社畜聖女は異世界を魔道生成スキルで快適にするのだ
たちばなやしおり
第1話 突然異世界に来てしまったら
「小麦粉、水、塩、酵母、練る、発酵、焼く、『美味しい』、『いい香り』! 生成するは『パン』!」
まばゆい光に包まれテーブルの上にシノブの顔程の大きさのパンが現れた。
「づがれだ」
深夜1時。
山口シノブはもう重さも感じることもなくなった身体にムチ打ちながら自転車でマンションへと向かっていた。
このエリアの店舗を任されて2年。3ブロック12店舗。全国規模の飲食店では大手と言われる外食チェーン店の「最年少の女性エリア統括」という言葉に気を良くして睡眠時間以外をすべて仕事に捧げてきた。しわの寄ったグレーのパンツスーツ、長い髪を一つにまとめ、化粧っけのない顔は常に着用しているマスクでうまい具合に隠すことができているが、学生時代はアーチェリー部のキャプテンとしてそれなりにモテていた面影も今はナリをひそめてしまっていた。
たまにガラスに映る自身の変貌ぶりに驚いたりもしたが、もう慣れた。
それもこれもすべて報われる。
『月間売上高1000万円達成!』
700万売り上げが平均の中、この数字を達成するのは運営側としてはひとつの憧れであり、ステイタスであった。接客、提供スピード、店舗の綺麗さ、どれが欠けてもいけない、まさに、血と汗と涙の結晶である。とはいえ、少し足りない部分は従業員と上司で少し購入したが些末なことである。
そう考えれば戦利品のお茶1ケースを荷台にくくり付けた自転車をこぐ足取りも軽くなるという物であった。
「さー、これから報告書まとめて、明日は本部に報告かー。褒められるかなー。あ、バイトちゃん休むから5時出勤か。また徹夜だねー。頑張れ、わ・た・し、負けるな、じ・ぶ・ん~」
青信号を指さし確認して横断歩道を渡る。
エンジン音、ヘッドライトがまぶしい。
全身に電気が走ったような感覚だった。
暖かい布団の感触。いつもリビングでフットマッサージ機に足を突っ込んだまま仮眠を取っていた彼女には久しく感じたことのない心地良さだった。
ああ、心地よい……布団……?
「いかーん!」
慌てて飛び起きる。
何をのんきに寝ているのか。まっとうな睡眠などとっている場合ではない。今日はただでさえ早朝から店を開けてお客様を迎えなくてはならないのだ。しかも、報告書をまとめなければ、この一か月の苦労が無駄になってしまう。何やってるんだ、私。
早口で心の中で自分に対して突っ込みを入れたあと、ふと周りの様子が普段とは違うことに気が付いた。見知らぬログハウスのような部屋、ガラスのはまっていない窓からは優しい風が吹き込んできている。それに、この身に着けている服はシノブの物ではなかった。
ふいにドアがノックされる。
「大丈夫か? びっくりしたにゃ」
そう言って笑う彼女は猫族の獣人でルビと名乗った。見た目は普通の人と変わらないが赤髪の頭に三角の耳がピコピコ動き、黄色い瞳の瞳孔は縦に細長い。明らかに不可解で動揺すべき場面であるはずなのだが、驚くほど自分の中で自然に受け入れることができていた。我ながら素晴らしい自分の適応能力に感心してしまう。さすが、キッチリ七三分けなのにパンツ一丁で弁当を買いに来るヘンタ……お客様を相手していただけのことはあった。
「今朝、畑の様子を見に行った帰りに、ご神木の社の傍に倒れていたのをウチが見つけたにゃ」
「そう……か。もう仕事、行かなくていいんだ……」
そうして再び眠りについた。
肩の、背中の、眉間の、顎の、頭の、すべての力が抜けて、硬い殻がポロポロとはがれていく感覚に包まれる。これまでに感じたことのない解放感に包まれながら、何かできることはあるのかを薄れゆく意識の中でぼんやりと考えた。
「まずは……寝よ」
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