228 決闘


 セルイは不敵な笑みを浮かべて続ける。


「そもそも、一網打尽いちもうだじんにされることの危惧を語ったその人自身が、囲まれている我々の所に降りてきたというのが、何を意味するか……」


「ふうむ?」


 レイマールは、心底怪訝けげんそうに首をかしげ、声を漏らした。


 ぼろ布を見る。


 見つめる。


 ――認識阻害は、『王のカランティス・ファーラ』により強められた魔力認識力のせいか、通用しない。レイマールには、フィンの居所を常人と変わらずたやすく見抜くことができる。


 見られたぼろ布は、相変わらず、まったく動かない。


「ばらばらに散るのではなく、ひとかたまりになったところを囲まれるのは、通常ならば完全な敗勢、援軍の来ない籠城ろうじょう戦も同然の、全滅必至の窮地と言えましょうが……人によっては――使によっては、窮地どころか、大逆転をもたらす必勝の態勢ともなるのです……そう、まとまったのは囲む側も同じですから……ひとぎで……!」


 セルイはそこまで言うと、限界だったらしく、目の光を失いぐったりした。

 ファラがその体をしっかり支える。


「……フィン・シャンドレン。その者は然様さように申したが、いかなることか? そなたにいかなる技、いかなる目論見があるというのだ? 直答を許すぞ」


「むう…………」


 レイマールに問われて、フィンは心底めんどくさそうにうなってから、言った。


「では、あらためて挨拶しよう。フィン・シャンドレンという。剣を振るうことを生業なりわいとしている。流れ者だ」


 その言葉に続いて。


 突然、ぼろ布の向こう側で、人体が不自然に傾いた。


 金属光沢。午後の日差しに輝く甲冑。

 女騎士ベレニスが、いきなり倒れたのだった。


 カルナリアは驚き、それから気づいた。

 ぼろ布は、いつの間にか、カルナリアとベレニスの中間に位置をずらしていた。


 じわじわと移動してそうしたのだろう。

 そのせいで、カルナリアからはベレニスが見えなくなっていて――何をしたのか、何が起きてベレニスが倒れたのかわからない。


「貴様! 卑怯な!」


 騎士ディオンが血相を変えた。


 レイマールも真顔になっている。


は、名乗り終えたら始まりだったはずだ」


 フィンは、あっさりそう言った。


 ――そうだった。フィンはレイマールとカルナリアの決闘の、カルナリア側の代理人としてそこに進み出たのだった。


 ベレニスの名乗りが終わったところで、フィンがレイマールの目的について話し始め、その後にレイマール自身による衝撃的な告白が続いたので、完全に失念してしまっていた。


 非難はできない。ベレニス自身が語った通りの作法なのだから。

 ……しかし、誰もが釈然としなかった。

 楽に勝ちたかったぐうたら者以外は。


 従卒兵が慌てて駆けつけ、介抱し始める。


 タランドンでの、オーバンの時と同じく、鞘ぐるみの剣で打ったのだろうか。しかし、ぼろ布は動いたように見えなかった。あるいは何か投げつけたか。


「……陛下、お下がりください。この者、想像以上の手練れ、危険です」


 ディオンがその巨体に気迫をみなぎらせ、ふくれ上がったようになった。


 周囲の兵士たちも、それぞれ殺意を放ち始める。


 横合いで、ガザードとトニアが、それぞれ何か細い棒のようなものを取り出し握ったのが見えた。


「毒塗り吹き矢、右の二人! 見張り塔の上、石の準備してるやつが!」


 レンカの声が先に飛んだ。


 悔しいが、その手の警戒と忠告は戦いの専門家にまかせ、カルナリアは露骨に周囲を見回すことで兵士たちを牽制する。

 あの山賊たちのように、背後から突然のだまし討ちなどさせない。


「あ~、なんか、めんどくさいことになっていないか?」


 フィンの、何一つ変わらない、けだるげな声が流れた。


「依頼を受けた。決闘した。決着した。なら終わりだろう」


「陛下の御前に、身分を隠し、顔も隠したまま立ち、第四位の貴族を卑怯な手で打ち倒す。そのようなふざけた真似をされては、見過ごすわけにはいかぬ」


「じゃあ下がるから、放っておいてくれないか」


「ふざけるな!」


 ディオンは獅子吼ししくしたが、もちろんフィンにはまったく通じない。


 むしろ雷声を一緒に浴びるかたちになったカルナリアの身がすくみ、素人であるゴーチェがひぃっと哀れっぽい声をあげた。


「ええと、そうだ、雇い主どの」


「あ、はい、何でしょう」


 またしても反応が遅れた。

 他人行儀な呼び方にチクリと胸が痛みもした。


「今の決闘は、向こうは雇い主どのを捕まえて尻を叩くことが目的だったはずだ。こちらが勝った以上は、それはされない。では、こちらは?」


「はい、ええと……あ、いえ、決闘の前に条件を言っていないので、何もしてはいけません」


「なるほど。わかった」


「……何か言われていたら、国王たるこの余に対して、手をかけようとしたということかな」


 レイマールが、ディオンや他の騎士たちの作る壁の向こう側から訊ねてきた。


「フィン・シャンドレンと名乗る者よ。そこの反逆者の言ったことについて訊ねたい。

 そなたがいるがゆえに我が王道は成らぬというのは、いかなる意味か。余の前に立ちふさがり、はばまんとするということか。すなわち余の敵となるということか」


「知らん。私が言ったわけではない。あの者に訊け」


「その口のきき方はなんだ?」


 ディオンが進み出た。


 レイマールを他の騎士たちが守っているために、今度はためらいなくフィンの前に立つ。


「カルナリア殿下の恩人ゆえ、罪には問わぬと陛下がわざわざ宣告してくださったにもかかわらず、陛下に対する、たび重なる、度を超えた無礼、これ以上捨て置くわけにはゆかぬ。まずはそのかぶりものを取り顔を見せ、国王陛下に対して礼を尽くせ」


「めんどくさい」


 次の瞬間、ディオンの手に大剣が現れた。


 信じられない速さ。


 抜き身のそれ、カルナリアの背丈ほどもある幅広い重量物を、細剣のように、ぴたりとぼろ布の顔面だろうあたりに突きつける。

 その後から風が舞った。


「次はない。無礼者よ、顔を見せ、陛下のご下問にお答えせよ」


「お断りする」


 轟音が鳴った。


 大剣が、これも信じられない速度で振るわれ――ぼろ布をかすめて円弧を描き、風が渦巻いた。


 脅しで、そのように振るったのだとカルナリアは思ったが。


「ぬうっ!」


 ディオンが憎々しげにうなったことで、本気で斬りつけ、かわされたのだとわかった。


「かわしただと? ディオンの剣をか」


 レイマールが、信頼する筆頭騎士の攻撃が失敗したことに驚き――。


「ま、当然っすね。全力のおっちゃんでも届かなかったんだから」


 セルイを抱きかかえたままのファラがぼそっと言った。


「あっ、い、いけませんっ!」


 突然始まった戦闘に呆然としていたカルナリアだったが。


 フィンが斬りつけられている、巨漢の豪剣が振るわれている、もし当たればたやすく肉は切れ骨は砕け、ぼろ布ごと叩き潰されてしまうだろう――という想像に心臓が破裂しそうになって。

 タランドンで、射貫かれたフィンの姿から受けた衝撃もよみがえって。


 飛び出した。


 二人の間に割って入ろうと――。


「こら。危ないぞ」


 ふわりと、肩を押さえられた。


「え」


 フィンが自分の背後にいる。

 素早く回りこんだのだろうが……どのように動いたのかまるでわからない。


「卑怯な!」


 王女を盾にされた形になったディオンが、振り下ろしかけた剣をぎりぎりで止めて、飛びすさり、怒りの形相も凄まじく構え直す。


 カルナリアの全細胞が恐怖にすくみ上がる。


 これまで、真っ赤になったモンリーク、本気の凄味を宿したゾルカン、殺意全開のギリアやレンカ、さらには自分を獲物とみなしたバールなどの、敵意を向けてくる相手に幾度も相対してきたが。

 その誰よりも、何よりも、ディオンの迫力は凄絶だった。


 第四王女付き筆頭騎士だったガイアスよりもさらに武名の高い、これがカラント王国最強の戦士。


(でも……)


 一瞬だが、カルナリアは肌感覚で比較してしまった。


(このひとの方が……………………)


 あの川べりでの、殺気。

 タランドンで、オーバンいやその中に巣くっていた憑依者に対して放ち、自分も一緒に浴びた。

 グライルに入ってから、雨の中、死の汚泥から逃れ出た時にも、ファラに向けて冷え冷えと。

 つい先ほども、幾度か……。


(あれの方が、もっと、ずっと、鋭くて、怖いような……)


 背後の人物が放てるはずのその感覚は、今は、まったく感じない。


 自分を盾にして何とか逃がれようとしている様子。

 カルナリアとしても、それはむしろ望むところで。


「王妹殿下を盾にするか! 卑怯者め!」


「卑怯も何も、そもそも私には、お前と戦う理由は何もなく、一方的に攻撃されているだけなのだから、逃げるのは当然だろう」


「おやめなさい、ディオン!」


「殿下、おどきください!」


「いけません! 兄様、止めさせてください! 筆頭騎士が直々に襲いかかるほどのことですか!?」


「いや、心配はいらないよ、カルナリア」


 レイマールは優雅に笑いながら言った。


「その者は、諸国に名高い、剣聖と呼ばれる凄腕なのだろう? ならば、腕におぼえのあるディオンが手合わせを乞うことに何の問題もあるまい」


「そんな! ひどいです!」


 またしてもレイマールは詐術を使ってきた。

 カルナリアは憤激する。


「そもそもこの方は!」


 本当に剣士かどうかわからないのですよ!

 そう言いかけたところへ。


「あー、ええと、雇い主どの……じゃなかったな、もう決闘は終わったのだから……王女殿下、いや兄というあれが王になったということはそうではないのか、カルナリアお姫様殿下、か?」


 緊迫感を台無しにする、このに及んでもまだいつも通りの、フィンの声がかけられた。


「ルナでいいですもう!」


「じゃあ、ルナ」


 肩の手に力がこめられ、その呼ばれ方と共に胸が高鳴った。

 もう二度と呼ばれないと思っていたのに。


 自分がフィンの役に立てる時が来た、盾なら盾でいい万全にその役目を果たしてみせると猛烈に気合いが入った…………が。


「危ないから、どいていろ」


 くるりと向きを変えられてしまった。


「レンカ。この子を頼む」


「はいっ!」


 抗う暇もなく、腕を掴まれ、引っ張られて、フィンから引き離されてしまった。


 ほとんど引きずられるようにして、セルイとファラたちのところへ。


「お前がいれば、一方的に殺されることだけはなくなるんだ」


 小声で言われてハッとした。


 確かに、セルイが殺されるのを防ぐには、レイマールに哀願するよりも、殺されたくない者たちをひとかたまりにして、そこにカルナリアも混じる方がまだ効果的だ。

 もはやカルナリアは、命を保証するというレイマールの言葉に、一片の信頼も置くことはできないのだから。


 その意味では、この扱いこの位置取りは問題ない………………が!


 自分が近くにいないということは、フィンは!?

 フィンの命はどうすれば守れる!?


「はぁぁっ!」


 ディオンの強烈な気合いと共に、大剣がうなりを上げる。


 邪魔なカルナリアがいなくなった途端に、猛然と攻撃してきた。


「ふんっ!」


 右から、左から、上から。

 恐るべき威力の斬撃が、これも恐るべき速度で、連続して、襲ってくる。

 実際に戦っているところを見た、あのファブリス、ジスランの両名もすばらしい使い手だったが、このディオンと戦えば、二人がかりでも、もって三合打ち合うのが精一杯だろう。それほどの強さ、それほどの勢いだ。


 だがフィンは、ぼろ布の裾をひらめかせながらスイスイと逃げ続ける。


 その動きに、初めて「ぼろぼろさん」と出会った時のことをカルナリアは思い出した。あの時もあんな風に逃げ回っていた。


 ただ、相手は田舎の村の子供ではなく、十年以上たっぷり訓練を積み重ねた騎士たちの、その中でも上澄み中の上澄み、この国の最強騎士のはず。

 なのに子供たちと同じように、あしらわれ、あらゆる攻撃が空を切るばかり。


(実は、名前ばかりが高まっているけれども、鍛錬を怠っていて、それほどではない……のでしょうか?)


 そんなことすら考えた。


「くうっ! おのれ!」


 必殺のはずの剣が空振りし続けるディオンの、形相がものすごいものになってゆく。


「剣士だというのなら、そちらも、抜け!」


「断る。理由がないし、何よりめんどくさい」


「ぬおおおおおお!」


 自分たちの中で最強の戦士が相手をとらえられないという異常事態に、周囲の騎士や兵士たちも愕然としている。


 しかしやはり、彼らは精鋭中の精鋭で。


 戦いに見入って固まるようなことはまったくなく。


 カルナリアが離された途端に、ひたひたと、全体でひとつの生き物のように、フィンとディオンを包囲し、距離を縮めてきた。


「危ない! 囲まれて! 後ろ!」


 気がついたカルナリアは声を張り上げた。


「大丈夫だ」


 もちろん、フィンが気づいていないわけはなかった。


「この者が、実はやはり山賊だというのなら危ういが、本物の騎士だというのなら、他人の手を借りるなどという真似はするまいよ」


「…………!」


 ディオンが顔面いっぱいに血管を浮かせた、凄まじい顔つきになった。


「邪魔をするな! 手を出すな!」


 兵士たちに怒鳴り、手を振り、むしろ追い払おうとする。


「これは、我が決闘である! 余計な真似をする者は、斬る!」


 しかし、その空隙くうげきの時間に。


「アルトニア」


 レイマールが、トニアに声をかけていた。


 呼ばれて即座に近づいていった、身をかがめた彼女に。

 何か言って。


 トニアの姿が、フッと消えた。


 カルナリアはそれにおぼえがあった。

 湖畔の村で、グレンとレンカが、人の合間にまぎれた技。

 フィンも、あのぼろ布も利用してだが、似たようなことをやる。


 隠行。

 忍びの技。


 それを使って気配を消し…………何を?


 答えはすぐに判明した。


 兵士たちを一定の距離以上は近づかせず、闘技場とも言える空間を確保した上で、ディオンがあらためてフィンに斬りかかる。


 横なぎの斬撃を、ディオンの踏みこみ以上に速く後ずさって避けたフィン。


 その頭上から。


 小屋の上、人の背丈よりずっと高いところから。


「フィン・シャンドレン! 覚悟ぉぉぉぉぉぉ!」


 大声で叫び、姿を示し、手にした刃をきらめかせ――トニアが降ってきた。


 その手の剣は、案内人の一員としてグライルを移動する彼女の持ち物ではありえない、直刃の、きらびやかな装飾のほどこされたもの。

 レイマールが手渡したのだろう。


 それをふりかぶり、やたらと光を反射させて、つまりは見せつけ、甲高い声も張り上げつつ、落下してくる。

 カルナリアでも注意を引くための囮とすぐわかる稚拙な行動。


 ただやはり凄腕で、飛距離は正確、そのままならフィンの頭上に、落下の勢いまかせに剣を叩きつけることが可能。魔力も感じる。何らかの効果を付与して、危険そのものの存在として降ってくる。


 フィンは――ディオンの大剣もまたその身に迫っており――。

 恐らく、ぼろ布の中で「見て」、見上げて、一瞬だが完全に足を止めてしまって……。


 音。

 複数の。

 連続して。


 起きたことも、複数、連続して。


「!!!!!!」


 カルナリアは、見た――見るだけは、できた。


 すべてがゆっくりと、ひとつひとつ、目に飛びこんできた。


 きてしまった。


 降ってきたトニア。

 フィンの頭上へ。

 そこで火花。もしくは光。

 何かをされて、トニアの体が弾け飛んだ。


 その次の瞬間、ぼろ布に――。

 動きを止めた円錐形の、内部の人体の、胸があるだろうあたりに。


 いきなり、棒が生えた。

 槍だ。

 投げつけられた槍。

 それが、貫いた。


 投げたのは、ガザード。


 そんな気配を一切感じさせないまま、一瞬で、凄まじい威力の投槍を放ち。

 上からトニア、正面からディオン――意識がそちらに向いただろうフィンを、横合いから、正確に貫いた。


 さらに次の瞬間、一連のことに気づきはしたが動きを止めることは一切しない、熟練の騎士の豪剣が叩きつけられて。


 ぼろ布の、細くなっている上部が。


 一気に切り裂かれて、中身ごと宙に舞った。


 切り裂かれた部分が回転した。

 間違いなく、重たいものが中に入っている回転の仕方だった。





「………………ヴァ?」


 カルナリアは、自分の口が、妙な音を発したのを聞いた。





【後書き】

斬られた。

本当に、ぼろ布が切り裂かれた。

貫かれ、斬られた。

手練れ三人がかりで、やられた。

フィン・シャンドレンの首が飛んだ。

普通の者ならそれでおしまい。だが本当にそうか。何かが起きるのではないのか。

次回、第229話「覚醒」。

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