211 一触即発



 全員が固まった。


「………………」


 噴煙や魔除け煙のにおいが混じった風が吹き、ぼろ布の裾がわずかに揺れる。


 数度のまばたきの後、われに返った騎士ディオンとベレニスが、先ほどファラに対したのとまったく同じように、素早くレイマールの前に出て守る姿勢を取った。


 ファブリスとジスランも、それぞれセルイとファラの前に出る。

 ただこちらの二人は顔面蒼白。死を覚悟した気配。砦に入ってきた時よりも決死、必死の形相。なぜそんな顔なのかカルナリアにはわからない。


何奴なにやつ! 名を名乗れ!」


 ディオンが雷鳴のように怒鳴った。

 数百、数千人におよぶ騎士団に号令をかける豪勇武将の怒号である。

 見物しているだけの案内人や山賊たちがすくみ上がる。


 しかしぼろ布は、揺らぐことすらせず――。


「フィン・シャンドレン。この子の所有者だ」


 スッ、と横に動いて。


 壁に背をつけているカルナリアの隣に立った。


「無礼であろう! 離れろ!」


「いけません!」


 鋭い声をセルイが放った。


「ゆっくり、刺激しないように、距離を取ってください。あの者は、我々が何をするより速く、王女殿下を害することが可能であります」


「ぬう……」


 レイマールがうめき、ディオンとベレニスに下がるように言った。

 二人は武器から手を離し、じわじわと後ずさる。しかしレイマールを守れる位置からは動かない。


「おい、お前」


 突然ガザードがフィンに声をかけた。

 その目つきが鋭い。殺気を放っている。

 今までの、へらへらしていた男とはまるで違う、山賊の首領の本当の顔。


「俺はこいつらのかしらだ。どっから入ってきやがった。返事によっちゃ――」


「山賊どもの首領か。この子や、ここまで共に旅をしてきた仲間たちを襲い、殺し、縛って連行してきたやつらの親玉。

 つまり、私の『敵』だな」


 フィンもまた殺気で返した。

 カルナリアの体が凍りつく。次の瞬間首をはねられることが確定した冷ややかすぎる感覚。あれ。


「う」


 ガザードは即座に後ずさり、部下たちの後ろに隠れた。


「やりますね。冷静で的確な判断です」

「一見臆病なようだけど、あれで大正解っす。できるやつっす、あいつ」


 セルイとファラが、ファブリスとジスランのたくましい体の後ろで言い交わした。


「この建物の奥に秘密の逃げ道があり、それを逆にたどって入りこんできた、ということでしょうね」

「こういうとこには大抵あるっすからね。それ見つけられちゃ、お頭としちゃ黙ってられないっすよね。レンカちゃん連れてったのは、狭いとこに入らせるためっすね」


「……あれが、リアの護衛剣士で間違いないのだな?」


 そのやりとりを耳にしたレイマールが訊ねた。


「はい。あれこそが、『剣聖』の名で呼ばれている恐るべき剣士、フィン・シャンドレンであります」


「剣聖、だと!?」


 レイマールではなく、騎士ディオンが反応した。


「知っているのか?」


「東の、サイロニアにいるという、恐るべき腕前の女剣士と聞いたことがございます。カラントに入っていたということは寡聞かぶんにして存じ上げませんが」


「ふむ。そのような者が、我が妹についてくれていたのか。ならば感謝し礼をもってぐうすべきではないのかな」


 納得顔のレイマールにセルイが言った。


「いえ……ついていたと言えばおっしゃる通りではありますが……きわめて厄介なことになっております」


「厄介、とは?」


「王女殿下は、反乱軍の目を逃れるためとはいえ、首輪をつけております。主人なしの奴隷というものはありえません。すなわち――」


「む。所有者とは、そのことか」


 レイマールはすぐに察した。


 ディオンも他の者も下げさせ、進み出てくる。

 優雅な笑みと共に両手を広げて敵意のないことを示しつつ――。


「我が名はレイマール。レイマール・センダル・ドゥ・コル・カランタラ。カラント王国第一位貴族、第二王子、王太子にして次期国王であり――その者の兄である。

 剣士、『剣聖』のふたつ名で呼ばれし、フィン・シャンドレンという者で間違いないな。大いなる国難に際し、奴隷に扮して逃れていた、の護衛、大儀であった。汝の助力に深く感謝する」


「…………!」


 カルナリアは危険な動悸に襲われつつぼろ布を見上げた。


 自分の本当の名前を知られた!

 身分も知られた!


 こんなかたちで、自分から言い出すこともできずに、一方的に言われてしまった……!


「あ、あのっ……!」


 声は発したが、何を言うべきかわからない。

 隠していたことの謝罪か。レイマールの言う通りだと認めることか。それを言ったらどうなるのか。どうされるのか。


 ――だが、カルナリアの動揺などまったく関係なく、小さなため息を漏らしてから、フィンは言った。


「黙れ。賞金稼ぎどもの親玉、山賊のかしらの言うことに耳を貸すほど暇ではない」


「…………む?」


 レイマールの表情が固まった。


 何を言われたのか理解できなかったようで、優美な顔貌の全てが硬直する。


 そこにさらにフィンが続けた。


「この子はルナという名だ。私が譲り受け、私が所有する、私のものだ。言いがかりをつけ奪おうとしてもそうはいかない」


 カルナリアは抱き寄せられ、ぼろ布の前に立たせられた。


 見ようによっては、人質あるいは盾にされたようでもある状態。


「え…………」


「適当なことをでっちあげ、私のものを一方的に奪おうとする山賊どもになど、渡すわけにはいかない」


「…………いや、待て。待つがよい」


 頭痛をおぼえたようにレイマールは額に手をあて、数呼吸の間を空けた。


「我はレイマール。カラント王国の第二王子にして王太子である。

 その子は我が妹、カルナリア・セプタル・フォウ・レム・カランタラである」



 ばっさり、フィンは断ち切った。


「言うだけなら何とでも言える。我が名はフィン・シャファーリク・デ・ブルンターク・ナオ・ロルフィンデル・シャンドレン、サイロニアは都市国家ブルンターク、最高評議会の一員ジシュカ・シャファーリク元帥の姪にして長命種ロルフィンデル氏族に属するシャンドレン家の一員……と適当に言ったところで、確かめる方法はない。それと同じだ」


「え、それが、ご主人さまの本名!?」


「でまかせだ。望むならお前の好みの国の王族の名にするぞ。フィン・フィンデリオ・シャンドレン・カウリッパとかな。北の、雪国の言い方だ。フィンデルの子フィン、異名は『切り裂き』という意味だ。

 カラント風にフィン・ファスタル・ファウ・シャンドレン・ファウ・ナオラルとも。知識さえあればどうとでも言える」


 信じるな愚か者、というお叱りをこめて軽く頭を叩かれた。


 しかしその様――カルナリアがご主人さまと呼んだこと、王女の頭を小突いたことは、レイマールたちに劇的な反応を生んだ。


「無礼者!」

「殿下、お下がりを!」


 騎士ディオンとベレニスだけでなく、周囲の兵士たちも一気に敵意をみなぎらせる。


 その殺意の雲に――。


「やはり、すぐ地が出るな。いくらまともな鎧兜よろいかぶとに身を包んだところで、地の卑しさは隠しようがない山賊どもめ」


 軽蔑を隠そうともしない声音でフィンが返した。


 こういう声音は、聞いたことはあるが、あまり思い出せない。会ったばかりの頃、あの山小屋で朝を迎え、崖下に群がっている兵士たちを見た時にこんな感じで賞金稼ぎどもを罵っていたような。またタランドンで救い出されてから経緯を語り合った時、フィンを呼び出す布告についてジネールたちを助平貴族と決めつけた、そのくらいか。


 ともあれ、見るからに剛強なディオンや精鋭たる兵士たちに囲まれている状況だというのに、フィンからは恐れている気配はまったく感じられない。

 そのこともまた、カルナリアにとっては恐ろしい。


 タランドン城と違って、事前の仕込みもはったりの準備も何もないはずなのに!


「我らを賊と罵るか!?」


 女騎士ベレニスが高い声を張り上げた。


「賊の首領の女か」


 容易に見抜けることをフィンは指摘し――ベレニスが激昂した。


 剣を抜く。


 次の瞬間、ベレニスの眼前で鋭い金属音が鳴った。


 フィンはカルナリアの背後で微動だにしていない。

 動いたのはセルイだった。


 携えていた剣を抜き放ち、ベレニスの剣に合わせ、刃こぼれを出さないように巧みな力加減で押さえていた。

 とてつもない早業と力量。


 ベレニスは、抜き放とうとした剣が止められてからようやく、何をされたのか気づき――。


「邪魔をするな、反乱軍の下郎が!」


 叫んだ。


 憎しみと蔑みの目をセルイに向け、そちらに剣を振るおうと。


(!)


 その瞬間、カルナリアは察した。

 セルイの動きに追随できず置き去りにされたファラの中に、とてつもない魔力が膨張するのを…………!


 しゃべっていなかったから、おしゃべりが止まるという前兆を示すことがなかったが――この女性がそうなった次の瞬間、は誰よりもよくわかっている!


 カルナリアは凍りついた。

 前にファラがそれを起こした時、フィンは、次は即座に斬ると言っていた。

 ならばご主人さまが本当に人を殺す!?


 あるいはファラが炸裂する!?

 あの魔力をこの場で放出する!?


「…………か。いいぞ。思いきりやれ」


 フィンが、のんびりした、楽しそうな声音で言った。


「お前たちが勝手に殺し合うなら、私はとても楽ができる。ありがたい。たっぷりやってくれ」


 愚弄しているようだが、かなりの部分本音なのではないかと、カルナリアだけは思った。


 しかしそれを聞かされたベレニスは、セルイに向けていた殺意をフィンに向けつつも、歯ぎしりしつつ、剣を収めた。


 セルイは引き下がり。

 ファラの魔力は落ちついて。


 ――ファラの暴走に気づいて対応しようとしていたバージルも、強い緊張を解いた。


 彼女を抑えられる、大魔導師と呼ばれる人物がここにいてくれたことに、カルナリアは心から感謝した。


「ふう。とりあえず、みなさま方、落ちついてください」


 セルイが何とか優美な表情を取り戻して、如才なく四方をなだめて回る。


 案内人も山賊たちも、周囲の者たちのほとんどは、何が起きかけたのかわかっていなかったが。

 魔導師でもあるトニアが、顔色をなくして息をつき――レイマールもまた、顔を引きつらせていた。


 魔導師の能力は持っていないはずのレイマールだが、自分と同じように魔力を感知することはできるのではないかと、カルナリアは推測した。


「フィン・シャンドレン殿は、カラントの方ではありませんから、我々の常識が通用いたしません。ここは私におまかせください」


「わかった。まかせよう」


 レイマールが言った直後に。


「賞金稼ぎのまとめ役風情と話すことなど何もない」


 フィンが、これもばっさりぶった切った。


「いえ、私は、賞金稼ぎなどではありませんが」


「私が滞在していた村を襲ってきた、賞金稼ぎの、


 フィンは言い――セルイは少しだけ眉を動かし、背後のファラが隠しきることができずに「あ、やべっ」と言わんばかりに表情を変えた。


「その男が、私の恩人が村長をしていた村を襲い、火を放ち、仲間を集めて、私とこの子を追ってきた。七人で追いかけてきて、私たちが中にいると勘違いしたのか、城に突入して、中で大勢を殺し、火をつけた。ドルー城といったか」


「…………」


「逃げる私たちを、罪なき者を何人も殺しながら追いかけてきた。

 このルナを捕らえ、なぶり、鞭打った。

 そいつらの親玉がお前だ、セルイ。私はちゃんと知っている。ゾルカンの手前、これまで見逃していただけだ。

 そしてここまでのやりとりからすると、お前のさらに上の者が、そこの似たような顔をした者であり、その者はこの砦で一番偉い立場、山賊どもの頭だ。

 すなわちお前も、その者も、全員が賊と呼んでいい者であり――」


 これ以上なくきっぱりと、フィンは言い放った。




「そんなやつらに、私のルナをくれてやることなどできるわけがなかろう、愚か者」




「……!」


 ビキビキビキと、音が聞こえるほど濃厚に騎士ディオンやベレニスの顔面に血管が浮き。


 レイマールも、優雅さを失わないように全力で自制している――自制していることがわかるほどにぎりぎりの状態で、目元や頬を引きつらせ、作り笑いを張りつかせて、わずかにのぞく首筋に太い血管を浮き上がらせた。




【後書き】

あかん。

だめだこりゃ。

もうめちゃくちゃである。

次回、第212話「頑迷固陋がんめいころう」。



【解説】

ここまでのフィンの行動が判明。城壁側に陣取っている豹獣人たちを避けるために、正面から砦をうかがうセルイたちと離れて、レンカを連れて砦の裏側の山に回りこみ、以前猫背の男こと「6」ディルゲから奪った『犬鼻』を使い(第62話参照)、砦の裏側の山中を探して抜け道を見つけ、侵入してきていました。

そして、そちらから侵入し洞窟内にいたせいで、実は200話でカルナリアが脱がされ襲われかけたあのとき、どれだけ叫んでも聞こえない状態にありました。あの時は本当に危なかったのです。

なお『犬鼻』は、フィンは口にしませんでしたが第152話でもレンカの剣を探す時に使っています。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る