148 おこづかい
※視点、何度か変わります。
――とてつもないことが次々と起きたが、時間にしてみれば、それほど長くかかったわけではなかった。
太陽は上昇中。
まだ正午にもなっていない。
「おーーーい! 生きてるやつ、もう大丈夫だーーー! 出てこーーい!」
湖に逃れて無事だったゾルカンが、声を張り上げ笛も鳴らして周囲に呼びかける。
山中にまだ隠れていたらしい者が、その声で姿を見せ始める。
生きのびた者たちは、よろめきながら村に戻ってきた。
村に、というより、村「だった場所」に、ではあるが。
川の中を進んできた石人たちが、村にも踏みこんできて、それまであった大半のものが踏みつぶされていた。
カルナリアが昨夜休んだ家も、衝撃的なものを見てしまった家も、浴場も、崩壊していた。
しかし水上住居や舟で湖に逃れ、村に残っていた者たちの大半は無事。
案内人たちは、大荷物を湖に投げこみ、亜馬たちを水上住居に乗せ自分たちは湖水に飛びこみ筏の端につかまり、全力で岸から離れた。
村を潰した石人たちは湖底を通過、彼らの足の下を通っていった。
今は流した荷物を、船を出して回収しにかかっている。
廃材をかき集めて
食事も作られ始めていた。
村を出ることなく、したがって
外に出て、駆け回り、恐ろしいものから死に物狂いで逃げ惑い、とてつもないものを目の当たりにしつつ、かろうじて生き残った人々は――。
完全に魂が抜けて。
村までは戻ったものの、それ以上何をすることもできずに座りこむだけになってしまった。
カルナリアも、レンカもファラも、村に戻ったところで膝が笑い腰が抜けて、動けなくなった。
魔法できれいにする気力も湧かないようで、ファラは堀だった水たまりの中に転がって黒土を洗い落とした。
外にいたのに普段通りに動ける、数少ない人物であるフィンは――あのまき散らす恐怖がなくなっているために、その存在に気づいている者はほとんどいなかった。
「アリはもう出ねえって、本当かよ、ぼろ」
「ああ。ファラが放ち、私に染みついてしまっていた死の力を叩きこんだ。だからほら、もう私は怖くないだろう?」
「確かに…………とんでもねえな、あの姉ちゃん」
「ああ、本当にすごいやつだよ。だが今回は運が良かっただけだ。おかしなことは考えるなよ。あれをまたやられたら、今度こそみんなおしまいだからな」
「わかってるよ。怪我人もいっぱいだ、あの姉ちゃんとあんたに頼らねえと色々厳しい」
「…………どれだけ、やられた」
「十八人、だな……今んとこ、だが」
「そうか……」
「これだけですんだ、と言うべきなんだろうけどな……あれだけのもんに遭遇して、よくこんなに生き残れた、と」
「お気持ち、お察しする」
客だけでなく、案内人にも死者が出ていた。
後に残してきた犬獣人のバウワウたちも、果たして無事でいるのかどうか。山を崩して登ってゆく石人の大群のせいで、あの岩屋根が崩壊する可能性はきわめて高い。何も知らないままいきなりあれに出くわしたら……!
「今日はこの後、とにかく、使えるものかき集めて、葬式やって、これからのことを相談だ。外に出て、死んだやつらや残ってるものを回収したいんだが、手伝ってもらっていいか。まわりを警戒してほしい」
「ああ。だがその前に、することがある。それが終わってからだ」
「……何をやる気か、聞いてもいいか?」
「貴族班から、ひとり減る」
※
「ご無事でしたか!」
疲れ果ててはいるが、無傷で生き残ったエンフの姿を見て、カルナリアはぼろぼろ泣いた。
とてつもない脅威と死を眼前にした直後なので、生きている者はすべて輝くように見え、知っている人がそこにいるというだけで感情が決壊してしまうのだった。
「声かけてくれてありがとね。危なかったけどね。囲まれて、こりゃ死んだと思ったけど……どうにか、生き延びたよ」
「よかったです…………本当に、よかった!」
エンフの背後で、ライネリオ、パストラ、カルリトの親子が、死人の顔色でよろめいている。
どちらに逃げるかわからなくなったところをエンフに誘導され突っ走ったものの、黒い波に囲まれ、しかもたかられた人間がその姿を失ってゆくところを見てしまったらしく、完全に心神喪失状態。
「ありがとう……ございました……」
人妻のアリタも、元から血の気に乏しい肌をさらに白くして、人形のようになってはいたが、山へ導いてくれたカルナリアにちゃんと礼を言ってきた。
夫の方がむしろ弱っているようだ。
とりあえず、女性班の者たちはみな生き残っていた。
そのことを心から喜び、また涙を流す。
「それで…………その」
カルナリアは涙をぬぐいつつ、目を周囲にはしらせ、その仕草でエンフに問いを伝えた。
(トニアさんは?)
「多分、無事だよ。今はどこにいるかわからないけど、後からひょっこり出てくるから。あいつが死ぬのってなぜか想像できないんだよね」
安心できたわけではないが、エンフが言うならそうだと思うしかなかった。
※
ギャオルとガンダ、獣人ふたりが、水から上がってきて、ブルブルブルと水滴を飛ばした。
どちらも、最も先行していたが、石人の本隊を見るなり警報を放ってから川に飛びこみ、向こう岸へ渡って生き残った。
再び川を越えて合流してきたその二人が、殺気を放って人々の間を突き進む。
客ではなく、案内人でもなく、ここの住人ですらない者たち三人が固まって震えていたところに、怒号を浴びせた。
仲間を捨てて逃げたため、血吸蟻を興奮させてしまった、あの者たちだった。
「仕方なかったんだ! 許してくれええ!」
「雨で、昨日の雨で、足止めされて、久しぶりだから、無理して、あいつが転んじまったんだ!」
久しぶりというのは、ここに来たゾルカン隊との交易――そして、夜に味わうことのできる、特別な者のことだろう。
「あ、あのまま、あいつ運んでたら、全員、踏みつぶされてた! 同じことになってた!」
「……わかってる。そいつは、ちゃんと、わかってる」
豹獣人ギャオルが牙をむきつつ言った。
「だから、お前らのことは、怒るが、殺さないでおいてやる」
「その代わり、死んだ者たちを、あつめるのと、うめるの、手伝え」
犬獣人ガンダが、これも牙を見せつけながら言った。
「もう、土の中に、おそろしいもの、いない。全部、しんだ。だから、これからは、お前たちを、殺せるの、わすれるな」
※
「………………グライルが命をよみがえらせに来た、ですか。その仮説が本当なら、石人の群れがやってきた原因は、ファラ、あなたということになりますね。そして今日もまた『剣聖』に救われた」
「……本当に、ごめんなさいっす……」
「まあとりあえず、無事で何よりです。みなを水で守ってくれたことだけでなく、あのアリを退治したのもあなたということで、聖女と見られ始めていますよ」
「それゾルカンに言ったのあいつっすよね。こっちに押しつけて、頼らせて、自分は注目されないようにして、好き勝手やるつもりっすね。つくづくあいつ、クズっす」
「それについては我々も人のことは言えませんので、あまり汚い言葉を使わない方がいいですよ。
で、アリについては…………本当は何が起きたのですか?」
「ガチで、マジで、ヤバすぎっす。
吸いとった私の魔力――死の魔法の力をぶちこんで、この辺全部の、アリだけを殺したんす。
でも死の魔法って、ある生き物だけ殺すなんてものじゃなかったはずっす。少なくとも私には無理っす。意味わかんないっす」
「
「あんなことできるんなら、人間だけを一気に殺すってこともできるかもしれないっす。
あの石人の本隊も、どうにかできるかって言ったら、無理、できないじゃなく、めんどくさいと答えられたっす。
それこそカルちゃんが取り残されて万事休すってことになってたら、片端から斬りまくって助けてたかも。
絶対に、逆らっちゃいけないっす。
もしくは――さっさと殺すか」
「今はもう、殺しても、死の力は来ないでしょうからね。
しかし他に何かが起きるかもしれません。想像もつかない何かが。
まあ、そういうことは、考えるだけにしておきなさい。友好的にしている限り、私たちが無事でいられるどころか、『四女』を守るためということで、今回のように結果的には私たちのことも守ってくれるでしょうからね」
「はいっす………………ほんと、憎たらしいっすけど」
「あなたがそう思っていることも、感じ取られているでしょうね。
それでも斬ってすませず、あの調子で危ないものを片づけてくれるなら、むしろ心強いではありませんか。せいぜい頼って、使ってやればいいのですよ。
そのためにも『四女』の面倒は見続けてくださいね」
「はぁいっす……」
※
カルナリアは、力仕事の役には立てないので、怪我人たちを世話して回ることにした。
頭部を大きく腫らしたモンリーク。
片腕を失い今なお「停止」させられたままのゴーチェ。
他にも、山に逃げこむ際に転んで足を痛めた者、川へ飛びこんだ後に恐怖のあまりに水から出られなくなって体温を失った意識不明者などの怪我人がいくらかいる。
精神的にショックを受けて何もできなくなった人たちにも、とりあえず水を配り、声をかけ、元気づけて回る。
「怖かったですね。でも、もう、終わりました。あの怖い虫は、退治されて、もう出ないそうです。石人も、もう来ません。心配ありませんよ。少し休んだら、一緒に、バルカニアへ帰りましょうね」
客たちは大半がバルカニア人なので、そういう言い方で励ますと、いくらかは気力を取り戻し、礼を言ってきた。
自分の言葉が相手を回復させた、ということがたまらなく嬉しくなって笑い返すと、さらに相手の気力が戻った。
妙に熱い視線を向けられているような気もしたが、今はそういうことを意識している場合ではない。
「あ……」
座りこむ人たちの中に、あの親子がいた。
ライネリオは、衝撃的なことの連続で魂が抜けたか、これが有力商会の会頭とは思えないほど老けこんだ、弱々しい姿になって背中を丸めている。
パストラは、息子のカルリトを抱いたままで。
そのカルリトは、目は開いているがうつろで、正気を保っているのかどうかもわからない状態。
他の者たちに順番に話しかけておきながら、そこだけ素通りというのもできかねて、カルナリアはおずおずと声をかけた。
「あの…………お水、どうぞ…………大丈夫ですか」
「ん…………」
ライネリオは震える手を伸ばしてきた。それだけで、表情は動かない。
パストラが――顔を上げてカルナリアを見た。
「…………!」
その
「ああああああああああああああああああっ!」
激しく叫ばれた。
「お前が! お前のせいで! お前のせいだああああああああ!」
つかみかかってこようとしたのを、後ずさって逃げる。
パストラは息子を抱いているので起き上がれず、腕だけが伸び、空中を引っ掻いた。
「うちの子を治せ! 元にもどせ! お前のせいだろ! お前が! お前の主人が! お前らがぁぁぁぁぁ!」
動ける者たちが集まってくる。
「みんな! 聞いとくれ! 全部、こいつのせいなんだ! こいつが、あれを呼んで、みんなを殺したんだ! たくさん死んだ! うちの子もこいつのせいでおかしくなっちまった! こいつのせいだよ! 捕まえとくれ! 化け物に食わせてやっとくれ!」
「……んなわけねーだろ」
ゾルカンが割って入ってきてくれた。
「こんなちっちゃな子に何ができるってんだ。子供ひとりにグライルをどうにかできるんだったら苦労はねえぞ。
そもそもその化け物を退治してくれたのが、このお嬢ちゃんと仲間たちだぜ。
いいから黙って休んでろ。
おい旦那、変なことしないようにしっかり抑えとけよ。何かあったらお前らにまとめて責任取らせるからな」
迫力ある声で言うと、カルナリアに向いた。
「で…………嬢ちゃん。ご主人様がお呼びだ」
「あっ、はい!」
「ご主人様だってぇぇ!? うわあああ、いやだあああ、追い払え、来るな、来るんじゃない! あの怖いのだよ、あれが、あの化け物が、来るんだよ! みんな、殺される、殺されちまうよぉぉぉぉぉ!」
「……殺さないぞ。めんどくさい」
本当にそういう気分なのが丸わかりのけだるげな声が流れ、認識阻害が破れた。
突如出現した――昨日、極限の恐怖をふりまいたぼろ布。
パストラの目が真ん丸になって。
「~~~~~~~~~~~~~~~!!!!」
耳が痛くなるような絶叫を上げて、息子ともども逃げ出して、超音波の尾を引きつつ湖に飛びこんでいった。
さすがにライネリオも慌てて起き上がり、後を追う。
「………………」
フィンは無言でたたずんでいたが、
そして、その円錐形からは、あの恐怖は広がらない。
「…………ま、とにかく、こいつはこの通り、もう何ともねえから、みんな安心してくれや」
ゾルカンは皆に言い置いて、肩をすくめて自分の仕事に戻っていった。
フィンが移動し始めたので、カルナリアはついていく。
誰も近づいてこないので、すぐ二人きりになれた。
それだけで胸が温かくなる。
「ご主人さま、私をお呼びとのことでしたけど、何でしょう?」
「お前にやるものを、忘れていたのでな」
きょとんとする。
フィンからもらうもの。何一つ思い当たらない。
「手を」
ぼろ布の中に入れることを許された。
こんな時なのにドキッとするが――。
中へ差し入れた手に、硬いものが渡された。
その際にフィンの指が自分の手に触れた。やっぱりドキッとした。
「できるだけ沢山の人を助けようと頑張ったお前に、ごほうびだ」
「ごほうび……ですか?」
引き抜いて、もちろん他の人に見られないようにしつつ、そっと手を開くと――。
美しいものがきらめいた。
金貨と、小さな宝石だった。
金貨は、昔のカルナリアが王宮で遊び道具扱いしていた、高額金貨。「おかね」とはこれだと思っていた。エリーレアの財布にも入っていた。
これ一枚で平民一家が一年暮らせると、今のカルナリアは知っている。
ドルーのあの屋台の包み焼きなど、何十年でも食べ続けられる。
宝石は――赤い、ややくすんだ色合いの、形も質も良くないもの。
だがカルナリアにだけは感じ取れる要素が濃厚に漂う。
魔力。
これは、装飾品ではなく、魔法石――魔法を良く通し、あるいは魔法の力を強めてくれるものだ。
魔導師がこれを持てば、魔法をより楽に使えるようになる。魔導師が持つ杖によくはめられている。
「お前にやったのだから、お前が好きに使っていい。何でも、好きなものを買え」
「………………」
カルナリアは考えこんだ。
主人が奴隷にほうびや小遣いを与えることはあると聞くが。
なぜこのタイミングでなのか、意味がわからない。
しかしこのご主人さまのすることには、常に何らかの狙いがあった。ろくでもないことであっても、とにかく何か。
買え、というのは文字通りの意味だろう。
だが、ここはタランドンの街ではなく、グライルの山中だ。高額金貨を使って買うようなものがこんなところにあるわけが――。
「………………あ!」
あった。
お金と――魔法石というところで、ひらめいた。
ここで、この場所で、買えるもの。
「本当に、よろしいのですか?」
「ああ」
短いが、優しさを感じる声だった。
「好きなように、買っておいで」
「はい!」
カルナリアは――ファラのところへ走った。
【後書き】
あれほどの目に遭いながら、なお人々を助けて回るカルナリア。してもらうのが当然だったお姫様が、自分にできることをしようとするのは成長だが――ひとつ大事なことが頭から抜け落ちている。かつて怪我を治された後に素顔をさらした時、ランダルがどのような反応を示したか。フィンの顔ばかり気にしているけれども、自分自身が人からどう見られるのか、どれほどの美少女なのかに無頓着。
そしてさらに他人のために動く。その結果何が起きるか。次回、第149話「廃墟での買い物」。少し残酷な表現あり。
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