アポカリプスワールド
百均
第一章
第1話 はじまり
――――扉の先には、地獄が広がっていた。
黒煙を上げて燃え盛るビル。炎に照らされ、紅くなった薄暮れ時の空。玉突き事故を起こし、乗り捨てられた自動車。風に乗って届く、燃えるガソリンの匂い。アスファルトの上に残る真新しい血痕。あちらこちらから聞こえる誰かの悲鳴。
そして、逃げまどう人々を襲う『動く死体』……。
雑居ビルの屋上から見下ろした街の光景は、まさに地獄としか言いようがなかった。
「第一の門、ゾンビアポカリプス」
後ろから掛けられた声に振り向けば、そこにはギリシャ神話に出てくる女神のような服を身に纏った、この世の者とは思えぬほどの美女が立っていた。
歳の頃は、二十歳前後ほど。優し気な蒼い瞳。シミ一つない透き通るような白い肌。顎あたりで切り揃えられたふわふわとした金髪のショートカットと、側頭部から前方に伸びる山羊の角。
その顔は、どんな芸能人だって太刀打ちできないほど整っており、そしてドレスに包まれたその胸元は、まるでメロンかバレーボールのように大きく膨らんでいた。
いつまで経っても慣れないその美貌に戸惑っている僕を他所に、彼女は
――――第一の門、ゾンビアポカリプス。
――――第二の門、ファンタジーアポカリプス。
――――第三の門、近未来ポストアポカリプス。
「滅びつつある、あるいはすでに滅んだ世界を救う。それがマスターたちの使命」
「世界を、救う……」
そのあまりにスケールのデカい話に、どう反応して良いかもわからない僕に、彼女は優しく……母性すら感じさせる眼差しで微笑みかける。
「大丈夫、ご安心ください。マスターのことは、私が必ずお守りします」
その美しい微笑みに見惚れながら、僕はなんでこんなことになったのか、と思い返した。
◆
――――六月中旬。初夏。
「ねえ、ショウちゃん。暇してるならお姉ちゃんにお弁当届けてくれない?」
すべての始まりは、たぶん母のその一言からだった。
先日行われた運動会の振替休日として降って湧いた休日。リビングでダラダラとゲームをしていると、姉が忘れて行った弁当を届けるように母さんが言ってきたのだ。
断るようなら今日のゲームは無し、行くなら五百円帰りにお菓子を買ってきて良いと見事な飴と鞭を振るう母さんに僕が逆らえるわけもなく。
僕はマウンテンバイクを走らせて、姉の高校に弁当をデリバリーする羽目になったというわけだった。
『着いたよん』
高校の校門に着いた僕は、姉ちゃんのスマホへと短くメッセージを送る。
『サンクス! あと十分で休み時間だからちょっと待ってて!』
「えー……」
あと十分も待たされるのか、と項垂れていると……。
「キミ、ちょっと良いかな?」
「はい? ……げ」
後ろから声を掛けられ、振り向いた僕は、思わず小さく呻いた。
声の主が、自転車に跨った若い婦警さんだったからだ。
なんだか面倒くさいことになりそうな予感……。
(いや、でも、この婦警さん、結構美人かも?)
平日の昼間に出会った警察ということで一瞬「うげ!」と思ったが、良く見ればこの婦警さん、中々の美人さんである。
黒髪ショートカットの如何にも生真面目そうな顔立ちで、スラリと背が高く、スレンダーな体型に警官の制服が良く似合っている。
僕は年上の綺麗なお姉さんがタイプなので、その時点でまずポイントが高い。
でも、さすがに歳が離れすぎているのは、ちょっと減点ポイントか。
僕的には、六歳上くらいがベストで、そこから離れるにつれてちょっとずつ好みから離れていく。
なぜ六歳上なのかというと、初恋の相手がそれくらいだったからである。
僕は昔からマセガキだったのだ。
「君、小学生だよね? 何年生かな? 名前は?」
そんなどうでもいいことを考えていると、婦警さんが柔らかな笑みを浮かべ、しかし有無を言わせぬ口調で問いかけてきた。
「えっと……はい、
「そっか。今日、学校は?」
「今日は学校が運動会の振替休日で」
「あー、そうなんだ。そっか、一応なんだけどさ、今お母さんかお父さんと連絡取れるかな?」
「えっと……」
「ごめんね、疑ってるわけじゃないんだけどさ。これもお姉さんの仕事でさ」
あー、これは親に連絡するまで放してくれないヤツだわ。まあ、やましいところはないから別に良いんだけど。
「あー、わかりました」
と僕が大人しくケータイを取り出したその時。
「ショウ! どうしたの?」
「姉ちゃん!」
そこへ、姉がやってきた。
トレードマークの短めのポニーテールと、自称学年で一番という自慢の胸を揺らしながら小走りで校門に駆けつけてきた姉は、愛想笑いを浮かべて婦警さんへと問いかけた。
「えっと、ウチの弟がなにか……?」
「ああ、いえいえ、今日は平日なのに学校はどうしたのかなーと思いまして」
「あ~、なるほど。ウチの弟、今日は運動会の振替休日で休みなんですよ」
そう言って、姉ちゃんは僕へと振り返った。
「ショウ、アタシの弁当箱は?」
「あ、これ」
僕が自転車の籠に入れていた弁当箱を渡した……その瞬間。
――――空に閃光が走った。
「ッ!?」
「えっ!? なになに!?」
雷……じゃない!
雷なら、あんなに長く空に残ったりしない。
あれは、亀裂だ。空に、亀裂が入ってる……。
僕たちが空を呆然と見上げる中、亀裂はどんどん広がっていき、そこからオーロラのような幕が学校と僕たちに降り注いできた。
「ッ! ショウ!」
オーロラの幕がいよいよ僕らの身体に降りかかるという寸前。
ハッと振り返った姉ちゃんが、僕の方へと手を伸ばし――――。
「姉ちゃん……!」
しかし、その手が届くことはなく、僕は意識を失った。
――――海を漂う夢を見ていた。
海底へと向けてゆらりゆらりと沈んでいく僕に、真珠の様に煌めく光の玉が近くに寄ってきては、すぐに離れていく。
それらの光の玉は、大半が無言だが、たまに何らかの意思が伝わってくることもあった。
『子供か……これじゃあ、すぐに死ぬだろうな』
『魂の質は良さそうだが……』
『タイプじゃなーい』
『ごめんなさい、坊やがもっと素敵な大人になったらね?』
『こんな弱そうなヤツのお守りはごめんだな』
無数の光の玉が近づいては離れていくにつれ、僕の身体もどんどん深くへと沈んでいき、それにつれて近づいてくる光の玉も少なくなっていった。
半ば夢うつつな頭でぼんやりと考える。
……このまま海の底まで行ったらどうなってしまうんだろう?
なんだか、だんだん寒くなってきた。深い。暗い。…………寂しい。
『可哀想に。寂しいのですね』
ふと気づくと、傍に光の玉がやってきていることに気付いた。
これまでの光の玉と違う、どこか優しく温かい光。
無意識にそちらへと手を伸ばせば、そっと握り返された。
『もう大丈夫。これからは私が一緒です』
何かが、僕の深いところで繋がる感覚。
光の玉が、握った手を起点として人型へと形を変えていく。
やがて光が弾けると、そこには絶世の美女がいた。
ギリシャ神話の女神のような服を身に纏い、山羊の様な角を生やした、優しそうな女神様。
彼女は僕をそっと抱きかかえ、耳元で囁く。
『私は、アマルテイア。神々の王の育ての親。これからもよろしくお願いしますね、マスター』
その大きな胸に包まれながら、僕は心地よい眠りへとつくのだった。
【Tips】アマルテイア
ギリシャ神話の主神ゼウスを育てたとされるニンフ。
ニンフとは、森の木々や川、谷などの自然に宿る精霊のこと。神々に仕える下級の女神でもある。若く美しい女性の姿をしており、時に人間に恩寵を与え、時に人を惑わせ攫うこともある、自然を体現したかのような存在。ギリシャ版のエルフにしてサキュバス。
アマルテイアが持つコルヌコピア(豊饒の角)は、食べ物やも飲み物を自在に生み出す力があるとされる。
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