107 グライルへ



 村は、周囲をぐるりと岩山に囲まれた、盆地のような所にあった。


 フィンに協力してくれる者たちだけが住んでいる、隠れ村であるらしい。


 案内の者――女だった――に先導され、村を出る。


 フィンもそうだが、カルナリアも、荷物袋は今までよりふくらんでいた。

 村に新しく届けられたものがいくつかあったのだ。


「うちの子に、意地悪されなかったかい?」


 案内の女が言ってきた。


「?」


「マルガだ。あの子の、母親なのだそうだ」


 目を見張った。


 言われてみれば、面影があった。


「マルガ――様には、タランドンの街を案内してもらって、とても、楽しかったです。色々、たくさん、お世話になりました」


「それはよかった。嬉しいよ。荷物と一緒に付けぶみをもらってねえ。あんたらの面倒をきちんと見ないと殺すってさ。ははは」


 マルガもそうだったが、この母親も、かなりの才能持ちだった。


 言葉は悪いが、こんな村でひっそりすごすのはもったいないと思ってしまう。


「マルガ様って、他の人よりすごい才能がありました。きっと、えらくなると思います!」


「ありがとうねえ」


「そういえば、そんなことを言っていたな」


「私、人相にんそうって言うんでしょうか、何となく、そういうのわかるんです。よく当たるんですよ!」


「へえ、すごいねえ」


「それで、私の顔を色々見たがってたのか」


「はい! ご主人さまのお顔も、ぜひ! 見せてください!」


「いずれ、な」


 だめだ、ではないことにカルナリアはすぐ気づいた。


 顔がもう、どうしようもなくニンマリした。






 マルガの母は、案内がなければそこに道があると気づけないような所を何度も通過した。


 登り道が続いたが、カルナリアはしっかりついていくことができた。

 靴がいいものであるし、歩き方にもコツがあることを専門家から仕込まれた。

 この技能が先に身についていれば、もう少し楽にレントたちとあの山を登れただろう。


 西へ向かって登ってゆく。


 それほどかからずに登り切り――。


「うわあああ……………………!」


 山が、壁となって、そこにあった。


 グライル。

 天竜の名をつけられた、巨大山脈。


 まさに大地に横たわる巨竜のごとく、地平の端から端まで、途切れることなく山が連なっている。


 見えるだけでも幾重、幾十重にも山ひだが重なり。

 青くかすんだその向こうに、もっと高い、鋭い、純白の山嶺がいくつもそびえている。


 カラントとバルカニアを隔てる障壁。

 人の立ち入りを拒む、魔の地。


 唯一の通り道を馬車でゆき、左右を山壁にはさまれたことはある。


 だがここから見える限り、どこにも通れる場所などない。

 見渡すすべての場所が急峻きゅうしゅんな山肌でふさがれている。


「もう言ってもいいだろう。

 あたしらは、グライルを行き来してる連中を知ってる」


 マルガの母が言い出した。


「そういうやつらがいる。下界には出てこなくて、グライルの中を動いてる、あたしらとは全然違うやつらだ」


 この国の「常識」を知っているカルナリアにとって、衝撃の事実だった。


「あたしらは、そいつらとつなぎを持ってて、そこを使う商売をしてる。今は特に、王都で反乱が起きて、王様がやられて、グラルダンが門を閉じてバルカニアとの行き来を止めたから、だ」


「稼ぎ……?」


「こっちに来てるバルカニア人ってのもけっこういるのさ。

 国へ戻りたい連中は、まあ大抵はサーヴァの街に行く。

 でもグラルダンはがっちり閉じられて、いつ開かれるかわからない。何日か、何十日か。あるいは戦が起きるかも。

 そうなると、何が何でも戻りたい、そのためならいくらでも払うっていう連中も出てくるわけでね。

 そういう連中に、国へ帰る方法があるよと持ちかけて、連れていって……がっつり払わせて、グライルの連中に紹介する。

 それがあたしらの食い扶持ぶちってわけ」


 密入国の、斡旋あっせん業者。

 それはまぎれもない犯罪。


 だが――そういうものがあるのなら、利用するのも、今の状況では仕方のないこと……。


 国境、グラルダン城塞が閉じられているという、前にフィンが予測していた通りになった状況では、バルカニアへ入る唯一の道。


 また、グラルダンで待ち受けているだろう敵の目を逃れる方法としても、最良のもの。


 それはわかる――頭ではわかるのだが!


「だ、大丈夫なのですか!? グライルですよ、あのグライル!」


 どうしても、訊かずにはいられなかった。

 それほどに、カラント人にとって天竜グライル山脈とは畏怖の対象。

 絶対に越えられないものの代名詞。

『グライルみたいな』は、頑固とか依怙地いこじとかの比喩。


「どこをどうやって通ってるのかはあたしらも知らないよ。

 でも、通ってるのは事実だ。送り出した客が、後にグラルダン経由で戻ってきたことがあるから間違いない。

 そんなら、そいつらにまかせるのがあたしらの仕事さ。それでメシが食えるんだから、文句はないだろ?

 つーか、文句言うやつがいたら消す。他に食える方法もよこさず、食い扶持だけ奪おうとするなら殺す。そういうのは大抵貴族だ。あんたらは、そういうんじゃないよな?」


「ちっ、ちがいますっ!」


 カルナリアはほとんど反射的に叫んでいた。

 主人であるフィンより先に。


「貴族とか何とかは、関係ないですっ! 案内してくれる人に、文句言うなんて、間違ってますっ!」


「はいはい」


 相手の目が、ドルーの街の屋台の男のように、限りなく生温いものになった。


「まあ、安心おし。あんたらには、悪いようには、絶対にさせないよ。うちの子からもきつく言われてるしねえ」


「感謝する。マルガにもよろしく伝えてくれ」


 道を下ってゆくと、何もない路上に馬車がいた。


 箱馬車で、窓はない。


「これに乗っとくれ。悪いけど、こっから先の道を知られるわけにゃいかないんだ」


「当然だな」


 マルガの母とはここでお別れだった。


「感謝する。他の者たちにも、心からの感謝を伝えてくれ。マルガにも」

「あいよっ! あんたも、達者でね!」

「ありがとうございました!」

「元気でね。バルカニアまで頑張るんだよ!」


 扉が閉められ、馬車が動き出す。


 ほんのわずかの間、同行しただけだが、やはり別れは寂しいものだ。


 カルナリアはすぐ座席に毛布を敷き、目を閉じて体を休めた。

 休める時にはできるだけ休んで体力温存。この三日の間に教えこまれた鉄則である。


(馬車は…………あの時を思い出してしまいますね…………)


 王宮から脱出した時。

 王都内はまだましだったが、郊外へ出ると、全速力なこともあって揺れがとにかくひどかった。目を閉じ、車内の手すりにつかまり、ひたすら耐え続けていたものだ。


 その揺れは、それまでの王女を乗せた馬車には決してありえないもので。

 これまでの世界が突然崩れ落ちて、ほとんどのものを失ったのだという事実を、カルナリアはあれで叩きこまれたようなものだった。


(今、残っているのは……『王のカランティス・ファーラ』と、この体だけ……)


 だが、なくしたものの代わりに、ぼろぼろがいる。


 自分の、唯一の守り手が、ここにいてくれる。


 並んで座っている、隣の体に身をもたせかけた。


 受け止めてくれて、あやすように肩を叩かれた。

 前はこんなことはしてくれなかった。

 笑みが浮かんだ。

 大丈夫、きっとうまくいく。






 馬車はしばらく走り続け……。


 止まって、何一つ声をかけられることなく、扉だけが開いた。


 倉庫かなにか、がらんとした建物の中だった。

 薄暗い中、真向かいに、別な馬車が駐まっている。

 乗ってきたものとほぼ同じ箱馬車。扉が開いている。


「乗り換えろ、ということだろうな」


 フィンが言い、カルナリアは周囲を警戒してから、自分が先に降りた。

 御者は台に座っているが、顔を隠し身動きひとつしない。


 体をほぐしてから、向かいの馬車に乗りこんだ。


 自分で扉を閉めると、やはり一切の通告なく、新しい馬車は動き出した。


「方向や距離を測らせないため、でしょうか?」


「恐らく。あと、何かしるしを残していったり、においをつけたりをさせない目的もあるのだろう」


 エラルモ河の上で、猫背の男が投げてきた粉末を思い出した。

 あれも恐らく、そういう目的のものだったのだろう。


「そうだ、これから先は、お前のことは、男の子として扱う」


「……はい?」


「何人か、何十人かと一緒に、山の中を何日も移動し続けるんだ。女の子ということはできるだけ隠しておいた方がいい。ばれはするだろうが、こちらからわざわざ明かす必要はない」


「はい」


「名前は……めんどくさい。自分で考えろ」


「ええと、では…………カルスで」


「カルス。呼ばれたらちゃんと返事するんだぞ」


「はい、ご主人さま」




 さらにもう一度乗り換えさせられてから、ようやく目的地だろう場所についた。


 陽光はすでに山に隠れて久しく、空に残照がわずかに残るだけ。


 斜面に家が数軒あるだけの、さびれたところ。

 廃村のようだ。灯りはもちろん、住民の気配もない。


 家と家をつなぐように登り道がある。その向こうに急斜面。グライル山脈がそこから始まる。威圧されるような感覚をカルナリアは味わった。


 降りると、馬車はすぐに去ってしまった。


 その音が遠ざかると、耳が痛いほどの沈黙に包まれる。


「誰もいませんね」


「いや、いる」


 フィンに言われて、カルナリアも気配を探った。


 感じた。

 人の気配。


 わかるようになっていることが嬉しい。


 道の上の方に人がいる。


 行くしかないだろう。

 カルナリアは道を登り始めた。


「遠くから、色々、測られているな」

「何をです?」

「歩き方。姿勢。持っているもの。気配の察知能力。視線の動かし方や、後ろを気にしているかどうか。何かつけられていないか。色々だ。怪しまれたら、殺されるか、先へ進ませてもらえないかだろう。私たちは心配ない、気にせず進め」


 緊張しつつも、誰かが現れたり、声をかけられたりすることもなく……。


 宵闇が広がってくる中、それを見つけた。


 道は、登る一方ではなかった。

 稜線があり、そこを越えると今度は下りになっていて、家が何軒かあり、川が流れていた。

 その中の一軒に、灯りがともっていた。

 下から見えないようにしていることは明白だった。

 あそこが集結地、グライル越えのはじまりの場所だろう。


 背後で音がした。馬車。近づいてくる。


「おーい! 誰かいないのかーっ!?」


 降りてきた者だろう、男が大声で叫んだ。


 あれはまずい、とカルナリアでもわかる。


「どうしろというんだ! こんなところに放り出して! 無礼にもほどがあるぞ! おい! 探せ!」


 距離はあるが、さえぎるものがないので、その銅鑼どら声ははっきり聞こえてくる。

 一人ではなく、数人いるようだ。


 どうしようか。声をかけてあげるべきか。フィンを見上げた。


「必要ない。客だ。何とかするだろう」


 フィンは完全に無視して、稜線を越え下り始めた。

 カルナリアもついていった。


 背後の声は山肌にさえぎられて小さくなり――。


 灯りのついている家の前に立った。


「入れ」


 おとないをいれる前に、向こうから扉が開かれた。


 扉を開けた男は、獣の毛皮を縫い合わせた服をまとっていた。

 見るからに山の住人だ。

 恐らくこの男が、自分たちをグライルへ連れていく導き手。


(……優秀ですね……)


 体は引き締まり、才能は豊かだった。

 グライルを往来できるような者だ、無能ではつとまらないだろう。


 家は――廃屋で、中には何の家具もない。


 ひとつだけ灯明が燃やされている、薄暗い広間に、ひとが数人座りこんでいた。

 それぞれのものだろう、大きめの荷物もある。


 父、母、息子らしい三人組。

 ひとりきりの男。

 主と従者らしい組み合わせ。


 自分たちをいっせいに見て、無言でまた顔を伏せた。

 子供だけは、好奇心でカルナリアをじろじろと見てきた。

 同い年ぐらいか、ちょっと下だろう。十歳程度。


 マルガの母が言っていたことからすると、この人たちはバルカニア人。

 それぞれの事情で、故郷へ帰りたいと願っている者たち。


 それなら、敵視されたり、襲われたりということはないだろうが……。


「まったく、なんでこんなに手間がかかるんだ!」


 銅鑼声が接近してきた。

 案内されたようだ。


 毛皮の男が扉を開けると、口髭を生やし剣を携えた男が、大きな荷物を背負った従者を三人引き連れ、ずかずかと入りこんできた。


「第五位貴族、モンリーク・サーディル・タランドンである!」


 タランドン侯爵家は歴史が長く、それだけ傍流の数も多い。

 そのひとりだろう。


(貴族が、どうして!?)


 動揺するカルナリアだったが、今は自分も認識阻害効果のあるマントをまとっているので、うつむいてフードで顔を隠せば気づかれにくい。


 実際、モンリークと名乗った貴族は、壁際のカルナリアとフィンにはまったく気づかぬ様子で、部屋の中央に立った。


「おい、椅子はないのか!? この私を地べたに座らせるつもりか!?」


「ねえよ」


 毛皮の男がぶっきらぼうに言った。


「何だと、貴様!」


「お前らで最後だ。それじゃ、集まれ」


「無礼者!」


 毛皮の男は、モンリークには一切構わず、奥の部屋へ続く扉を開いた。

 同じような毛皮の服、屈強な、野生的な男が二人現れた。

 どちらも背丈ほどの棒を手にしていた。


 モンリークは彼らの迫力ある風貌に飲まれ、押し黙る。


 三人の毛皮の男たちは、横一列に並んで立った。


「俺たちは、お前らをバルカニアへ連れていく、案内人だ」




【後書き】

いよいよ祖国を離れる旅路のはじまり。これまでとまったく違う世界へ。だがカラント貴族が同行する。大丈夫か。次回、第108話「案内人」。新キャラ続々登場。


※解説

カルナリアは存在自体を知らないので一切明かされませんでしたが、滞在していた村はタランドン領の忍び組『うてな』の隠れ里、引退した忍びを教師にして幼い子供を鍛える場所です。

ギーは忍びではありませんが、サバイバル技能を教える能力に長けているので里に雇われている人物です。

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