第23話 クローエンの記憶
神族の王の加護は本物だった。
あたしと風雅は、まるで透明になったように混戦状況にある空の中を飛んだ。
敵も味方も、横スレスレをすり抜けても誰一人あたしたちを気にしない。途中、何体かのゴブリンにもぶつかったが、ゴブリンは不思議そうにあたりを見回すばかりだった。
右や左、上に下。どこを向いても人と魔物がぶつかり合い、血を流している。
街にも魔物が侵入していた。
戦士や魔道士が迎え討つ姿も見られたが、一般市民への被害は免れていない。逃げ遅れた人々が、オークやウルク、魔獣の犠牲になっている。教会の向こうでは、トロールも数体暴れていた。
その混乱を極めた街の中に、致命傷を負った飛行獣や騎士、魔物が落下してゆく。
今までの私なら、そんな光景を前にしても顔をしかめる程度だったはずだ。けれど今は、涙が出た。
多分、クローエンから渡された記憶が影響しているのだろう。
記憶と共に少なからずの感情も、あたしは受け取っていた。
クローエンの記憶は、カテゴリー別に再生されているようだった。
青空をバックに、金平糖をバリバリと食べるあたしの姿が見えた。クローエンの心は弾んでいた。
あたしが城に来た翌日、エイドリアスと隊長二人とで示し合わせ、偽の軍議を行った。あまりにも世間知らずなあたしに警告を与えるために。あたしがこっそり『遠見』で覗いていると見越しての策戦だった。エイドリアスがあたしの魔気を感じ取っており、軍議を終えると、四人で策戦成功を祝った。
あたしの掌が、クローエンの左手に張り付いた。街中からの不躾な視線に耐えながら夜辻堂まで走った。恥ずかしかった。
あたしと連れ立って、魔界へとんだ。ラグラスの命の欠片を宿したオークを、一突きで葬った。己の心は殺していた。
あたしと初めて出会った日。クローエンは、あたしの占いの精度の高さに驚いており、同時にあたしの減らず口を楽しんでいた。
エイドリアスが魔王の首を取った瞬間。ラグラスの胸からまばゆい光が飛散し、一つがエイドリアスの傍に居たクローエンの心臓に突き刺さった。クローエンも、命の欠片の持ち主だった。エイドリアスから、ラグラスの命の欠片を持つ者を排除せよと命令を受けた時、クローエンは、最後は自分で自分の命に決着をつける事を決めた。
リュークや隊長二人との合同訓練。一千歳を越えるクローエンは、三人を弟のように思っていた。
クローエンが話していた王子の映像が見えた。十歳くらいの、銀色の髪を持った快活な笑顔の少年。クローエンを『
王子は権力闘争に巻き込まれた挙句、命を狙われ、エル・アケルティから逃がそうとクローエンが船を出した。しかし、門を出た直後、追手に襲われ船が壊された。クローエンは、後一歩のところでランスロットに手が届かなかった。神族の王子――ランスロットは、クローエンの名を叫びながら海中に落ちた。そして間もなく、クローエンも海に沈んだ。奇跡的に王都の海岸に流れ着いたクローエンは、エイドリアスに拾われた。ある程度体と心が回復するまで、半年を要した。やがて、戦闘力を買われて騎士にならないかと誘いを受けたクローエンは、竜騎士の資格を得るために飛竜の谷に赴き、死に物狂いで風雅を
クローエンは、地上界で生きる事を決めた。しかし毎晩のように、海に落ちたランスロットが夢に出て、うなされる日々は変わらなかった。
目の前の悲惨な光景と、クローエンの痛々しい記憶と感情に触れたあたしは、絶望的な気持ちで空を飛び続けた。
しかも記憶の中のランスロットには、あたしも見覚えがあった。
あたしが暮らしていた牢の隣の部屋に、三つの頭を持つ魔獣と融合させられた銀髪の少年がいた。魔王がその少年を拾い、試験的に魔獣とかけ合わせたのだと三女のマルルーが言っていた。まだ癒合途中で不安定だが、癒合に成功したら強力な戦力になるだろう、と。
魔王や姉達はその少年を、『ラン』と呼んでいたが。
ラグラスが死んだ時、ランはまだ檻の中で眠っていた。
それがもし、目覚めてここに来ているとしたら――
不安が的中する。
山際に、大きな銀色の獣の姿を見つけた。犬のような頭が三つ。翼は無く、魔気を使って空を飛んでいる。大蜂の飛蟲を頭から食いちぎり、その巨大な前足で、騎士を地面にたたき落とした。
その獣を視界に入れただけで、震えあがるほどのエネルギーを感じる。
ランは群がってくる騎士達を蹴散らしながら、空を大きく跳躍した。あたしと風雅を横ぎり、城へ向かって一直線に走ってゆく。
間違いなく、ランは城を襲う気だった。あんな獣に襲われたら、城も終わりだと、あたしは震撼した。
クローエンはまだ飛び立っていないかもしれない。だとすると、ランを迎え撃つに決まっている。
クローエンはランの正体に気付くだろうか。今は獣の姿をしているが、もしランが人の姿に戻ったら――。
先程、頭を食いちぎられた大蜂の姿に、クローエンの最後が重なる。
「いや!」
気づくと、叫んでいた。
あたしは、風雅を方向転換させるため、手綱を力任せに引っぱった。けれど、風雅の首は前を向いたまま、びくともしない。
――このバカ竜め、この期に及んでまだ反抗する気か!
「戻って風雅! 早く!」
首筋を叩いて暴れるあたしに、やっと風雅が一瞥をよこす。
『クローエンと約束している。一度神語で命じられたら、そこから先は神語以外の命令は聞かん、とな』
なんじゃそりゃー!
「やっかましい!」
あたしは怒りに任せて、短剣で風雅の頭をぶん殴った。
「約束なんか知ったこっちゃないわよ! 言葉が通じるんなら言う事ききなさい! じゃなきゃこの剣で脳天ぶっさすわよ!」
『本当に無茶苦茶だなお前は!』
短剣の一撃が効いたのだろう。風雅は涙声になっていた。
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