしない。

 猫はプログラマーになった。猫は、ゲームのプログラム書いていた。けれど、ゲームのプログラマーにはならなかった。僕はその理由を訊くのが怖くてまだ訊けていない。

 僕は、夢を追う気にはならなかったけれど、就職するのは嫌だった。僕がゲーム作りをしたのは、面白いゲームを創りたいという気持ちより、就職をしたくなかったからで、それは何かしらの集団に自ら所属することに違和感というか、恐怖というか、自信の無さというのがあったからだ。僕は大学院に進学し、博士号まで取った。研究員か講師になろうかと思ったけれど、ここで語るにはあまりにも脈絡がない事件が起きたため僕は、サラリーマンになった。その事件と結果として集団に所属したことについて、僕はまだ内面を整理できていないから語りたくない。というより、語れない。ちなみに僕は、イラストを担当した。

 羊はよくわからない。本当によくわからない。消息を絶ったとか、当然消えたというわけじゃないのだけれど、彼がどんな人生を送っているのか、僕にはまるでわからない。やり取りが全くわかったわけではないのだけれど、ほとんど意味のないものだけだった。だから、実質的に絶縁状態だったし、消息が不明だった。けれど、最近になってようやく(といっても、一年以上も前のことだが。あれ、二年前だっけ?)羊が何をしているのかがわかった。羊は、小説家になっていた。よく分からないとは言ったけれど、彼が嘘を吐いたり、意図的に僕が勘違いするように、情報を操作していなければ、彼がずっと何かを書く仕事をしていた。言うまでもないことだけれど、羊はシナリオを担当した。羊はまだ、夢を見ている。

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