第26話 魔王と最強

「なんも変わった感覚は――」


 メルから渡された力を受け取ったグノシーは拍子抜けしていた。

 魔王の力というのだから全身を全能感が包むような劇的な変化を得られると思っていたのに、何も変わった様子がなかったからだ。

 何が変わったのかもわからず彼女がそう口にしながら軽く腕を上げると、そのだけ動きだけで眼前にあった目の前の湖が水も土も一切合切が吹き飛ぶ。


「痛ッ! ぐっっっ! ああぁぁぁあぁ!!」


「落ち着け、無理に力を使ったから反動が来てるんだ。その内治るけど、回復魔法かけようか?」


「た、頼むわ……」


 言葉すら頭の中に出てこないほどの激痛の中でアデルからの提案にグノシーは飛びつく。

 回復魔法をかけてももらったことでなんとかぎりぎり意識を保ちながら力なく地面に横たわると、グノシーは荒く息を吐きだしながらなんとかその痛みが引いてくれるのを待つ。

 頭の痛みが引いていけば次にやってくるのは腕の痛みであり、せっかく痛みがマシになってきたというのに痛む腕に殺意すら覚える。


 何秒、いや何分くらい横になっていただろうか。

 グノシーが暴れないように抑えていたアデルが手を離すころには痛みも我慢できる程度に抑えられていた。


 痛みから寝込んでしまうグノシーをいったん眠らせ、アデル達は少し離れたところで別れの挨拶をする。


「次代の魔王として強くあってほしいんだけど、まあ多少は仕方がないか。これでようやく僕も下界に降りれるってもんだ」


「――そうか、そうだよな。ようやくお前もここに縛られずに済むんだよな」


 魔王の力の制御の為にこの場所にいただけで、メルにとってここは自分の家であると同時に牢獄とそう変わらない。

 すでに亡くなってしまっているがメルの母親は自由を愛していた精霊だったので、彼がその性質を引き継いでずっと外に出たがっていたことをアデルは知っている。


 もちろんメルを外に出す目に引き換えとしてグノシーを差し出したわけではもちろんないが、ようやくメルが外に出られるというのはなんだか感慨深いものがあった。


「僕はね。ただこの子がそうならないとは限らないんだよ? ちゃんと責任もって二人とも幸せにしないと」


「二人? もしかして……リナの事も知ってるのか?」


「彼女には説明しなかったけど魔王の力だよ。魔王は魔族が得た知識を見ることができるんだ、だから彼女の記憶からアデルの隣にいる女の人についてもある程度知っているんだ」


 そう言えば昔魔王が同じようなことを言っていたのを思い出す。

 何かにつけて自分の息子や嫁のことを頼んできた厄介な人物というイメージだったが、いま思い返してみればいい父親をしていた。

 ここで魔王についての昔話をメルにしてあげてもよかったのだが、それよりもアデルの中でメルがリナをどう見たのかが気になってそれについて質問する。


「どうだった?」


「アデルが好きそうだなと思ったよ。でもまあアデルが誰かと一緒に居ようとするなんて珍しいね」


「約束してたからな。強くなったら隣にいるって」


 リナはアデルが覚えていないと思っていたようだが、アデルはあの時から一度も忘れたことはない。

 アデルの長い人生の中で他者に一切の損得勘定なく必要とされたのは龍王を除けばあの時が初めてのことであり、だからこそアデルはなんだかんだ文句を言いながらもあんな何もない国に長年滞在していたのである。


 リナが思い出す様子もなく、一人で生きていけるだけの力を手にしていたので一時期はもう力のすべてをリナに託してこの世を去ることすら考えていたが、他でもないリナにそれを止められたいまのアデルは生まれ変わったといってもいい。

 なんとも面倒な男だが、人間1000年も生きればこれくらいこじれるものだ。


 照れくさそうに言葉を並べ立てるアデルを前にしてメルは驚きの表情を浮かべていた。

 そして嬉しそうに目を細めると、ふふっと息を漏らす。


「アデル、本当に変わったんだ。嬉しいよ」


「この年で変わったっていうのはなんか照れくさいけどな。これからどこに行くんだ?」


「どこに行くかも考えてないな。というかどうやって暮らそうかも考えてない」


「ならこれやるよ」


「これは?」


 アデルは腰にぶら下げていた革袋を取り外すとそれをメルに持たせる。

 ズシリと重さを感じるがいったい何が中に入っているというのだろうか。

 魔法の力を感じるのでおそらくは見た目よりも中身が入る魔法の鞄なのだろうが……。

 そう考えたメルが封を開けて中を見てみれば、いくつかの冊子とメモ帳のようなものが出てくるではないか。


「俺が使ってた通帳だよ、各国の各機関にそこに記載された場所に生活に必要なものは軒並みそろえてある。生活に困るってことはそうないだろう、金もその中に入ってるしな」


「悪いね。その内返すよ」


「別にいいよ、俺はメルに返しきれないくらいの恩がある。別にこれで返せるとも思ってないけどね」


「お互い様だよ。じゃあ僕は一旦役目を終えたし、舞台から降りるとするよ。じゃあねアデル、また近いうちに」


「ああ。またなメル」


 湖の中へと戻っていったメルの気配が少しするとふっと消える。

 湖の精は向かう先に湖があればどこにでも転移ができるのでおそらくはどこか適当な人の国の近くに転移したのだろう。

 お互い定住しない人種なので次あうときは数年後かそれ以上か。


 生涯の別れということはないだろうからあっさりとした別れに文句はないが、少しだけ静かになった湖のほとりで鑑賞に浸ったアデルはひとしきり湖を見て満足すると足早にグノシーの元へと戻る。

 足音を立てながら戻っても起き上がってくる様子はなく、どうやらうなされているらしいグノシーに回復魔法をかけながらその経過を観察していると20分ほどしてゆっくりと目が開かれる。


「……誰や」


「誰だは失礼だな俺だよ、オレオレ」


「まるで詐欺師みたいな口やんかアデル」


 声に元気はないが顔色などから見て体調に問題はなさそうなので体が思うように動かないのだろう。

 魔王の力を無理やり器の中に入れる行為はたとえ魔王としての素質を持っているグノシーだろうとこのようになることは想定ができていた。


 体内の魔力を調整する力を持つ湖の水にグノシーを足首まで疲らせているのも少しでも状態をよい状態でキープしようという目論見からくるものである。

 リナの横で地面に座り、回復魔法を継続しながらアデルはリナと同じように空を眺める。


「初めて俺の名前を呼んだな」


「ウチを惚れさせようとしてんねやろ? 名前くらい呼んだらんとやりにくいやろ。アデルの方はウチの名前を一度も呼んでへんけどな」


「俺にとって名前というのは特別な意味を持つんだよ。一度名前を呼んだ人とは特別な関りができるからな。わかったかグノシー・メガロフィア」


「ふふっ。アンタの必殺の口説き文句はそれか? なかなか酷いやん」


「酷いけど結構いいだろ? いまのところ一度も失敗してないんだぞこれ」


「まぁせやな、悪くはないよ」


 名前というのは個人を識別するうえで大切なものだ。

 顔を思い出せる人物はアデルにもそれなりにいるが、名前も知らない彼らのことを積極的にどうこうするというような感情は持ったことがない。


 負の感情にしろ好意にしろ相手を知るところから人間関係というのは始まる。

 まるで虫を踏み潰すように相手を殺すこともアデルは割り切ってすることができるが、相手に生を聞くのは極力そんな事態にさせないという彼なりの誓いでもあった。

 思っていたよりも随分と人だったアデルを前にしてグノシーは何か言葉をかけたかった。


 魔王として生きてきた自分の境遇と彼の境遇にどこか親近感を覚えたのだろう。

 だがどんな風に言葉をかけていいものかわからず、グノシーは漠然と感じていた不安を漏らす。


「……こんなとこでごろごろしててええんやろか」


「体内が魔王の力に対して適応するまで早くて三日はかかる。動けてもこの神域の中だけだろうな」


「今日合わせて四日か。自由に動けるようになった頃にはウチはアンタの虜になってる予定中わけやな」


「そういうこと。とりあえず紅茶と菓子用意したから、寝ながら食べようか」


「寝そべりながらか? 行儀悪いで」


「いいんだよ。ここには俺ら二人しかいないし、グノシーは王なんだから。だらけるにはこれくらい普段とは違うことやらないとね」


「そういうもんか」


 寝そべりながら食事をするなんていったいいつ以来だろうか。

 魔王としての教育は物心がついたころにはされていたので、記憶の中には自分が横になって眠っている状況がない。

 共和国で流行っているお菓子を土魔法で作った器に入れてアデルは空を眺めながら無造作にそれらを口元に運ぶ。


「お! これ美味いなぁ」


「俺が焼いた手作りだからね、そりゃあ美味いでしょ」


「料理できんの?」


「千年間独り身だったらいやでも料理くらい覚えるよ。リナとかも確か菓子作るのが──んむっ」


 変なことを口走りかけたアデルの口の中にお菓子を突っ込み言葉を遮る。

 自分を惚れさせると言っておきながら他の女性の話をされるのだ、不機嫌にならない方がおかしいだろう。


「いまはウチと一緒におるんやで? 嬢ちゃんの話はまたこんど」


「悪かったよ、お前といる間は話に出さないようにする」


 それはそれでどうかと思うが……。

 そう返答しようとしたグノシーは言葉を出すのも疲れてしまい、まぁ言わなくてもいいかと言葉を飲み込む。

 視界の外からやってきた大きな雲が視界の端へと流れていき、そうして見えなくなって新しい雲がやってくる。


 魔王になってから一度も味わったことないほどにゆったりとした時間の中で、ふとグノシーは目をつむった。

 目をつむったことでいろんな感覚が増していき、湖の香りや風によって揺らめく木々のせせらぎなどを感じながら隣にいるアデルの気配にグノシーはゆっくりとことばをかける。


「なぁアデル」


「どうかした?」


 聞いていいのかと、そう迷う。

 彼にとってはどうでもいいことなのかもしれないが――そう悩んでいたグノシーは自分の悩みなどどうでもいいと割り切った。

 コミュニケーションにおいて大事なのは一歩踏み込む勇気、たとえ相手に嫌われる可能性があったとしてそれでも一歩踏み込まなければ仲を踏まえることなどできるはずもない。


「アンタ……なんで死のうとしたんや?」


「──さっきの話か。単純に人の人生で一千年は長すぎるんだよ、さすがに死にたくなる時だってくる」


「心がすり減っていたんやな」


 いろんなことがあったんだろう。

 所詮他人事でしかないのでグノシーにはその心中は察することもできないが、それでも1000年という年月が人の身にはどれくらい長いか想像がつかないわけではない。


 魔族の平均的な寿命は種族によって違うがほとんど無限だ。

 大体実力のないものが死ぬのが500年以内なので定説的にはそれくらいとされているが、魔力によって体を構成している魔族は新陳代謝などが人のそれとはまた別なので寿命の概念もまた別なのである。

 そんな魔族でも1000年を超えるような人物はほとんどまれなのは、退屈がそれだけ生物を苦しめる要因であるという証拠だろう。


 ハイベリアがああして自我を保って長年生きていられるのも、彼が武力という自分の人生の生きがいとは別に家族に対しての情などの他の要因を手に入れたからである。

 アデルにとってリナや、ひいては私もそんな彼の生きる要因になるのだろうと考えたグノシーはほんのすこしくらいは優しくしてやるかとアデルの頭の上に手をのせた。


「この手は一体なんなのか、聞いても?」


「見ての通りや、撫でたるわ」


「俺これでも千歳越えてるんだけど……」


「細かい話はええやないか。ウチかてその半分は生きてるわ」


 年齢の話をされるとなんだか微妙な空気になるが、それでもしたいという意思をグノシーが見せるとアデルは特に逆らう様子もない。

 リナとの普段の絡みを見ていて感じていたが、どうやら彼は信頼している人物に対して想定外に甘くなるようだとグノシーは評価を改めていた。

 気持ちよさそうに目を細めて素直に撫でられている最強というのは、なんだかよくない部分を刺激されている気がしてならない。


「どうや、ん?」


「まぁ悪くはないかな」


「千年の孤独、魔族ならそう珍しい話やないけど、人からしてみたら途方もないほどの時間やったんやろな」


「そうだなぁ……二百五十年、そっから先はまるで夢の中みたいだった。ただ人を助けて飯食って、疲れたら寝て、また人を助けて」


「どれくらいそうしてたん?」


「ほんの百年前くらいかな。あの時のことはあんまり覚えてない」


 あの頃はずっと何かを求めて誰かを助け続けていた。

 他人を助けて感謝されていた瞬間だけ自尊心を取り戻せていたから、その快感に浸ってしまっていたのかもしれないが。

 いまとなっては思い出せないような記憶を前にしてアデルは昔を懐かしむ。

 800年前の事は思い出せるのにたった100年前の事が思い出せないのは、きっとそれだけ精神が擦り切れていたのだ折る。


「お互いに自分の心を曝け出さないと全力も出せへん身、ほんま大変やな」


「俺の場合はそうだが、君の場合は違う。そのうち自分の力でなんとかできるようになる」


「口調が徐々に戻ってきるけど、能力が切れてきたん?」


 グノシーが指摘したのはアデルの口調。

 徐々に最初あったときリナに対して語り掛けるようなものに近寄っていることから見て、どうやらアデルが先日使った能力の効果は弱まってきているらしい。


「そうだな、俺の能力は基本戦闘状態の時のみ継続するようにできてる。そんなに長くは続かない」


「ええんか? ウチにそんなことを教えるなんて弱点を晒すようなもんやで」


「いまさら俺と殺し合いできるのか?」


「出来るじゃなくてすんねん。魔族の掟、知ってるやろ?」


 立ち上がったグノシーが魔力によって武器を作り出したことで、アデルは面倒そうにしながら立ち上がり武器を手に取る。


(戦闘をする男の顔ではないが、それはきっとこちらに殺意がないことがばれているからなのだろうな)


 だがこれは自分に対してのけじめだ。

 自分が相手よりも弱いことをはっきりとさせておけば、きっとすんなりとグノシーは自分の胸の内でくすぶり始めた感情と折り合いをつけることができるだろうと考えていた。


「自分より強い男とだけ結婚する。魔族らしくて最高じゃん」


「まだギリギリ、異能の効果は残ってるか? 最強」


「残っているさ、かかってこいよ魔王。倒して俺の嫁にする」


「ええやろう最強。殺して私の思い出にしたるわ」


 結局言葉を交わすよりもこちらの方が手っ取り早い。

 撃ち込まれる剣からは傷つけないようにという意思が感じられる。


 自分自身のすべてをかけ、そうして私をもし受け止めきれるならこれ以上の男はいない。

 だからグノシーは心の底から願う。

 どうか死んでくれるなと。

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