109 クライミング



 薄闇の中、誰にも気づかれないまま、手をつないで歩き続けて。


 灯りが点いた。


 その瞬間に、握った手が離れていってしまう。

 光を憎たらしくすら思った。


 ……三方をぐるりと崖に囲まれた、行き止まりの場所だった。


 ここなら光を灯しても周囲から見られないということだろう。


 毛皮の男、案内人が三人。

 自分たち「客」が、十二人。


 この行き止まりの場所から、どうするのだろう。


 案内人が、灯りをかかげてぐるぐると回す。


 するとすぐさま、崖の上から何本も、ロープが投げ落とされてきた。


 上にそれだけの人数がいるということだ。


「お、おい、ここを登れというのか!?」


「登れないなら、吊り上げる」


 案内人は、自分たちが背負ってきた大きな荷物をロープにくくりつけ、また灯りで合図した。


 すぐ引っ張り上げられていった。


「望むなら、お前たちも荷物と同じように吊り上げてやる。登れる者は、できるだけ自分で登れ」


 人間が登るための、いくつも結び目の作られたローブが一本ある。


 案内人は一切言わなかったが、推測はできた。

 恐らくここで、客それぞれの能力を見て、今後の旅路に反映させるのだろう。

 無能だと判断されると、になるのは間違いない。


「男が先だ。登ったら、引っ張る手伝いをしろ」


「い、行きます!」


 ひとり旅の男が手を上げ、それをつかんだ。


 案内人たちが近づき、握り方や姿勢をアドバイスする。

 扱いこそだが、客は客ということで、悪気はないのだろう。


 それなりに力強く、男は登っていった。


 主人と従者の二人連れも、連続して登っていった。


「こ、こわい、こわいいぃぃ!」


 親子連れの、子供が、少し登ったところで泣き出した。


 下から父親が登っていって、何とか尻を押し、登らせようとする。


「うるさいぞ。黙らせろ!」


 モンリークが怒鳴ったが、その顔には不安の色があった。


 特に腹が出ているというわけではないが、俊敏とも見えない、それでいて体重は割とありそうな体つきである。


「この私が、あのような真似をしなければならぬのか」


「……案内人どの。我々が引っ張るので、我が主を吊り上げてはもらえないか」


「お前たちがやるなら構わない。上の者の合図に従え」


 従者三人が登っていってから、モンリークの体に縄が回され、合図と共に少しずつ引き上げられていった。


 男たちが登り終えると女性だ。


 親子連れの、母親は、時間がかかったが自力で登っていった。

 子供が母親を呼び励ます声が聞こえてきた。

 父親も、ロープを引きながら力のこもった声をかけていた。


 カルナリアの番。


 先の子供に色々手がかかったせいか、案内人たちは持ち上げて欲しいならそうしてやるぞという目で見ている。


「行けるか」

「はい」


 カルナリアは不敵に笑った。


 元からのおてんば技能に、ギーから仕込まれた技術がある。実際に今と同じこの荷物を背負ったまま崖登りをやらされもした。周囲が暗い以外は何の問題もない。


 それに、『流星』で走り出す前の、あの時の緊張感を思い出せば、この程度。


 ……あの時は、フィンにをやられてしまったが……。


 顔を振って火照りを冷まし、気合いを入れてロープを握る。


(いよいよ、本当に、カラントの地を離れるのです! バルカニアへの、第一歩!)


 カルナリアは祖国の大地を爪先で軽く叩き、振り向いて、後にしてきた世界を見た。


 ついにここまで来た。

 タランドン領へ入ることすらできるかどうか危ぶんでいたのに、そこを抜けて、さらに先へ。


 フィンを見る。

 このひとがいてくれたから。

 そしてこの先も、このひとがいてくれれば。


「行きます!」


 宣言し、登り始めた。


 ギーに仕込まれた通り、スイスイとロープをたぐり、岩肌に足をつけロープの結び目を利用して体重を支え、軽やかに体を上へ持ち上げてゆく。


 ある程度登ってゆくと、上の方でこちらを見守っている案内人の姿が見えてきた。


 手を伸ばしてくれて、つかまると、力強く引き上げてくれる。


 その目には賞賛の色があった。

 達成感でいい気分になった。


 崖上には、いくつかの灯り、先に登った客たちと吊り上げられた荷物、別な案内人が複数、そして――。


「ひぃっ! よ、寄るな、化け物!」


 モンリークの悲鳴につい目を向けると。


 人ではないものがいた。


 いや、体は人間だ。案内人たちと同じような毛皮の服、がっしりした体、腕と人間の手指。

 だが首から上が、毛深く、長い――「犬」だった。


!)


 王宮に連れられてきたのを見たことはあった。犬の獣人と、虎の獣人、鳥の獣人。鳥の獣人は背中に大きな羽根を生やし、広げると七色に美しく輝いた。


 獣の精霊と人とが交わって生まれるものなのだという。


 会話は可能だが、人間とは考え方や感性がやや違い、寄り集まって集落を作るようなことをほとんどやらないらしい。

 そのため数は少ないが、それぞれが獣の能力を持ち合わせていて、使いどころによっては非常に役に立つとのこと。


 ただその見た目から、嫌悪され、恐れられたり、あるいは虐待されることも多く、人の多い土地や街にはほとんど現れない。


 その珍しい獣人が、こんなところに!


 そして犬の獣人は、客たちひとりひとりのにおいをかいでいた。


「出血していないか、病気じゃないか、まずいものを持っていないか……そういうことを確かめる。隠されているとこっちも困るからな」


 案内人が言ってきた。


「まずいもの……とは……?」


「持ちこまれたら俺たちが困るものさ」


 それ以上は教えてくれなかった。


王のカランティス・ファーラ』を、あの獣人はどうかぎ取るのだろうか……。


 わめくモンリークをまったく無視して、獣人はその全身をひととおりかぎ、カルナリアの方へ来た。


 夜なので色合いは正確にはわからないが、灰色か黄土色系の、明るめの毛並み。尖った耳、黒い鼻。


(あら、可愛らしい)


 体格は筋骨隆々とした立派なものだが、頭部についてはそういう感想を抱いた。

 つぶらな目をして、口元もふんわりした感じである。

 もっともその目つきには、本物の獣とは違う、知性の光が感じられる。


 当然、この相手にもしっかり「色」は見えた。

 普通の人間とは違うもののせいか、かなり変わった色合いで、面白い。


 怖がられるのには慣れているのだろう、何も言わずに淡々と鼻を近づけてきて、くんくんとかいできた。


(あ、頭、なでてみたいですけど……その毛並みもこの手で…………でも、初対面では、失礼ですよね。親しくなったら、どこかで……)


 我慢して、じっとしていた。


 鼻を鳴らされつつ、ぐるりと一回りされる。


 不安だった首輪まわりは、かがれはしたが、何の反応もされなかった。


 何も言わずに離れていってしまう。

 口はきけるのだろうか。話せるならおしゃべりしてみたい。


 と、獣人への驚きでつい忘れていたご主人さまのことを思い出し、登る手伝いをしなければと振り向くと――。


 もう、いた。


「すげえな、あんた」


 案内人が感心していた。

 よほど見事な登り方だったのだろう。この怪人ならさもありなん。『流星』抜きでも、ひらりと馬に飛び乗り、飛ぶように山肌を伝い歩けるのだから。

 しかし見損ねたのは残念。


 ところで、獣人は、フィンに対してどのような反応を……。


「……


 近づいた獣人は、ぼろ布をひとかぎするなり、その場に膝を突いて礼を示した。


 きわめて低い、渋い声だった。





【後書き】

王女の足はついに祖国を離れた。これより先は人間の世界ではない。今までと違い、人間ではない脅威がぞろぞろと。つまりは人の意志でどうこうできるものではない。そこを往来する案内人たちもまた、一筋縄でいく存在ではない。次回、第110話「試験」。

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