45話 走るJK
体を冷やさないように手足を動かしながら待つと、ドタドタと足音が響く。
すると、指導員が無線機を使って、一位から順に左側へ寄せていく。
これは、いつも見慣れた光景で、一気に心拍数が上昇する。
落ち着かせる為に、髪の毛を触り、結びが大丈夫かも確認。
よし、大丈夫。
「
「……はいっ」
七番目ぐらいで呼ばれて私は、レーンに立つ。覇気を纏い、襷を脱ぎながら、全力で走り込んでくる。仲間へ渡す直前で襷を横へと伸ばし、仲間が取りやすくして、アンカーが受け取り走り出す。
その光景を見て、ふぅ〜と息を吐きながら集中状態へと持っていく。
やっぱりこの時ばかりは、緊張する、な。
四人ほどが襷を受け取り、走りながら肩にかけ、徐々に設定しているペースへと上げていっている。
四区を走る田中先輩が見えた。
私は、両手で手を振りながら、自分の位置を伝える。横の走者たちも手を振ったり、ぴょんぴょん跳ねたりしている。それに負けじと先輩を待つ。
田中先輩は、襷を広げて取りやすいようにしながら近づく。
私は、その真ん中を掴み取り、受け取る。
「任せた、橘っ!!」
「任されました、先輩!!」
熱い言葉を受け取り、私は少しの距離まで襷を右手で持ちながら走り、徐々に肩へとかける。そして、襷のお尻を引っ張って、襷が垂れないようにする。
そっからは、私のターン。
目の前にいるライバル達のペース配分が一キロを何分で走るかを計算し、ゴールまでに抜く見積もりをする。
一.二位の人らとは、一分ほどのタイムロス。
まぁ、結構デカいのだけど。
私なら、イケる。
その際に、明智先輩からの応援を期待したが、まぁ、走り始めて応援するのも変な話。私は、くふふと心の底で笑いながら、走る。
この一本道を駆け抜けると先程まで、鼻が詰まっていたのか、ハナミズキの春が終わる匂いが一気に感じる。
ふわふわした甘酸っぱい匂いだが、どこか落ち着いていて、今の私には不釣り合いかも。
だったら、その匂いをかき消してしまおう。
私の匂いで。
身長が小さい私は、足を人の何倍も回転させる。ピッチを上げるのだ。
姿勢は、斜め前にして体全体で走るイメージ。
とはいえ、状態を寝かすのではなく、立たせるのだが、まぁ、これが難しいけど。
腕も足も前へ前へと伸ばす。
足裏では、踵から地面へついて、爪先で大地を蹴りあげる。
「まじかよ、はぇぇぇ」はやいでしょ。
「綺麗すぎる」うん、ありがと。
「ーーーー、美しい」走る女子ってそう見えるよね。
「これ、一位あるんじゃね?」うん、それしか見えてない。
「がんばれぇぇ!!」さんきゅ。
色々に混じりあって聞こえた声が私に染められた。
こっから、六人抜きするから、みんな、競技場で待っててね。
二、三キロ超えた辺りから、私は、耳をシャットダウンにして走ることにだけに集中する。すでに、三人追い抜いた訳だけど、前にいる三人が思ったよりも団子でかなりのハイペース。
流石、高校。
中学レベルとは訳が違う訳だ。
それに、私が追い上げたように、後ろから選手が追い上げてくる事も考慮しないと。目算では前の団子との距離は五百メートル。一キロ毎に二百メートルの差を縮ませるのは、むずいのだろう。
だが、さっきの二、三キロでそれができてしまった。
不可能とは、言えない。
後ろには、さっき抜いた子が踏ん張りよくついてくる。
私の後ろにピッタリと。
そうだよね、負けたくないよね。
車道を走るルールとして左側を走ることになっている。
だから、みんなギリギリ端を狙って走るんだけど、追い越す側はその分余計に遠回りしないといけない。
今は、きっとその隙間を探っているのだと思う。
時々、嫌な人は、抜かれそうになると右へ揺れて妨害をしてくる。
だけど、それは負け犬の足掻き。
本物の人は、そんな事はしない。
本気の人への侮辱行為だからだ。
「はぁはぁぁぁははぁ」
後ろの人の呼吸音が乱れている。おそらく、無理して私のペースに合わせようとしているのだろう。ペース配分を狂わせられる事は長距離をしていればよくある。それが功を奏すれば実力以上の成績を出すことも偶にある。
だけど、ここは公式の大会。
いっときの闘争心が思わぬ事態を招くこともある。
例えば、そもそも六キロ走る体力作りが不十分なままの人とか。
そんな人だったら、最悪、途中で力尽きることもある。
だからこそ、日頃から体力作りをメインでやる必要がある。
私の場合、九キロまでだったら、今のペースでも全然走れる。
その手札を隠しながら私たちは、抜く機会を探るのだけど、今の彼女には抜くというよりも私についていこうという意思が強いように思う。
どこまで付いてくるか、私は心の中で楽しみながら走った。
四キロの立て札を見て、後二キロか、と思う。
私は、先頭集団の団子との距離は、百メートルも無かった。
後もう少し、と疲れた体にご褒美の言葉をあげる。
ただ、後ろにはさっきの子が付いてくる。
マジ、か。
私のペースは、この先頭集団の一.八倍ぐらいあった筈なのに付いてくる。
正直、この子、頭ひとつ抜けているな。
もしかすれば……。
私は、ギアを上げて自分の疲れて疲れて大変な体に鞭を打って、身体を動かす。
疲れた顔をみんなへ見せながら、応援される。
やっぱ、変な競技だと思う。
こんなに疲れて、ただただ走っているだけなのに、知らない私を知らない人が応援してくれる。
華のJKなのに、こんな疲れて、声をだらしなくあげて、喘ぎながら走ってダサいのに、汚い顔なのに。
綺麗で波風も立たなくてメイクでばっちりのキッチリした顔で見られたいのに。
もうそんなの構ってられないほどに、全力で走っている。
なぜ、みんな応援するのだろう。
私が疲れた顔をしているから?
私が走っているから?
私が追い抜きそうだから?
私が目立っているから?
なんでも、いい。
私は、先輩達の為に走るんだ。
残り、二キロ。
私は、襷を握る。
少し捲ると、先輩達の名前が見えた。
この人達の一.二年を私は受け継いだ。
負けるわけには、いかない。
自転車のグリップにあるギアを三段回あげるみたいに、グリグリと私の心臓を回した。血液を今までよりも早く循環させて、酸素を取り込む。
ラストスパートだ。
全神経を総動員させ、私の百パーセントを残りの距離に捧げる。
今まで見ていた景色の進み方が、明らかに変わった。
それはまるで、新幹線が助走をして平常運転まで引き上げるように。
私の体が後ろへ引っ張られないように、歯を食いしばって、前へと踏み出す。
悲鳴をあげている体が疲れたと言っても、知ったもんか。
今は、私に力を貸して。
陸上競技場が見えてきた、車道に、馬車が走るような音が鳴り響く。
その
もう直ぐ、貴方たちも団子を解いて、本気出すんでしょ?
逃がさないですよ。
先頭集団を追い抜いた私は、さらにペースを上げた。
立ち見で観る人達もぽか〜んとした様子だ。
明らかに突出したスピードに何も言えないのだろう。
この子を応援するべきだろうか?
後ろの子達を応援した方がいいのでは?
と言った判官贔屓があるのだと思う。
いつもそう。
圧倒的な差を見せつけると、誰も応援をやめてしまう。
どこかしら、接戦であって欲しいのだろう。
そんな熱いスポーツ漫画を見たいのだろう。
だけど、私には関係ない。
この襷は、絶対につなぐ。
白けた雰囲気になっても構うもんか。
誰からの応援もなくなった中を一人で突っ走る。
歩道を一緒に全力で走り負けた幼い子は、『はぇ〜〜』と言う。
どこか、私を全方向から囲んで異端児に茫然としているのが伝わってくる。
ラストは、陸上競技場へと戻り、トラック四百メートルを走って終わりだ。
疲労困憊の体に最後まで鞭を打つ。
陸上競技場の中からトラックまでの間多くの人が囲んで、一番乗りで帰ってきた私を誰もが声を出さずに見つめる。
私は、その空間が少し嫌いで、逃げるように走った。
そして、そのトラックまで辿り着く時に、大きな声が飛んできた。
「橘ぁぁぁーーーー!! あとすこしぃ!! がんばれぇぇ!!!!」
いつもクールぶっている先輩からの、熱が篭った咆哮だった。
私は、その時ばかり、目で追った。
そこにいた明智先輩は、口の周りをメガホンをしているかのように手で覆っている姿だった。
目が合うと、嬉しそうに、右手を突き上げて『突っきれぇぇ!!!!』と子供っぽく叫び始めた。
その初めての姿に、私の心は潤んだ。
私は、その突き上げた右手に応じるように、右手を突き上げた。
くふふ……くふふ、くっふふふふ。
ほんと、なんですか。
子供ですね。
嬉しくなんてないですよ?
先輩の顔がさっきから頭をチラついていたとか、無いですからね?
ただ、先輩のお陰で辛かった六キロがチャラになりました。
なんですか、その笑顔。
そんな笑顔できたんですね。
応援するの上手いんですね。
きっと、他の人にもこんな応援をしてきたんでしょうね。
チアリーダーに向いてますよ、先輩は。
私は、意地という意地で、トラックを駆け巡る。
観客席に座ったり、立ったりする人や顧問達など、多くの人が私だけを観る。
こんな機会、この時しかないだろう。
この空間を私だけが独り占めしている。
ここにいる誰もが、
私があの時、憧れの人の走りがすごくて、この陸上競技場まで向かって最後トラックを走るのを棒立ちして見ていたように。
私が誰かが紡ぐ物語の襷を繋げればいい、そう思った。
だから、私はこの小さな体の全力をかける。
もうそんな事しなくても、一位だけど。
誰かに襷を渡せるのなら、安いものだ。
全力で走る。
駆け抜ける。
私がペースをまだ上げたので、観客席から、凄まじい歓声が響き渡った。
その今まで感じたことの無い、声援と祝福を一身に受けて私は、加速する。
やっと、終わりだ。
観客席の隣にある木の方へふと目を遣る。
その刹那、私の瞳に、あの人が潜り込んだ。
どくんどくん。
ドクンドクンドクンドクン。
熱かった熱と血液が、非道く寒く冷たいものへと変わっていく。
それは、例えるなら高熱なのに肌寒いと感じるような感覚だった。
滑らかに回っていた足がぎこちなくなり、足が止まる。
観客席が
だけど、私は、あの人を見つめた。
なんで。
なんで、ここにいるんですか。
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