第8話 安い犠牲。

 キャラを演じながら、その日を終え、暁さんと二階堂とは校門前で別れ、一人で帰るつもりだったが……何故か付いてくる。


 横にひっついてくる訳でもなく、二メートル程後ろを歩く。昔の夫を立てる奥さんみたいな位置で良い女感を出してくるのがムカつく。


 すっかり話し込んでおり、夕焼けからマジックアワーへと変わる中を帰宅していた。

 目の前にはカップルが戯れつきながら目を見つめ合って話している。よく、あんな距離感で喋れるよな。あれじゃ、一日かいた汗が臭うだろ、馬鹿か。


『そのために、一歩後ろで歩く、私って、君の理想像だろ? へへぇへへっ、君の汗が後ろにいるから匂うぞい? こちとら匂いフェチなんじゃい舐めんなぁ!』


 足の動きが鈍るも一切後ろを振り向くことはせず、思考を整理する。


 今回で、オレは彼らにとって少し異彩を放つキャラを固定化させることに成功。また、彼らのホームである文芸部に入った事で物語に介入するベスポジを確立。


 さらには、主人公とヒロインのライバル的な関係も作り上げることもできたのは我ながら良い働きをしたと思う。


 今日は、ご褒美に温めておいたバニラパフェアイスをお風呂上りにでも食べようか。


 まぁ、神様をメインキャラにさせることなくオレを目立たせるのも上手く良いったか。


 そう考えると、やはり今日は頑張った。

 もっとも、今後のことを考えると気が減るため、考えないようにしているのだけど。


 暫くの間、逡巡しているもまだ後ろから足音が一人分聞こえてくる。てか、時々オレに向けて小石を蹴ってくるんだけど。脹ら脛に当たっているんだけど。


「神様、いつまで付いてくるんだよ! てか、いてぇんだよ」

「君の家に行くんだよ」

「はっ?」間の抜けた声で飛び立ったカラスが『カー』と呼応した。




 帰ってすぐにでも温かい湯船に浸かり、骨休めしたい気分だった。


 しかし、現実は上手くいかない。風呂に入る事は、現代において最低限度の生活として保障されている筈なのだが……オレは今、学生服のまま夕食を食べる羽目になっていた。


 しかも、何故か横に神様が何事も無かったように、魚の骨をチビチビと取り除いている。取らなくてもいいだろってぐらいの小さな骨も。


 この人、ガサツなのか几帳面なのかどっちなのだろう……。


絢香あやかちゃんがコッチへ引っ越して来て、良かったわね、圭吾」母さんは、玄関で驚くなり、丁重に神様を招き入れた。


 焼き魚とご飯・味噌汁、サラダという質素な料理が完成していたためすぐに食べる流れとなったのだ。まぁ、この時間だと母さんと二人でいつも食べるのだけど、母さんが自分のを神様に与えていた。


「ぁぁうん……でも、神さん帰らないんだよ」こんな時でさえ、魚の身をご飯へ乗せるなりガッついていた。


「うままぁ〜〜マヨネーズの味する〜〜〜」うちの魚は、マヨ味噌の味付けなのだが、調味料大好きっ子はあれだけ慎重に骨を抜いたくせに調味料の味しか言わない。失礼な奴め。


「いいじゃない。ご飯くらい」神様が子供のように食べる姿を見ながらうっとりしている。


「いやいや……おい、神さん。食べ終わったら帰れよ」

「こらっ、圭吾。帰れって失礼よ!」


 母さん……、こいつは帰る場所が無くても生きてけるんだよ。

 友達を大切にしなさい、という明智家の教訓に反した物言いをする息子を叱ってくる。


 それに少し反省し……たフリをする為、軽く何度か頷き『ごめん』と謝る。

 軽く息を漏らし、両眉毛に親指と人差し指を当てて顔を隠し、横目で睨む。


『帰れって言われたら、凹んじゃうなぁ〜〜。ううぅ』そうオレにだけ伝えてきながら、意味深に目の縁を人差し指で拭う。


 おのれ、小癪なマネをっ。


「すみません。私の両親が外国に海外赴任してまして、ホテル暮らしする事になっていたので」箸を休め、テキトウな作り話を弱々しい声でっち上げてくる、ずる賢い作者。


「そっ、そうなの?」慌てた様子でハラハラしながら落ち着きがなくなる母に胸が苦しくなる。コイツ、うちの母さんがオレと同じ年代の子に弱いの知って情に訴えかけてきやがった。


 ほんと、許せん。


「いえ、一人は慣れてますから」首を微かに振りながら俯く姿に母さんは次第に憂えた表情に変わっていく。どうやら、オレが昔仲良くなった友達だから他人事だと思えなくなっているのだろう。


 おそらく、オレと神絢香かなえあやかが出会った花火作りの一件も母さんの記憶を改竄して実際にあった話にしているのだ。


「……もし、良かったら、ご両親が帰ってくる間、ウチに住んでもいいわよ?」

「はっ? はいっ⁈」

「えっ、ほっほんとですかっ?」

 パッと明るい雰囲気と声に様変わりする神様は、母さんの両手を包み込む。その圧倒的に母性本能を擽る目の訴えかけと動作に母さんは、堕ちる。


 彼女の作為的な演出によって。


 自分が母さんの手を反射的に握ったのに気づき恥ずかしそうなフリをして、目線を揺らしながら手を離す。


 着々と進められる計画を阻止するため、言葉を挟ませる。


「父さんが『仕方ない』って首を縦に振ればだけどな」片目で母さんを見ると、スマホを操作していた。


「………今、メッセージ送ったら、『良いよ』ってきたわよ? ほらっ」母さんがスマホのLONEを見せてくる。


 そのメッセージは確かに父さんからなのだが、幾ら何でも早すぎる。父さん、母さんのLONEいつも見てんのかな。なんか、新婚夫婦みたいな会話も少し見えたし……うっわ、はずっ。見たく無かったぁ〜。


 てか、何母さんからの鶴の一声で応じてんだよ父さん。男魂見せろよっ。


『どうやら、明智家は、亭主関白には慣れないDNAがあるようだね。へへぇへへっ』


 うっせぇ。


 と、オレたちが見つめ合いながら、帰れっ、帰らない、を頭の中で言い合っていると、母さんが神様の椅子の背後に立つと、神様を包み込む。


「へっ?」素っ頓狂な声を神様が漏らした。


「大丈夫、大丈夫」と母さんが静かに呟く。

 神様は目を丸くして、若干唇を噛む。


 そして、泣く直前のように息が荒れ、目が細くなる。

 過呼吸になったように少し体が揺れる。

 堪えきれないようになって瞑目する。


「はぁっ…はっ…ふっ…ふっっ」


 なんだよ、その辛そうな顔は。やめてくれよ。

 強がりで意地っ張りなあんたでいてくれよ。


 同情なんて誘って来んなよ。苦しそうに嗚咽混じらせるなよ。


 神様の目元から雫が溢れ、すっーーと落ちる。

 小さな粒は、後から込み上げてくる粒に押される形で頬を伝って落ちていく。


 その姿にオレは神様から目を背ける。

 だけど、耳には啜り泣く声が残る。

 あれだけ耳障りだった笑いが泣き声に変わっていた。


 その溢れ出した声にオレは耐えきれず目を閉じる。

 眠れない夜のように強く目を瞑る。


「いればいいから」


 それだけを告げて、啜り泣く声が止むのを待った。

 伸ばした手が箸へ触れるも持てずにいたから。





 怒涛の一日を終えて、自分の汚れを落とし長々と風呂に浸かる。脱衣所に出ては、髪の毛を乾かす。

 そして、母さんから『スキンケアしなさい』と散々言われている為、化粧水とクリームを顔へつける。まぁ、本来は、髪を乾かす前の方が良いんだろうけど、濡れた髪のままだと気持ち悪いので後にしている。


 ハミガキに手が伸びるもバニラパフェアイスを食べる最高のご褒美を思い出し、リビングへ入る。


 ボヤけた視界ではソファーに神様が座っており、右手から出た銀色に光る棒を口まで動かしている。何やら、左手にはパフェ状の容器が見える気もする。


 うん。今は、メガネをかけてないからボヤけていて、しっかりと見えてないからそう見えるんだよね。


 オレは、風呂へ入る前テーブルの上に置いたメガネを取り、かける。


 レンズが現実をくっきりと映し出した。


 うん、やっぱ合ってた。

 食べてた。


 オレは、一縷の期待を胸に冷凍庫まで足を伸ばす。ガシャっと引き出しを開け牛肉や冷凍食品を掻き出して、奥の奥に大事に保管したパフェアイスを探す。ただ、あるのは埋まって忘れられた安っぽいスティックアイスのみ。


 オレは、バンと冷凍庫を閉め、パッと明るい表情をしながら神様へ近づく。


「なぁ、神様」

「うん? あぁ〜〜今、クリーム地帯を食べてるから、喋りかけないで」もぐもぐう〜ん〜、っと語尾を上げながら美味しそうで満面の笑みだ。

 さぞ、美味しい事だろう。


「ははっ、美味しそうな、アイスだな」

「うん、うまうまだよ〜〜、ほっぺが蕩けるよ〜」


「良いよな、疲れた後のアイスは」

「そうそう、疲れた身体には冷えたアイスが歯茎に染みるよねぇ〜」


 やっべ、今、オレの頭に任侠映画が流れてきたぞ。血がどっぱどっぱでるヤツ。

 中学男子の頃のオレでもそんな反社会的な感情になった事ないのにそう思ってしまった。


 オレは、自然に握り拳を作っていたのに気づき、その拳をゆっくりと解いた。


「荷物、こっちに運んでこいよ、明日」ホテルに私服やその他諸々を置いてきたと言うから。どこまで、信用すればいいのか……と言うよりも、神様にしちゃ思いの儘なんだろうけど。


「ほいほーい」

「じゃあ、オレ寝るから」

「おやすー」

「あぁ……おやすみ」もうなんか炭酸が抜けた炭酸飲料みたいにシナっとなってオレは上へ上がって残っている勉強を済ませる事にした。



 二階へ上がると母さんがオレの部屋と両親の寝室の間の奥にある部屋を掃除していた。神様が住む事になる部屋だ。埃っぽいからって今、母さんが念入りに綺麗にしている。


 机とベッドは、母方の祖父母から貰ったものを置いといていた為、それを使う事に。ベッドの方は、洗濯しなければいけない為、敷布団派の父さんの予備敷布団を使う事になった。まぁ、加齢臭がするからって理由で反対側にして予備のシーツもかけた。


「母さん、何か手伝うか?」


「そうねぇ〜土日に絢香ちゃんの生活用具一式買ってきてもらおうかしら」八畳ほどの誰も使っていない部屋にいた母さんはそう表情を緩めて言ってくる。


 優しい心を持った母さんがオレは好きだった。

 こんなにも優しい心を持った人、他にいるのか? って思うぐらい。

 それを他人から見ればマザコンだと思うかもだが、純粋な経験則としてそう思っている。


「……高くつくぞ? 一式なんて買うと」


「ふっ、そうね。でも、圭吾がそれで楽しいって思えるなら、安いわよ」

 穏やかにそう告げる母さんは何も裏がない。本当に心からそう思っている。


 金持ちの道楽。ウチには金があるからそうできるだけの事。海外赴任して娘を日本に残すくらいだから、資産家の娘。ホテル暮らしのカモ。

 ここまで尽くすのだから、終わればしっかり払えよ。


 みたいな、薄汚い思考を単純にしてしまうのは、いつだってオレの心の中だけ。


 だから、と思う。


 この人だけには、辛い顔は見せたくない。

 オレの人生が順調に行く所を見せたい。

 中学の頃のように深刻な顔を見せたくない。

 必ず、親孝行して笑顔に包まれた母さんを見たい。


「そうだね、安いね」


 オレの今を犠牲にしても。それを叶える為なら。

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