伝えるには
夜間、人気がなくなったのを確認して、俺はとある施設に忍び込んでいた。
ここは恐らく魔法を研究する施設なのだろう。室内には至る所に魔法陣の書かれた本や紙が散らばっている。散らかり放題の机の上に、お目当ての装置は鎮座していた。
タイプライターだ。これなら猫の手でもなんとかなると踏んでやって来たのだが……実物を目の当たりにして、行き詰る。
タイプライターなんて、前世でも触ったことはないし、実物なんて見たことすらない。それこそ映画やネットでちらっと見かけた程度だ。
幸い、形は俺たちの世界の物と似ている、気がする。そして並んでる文字は俺の世界とは全くの別物。
机に乗っかっているタイプライターは五つ、そのうち三つには書きかけの紙が設置されたままになっている。なんとか見よう見まねで扱えるか……?
確か、まずは紙を機械に挟んで……くそ、肉球じゃ紙をうまく掴めない。四苦八苦しながら紙を設置する。
それで次は、これでもう文字盤を打てばいいんだろうか。試しに適当な文字を打ってみれば、カシャンと軽快な音を鳴らしながら紙が横に少し動く。紙にはしっかりと文字が押し込まれていた。
よしよし、どうやら扱いはそこまで難しい物ではないみたいだ。これで魔法を使わないとダメとかだったら終わってたな。
俺は試し打ちした紙に、練習も兼ねて下書きを文字を打ち込んでいく。文字は予め学習済みだ。と言っても簡単な物だけだが。
いうなれば「猫の形のパンを発売すればいい結果になりますよ」と相手に伝えられればいいわけだ。なら、そこまで難しい単語はいらない。最悪、”パン”、”猫”、”形or型”、”欲しい”だけあれば充分伝わるはずだ。
パン、はパン屋の看板を見て各店舗に同じ文字があったのを覚えて来た。他の単語は探すのに苦労したが、学校や図書館を巡ってなんとか該当する単語を見つけて覚えて来てある。
……確認できる人物がいないので確証はないが、たぶん大丈夫だろう。ひとまず「猫型 パン 欲しい」と打って紙を眺めてみた。A4用紙ほどの大きさの紙の上部に文字が並んでいる。ただそれだけ。
うーん、物足りない。本当ならこの案を採用する事のメリットやら工夫の仕方、予想される利益、そのほか色々書きたいところだが、それにはこの世界の文字をしっかりと覚える必要がある。流石にそれは、時間が足りそうにない。
この案だって成功するかどうか分からないのだ。失敗した場合も顧客の反応を見て対策を練って新たな案を考えて……と、なっていくと一年なんてあっという間に過ぎてしまう。
だが、やはり単語を並べただけ、というのは如何な物か。こうなったら模索できるだけ模索していこう。
試行錯誤を繰り返し、空が白む前になんとか資料は出来上がった。
とは言っても、結局は簡易的な猫のイラスト数点(爪先にインクをつけて頑張って描いた)に矢印を向けて「猫型のパンが欲しい」と文字を沿えたお粗末な代物だが。
今、俺の持てる知識と技術じゃこの程度か……こんなのを衆目の場で出したら小学校の発表会ですらバッシングされそうだ。いや、前向きに考えろ。資料の説明が出来ない以上、あまり小難しい資料を作ったって読まれずに捨てられるだけだ。
下手をすると気味悪がられるかもしれない。なら、これくらい簡素な物の方が伝わりやすいはずだ。これなら子供が書いた、と認識して警戒も薄まるかも。
完成した資料を眺めながらぐるぐると思考を巡らせている間に朝日が昇ってきた。もうそろそろここの職員たちが出勤してくる。プレゼンは自信と思い切りの良さが肝心だ。ここは腹を括って提出してやろう。
作業の痕跡を残さないよう机の上を片付けて、俺は完成品である一枚の資料を咥えてパン屋へと向かった。
活動を始めた町の中を、潮風や朝食の匂いを感じながら駆け抜ける。
パン屋に辿り着くとすでにパンを焼く香ばしい匂いが店の前まで漂っていた。レノアは店の奥で作業をしており、アリィはまだ寝ているのか店内に人影はない。
一応、誰にも見られていないか警戒しながら、俺は扉の隙間に紙を差し込んだ。これで開店時、絶対目に付くだろう。
成功しますように、と願いながらそそくさとその場から離れて向かいの屋根へと登り、成り行きを見守る。
しばらくするとアリィが扉を開けて紙に気が付く。内容を確認してから、レノアへ見せに行ったようだ。
今日はもうパンを焼いた後だから、俺の資料を読み取って案を採用したとしても実物が店内に並ぶのは明日以降になるだろう。
……ちゃんと俺の意図は伝わっているだろうか? 紙だけの提出だと、どうしても不安が付き纏う。
あぁ、くそ、むずむずするな。今だけでも喋りたい。
って、それじゃ前世と何も変わらないだろ。今世は極力頑張らないって決めてるのに。
まあ、久しぶりに頭使えて楽しかったし、いいか。物事をこねくり回す思考が、完全に身体に染みついて性分になってるんだろう。
昨日は徹夜で頑張ったし、今日は動きもないだろう。ゆっくり眠りながら成果を待つことにした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます