第5話 鬼、獣人、悪魔

7時に目覚まし時計が鳴り強制的に起こされた私は、時間にゆとりを持って朝の身支度を整える。

家を出る際、ママのロケットペンダントも一緒に持っていこうとしたがやめる。

それは昨日の事件があったからだ。

今日もまた何をされるか分からない。

昨日の二の舞を演じぬよう、家に置いておくのが賢明な判断だと思った。

「行ってきます。ママ」

玄関手前の物置にふたりの写真が写ったロケットペンダントにあいさつをして家を出る。

外は適度に雲が広がった心地よい太陽の日差しが迎えてくれた。

今日で勇者育成機関二日目の登校となる。

昨日は初日ながらも厄日に近い出来事ばかりだったが、気持ちを切り替えて前向きな姿勢でいることにした。

歩いて数十分後。

目的地の勇者育成機関に到着。

しかし正門前には十数名の生徒と門番らしき人が対峙するように何やら揉めていた。

「だから俺たちは昨日合格したって言ってるだろ!? いい加減そこ通してくれよ!」

「そうよ! このままじゃ遅刻になっちゃう!」

「ダメだダメだ。ここを通っていいのはライセンスカードを提示してもらわないと。それに君たちが昨日の合格者なら制服を着て登校してもらわないと」

「だから俺たち本当にもらってないんだって! 信じてくれよ!」

「ダメなものはダメだ。これは機関のルールだからな。もしここを強行突破するようなら不法侵入とみなし、警察に連行させてもらうからくれぐれも気をつけるように」

「だーっ! マジで通してくれねぇのかよ! もうどうすんだよこれ!」

「すみません。そこを通してくれませんか?」

「お、お前は!」

「……君は?」

「アリス・マーガレット。昨日の入学試験を合格したものです」

「アリス・マーガレット……。なるほど、君があの伝説の勇者の」

「今日はこの機関に登校するよう担任の傾木先生からもお伝えされております。ですからここを通してくれませんか?」

「ダメだ。いくら傾木先生がそう言っていたとしても私たちからすれば関係ないことだ。どうしてもというなら傾木先生をここに連れてくるんだな」

「っ。ならあなた方が直接確認してくだされば済む話じゃないですか!?」

「確かにそうだ。実際私たちもいざというときのためにこうして連絡用のスマホを支給されている」

門番の人たちがポケットからスマホを見せつける。

「ならそれで確認すればいいじゃないですか!」

「確かにこれで教官室に確認を取ればすぐに済む話だ。でもあえてそれをしない理由はなんだと思う?」

「……理由?」

「些細なことだ。仮にここで私たちがスマホを使って教官室に確認を入れるとしよう。するとどうだ? 私たちは当然連絡に意識が持っていかれるため隙が生じてしまう。もしそこの隙を突かれたらそれこそ強行突破されたり、最悪死に至ることだってある」

「それはちょっと、考えすぎなのでは?」

「門番というのはそれぐらい考え過ぎるぐらいじゃないと務まらないのさ。この世界は無数の能力者で溢れている。どんな能力を使ってくるのかも分からない。もしかしたらこのなかに生徒に変装してさりげなく中へ侵入しようと企んでいるものもいるかもしれない」

あらゆるリスクを想定し、それに備えるために厳しく取り締まる。

それは運営側との契約でもあり、そして自分たちの責任の強さから全うしているだけのこと。

例えここにアリアが現れても本人であることを証明しない限り通すことは絶対にしない確固たる強い信念がそこにはあった。

「もしここで君たちを信用して通し、それが原因でこの機関に問題が生じた場合は私たち門番の責任になる。君たちに意地悪をしているわけではないことは重々ご理解頂きたい」

「そんな……」

「おーいお前ら、そんなところで突っ立って何してやがる?」

背後から聞こえてきた気の緩んだ声。

昨日と変わらず、そこには相変わらずだるそうにしている私たちの担任の姿が。

「傾木先生!」

「お疲れ様です、傾木先生。今日は随分と遅めの通勤ですね。あと少しで遅刻になるところですよ?」

「わーってるよ。ちょっと徹夜してて寝坊しちまったんだ。ったく……やっぱ慣れねぇことはするもんじゃねーな」

確かによく見れば目元にうっすらとクマができている。

普段から眠たそうな感じもあったが、少なくとも昨日はクマなどなかった。

「で? お前たちはそこで何してんの? ひょっとしてサインでも貰ってた? なんなら先生が代わりに書いてやるぞ?」

「いりません」

「アリス……お前が言うとガチに聞こえるから言わないで? 冗談だから冗談」

冗談が通じない相手だとは思っていたが、いざこうしてハッキリ言われると傷ついてしまうのが男というもの。

ましてや若い女性なら尚更に。

「でも丁度良かったです。傾木先生からも言ってやってください。制服とライセンスカードは貰っていないということを」

「あ」

「ふぇ?」

アリスのセリフを聞いて何かを思い出したようにポカーンと口を開く傾木。

「……やっべ。そういやぁ忘れてた。昨日制服とライセンスカードを配るんだった」

「「「えええええええっ!?」」」

「……つまり先生の配り忘れということですか」

「いや〜わりぃわりぃ。初めての担任ということで緊張して忘れてたわ」

手を頭の後ろに当て悪びれることなくへらへらとした態度を見せる。

昨日の感じからして、緊張しているようには見えなかったが。

つまり緊張していたというのは許してもらうための便利な言葉を盾に、実際は普段のやる気のなさが災いとして起こったもの。

テキトーに生きている人は本番でもテキトーになる。

「とりあえず今日の朝渡すわ。なるほど。それでお前たちはここを通して貰えなかったというわけね。やっと理解したわ」

傾木は門番の肩にポンっと手を置く。

「安心してくれ。こいつらは俺の生徒だ。通してやってくれ。ほい、ライセンスカード」

傾木はズボンのポケットから自身の顔写真が載せられたライセンスカードを提示。

それを確認した門番は傾木先生を通す。

「今回は特別に通してあげよう。次回からは制服の着用とライセンスカードを忘れないようにね」

まるで自分たちが責められているようなセリフ。

だが門番はここを通るためのルールを改めて伝えるためにそう告げたのだろう。

全ての元凶は自分たちの前を歩いているあの先生だ。



     ★



時計の針が8時45分を指したころ。

傾木先生は教室に姿を現す。

昨日の手ぶらに近い光景とは真逆の姿。

大きめの段ボールを一箱と、その上に小さめの段ボール箱を乗せ、抱え込んだ状態で運んできている。

ぜぇぜぇと重たそうに運んできた傾木先生の顔は真っ赤だ。

数秒間息を整えたあと、先生は話し出す。

「よーし、今からお待ちかねの制服とライセンスカードを配ろうと思う。そっちの奥の列から順番に取りに来い」

傾木先生は私たちの座っている列の方を指差す。

「ちょっと待ってください」

「ん? なんだ、アリス」

「制服って、私たちまだサイズ測ってないと思うのですが……」

「安心しろ。サイズはすでに測ってある」

「え!?」

「お前たち、試験のとき天井にカメラが取り付けられているのを覚えているか?」

気づいているのが8割。残りの2割は気づいていないような反応を見せる。

「あれは合否の判断をするためだけに撮影しているものじゃねぇ。カメラの映像からAIがお前たちの身長、肩幅、腹囲などを計測してサイズを測っている役割もあるんだ。だから実際にサイズを測らなくとも大体ピッタリなサイズに仕上がるというわけ」

これまでサイズ変更を申し出たものも一人といないらしい。

それだけでAIの精密さの素晴らしさがうかがえる。

「万が一サイズが合わないものがいれば申し出てくれ。そのときは新しいのを用意するからよ。胸が成長して途中からサイズが合わなくなってきたという申し出もOKだ」

さりげないセクハラ発言に女子たちは全員引く。

もしかしてカップ数も測定されているんじゃないかと勘が鋭い女子もちらほらいたが、そこは知らない方が幸せという名の現実逃避で指摘することをやめる。

「先生、まさかと思いますが……女子のカップ数まで測定されているなんてことはないですよね?」

言いたくても言わないでいた発言をするのはアリス。

まるで女子の代表として迫るその質問には確かな威嚇が滲み出ていた。

目元の影も濃くなっており、回答によってはすぐに殺しにかかりそうだ。

「んなわけねーだろ? そんな細かい部分までは設定されていねぇよ。もしそんなとこまで測定できたらここで働いている男子職員はとっくに刑事告発されているよ。そんなに不安なら今すぐここに警察を呼んで調査してもらってもいい」

創立してから15年の歴史を持つ勇者育成機関。

これまで事件という名の事件を起こしたことは一度もなく、今日まで常々国や社会のルールに従い運営してきた。

その功績もあってか勇者育成機関は世間からの評判も一段と高く、命を賭けて人々を守るその過酷な職業にむしろ感謝や尊敬をされるほど。

傾木先生の発言は悪事を働かせていない何よりの証拠だった。

「分かりました。ですが先ほどの発言はセクハラ行為にあたりますので肝に銘じてくださいね。三度目はありませんよ」

仏の顔も三度まで。

一度は昨日全員の前で勝手にトイレの案内をさせ恥をかかせたこと。

二度はさっきのバストの件で羞恥心を刺激したこと。

もし三度目の発言をするようであればアリスはこの男に制裁、もしくは他の職員に辞任の要請をするつもりだ。

先生の立場からすればテキトーに授業をして退勤すればそれだけで給料が入るからさぞ嬉しいことだろう。

他の人はどう感じているか知らないが、少なくともアリスは真剣に望んでいる。

そんな気持ちを汲み取らず、遊び半分でやっているこの先生は癇に障る。

「アリス・マーガレット、だっけか? お前さ、もうちょっと気を緩く持った方がいいと思うぞ? そんな真面目学級員タイプだと社会に出たとき真っ先に潰されやすいからな」

特にブラック企業の場合は安くコキを使われやすいと付け加える。

「先生が真面目にやらないからこうして言っているわけじゃないですか! 昨日の説明も端折り過ぎていまいち分かりづらかったし、今日だってそうです! 制服とライセンスカードのような大事なものを普通忘れますか!?」

「だから悪いって言っているだろ? このように頭を下げるから許してくれや」

そう言いながらも一ミリも頭を下げる気がない傾木。

そういった不誠実な態度も癇に障る。

「やっぱり、我慢なりません……! 先生は即刻担任から降ろされるべきです!」

「降ろしてもらえるならそうしてもらいてーよ。でも仕方ねぇだろ? くじ引きで決まっちゃったんだから」

「そもそも! 担任という重要なポジションをくじ引きで決めること自体間違っていると思います! そんなテキトーで本当にみんなのお手本として務まるんですか!?」

「知らねーよ。担任をやるの初めてと言ったろ。俺は俺なりに精一杯務めさせてもらう気持ちぐらい多少はある」

「多少って……」

「もうそのへんにしておきなよアリスさん」

「え?」

「先生だって謝っているんだしさー」

「そうだよ。誰にだってミスはあるんだし」

「ちょっと先生かわいそう〜。このぐらい緩い方が過ごしやすくていいじゃん。変に真面目すぎると息苦しそうでそっちの方が嫌だわ」

まるで傾木先生を擁護するように口を開いたのは仲良さそうな女子3人組。

全員の共通点としてウェーブしたつけまつげに真っ赤な口紅と化粧が濃く、机の上には化粧用の道具が散らばっていた。

授業は始まっていないとはいえ、担任が現れても全く片付ける様子がない3人組は自由奔放な性格の印象。

それにここは学びに来るところであって、化粧などは家で済ませてくるのがマナーだろう。

普段の生活がだらしないことを見せびらかしているのと変わらないその愚行に、アリスは理解に苦しむ。

傾木を擁護するのも同じ類だからだろう。

類は友を呼ぶというのもそういうことだ。

「アリスさんはさー、ミスとか一度もしたことないの?」

「それはミスぐらいあるわよ」

「だったら許してあげればいいじゃん。それともなに? 伝説の勇者の娘だからって偉そうに文句を言っちゃってる感じ?」

「そんなわけないでしょ? 私はもっと真面目にやって欲しいだけ。私たちは勇者になって人々の命を守る立場にあるのよ!? こんなテキトーじゃあ守れるものも守れな」

「あーうざっ。そういうの」

「……え?」

「やっぱさ、アンタ調子に乗ってるでしょ?」

「はあ? なんでそうなるのよ!」

「あたし知っているのよ。アンタが周りから大いに期待されていることをね」

「えっ」

そのような事実を知らないアリスは虚を突かれる。

「それもこれも伝説の勇者の娘というだけでね。でもそれって親がすごいだけで娘はまた別の話じゃない? なのに勝手に期待している人たちも馬鹿よね」

「それな! よく親が有名人なだけで自分までも天狗になっているやついるけど自惚れんなって思うわ」

「そういうのナルシストって言うの? マジでただの勘違い野郎で受ける」

親がすごいから自分もすごい人間なんだと勝手に思い込む人は確かにいるのかもしれない。

私の身近にもそういう人はいた。

お父さんが国を動かせる権力者の職に就いていて、自分に歯向かえば倒産させてやると。

俺のバックには最強が潜んでいるんだぞと。

そう脅しをかけていた光景を目にしたことはある。

でも私はそんなことは一度もしたことないし、するつもりもない。

「言っておくけど私は天狗になっていないし、伝説の勇者の娘だからって偉そうにしているつもりもない。ただ一個人の意見として述べているだけ。それでも勝手にそう思い込みたければ止めはしないわ。ご自由にどうぞ」

「テメェ、やっぱ調子に乗ってんなぁッ! ああん!?」

椅子から勢いよく立ち上がり、暴力を仕掛ける彼女を他の二人が引き止める。

「やるつもり?」

「ああ上等だ! 表に出ろやテメェ。雑魚の癖にいきがりやがってッ」

「雑魚? この私が……?」

「そうだよ! どうせ親の肩書きだけで評価されてきた中身のねぇ薄っぺらいガキだろ? いい加減優等生ぶってねぇで仮面を外したらどうなんだ? ああん!? 本当はあたしらにビビって今すぐここから逃げ出してーんだろぉ? それともママに助けを呼ぶか?」

アリスの眉がピクッと動く。

「……これだから不真面目な人間は嫌なのよ」

「ああん? 今なんつった? ボソボソ喋って聞こえねぇよ。もっとハッキリと言えや」

「今すぐ病院送りにしてやるって言ったのよ。ついでに頭の検査もしてもらいなさい」

お互いに睨み合い、一触即発の空気が漂う。

「おいおめぇらやめろ。ここは教室だ。やるなら外でやれ外で」

こんなときでもテンションが変わらないのはさすがと言うべきか。

傾木は立場上注意を告げるが、白衣のポケットに両手を突っ込んだまま棒立ちして見ているだけ。

「【氷の剣】」

「ハッ! 本気でやる気かよ! なら負けて後悔するんだなッ!!」

引き止めていた二人の手を強引に振り払い、構える。



「やめろって言っているのが聞こえねぇのか?」



「「ッッ!?」」

頭の後ろから銃を突きつけられているかのような錯覚が。

その『死』を予感させる恐怖に、金縛りにあったかのように体が硬直する。

実際に銃を突きつけられているわけではない。それは自分と同じ目に遭っているであろう彼女の姿を見て確認できている。

けど何故か、動けない……っ!

体は真冬のような寒気を感じ、ガタガタと震え続け収まる気配がない。

「いい加減落ち着け二人とも。喧嘩をするなら外でしろって言ったろ。聞こえなかったのか?」

返事をしたいが、上手く声を発せない。

「ともかくだ。事の原因は全て俺にある。お前たちが争う理由はどこにもねぇ。これでおしまいだ。分かったな?」

「「……」」

渋々とした顔を浮かべ、納得半分、不満半分の様子。

まだ心に灯った怒りの炎が鎮火しきれていない。

二人は未だに睨み合ったまま。

「お前、松岡笑美里だな?」

傾木先生が聞く。

「……そうですけど」

「そんで後ろのお前たちが左から小林絵梨香、伊能優衣……で合っているよな?」

二人は一度目を合わせ頭の上にクエスチョンマークを浮かべ、うなずく。

「よしっ」

一人でガッポーズし出す傾木にはこの場にいる誰もが理解できない。

傾木はそんな周りの心配そうな視線を気にせず、今度はアリスの方へと顔を向ける。

「アリス」

「……なんでしょう?」

「悪かった」

傾木が初めて、頭を下げる。

顎をほんの少し引いただけの下げていないに等しい謝罪。それでも反省している意志はそこにはあるようで。

昨日の態度からは想像もつかないその姿に開いた口が塞がらない。

「お前たちに、いや、ここにいる全員に迷惑をかけてしまったな」

「先生……」

「それでよう、昨日の説明なんだけど……コレ作ってきたから今から全員に配りたいと思う」

各列の前の人に人数分のプリントを渡し、後ろに回していくよう指示。

今からそのプリントを使って話をする雰囲気が漂い、アリスも3人組も自ずと自分の席に着席する。

(そういえば、ゼロ来てないんだ)

隣の席が空席であることに気づく。

昨日は夕食のあと無理やり家から追い出したが、その後どこに行ったのかは知らない。

考えるだけで無駄だと思ったアリスは前からプリントを受け取って目を通す。

「これって……」

プリントは一人7枚あるらしく、そのうち5枚はこの勇者育成機関のマップ。

これがあれば何がどこにあるのかすぐに把握できる便利なものだった。

そして残りの2枚は『機関の目的』や『卒業条件』など、この勇者育成機関で生活していくうえでの概要や注意事項などが記載されていた。

「地図は今覚える必要はねぇから家でゆっくり見といてくれ。今から使うのは文章が書いてある2枚だ」

傾木先生もその2枚を手にしながら話し出す。

「先に弁明させてくれ。これは昨日説明をはしょり過ぎてしまった俺の勝手な自己満足だ。話すことの大半は昨日と変わらないのでそこだけ理解のほど頼むな。こんな二度手間にすぐらいなら最初からちゃんとやっとけよと内心ツッコミを入れたやつもいるかと思うが、本当にその通りだと思います。以後、マジで気をつけます」

ただでさえ面倒くさがりな傾木。二度手間になることは絶対に避けたい。

テキトーにやることのデメリットを今回の件で痛感したようで、昨日よりほんの少しだけやる気を感じられた。

「それでは早速話に移りたいと思うので、耳の穴をかっぽじって聞くように。あーちなみに、この場で一気に説明しても頭に入らないと思うから、ここでは最低限のことだけ説明するからそのつもりで」

それは傾木先生の配慮。

細かいことは必要になったら追々説明するとのことらしい。

それに対し誰も不満を持つことはない。

生徒全員が聞き逃しのないようにと片手にボールペンを持って真剣な表情で耳を傾ける。

傾木先生なりの誠意を見せてくれたためか、女子3人組も大人しくしていた。

「お前たちも知っている通り、ここは勇者育成機関といって、その名の通り勇者を育成することを専門とした教育機関だ。正式に国からも認められ、国から重宝されるほど信頼と実績が確かな専門機関となっている」

説明の義務なのか決して違法な組織ではないことを重々伝えてくる。

その点に関しては誰も鼻から疑ってなどいない。

「勇者育成機関の目的はただひとつ。『悪魔神に対抗できる人材を作り出す』ことだ」

悪魔神はいつ現れ、人類に脅威を脅かすか分からない。

そして悪魔神に対抗するにはこの機関の創設者アリア・マーガレット級の実力者でなければならない。

創設者もとい勇者のアリアは、そこまでの実力に達したものを勇者と称することにした。

創立初期の頃は指導官に自身の数多くの戦闘経験とノウハウを伝授。

その教育法を生徒たちに指導。すると生徒の実力は平均レベルから勇者レベルまで成長させることに成功。

そうした日々が年々続き、数々の勇者を育成することに成功させているのがこの機関。

だが必ずしも、誰でも勇者になれるかと言えば答えはノーだ。

毎年数名の勇者が誕生するその裏では、多数の脱落者が存在している。

その事実を伝えると生徒全員の顔つきがこわばった。

「悪魔神というのは字の如く悪魔の神だ。さすがは神というべきか、その力は尋常じゃなく俺たち人間の想像を遥かに超える。お前たちも『悪魔神東京23区半壊事件』を聞いたことあるだろ?」

15年前。

新宿区に突如として現れた黒髪の女児。

まるで重力に逆らっているかのようにビルより高い位置に浮遊している女児は、人間たちを見下ろし、そして周りを見渡す。

すると何か言葉を発するわけではなく、両手をパーにして腕を広げる。

その瞬間。女児を中心に周囲が消し飛ぶ。

人間はおろか、建物も無残に崩れ、ゴミのように軽々と吹き飛ばされていった。

衝撃が収まった後の東京23区は、まるで原爆が落とされたあとのように半壊していた。

その後、女児は空を切り裂いて次元の中へ姿を消して行ったという噂を最後に、姿を現すことはなかった。

「その事件以降、悪魔神の出現は確認されていない。今伝説の勇者のアリアが調査に向かっているが、いまだに連絡はなしだ」

「ッ……」

アリスは開きかけた口をグッと堪える。

「ともかく今は勇者の育成に時間を費やせるゴールデンタイムというわけだな」

もし悪魔神が現れたら運営側も教育に時間を費やしている場合じゃなくなる。

悪魔神に対抗できる力を身につけるなら今が最適だというが……。

「しかし事はそう単純じゃねぇ。今この日本において悪魔神とは別に、不可解な現象が起きているんだ」

「不可解な現象……?」

「お前たち、日本能力警察部隊は知っているな?」

日本能力警察部隊は能力を使って犯罪を犯すものを取り締まる専門部隊。

日本に住んでいるものならその名を知らないものはいない。

「能力というのは誰もが使えるわけじゃねー。能力者のほとんどは遺伝で決まると言われている。中には突然変異で能力を使えるようになるやつもいるがな。世の中はその能力を駆使して悪事を企むやつがごまんといるわけだ。どんな能力を使ってくるか分からねぇ以上、必然的に能力者が対処に出向かないといけない」

能力を持たないものが能力を持つ者に勝てるはずがない。

能力を持たない一般の警察はこの対処の専門外。

能力に関する犯罪の取り締まりは連帯を通じて日本能力警察部隊に連絡が入るシステムになっている。

「まさかそれって、話の流れからしてあたしらが出向くわけじゃないよね?」

「もちろん基本は警察が動く。だが場合によってはその可能性も十分にある」

「はぁあ!? それっておかしくない!? だってあたしらは勇者になるための教育を受けるためにここに来ているわけだしさ! なんで警察がやらないわけ!?」

「あーもう! 今からそこをちゃんと説明するから黙って聞け」

口と態度は悪いものの、意見の内容としては共感できる部分がある。

すでに能力者を取り締まる組織が存在するならばそちらに任せておけばいいだけのこと。

協力したくないというわけではないが、こっちにはこっちなりの目的がある。

ましてや戦闘経験の乏しい自分たちが出向いたところで役に立つのかも疑問だ。

「お前たちの気持ちも分かる。だがこれは仕方がねぇことなんだ。さっき不可解な現象が起きているって言ったろ?」

全てはその不可解な現象が関係しているということか。

「だからなんなんだよ! その不可解な現象って!」

「日本能力警察部隊の大量殺害だ」

「ッ!? た、大量殺害……!?」

落ち着かない様子の生徒たちで教室がざわめく。

「言っておくがこれは冗談じゃねーからな? 実際に起こっていることだ」

できれば冗談を期待していた生徒たち。

だがこれから話すことは全て事実であることを傾木は告げる。

「一昨年から能力者による犯罪件数が急激に増え続け、いまだに歯止めが効いていない状況にあるわけだ。住民の情報からも犯人は能力者であることは間違いない。だから日本能力警務部隊が出向くわけだが、決まって全員殺されている」

「そ、それは……単にそいつらが弱かっただけでしょ? もっと強い人を行かせばいいじゃん」

「ばかやろー。日本能力警務部隊に所属しているやつらはみんな戦闘のプロフェッショナルだ。並大抵の実力では受からねーし、普段から地獄のような訓練もおこなわれている。今のお前たちが戦ったら秒でやられるぞ」

「そ、そんなに……!?」

「ああ。中にはこの機関の卒業生もいる。それぐらい強者揃いの組織だ。日本能力警察部隊というのはな」

そもそも警察に勇者が入隊していることにも驚きだ。

普通この機関を卒業したものは各都道府県のいずれかの市区に勇者枠として配属される。それは悪魔神が日本の町のどこに現れてもすぐに対処できるようにするためだ。

勇者というのは悪魔神専属特効部隊。

日本能力警察部隊はその管轄外であるため、そこに勇者が入るのは不思議な話でもある。

傾木先生によると悪魔神専属特効部隊としてではなく、日本能力警察部隊の教育者として専属することも可能らしい。

「とりあえず、その日本能力警察部隊とやらがすごいことはなんとなく分かったよ。でもそんな強い人たちが大量に殺害されるってヤバくない⁉︎」

「ヤバいってもんじゃねぇよ。お前、これがどういう意味か分かるか?」

「ど、どういう意味?」

「敵は、勇者並みに強ぇってことだ」

「はあああああぁぁぁ!? 嘘でしょ!?」

「嘘じゃねーよ。さっき俺の言ったことをもう忘れたのか? 確かに日本能力警察部隊は俺たち勇者育成機関の教官たちに比べれば力は劣るかもしれねー。けどな、それでも複数で束になれば俺たち教官はおろか、勇者クラスでさえも倒せる可能性を秘めている。もしここに3人の警察が現れたら俺は潔く降参するね」

いや戦えよと内心ツッコミ入れた生徒も少なくはないだろうが、傾木先生がそこまで言うのなら日本能力警察部隊の実力は本物なのかもしれない。

だがやはり気になるのはそれを上回る敵の正体だろう。

ここでアリスが手をあげて質問する。

「先生、ちなみにその敵の手掛かりは掴めているのでしょうか?」

「残念だがこれといった手掛かりは何一つねぇ。分かっているのは、敵は隠密行動を得意とし、実体を創り出して操る能力であるということ。この情報は遠くから観察していた日本能力警察部隊の一人が調査したものだから信憑性は高いと思っていい」

「実体を作り出して操る……」

「だが思い込みは禁物だ。敵は何人いるか不明。敵が複数いればその分だけ能力がある」

能力は人によって様々。

今ある情報だけを鵜呑みにすれば、他の能力で攻められたときの対処が遅れる。

次はどんな能力を使ってくるか分からない。

そのぐらいのスタンスでいた方が丁度いいとのこと。

「まぁ安心しろよ。入学したばかりのお前たちに早々と現場に向かわせるほど俺たち機関側も鬼じゃねぇ。まずは己を知り、鍛錬を積んでからだ」

日本能力警察部隊が相手にならないのなら戦闘経験が乏しい自分たちでは手も足も出ないことは容易に想像がつく。悔しいがその現実は受け止めるべきだ。

「だがさっきの話は常に頭の片隅には入れておけよ? いつどこで事件が発生するのか分からないんだからな」

敵の狙いがなんなのか。今は不明。

仮に日本能力警察部隊の殲滅が狙いだとしても、実態が分からない以上下手に結論づけることはできない。

「今はどこの企業も人手不足で困っているように、日本能力警察部隊も毎年人手不足で深刻な問題となってきている。この勇者育成機関も例外じゃない」

どちらも共通して言えることは命を掛けた職業であるということ。

常に死と隣り合わせである過酷なこの道を進み続けるには強靭のメンタルが必要不可欠。

それを持たないものはこの道から外れることを過去の離職率が物語っている。

さらには謎の死者数の増加によって在籍数は減る一方で、この道を志願するものも例年減少傾向にある。

このままではいずれ滅びの結末を迎えることに……。

「お前たちは将来この国の治安を守り続ける貴重な存在だ。これから辛ぇことがたくさんあるかも知れねーが、ぜひ乗り越えて勇者の称号を手に入れて欲しい」

傾木先生とは思えない応援メッセージについ頬が緩む。

昨日とは別人のようで、誰もが印象を改めたのではないだろうか。

「先生」

「なんだ? アリス」

「ここを卒業するということは即ち勇者の称号を手に入れるということでお間違いないでしょうか?」

「ああ。その認識で間違いねえ」

「ではその卒業の条件、もとい勇者の称号を手に入れる方法はなんなのでしょうか?」

「いい質問だな。それはズバリ、毎年行われる『勇者選抜試験』に合格することだ」

「勇者選抜試験……?」

「そうだ。うちの機関では毎年1月5日に教官全員による会議が開かれるんだが、そこで今年の勇者選抜試験の選抜がおこなわれている」

年に一回のチャンス。

そこで選抜されなければ試験を受けることができない。

「選抜される条件は三つ。『実直』、『実績』、『実力』の三つだ」

どれも単語の意味は理解できるが、どのような判断基準かは皆目検討もつかない。

「実直は言うまでもねぇが日頃から鍛錬に励んでいるとか、相手を想って接しているかとかだな。要は人間性だ」

早速それに当てはまっていなさそうな傾木先生が言うものだから説得力に欠ける。

「次に実績だが、これはこの教育機関の成績と任務の達成数を指す。学業はもちろん、能力の訓練や演習も含めた総合点を意味する。まぁ学校ではいえば成績表だと思ってくれればいい」

具体的にどんな内容なのか気になるところだが、とりあえず与えられたことに対して常に好成績を収める気持ちでいればオーケーということ。

「最後は実力。これは至ってシンプルだ。お前たちが入学試験で戦った試験管を倒すこと。それだけだ」

「!」

つまり試験の相手は人によって異なるということ。

アリスの場合はあのボディビルダーのような体をしたアレックス。

その人を倒さないと勇者選抜試験の『実力』の部分が達成にならない。

「試験管に挑戦できるのは夏と冬の2回だけだ。申し込みや試験日などについては近くなってきたら説明する。どうせ今のお前たちが受けても受かる見込みは0%だしな。挑戦するのに特に条件はねーが、やるからには倒せるほどの実力と自信を身につけてからするように。試験管も忙しい身だ。軽い気持ちで受けようとする挑戦者を相手にしているほど暇じゃねぇからそのつもりで」

軽い気持ちで受けようとするものはいないだろう。

入学試験を受けたものなら試験管の強さがどれほどのものか身を持って痛感しているはず。

軽い気持ちで受けたところで倒せないことは目に見えているし、何よりお互いにとって時間の無駄。

それなら自己鍛錬に費やした方が賢明と言える。

アリスはたまたま不意打ちで倒すことができたが、試験となればあんな隙を与えることはまずない。

今年の夏から早速挑むことはできるが、実力が乏しいためやるなら早くても来年の冬ぐらいか。

「以上の三つの『実』を認められたものが晴れて勇者選抜試験の受験資格を得ることができる。そしてそれに選抜されたものは、いよいよ卒業試験が待ち構えるというわけだな」

卒業試験……。すなわちそれに合格すれば念願の勇者の称号を手に入れられるということ。

「先生、卒業試験の内容って一体……」

「……フッ。卒業試験も至ってシンプルだ」

傾木先生は親指の先を自分の方へと向ける。



「この俺を倒すことだ」



……時が止まったかのように、室内に静寂な空気で包まれる。

吐息の音すら聞こえない。

みんなあまりにも予想外すぎて呼吸すら忘れてしまう。

「つまり先生が相手?」

静寂な空気を破ったのはアリス。

そのボソッと呟かれた一言は全員の共通認識。

「そうだよ? 先生が相手だよ?」

「ぷっ……あーはっはっは!! マジかよ! まさかの最後は傾木先生が相手かよ!」

「卒業試験っていうからどんな難しい試験かと思ったけど、案外楽勝な感じするね!」

「つうか先生ならめんどくせーとか言ってリタイアしそう」

「あ、それ分かる!」

などなど。

各々言いたい放題に何これかまわず大っぴらに吐き出す。

傾木先生も特に気にしていないのか怒りをあらわにすることはなく、表情はそのまま。

(いや、みんな分かっていない。傾木先生がどれだけ秘めた力を持っているのかを)

松岡との揉め合いのとき、傾木先生は威圧だけでアリスたちを静まり返した。

あのときの威圧はアリスたちに向けたれたものだから他の人は気づいていないのだろうが、あれを受けたアリスたちは知っている。


傾木先生は、ハンパない実力の持ち主……!!


松岡のメンバーである小林と伊能は陽気そうに試験について舐めた発言をしているが、松岡に関してはどことなく強張っている様子で黙り込んでいる。

この教室の中で傾木先生の凄さを肌で実感したものはアリスと松岡だけということになる。

今だからこそ思う。

松岡たちと揉め合いをしてよかったなと。

そして認めざるを得ないと思った。

傾木先生の実力は本物だと。

後は態度の方を改めてもらえると文句ひとつない教官なだけに、もどかしい気にさせられる。

「はーい静かにー。以上が勇者選抜試験についてだ。とはいっても今のお前たちにはまだまだ遠い先の話になる。どうせその頃は忘れているだろうからまたそのときが来たら改めて説明してやる。今はそんな感じのがあるんだなー程度で聞き流しておけ」

あくまでも最低限の義務として説明しただけらしい。

「よしっ、ひとまずこれで長ったるい話しは終わりだ。これからお前たちにはあることをやってもらわなきゃなんねーから次はそっちの話に移らせてもらう」

(やらなきゃならないこと?)

「今からお前たちにはこの制服に着替えてもらい、グランドに集合してもらう」

その制服はAIでサイズを測ったもの。

「先生、グランドで何やるんですかー? あ、もしかして記念写真とか?」

「お前一人で撮ってろ。今からやるのはそんな平和ボケの行事じゃねぇよ」

「じゃあ何やるんですか?」

「鬼ごっこだ」

アリスは期待していた自分がバカだったと反省した。

「それもただの鬼ごっこじゃねー。能力を駆使した鬼ごっこだ」

能力を駆使という言葉にアリスは反応。

ついさっきまで興味が削がれていたが、今は興味津々な姿勢で耳を傾ける。

「詳しい内容はグランドに集合してから話す。今お前たちにやってもらいたいのは4人1グループを作ってもらうことだ」

生徒たちも一味違いそうな鬼ごっこに興味津々な様子。

「グループは誰と組んでもかまわねー。仲良し4人組でそのままグループを結成してもいいし、全く知らねー奴らと組んだって構わねー。とにかく誰とでもいいから4人グループを作れ。もし余ったりでもしたらそのときは4人じゃなくて3人でも5人でもオーケーだ」

生徒の人数は全員で33人。そのうち『ゼロ』と『気絶くん※あだ名』は欠席だから31人。

つまり4人グループが7つ、3人グループが1つ出来上がる計算になる。

「グループが出来上がったものから制服に着替えてグランドに集合してくれ。サイズが合わないものは着替えずにそのまま来い。そんなに汚れるようなことはねーから心配すんな」

単純な鬼ごっこなら汚れる心配は確かにないが……。

傾木先生は一人一人名前を呼び、制服を渡し終えるとさっさと教室を後にする。

着替えは男女それぞれの更衣室があるからそこで着替えろと言い残して。

(さて、まずはグループ作りね)

生徒の中でまともに話したことがあるのはゼロだけ。

だがゼロは欠席だし、そもそも最初から組むつもりなどない。

(なんだか……話しかけづらいわね)

小学校4年生から中学3年生の卒業まで他人と極力関わらず、一人の時間ばかり費やしてきたぼっちの身だったからこそ実感する。

知らない人に声をかけるということがこんなにも勇気がいるということを……。

視線だけを周囲に巡らせ、誰か私と組みませんかと訴えるが収穫はない。

そのほとんどがすでにグループ作りのためのコミュニーケーションに入ってしまっているからだ。

(まぁ、最悪あまりものになれば自ずとグループを作れるわよね……)

余りにものになれば必然的にその人たちと組むことになる。

これなら自然の流れでグループを結成することができるだろう。

それを狙ったアリスは敢えてあまりものになるために視線で訴えることをやめる。

その空いた時間を有効活用しようと、傾木先生から配られたプリントに目を通そうとしたときだった。

「よぉ。もしかしてまだ誰とも組めてないのか?」

正面から煽るように喋りかけてきたのは先ほど争い沙汰になりかけた松岡だった。

その両脇には小林と伊能もいる。

「別に。最初から組むつもりはないだけよ」

「お前友達いなさそうだもんな。近寄るなオーラ出してるし」

「そう? それは私にとって褒め言葉だわ。他人と群れて時間を浪費するほど私は暇じゃないから」

「おーおー。伝説の勇者の娘様は言うことが違うね〜」

「さっきからなんなの? 用がないならどっか行ってもらえるかしら?」

「用があるから来たんだろうが。お前、あたしらと組もうぜ?」

「……あなたたちと? どういう風の吹き回し?」

「今からやる鬼ごっこってさぁ、能力を使っていい感じだったじゃん?」

「ええそうね」

「あたしら的に思うのは、これからやる鬼ごっことやらは能力を使って相手を攻撃したり妨害する系も可能だと思うわけよ」

「そうそう。でもさぁ、仮にそうだとしたら友達にやるのって心苦しくなるじゃん?」

「だからその役をお前に担ってもらおうかなって。分かる?」

「……つまり私を標的にしたいってこと?」

「そうそう。よくない?」

「うちはさんせーい!」

「わたしもー!」

「そういうわけだからさ、あたしらと組もうぜ?」

「断るわ」

「は?」

「あなたたちは遊びのつもりかもしれないけど、私は本気なの。どうせグループに入るならあなたたちのような下衆グループとはまっぴらごめんだわ」

「こいつ、もしかしてあたしらにびびってんじゃない!?」

「あーそっか! うちらにボコボコにされるのが怖くて一緒のグループになりたくないのか! うーわだっさ」

「所詮親の肩書きだけに縋り付いてきた雑魚ってことだね。なーんだ。口先だけかよ」

見え見えの挑発にアリスは……。

「……ほんっと、どうやったらこんな猿が生まれるのか疑問だわ」

「ああ? テメェ今なんつった!?」

「いや、猿に申し訳ないわね。猿の方がよっぽど知能レベルが高いし愛嬌もある」

松岡がアリスの胸ぐらを掴む。

ガタッと椅子が後ろに倒れ、その音に驚いた他の生徒たちが自然とアリスたちへと視線が集まる。

「オメェ、やっぱムカつくな。こんなにムカついたのは久しぶりだわ」

「それはよかったわね」

「ッ! テンメェッ!!」

「笑美里、その怒りは次の鬼ごっこでぶつけなよ?」

「そうそう。その方がより発散できるって」

「……そうだな」

「話聞いてなかった? 私はあなたたちのグループには入らないわ」

「じゃあ賭けしようぜ?」

「賭け?」

「次の鬼ごっこであたしらとやり合ってオメエが勝てばあたしらは自主退学してやるよ」

「……はあ? 本気で言っているの?」

「その代わり、あたしらが勝ったらオメエが自主退学しろよな?」

「っ! ……そんな条件のめるわけないでしょ」

「あれ〜? ビビってんの?」

「伝説の勇者の娘なら余裕で勝てるでしょ?」

「そもそも、鬼ごっこがどんな内容なのかも分からないのにそう易々と決められるわけないでしょ」

「内容なんて些細な問題っしょ。それにわざわざグループまで分けるあたり勝負系であることは間違いないんだしさ」

「結局それはあなたの推測でしかない。もしチーム戦とかだったらどうするの?」

「そのときはチームで誰が一番成績がよかったとかで勝負すればいいじゃん」

こいつらと話していると頭痛が起こるような感覚に陥る。

勝負の内容が明かされていないのに勝手に推測しているだけでなんの根拠もないし正当性もない。

本来こんなやり方は勝負として成立しない。。

そのことをオブラートに包んで伝えているつもりだったが、こいつらの知能レベルではそれも伝わらないことを知り、親の顔を見てみたいとも思ってしまった。

「もう分かったわ。あなたちのグループに入ってあげる。それでいい?」

「へっ。さっすが。んじゃそういうことで」

「逃げんなよ?」

「そっちこそ」

「チッ」

私がグループに入る言質を取ったあと、松岡たち3人はこの場から去って行く。

説得するのが面倒になり最後は投げやり状態でグループに入ることを公言してしまったが、まぁいいだろう。

あのような連中であればそんなに強くないはず。

あれだけ性格が捻じ曲がっているということは、普段のおこないも捻じ曲がっているということ。

鍛錬は常に真っ直ぐ自分と向き合わなければ成長することはない。

「フッ」

肩書きに縋り付いている雑魚かどうか、その目に焼き付けさせてやる。



     ★



支給された制服に着替えた私たちは、グランドに集合する。

グランドは外から見えていた以上に広く、まるでオリンピック会場のように迫力があった。

紅蓮色を基調とした制服はアリアの能力である豪炎を連想され、その真っ赤に燃える闘志はママ好みだなと感じさせられる。

「かっこいい……!」

初めての制服にルンルンと落ち着かない。

まるでオシャレコーデを決めているかのように体のパーツのあちこちを確認してしまう。

「よーし、全員集まったな?」

生徒全員の前に、教室のときと何一つ変わっていない傾木先生が歩いて現れる。

変化があるとすれば、左手にボールペンと紙切れ一枚が挟まれたバインダー、そして右手にプラスチックの箱を持っている。

「先に言っておくがこれは別に試験とかそういうのじゃねーから。レクリエーションだと思って軽い気持ちで受けてくれて構わないから」

何をするのか聞かされていなかった生徒たちは緊張気味の様子だったが、傾木先生の一言を聞いて多くの生徒が肩の力が緩くなる。

アリスは気を緩めることなく、ある程度の緊張感は保っていた。

「教室でも言った通り今からお前たちには鬼ごっこをしてもらう。そのルールを簡単に説明するからよーく聞いておけよ?」

気が緩んでちょっとした雑談をし始めた生徒たちも話を止め、傾木先生の声に耳を傾ける。

「鬼ごっこは1グループずつおこなう。そして参加するグループには全員この腕時計を付けてもらう」

プラスチックの箱を開き、取り出したのは4つのデジタル時計。

そのうちの一つを傾木先生自身が手首に装着し、もう一つを近くにいた男子生徒に装着させる。

「この腕時計は装着しているやつの脳波を読み取り、感知センサーとしての機能を果たしてくれる。今設定で俺の腕時計を点滅させたんだが見えるか?」

腕をあげ自分の腕時計が点滅していることを確認させる。

男子生徒の腕時計は点灯したまま。

「今からこの状態でこの男に触れてみる。腕時計の点滅によーく注目しておけ?」

傾木先生は男子生徒の肩にポンっと優しく手を置いた。

すると腕時計の点滅が点灯に変化。

逆に触れられた男子生徒の腕時計は点滅し出した。

「分かったろ? 点滅しているものが点灯しているものに触れるとその現象は逆になる。もちろん相手がこちらに触れてきたらそのまた逆になる」

確かめるように今度は男子生徒が傾木先生の肩に触れる。

すると男子生徒の腕時計は点灯し、傾木先生の腕時計は再び点滅し出した。

「今回の鬼ごっこはこれを利用する。点滅しているものが鬼となり、鬼は点灯しているものに触れる。基本はこれの繰り返しだ」

ここまでは一般的な鬼ごっこと変わらない。

腕時計の役割として今のところ分かっていることは誰が鬼なのか一目で分かるということ。

だが他にもこの腕時計を装着させる目的はあるはずだ。

「腕時計のもう一つの利点として、直接触れなくても感知するというのがある」

傾木が『気』を使って銃を出現させ、手にする。

そしてそのまま銃口を男子生徒に向け始めた。

「ちょっと先生!?」

「安心しろ。弾は入ってねー。撃つのは子供騙しの空気砲だ」

容赦なく引き金を引く。

反射的にギュッと目を瞑る男子生徒の顔に当たったのは、手のひらサイズのほんわりとしたリング状の空気砲。

両者の腕時計に再び変化が。

傾木先生の腕時計が点灯し、男子生徒の腕時計が点滅した。

「こんな風に直接触れなくても間接的に触れてもセンサーは反応する。つまり能力を使ってもセンサーは感知するということだ」

この鬼ごっこの全貌が見えてきた。

この鬼ごっこは能力を使って相手に触れることを前提としている。

「能力はフルに使ってもらってかまわねー。もし危険だと感じたら俺が止めに入るからそこんとこよろしくー」

能力は使い方によっては致命傷を負わせてしまう。

能力を使う前提の鬼ごっこだが、そこの危険ラインはしっかりと監督するらしい。

生徒に何かあれば責任は運営側になるから当然といえば当然だが。

しかし傾木先生が言うと信じきれず不安は拭えない。

ここで松岡が手をあげて質問する。

「先生、ちなみに鬼を妨害するとかってありですか〜?」

「ああ、別にかまわねーよ。能力を使って鬼を近づけさせないのも戦略の一つだからな」

「はーい、わかりましたー」

ニヤリと、隣に立つ小林と伊能も怪しげな笑みを浮かべる。

それに横目で気づいたアリスは何か企んでいることだけは理解した。

「えー最後に制限時間についてだが、1グループ10分とする。最後に鬼だったやつは罰ゲームが待っているので心して掛かるように」

罰ゲームがあることに初耳だった生徒たちは一瞬にして気合が入る。

「……先生、罰ゲームの内容を聞かせて頂くことは可能でしょうか?」

アリスが問う。

「そうだな。女子は今日履いてきたパンツの色とか曝露してもらおうかな。あ、男子は言わなくていいぞ? 俺はそういう趣味はねーから」

「先生、真面目にやってください」

ブリザードの如く冷ややかな視線と声で最終警告と言わんばかりに目元の影を濃くするアリス。

「じょ、冗談に決まってんだろアリス……。頼むからその殺意を早く引っ込めてくんない……? 先生寒くて凍え死にそうなんだけど……」

「いっそ死にますか?」

「マジで悪かったって!! 罰ゲームも冗談だからマジになるなって!」

どうやら罰ゲームは最初からなかったらしい。

罰ゲームという考案はふと思いついて口走ったものであるということを傾木先生は白状した。

「よ、よしっ! じゃあ早速アリスのグループから始めよっか……!」

「いいですよ?」

私は松岡たち3人に敵意の目を向け、戦場へと踏み入れた。



     ★



グランドの中心へ集められたアリス、松岡、小林、伊能。そして試合開始の合図を担当する傾木の5人。

ルール通り生徒全員が腕時計を手首に装着し、準備は完了となる。

「誰が最初の鬼になるかだが、ここは公平にじゃんけんでいいだろ」

そのことに誰も異論はない。

負けた人が最初の鬼になるという条件で早速じゃんけんを始める。

結果。松岡の負けとなり、最初の鬼となった。

「開始の合図をしたら鬼の松岡は最初5秒間ここで待機な?」

「はーい」

開始と共にすぐに動けるようだとすぐに相手に触れられる可能性が出てしまう。

「よし、じゃあ始めるぞ? よーい……始めっ」

鬼じゃないアリス、小林、伊能の3人が一斉にバラける。

松岡は5秒間待機している間、小林と伊能にアイコンタクトで何かを指示。

その指示の内容を察した二人はうなずき返す。

5秒の制限が解除された松岡は早速鬼の役として相手を追いかける。

そのターゲットはもちろん。

(やっぱり私を狙いに来たわね……)

スタートしてから迷わず一直線に向かってくる松岡に対し、アリスは身構える。

(スピードは大したことない。私の方が上!)

松岡が手を伸ばしてきたところをアリスは横にずれてかわす。

「逃がさねぇよ?」

壁に激突するかと思いきや、その反動を利用してスピードに上乗せする松岡はひたすらアリスの背中を追う。

「……ちっ。やはり追いつけねーか。二人とも、例の作戦でいくぞ!」

「「おう!」」

「【獣人化(ビースト)】!!」

松岡がゴリラの姿へと変貌する。

「「【獣人化(ビースト)!】」」

それに続く二人。

小林はチーター。伊能はワシへと変貌した。

(これは……っ!?)

「その顔からして、【獣人化(ビースト)】の能力を見るのは始めてか!? ならとことん味わっていきなァ!!」

松岡が姿勢を低くし重心を地面へと置く。すると地面に亀裂が入り始める。

そしてそのまま膝を曲げ、足にグッと力を入れた。

脚の筋肉がボコッと盛り上がる。

(来る!)

地面を蹴った松岡はアリスへと一直線へ。

そのスピードは先ほどの比などではなく、気づけばすぐ目の前に現れたかのように凄まじい。

反応に遅れたアリスは松岡が伸ばしてきた手を反射的にガードしようとするが、アリスの女の子らしい小さな手つきでは全く意味を成さなかった。

ガードで伸ばした両手を片手だけでひと括りにして握り締められ、壁へと押し付けられる。

「ぐはぁッ!」

背中を強打し、粘り気の強いよだれが垂れ落ちる。

同時にアリスの腕時計が点滅。松岡の腕時計が点灯へと変わった。

「いいザマだなぁおい。教室での威勢はどうしたぁ? おい」

「ぐっ……!」

「無駄無駄。お前のような弱っちい力じゃあたしの手は振り解けない」

「それなら……【氷の棘(アイスニードル)】!」

アリスの靴先に一角獣のボーンのような鋭い棘を生み出す。

それを松岡の腹に蹴りを入れた。

「っ!」

危険を察した松岡は獣並みの反射スピードでかわす。––––––が、完全には避けきれず、横腹を切られ血を流してしまう。

「ッ」

腕時計の点灯点滅が入れ替わる。

「笑美里!? 大丈夫ッ!?」

「大丈夫。ただのかすり傷だ」

「そっか、良かったあ」

安心した様子の小林と伊能。

だが友達に血を流させたことが許せず、アリスにキッと睨みつける。

「お前、マジで許さねぇ」

「痛っ!」

「笑美里、あとは休んでて。こいつはウチがやるから」

グルルッと唸り声をあげる小林。

もはや人とは思えない本物のチーターのような恐ろしさがあった。

「ガオオォォ!!」

後ろ足を蹴った瞬間、すでに自分の眼前まで距離を詰めて来ていた。

前足で頬を殴られる。

不意打ち同然のダメージを喰らい、アリスは数秒間の間、意識が朦朧としてしまう。

「へっ! なーんだ。一発喰らっただけでそれかよ。手加減してやったのに、これじゃあサンドバッグにもならねーな」

「くっ、あ……っ!」

少しずつ意識は正常を取りもどそうとしつつあるが、立ちくらみが解消される気配がない。

時間が解決してくれるのだろうが、こいつらはそれを許してくれないだろう。

「がっ!」

小林の動きに警戒していると、今度は後頭部に衝撃が走る。

その衝撃により回復しつつあったアリスの脳は、すぐに休むよう警告しているかのように意志に反して倒れ込んでしまう。

思うように体が動かない……。

後頭部の刺激が気になって首を横にずらし、さらに視線を横に向ける。

そこにはワシの姿をした伊能がいた。

「ごめんね〜? うちだけ除け者だったから攻撃しちゃった」

小林に意識が集中していたせいか、気配に気づかなった。

「伝説の勇者の娘だったらさっきの攻撃は簡単に防ぐと思ったんだけど、まさか一ミリも反応できないなんてね」

「……卑怯者ッ!」

「はぁ〜? どこが? 気づかないのが悪いんでしょ?」

「そうだよ。そもそも弱いくせにウチらに喧嘩売るから悪いんでしょうが」

「私は……弱くなんかない……ッ」

「くふふっ。ねぇ聞いた〜? 私は弱くないだってさ」

「ウケる! この状況を理解できないなんて、頭の方も弱いんじゃない?」

「あはっ! 優衣上手いこと言ったね!」

「まぁね〜!」

すでに勝利を確信し、盛り上がる二人。

「ふぅー。なんとか血ィ止まったわ」

「あ、笑美里もう大丈夫な感じ?」

「獣人化(ビースト)のおかげでこの傷で済んだ感じだな。人間の状態だったらもっと深くいってたかも」

「うーわっ。それ想像しただけでヤバイね」

「そういえば笑美里、今鬼じゃね?」

「……あ、忘れてた! さっき攻撃喰らったからあたしが鬼になったんだ」

「じゃあ……そろそろ決めちゃう?」

「そうだね。もうそろそろ10分経つ頃じゃない?」

「んじゃあ最後は、鬼であるあたしで決めようかな」

最後はルールに則る形でノックアウトさせようとする松岡。

ポキポキと指を鳴らし始めるのを合図に、小林と伊能はアリスの片腕をそれぞれ引っ張って抑え込む。

「先生! あれヤバイんじゃないですか!? ちょっとやりすぎですよ!」

「そうです! なんで止めてあげないのですか!?」

「あいつが止めるなと言っているからだよ」

「アリスさんはそんなこと一言も言ってなかったですよ!?」

「口では言ってないが、目でそう訴えてきた」

「え?」

「俺もあれはちょっとやりすぎだと思う。だから何回か止めに入ろうとしたんだが、決まってあいつが目で訴えかけてくんだよ。『止めないでくれ』ってな」

「そんなの……」

「あいつにもプライドがあるんだろう。だから俺は止めねぇ」

「……大丈夫なんですか?」

「大丈夫だ。本当にやばいときは止める。今は信じろ」

傾木先生が止めに入ることが約束されているとはいえ、完全に不安を払拭することは当然できない。

側から見れば度を超えたいじめに見えるし、何より本当に殺してしまうんじゃないかと感じるほどにあの3人の下衆な笑みは悪党そのものだから。

「さぁて、体も温まってきたし……そろそろけりをつけるか」

「ッ……くそ……!」

「その様子だとまだ治ってねぇみてえだなぁ。お前、口の割には弱すぎだろ」

「こんだけ弱いと一人でも十分だったね」

「結局親がすごいだけでこいつは口先だけの雑魚ってのが証明されたね」

(……違う。私は弱くなんかない……弱くなんかないはずだ……)

松岡が剛腕をブンブンと回し始める。

(私はママの娘……こいつらごとき一人で倒せるはずなんだ……っ)

「せっかくだから、カウントダウンでいくか」

「「さんせーい!」」

松岡がアリスの前に立つ。

軸足を前に出し、握り拳を引く。

「3……」

(なのに、どうして私はこんな醜態を……?)

「2……」

(私は強いはず……強くなっているはずなのに……ッ)

「1……」

(––––––ママッ!!)



「【死炎(ヘルファイア)】」



松岡の握り拳に突如黒い炎が燃え盛る。

「ッ!? な、なにコレ……!?」

炎を払い除けようと慌ててもう片方の手で振り払う。

すると不思議なことに、触れた手にも黒い炎が燃え移った。

「ちょっとこの炎消えないんだけど!! 誰か消してぇ!!」

炎はみるみるうちに燃え広がっていく。

「先生ッッッ!!」

「松岡、そのまま動くなよ?」

傾木先生はすでに銃口を松岡に向けており、すぐにトリガーを引いた。

放たれたのは爆風を発生させるほどの空気砲。

そのサイズは松岡一人分へと調整されており、見事に松岡一人のみがダイレクトに喰らう。

「うわぁっ!」

その凄まじい威力に踏ん張りきれなかった松岡もとい、周囲の小林、伊能、アリスの3人も巻き添えを喰らう形で吹っ飛ばされる。

それでも威力はある程度調節していたのか、松岡は40メートルほど飛ばされたところで動きが止まる。

「うっ……」

受け身を取ることさえままならない松岡は全身に軽傷を負い、すぐには体を起こせないでいる。

しかし先ほどまで燃え盛っていた炎は一ミリも残らず消滅していた。

「「笑美里!!」」

松岡に比べ10メートルほどで済んだ小林、伊能はすぐに起き上がり松岡の元へ向かう。

(今のは……)

アリスは先ほどの黒炎に見覚えがある。

眠くなりそうな意識を根性で目覚めさせ、張本人の居場所を探していた。

そしてその人物は隠れる様子も悪びれる様子もなく、優雅な足取りでグランドへと姿を現す。

「いやぁ見事だ。まさか爆風で無理やり炎を消し飛ばすなんて」

パチパチと笑顔で拍手を送るゼロ。

その異質な雰囲気の登場にこの場の空気は警戒心で張り巡らされていた。

「やっぱり、あんたの仕業ね……」

「やぁアリス。随分とやられていたようだけど大丈夫かい?」

手を差し伸べるゼロ。

アリスはそれに応じず質問する。

「……もしかして、見ていたの?」

「うん♪ 最初からね。教室に来たら誰もいないからさ。テキトーに歩き回っていたんだ。そしたらここでアリスの姿を見つけたわけなんだけど、なんか面白そうなことが始まりそうな雰囲気だったからバレなそうな位置で見学させてもらったというわけ」

「そう……」

アリスはゼロの救いの手には応じず、一人で立ち上がる。

「きゃあああああああああああ!!」

「!」

耳がキーンと響くほどの悲鳴をあげたのは松岡。

今度は何があったと言わんばかりに視線を向ける。

なんと松岡の両手が焼失していたのだ。

その痛々しい悲惨な姿に小林と伊能も顔を青ざめ、口元に手を当てては言葉を失っている。

「おい見せろ」

松岡の元にすぐに駆けつけた傾木先生は状態を確認。そしてすぐに疑問を抱く。

炎で焼き尽くされた後だというのに、松岡の手には焦げた部分が一切見られない。

それどころが出血すら確認できない。

それでも両手を失った部分は確かに燃やされた跡がついている。

焼かれたのに焦げない。

その素朴な疑問が傾木の頭の中を埋め尽くす。

「せ、せんせい……ッ! どうしよう! あたしの腕が……!」

「大丈夫だ。これなら医療班に治してもらえる。時間は少し掛かるだろうが、元に戻るから安心しろ」

「ほんとうにっ!?」

「ああ。だからそんなに慌てんな。それよりお前、痛みとかねーのか?」

「あ、今は特に……。というか最初からなんも感じなかったです」

(……痛みがないだと?)

松岡の手にまとわりついていたのは黒い炎。

(普通炎なんてまともに喰らったら火傷の傷やそれ相応の痛みの反応があるはずだが、それすらもなかったな)

ただの炎ではないことは確か。

傾木は遅れてやってきたゼロ本人に聞けば分かることだと思い、今は松岡を医療班の元へ連れて行くことを優先した。

「おいお前ら、俺が帰ってくるまでテキトーに雑談でもしていろ。くれぐれも俺のいないところで勝手な真似はしないように」

松岡を起き上がらせ、隣一緒に歩いて校舎内へと姿を消していく。

傾木がいない以上、能力の使用を前提とする鬼ごっこは続行不可の状態に。

突然のハプニングに楽しく雑談などする空気でもなく、その時間はゼロに対してのコソコソ話で絶えないでいた。

「おいお前ッ!」

ズカズカと顔を真っ赤にしながらゼロの元へ向かっていくのは小林と伊能。

ゼロの元へ近づくと有無を言わせずに胸ぐらを掴む。

「お前だろ! さっき笑美里にあんな酷い目に遭わせたの!」

「そうだよ。何か問題でも?」

「大アリだぁああ!! もし笑美里に何かあったらどう責任取るつもりだァ! あぁんッ!?」

「責任? そんなの取らないよ。酷い目に遭わせたのは君たちも一緒だろ? お互い様ってやつさ」

小林と伊能はアリスを一瞥したあと、すぐにゼロへと戻す。

「全然お互い様じゃねぇだろうがよぉ! こっちは両手を失ってんだぞ!?」

「そんなに怒るなよ。さっき先生も治るって言ってたじゃないか」

「それとこれとは話がちげぇんだよクソ野郎! 部外者が勝手にしゃしゃり出てきやがって。オメェにはなんの関係もねぇだろうが」

「関係ならあるさ。なんたってワタシはアリスの––––––」

「もういいから! やめてぇッ!」

二人の口論にアリスが怒鳴って割り込む。

「もういいから……私の負けでいいからッ」

「はぁ? 何その言い方。今回は勝ちを譲るみたいな」

「そういう意味で言ったんじゃない。私の完敗だって言ってるのよ」

「はっ。いちいち癇に障る女だな」

アリスはこれ以上何を言っても怒らせるだけだと思い、ゼロへと焦点を変える。

「あんたもよゼロ。私は助けなど求めていなかった。勝手な真似はしないで」

「そう言うけど、あそこでワタシが介入しなかったら大怪我するところだったよ?」

「そのときはそのときよ」

「強がりだねぇ。あのときの君は助けを求める顔をしていたことに気づいている?」

「……それはあんたの読み間違いじゃない?」

「否定はできないね」

それは結局ゼロの主観でしかない。

「じゃあもし、アリスが誰かに殺されかける場面に遭遇してもワタシはスルーでオーケーってことでいいね?」

「ええ。ぜひそうするといいわ。私は誰かに助けてもらうつもりはない。ましてやあんたなんかにね」

「わーお♡ こわいこわい」

キッと睨みつけるアリスに対しヘラヘラとした態度で受け流すゼロ。

二人の関係を知らない小林と伊能からすればどうでもいい話。

「お前さぁ、名前は?」

小林がゼロに問う。

「名前を聞くときは自分から名乗るもんだよ」

「うっせーな。早く答えろよ」

「断る」

「てんめぇッ! 舐めた態度取ってると、そいつと同じ目に遭わせるぞ!?」

「やってみれば? できるもんならね♪」

「絵梨香やめとこ。こいつなんか嫌な感じがする……」

らしくない弱気の姿勢を見せる伊能に小林は怯む。

目の前で余裕な笑みを浮かべているゼロが人間味のない異質な気を感じ取れたようだ。

なんの根拠もない女性の勘。

ゼロとは戦うな。そんなメッセージを受け取ったかのように、思わず固唾を飲む。

「どうしたい? アリスと同じ目に遭わせるんじゃないの?」

「るっせぇよ」

「なんなら素手だけで相手してあげるよ? ワタシは能力を一切使わない」

「は?」

遠回しにお前たちなど能力を使うまでもないと言われた小林の額には青い血管が浮かび上がる。

「……上等だよ。ならこっちは思う存分能力を使わせてもらうぞ」

「ご自由にどうぞ♪」

「……優衣ごめん。ちょっとこいつ一発やらねぇと気が済まねぇわ」

「絵梨香……」

心配そうに見つめる伊能。

止めたい気持ちでやまやまだが、友達の意思を尊重したい気持ちもありどう言葉を返していいか分からずの状態。

本当なら加勢したいところだが、先程の直感が未だに拭えず体が思うように動かない。

小林もまた伊能の気持ちを理解しているのか、特に加勢を要求するようなことは言い出さない。

小林は足をトントンと地面を突き、手首をポキポキと鳴らす。

「言っとくが、手加減するほどうちは器用じゃねぇぞ?」

「手加減なんて不要さ。むしろ全力で来てくれ。じゃないとやりがいがない」

「どこまでも舐め腐りやがって‼︎ その余裕な笑みを絶望と恐怖に変えてやるッ!」

「それは楽しみだ♪」

「死ねェッ‼︎ 【獣人化(ビースト)】‼︎‼︎」

小林がアリスと戦ったときと同様、チーターへと姿を変える。

2本の後ろ足で地面に窪みができるほど力を入れ、一気に蹴り上げる。

恐ろしいスピード……。

普通の人間なら反応する暇も与えずとっくに喰われている。

戦いに慣れている能力者でも彼女のスピードに反応できるものは極小数なのではないか?

まさしく獲物を捕らえたチーターのごとく、小林はゼロの眼前にまで一気に詰めよる。

目では追えぬ速さにアリスから見れば、まるで瞬間移動したようにしか見えない。

すでに前足による攻撃モーションにも入っている。

このままでは不意打ち同然。ゼロも軽症では済まされない。

戦いにストップを持ちかける間もないほどの早技にゼロは……。

「遅い」

「なッ⁉︎」

片手で小林の前足を掴み上げ、動きを完全に封じる。

そのまま上空へと投げ飛ばす。

「うわっ!」

「チーターっていうのは地上でこそ力を発揮できるけど、果たして上空ではどうかな?」

身動きが取れずただ呆気なく地面へと落下してくる小林を視線で捉える。

すかさず蹴りのモーションへと入り出す。

ゼロが一瞬だけ見せた視線の先にはサッカーゴールが。

「や、やめ––––––」

「シュート♪」

小林の腹部を目掛け、勢いを乗せた蹴りがメキメキとめり込む。

「ガハァッ!」

蹴り飛ばされた小林はサッカーゴールへと一直線。

ゼロの放ったシュートは見事ゴール内へと収まり、小林はネットに衝撃を吸収され動きが抑止する。

「ゴール♪」

初めのシュートにしては中々センスがあるなと自画自賛するゼロをよそに、周りの観客は言葉を失うほど引いていた。

「どうだい? アリス。ワタシのサッカーセンスは」

「サッカーは人を球にする競技じゃない」

「真面目だなぁ。人も球も大して変わらないじゃないか」

「変わるわよ! ていうか人をボールと同じように扱うのやめて」

「はーい」

ゼロはもうちょっと褒めてくれたっていいのにと唇を尖らせる。

ゼロは小林がネットに背中を預けながら気を失っていることを確認しに向かう。

その後、今度は伊能に攻め寄った。

「さて、残るは君だけだね」

「ご、ごめんなさい‼︎ 謝るからどうか許してください‼︎」

伊能の潔い土下座にゼロはキョトンとしてしまう。

「許すもなにも、ワタシはそっちの要望に乗っかっているだけなんだけどな」

「本当にごめんなさい‼︎ ウチらが悪かったです! 後で二人にも言っておくのでどうか手出しだけはッ!」

「う〜ん、それは筋が通ってないんじゃないかな?」

「っ!」

「先に勝負を持ちかけてきたのはそっちだ。ならワタシはそれを返り討ちにする権利がある。勝てないと分かってから許しをこうのは違うんじゃない?」

「そ、そうですよね! はいッ! すみません……!」

「ワタシにとって戦いとは殺し合いだ。戦いを挑んでくるからには殺される覚悟を持っているとワタシは思っている」

「そ、そそそ、そうなんですね……! そのような覚悟をウチは持っていませんでしたッ!」

「そうなんだ。それはなんとも運が悪い」

ゼロが手刀の形を取る。

「ひぃぃいいいいいいッ!?」

「いい加減にしなさい! ゼロ!」

ゼロの肩を掴むアリス。

「なぜ止める? この人たちは君を傷つけた連中だ。君だって殺して欲しいと思うだろう?」

「私は思わない」

「嘘だね。そこまで意図的に痛めつけられて殺意が湧かないはずがない」

「……そうね。確かに殺意は湧いている」

「ほらね♪」

「でもそれは、自分自身に対してよ!」

「自分?」

「ゼロ、あんたの言う通りだわ。私は3人に意図的に痛めつけられた。だから私にも返り討ちにする権利がある。それは間違いない」

「なら」

「でも少なくとも、この人たちは殺そうとはしなかった!」

「……」

「松岡さんの最後の攻撃を喰らったら確かに軽傷では済まなかったかもしれない。でも私には分かるの。この人たちには殺す意志はなかったことぐらいは!」

「お前……」

「これは戦場に立っていた私だから感じ取れたことよ、ゼロ。遠くから見学していただけのあんたには分からないでしょうけど」

「ふーん。ま、アリスがそこまで言うならやめておくよ」

ゼロをなんとか説得することができ、ほっと胸を撫で下ろす。

「なーんて言うと思った?」

ゼロはすぐさま手刀で伊能の胸部を斬りつけた。

「こうした方が、友達とお揃いでしょ?」

傷口からは多くの血飛沫が噴き出る。

「ゼロォォォオオオオオオオオ!!」

伊能は呆気なく倒れる。

アリスはゼロの胸ぐらを掴み、拳を放とうとしたが間一髪で止める。

返り血を顔に浴びたゼロの瞳には、一切悪びれる様子が見受けられない。

「伊能さん!!」

「……ぁ……ご、め…………っ」

「喋らないで! 今医療班の所へ連れて行くから!」

アリスは全身の打撲や擦り傷に耐えながらも伊能を背負い、走って医務室へと連れて行く。

残されたゼロとその他大勢の生徒たち。

地面に染まった血飛沫により、グランドは戦場の跡地化のようになっていた。

生徒から見たゼロは、本物の鬼のように映っていた。

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