48話 責任


 橘と東屋を出た時には、女子の表彰も終わっており、顧問もいない事から帰る選択をしたのだと言っていた。本来は、直様謝りたい所らしかったが、まぁ、色んな意味で疲れただろうから丁度いい気もする。

 そんな橘とは家近くの住宅街で別れた。目元がまだ少し赤かったけど、自分を卑下する発言をしなくなっていたので大丈夫だと思う。


 オレは早速、家へ帰ると、ベッドに乗っかって、頭を毛布へぐっほっと叩きつけた。

「何してんだ、オレ……」

 不必要に相手との間を近づけないように一年間を生きてきた筈なのに……こうもあっさりと自分の軸がブレ始めている。

 もっさりと体を回転させて、天井を見上げながらおでこに右手を当てる。

「……」

 眩い照明があの時をフラッシュバックさせた。



『ねぇ、圭』

『……すぅ……すー……』

『……ねぇって』

『……ふんぅ……ん?』肩に柔らかい手で揺さぶられて片目を開けながら、瞼を擦る。

 目の前には、私服姿の遥がいた。


『もう、ったく。みんなもう、公園に先向かってるよ?』

『あぇ……もうそんな時間かぁ……ふはぁ〜〜はぁ〜〜〜』上半身をあげて、軽く伸びをすると、だらしのない声が出てしまう。

『ふはぁ……欠伸移っちゃったじゃない』恥らしく口元を右手で覆いながらジト目を繰り出してくるので、立ち上がりトボトボと歩く。


『待っててな。今着替えるから』自分の部屋なため、黒のパジャマを脱いで、肌着も脱ぎ始める。

『…………』その光景をじーっと見つめる少女に、俺は恥ずかしさを覚えた。

『あのさ、恥ずいんだけど? そんなみたいの?』

『……べっ、べつにっ?!』

『……じゃあ、外出てて。歯磨いたらすぐ行くから』

『……一緒が良い』

『えっと……』少し頭を掻きながら、俺は気にせず服を運動がしやすいものへとチェンジして、ボディバッグを肩から掛ける。パンツ姿の時の視線は多分無かった。流石に見れないのだろう。

『ほらっ、行くぞ、遥』

『あっ、うん』遥は、俺の肩に頭が当たる勢いで近づいてくる。

 小動物みたいにちょこんとしているのが、最近はさらに愛おしくなっている。

 自分よりも小さいながらも、前を向いて、誰もが楽しめるそんな空間を作る彼女を俺は好きになっていた。


 顔をすすぎ、歯磨きを終えると外へ出る。

 にしても、遥が俺の家の鍵を持っていることが少し嬉しかったりする。

 そんな親密な関係を乗り越えて……果てには……。

『なんか、顔赤いよ?』

『…………顔すすぎすぎたかも』

『あんまやり過ぎると、ニキビできるよ?』

『はいはい』俺がめんどそうに言葉を返すと、オレの前髪をヒョイっとあげてくる。小さいからつま先をあげながら。

『ほらっ、おでこにできてる』

『やっ、やめいっ!』遥の焦ったい言動におでこをあげた手を払うと、遥は体勢を崩して俺の胸元へぽすりと埋まる。

『あっ……ごめん』

『…………』

『おっ、おい。なんか言ってくれよ』埋まったままの遥に触れることができないまま、俺は硬直した。

 折れそうなほどにか細い腕と脚。誰かが守ってあげないと、気づいてもらえないように小さな身体。俺が触れるだけで壊れてしまいそうだ。

 柔らかで真っ白の肌も、力説されて好きになったミディアムショートも、仄かに感じる石鹸のような香りも、胸板から感じる彼女の鼓動も、全てが愛おしい。


『もうちょっと……こうしてていい?』

 遥のそんな言葉が俺の脳内に入るなり、胸がキュウと鳴る。

『どきどきしてるでしょ? 心音すごいよ?』

『……そっちこそ』

 晴れ間で誰もいない玄関先で俺たちは側から見れば抱き合っているような光景だったと思う。だが、俺は遥の体を触れずにいた。

『ふっ……落ち着く』

『おい、寝るなよ?』肩をクスクスと揺らしながら胸元で口を開く。それが擽ったい。

『わかってる。……でも、まだ時間があるから、こうしてていい?』

『……まぁ、うん』

『…………いい匂いする……』

『どんな匂い?』

『う〜〜む。圭の匂い?』

『……俺って匂うの?』

『うん……安らぐ』

『そっか』

『……』

『……』

 彼女が時折漏らす色っぽい呼吸音が俺の息を狂わせる。髪の毛から感じるシャンプーの匂いと石鹸の香りに混ざる遥の匂い。彼女が俺の胸にくっ付いているその甘酸っぱい状況が俺の鼓動を早めていく。

 そんな時間をほんの少しばかり過ごしていた。


 そう思っていたが、スマホがピョコンと言う音を鳴らして、俺たちの意識を帰還させると、結構時間が過ぎていた。

『『おい、バカップル早く来いや』だって』

『……お前のせいだからな?』

『圭だって、望んでたじゃん』

『……まぁ、その……おいっ、逃げるなっ』頭を掻きながら、焦ったい言葉に恥ずかしさを覚えていると遥が走って逃げ出す。

『じゃあ、ハル公園までダッシュで勝負ねっ?』

『おいっ、俺がお前に勝てないの知ってんだろっ?!』

『負けたら、帰りにジュースねぇぇ!』

 そうやって、子供っぽく逃げる遥を俺は追う。

 スカート姿だったら、ある意味ご褒美だったが、この時の遥は五分のパンツ姿だから全力で走っている。

 そんな小さな身体ながらもこの世界を純粋無垢に楽しむ背中を俺はいつも頬を緩ませながら見ていた。

 こうやって、俺とふたりっきりの時は甘い言葉も擽ったい態度もとってくるのに、みんなと集まれば真面目っ子な一面を見せる彼女が好きだった。

 バカな彼奴らと戯れる中で何処か遥の無邪気さが増していく光景に『こんな日々が続け』と心の中で念じた。


 小さな体で大地を踏みしめる彼女に、俺は恋をした。


 

 少々、昔のことを思い出してしまった。

 それも何故か、遥との時間を……いや、気づいていた。

 オレは、橘と……。


 そこで、思考するのを止めた。

 失礼だと思ったからだ。

 


「ふぅーー」息を漏らしながら、立ち上がって、オレは自分の中に生まれ始めた物語を書き出すためにノートパソコンを開いた。そして、座り込んで、ぱちぱちと打ち始める。


 橘と別れて家まで考えてくる時に閃いたアイデアをメモ帳に書き漏らすことなく綴る。その列挙したアイデアから物語を構成し、全体の大まかな流れも作り上げた。

 

「これでいいのかわからないが、やるしかねぇよな」

 オレは、黙々と土日をその物語に費やした。




 月曜日の登校中にメッセージが届くのを見ると、橘が顧問に謝罪しに行ったらしい。顧問は最初、橘には心底残念だと呟いていたが、結果として一位を取れたのは橘の能力故だと感謝も述べられたと言う。

 そして、今から先輩達の朝練に顔を出して謝罪しに行くという文言で括られていた。

 ただ、全てが解決した訳ではない。

 オレはただ、橘が再起不能になる前に寄り添っていただけ。

 ここからが橘と熊谷先輩の歩むべき道を変えていく。

 

 そこには、一切関与する気はない。


「へぇ〜、責任取らないんだぁ〜?」土日の間、何も喋りかけてこなかった神様がオレへそう問いかけてくる。

「……責任なんて取ったつもりはないです」


「君が彼女達の進む選択を変えたとしても?」


 その言葉にハッとして、歩みを止める。

 神様は、オレの立ち止まったことに笑みを浮かべた。

 まるで、星々が輝かないのに三日月型の月だけが異様に輝く夜空のように。


 オレは、さながら盤上の上で手に取るように操られた歩兵だった。

 上官の命令が無かったから作戦の変更なしと受け取り、茂みを進んだことで、周りの仲間がバタバタと倒れていた事実に気づかずに実行する。近くに銃声が鳴り響く。上官が言葉を発しなかったのは、自分が歩兵で囮だったためなのだと悟り、眼前に迫る銃に打たれてしまう兵士。

 笑う敵兵士は、頭上から落ちてくる空爆には未だ気づいていない。

 敵を一網打尽にするための戦略だったのだ。

 

 

 その場で上官から発せられない違和感に気づくべきだった。

 違和感を違和感のまま放置すべきでは無かった。


 あの長かった橘との一件で神様が喋らなかった意味。

 生徒会長である熊谷睦月と交わしたあの夜も、口を出さなかった意味。


 ただ、『頑張れ』とだけ言ってくれた意味。


 彼女達の選択をオレは……変えてしまっていたのかもしれない。

 

「君が比喩したように囮の君は周りの彼女達を活かす為に使われた……そう思っているの?」

「……えっ……と」

「物語を面白可笑しく複雑怪奇にする為に君にアドバイスしなかったと思っているの?」

「……」


「君は、どこか誤解しているよ」

「」


「君は、この物語の主人公じゃないよ」


「……………………」


 そうだ。わかっていたじゃないか。最初から。

 オレが物語の根幹を色づかせる主人公ではなく、その文芸部という輪に入ったただの部員だという事に。

 何処かで自分に対して有能感や中心感に浸っていた。

 それがただの二階堂や神様の実力から降りてきた副産物をただ自分が都合よく受けていただけ。

 

 最初から神様はオレに何も求めていない。

 ただ、今週までの短編を頑張れとエールを送っていただけ。

 だけど、オレは、神様が作り上げた二人の少女に突っかかって、早めに神様が用意しておいた箱を勝手に覗いたのだ。


「私はね、子供が自分の大切にしていた箱を覗かれるのが嫌なの。でも、カワイイ子には見せてあげようって思ってた。だって、カワイイじゃん? どうするんだろう? って面白半分で見ていたの。……今回の件は進め過ぎた。私が予定していない方向へ舵を進み過ぎてしまっているの」


 自分が立っている道路に誰もいなくなったように感じた。

 神様の背景には誰もいない。

 おそらく、自分の後ろにもいないのだろう。

 切実にオレへ語りかけている為にそうしていると思った。


「その為に、オレが責任をとって回収しろ、と?」

「平たく言えば、そうだね。二階堂史明を中心とする群像劇をしっかりと上手く活かせるために_____________君、明智圭吾は、うごかした物語を着地させる必要がある」

 初めて、神様が真剣に話しているように感じた。

 何度か、そんな場面もあっただろうが、今回の熱の入れ方は違った意味に感じる。

 それは、神絢香かなえあやかとしてでなく、作者として発している言葉のように感じたのだ。


「……すみません、神様。今は、結論出そうにないです」

「結論って言われてもネェ〜〜、責任とって解決してもらわないと」

「…………わかってます」オレは歩き出した。

 自分でもわからない今後の行方が怖くなってしまっているのだ。

 神様が望んでいた展開とオレが進めてしまった展開。

 神様は、自分が描いたストーリーの方が面白いのに進めやがってっと思っているって事。

 

 ……でも、オレには面白いよりも前にすべきことがある。


 ……それが『責任』という意味ならばオレは、取らなければいけない。

 

 彼女達の選択を変えてしまった責任を。

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