14.選びなさい
でも、私の不安な顔は、カタリーナへのものだと彼は思っている。
誤解を解けるはずもない。この世界が、どこか他の世界で物語として語られていて、この先の未来が決まっているかもしれないなんて。言えるわけない。
廊下の向こうに消えていく背中を、ヴァイオリンケースを抱えたまま見送る。
「じっとしていられるわけないじゃない」
思い出せ、私。考えろ、私。かつてロッテ・ヘルマンじゃなかった私は、この先について知っているでしょう?
さっき部屋には、スヴェンもデニスもアルブレヒトもいた。つまり、ゲーム内のイベントの可能性が高い。
ここから3人を不幸に陥れていくために、アンネマリーが何かするとしたら、何をするだろう。
「まずは敵情視察から、かな」
いつもより足音が多い廊下を抜けて、外に出た。
木立の間から見えるのは夜空と尖塔の影。そうだ、あの尖塔の影をバックに、ヒロインはいつも笑っている。
――ここはゲームその物じゃないって、誰か言ってよ。
ガサ、ガサと草を踏んで、壁伝いに歩く。やがて、アンネマリーの私室の下に出た。
すこし広めの
確信をもって見上げると。
「本当に良い月ね」
アンネマリーの声が聞こえて、身を固くした。
耳を澄ませる。私の頭上――露台の床からは二人分の足音がする。
二人?
「良い月だと思わない? ねえ、スヴェン」
アンネマリーの呼びかけに、私の背筋に冷たい汗が伝った。
スヴェン?
「なにかおっしゃいよ、スヴェン」
「月に関しては、そうですね、と」
聞こえた声は、ちょっと硬質な、銀色に輝く髪に良く似合う声。
本当にスヴェンだ、とヴァイオリンケースを抱え直す。
「あの茶番はなんなのですか」
「茶番と分かったの?」
「彼らの動きはシェーナーブルンネンのものでしょう?」
待って。さっきの黒づくめ一同の動きがシェーナーブルンネンのもの?
「シェーナーブルンネンで鍛えられた斥候の戦い方です」
「あら、見忘れてはなかったのね」
「ええ」
朗らかなアンネマリーの声に対して、スヴェンのそれは腹の底を冷やすもの。
怒っている。彼は怒って。
「カタリーナを質にとって、俺に何をさせようというのです」
言うと、アンネマリーがくすくすと笑い始めた。
「来てもらえれば良かったのよ。あなた、私の部屋に寄りつかないのですもの」
「貴女はもう他人の妻ですから」
「幼馴染でなくて?」
「ええ」
幼馴染? え、そんな設定あったの?
記憶を辿る。前世の姉は、スヴェンをどう紹介してた?
――駄目だ、お姫様抱っこしてくれそうと思った記憶しかない。
冷や汗を流しながら、耳を澄ませる。
「兄妹揃って母方の姓などを名乗って。それで過去を、シェーナーブルンネン家に仕える騎士の家の出身だということを誤魔化せると思っていたの?」
アンネマリーはまだ喋っている。
「十五までシェーナーブルンネンの屋敷で育ち、公爵家の子供たちとともに学んだ仲でしょう」
そして、とアンネマリー様は笑いを止めた。
「あなたはわたくしの永遠の騎士よ」
「せめて幼馴染に留めて」
「あら、それは認めてくれるのね」
「駄目です」
「あら」
アンネマリーはまた笑い声を立て始めた。
私の頭はフル稼働だ。
スヴェンとアンネマリーは幼馴染? しかも、スヴェンはシェーナーブルンネンの斥候の戦い方を知っているってことは、公爵家で戦い方を学んでいたってことじゃないの? それって結構大事な設定じゃない?
それに、カタリーナもシェーナーブルンネンの出身だってことじゃない。アンネマリーは「兄妹揃って」と言ったもの、間違いない。
カタリーナはアンネマリーの知り合いだった? だから――
「わたくし、ここに来てからずっと貴方と話をしたかったのよ」
――アンネマリーの声が聞こえて、私はそっちに意識を向ける。
「何を考えて、わたくしの下を離れたのか、本家の騎士団に入ったのかは聞かないでおいてあげるけど。古い主人として命じるわ」
「それは命令ですか、脅迫ですか」
「命令よ。まず喋ることが必要だっただけですもの、カタリーナはもう返してあげるわ。斥候の手を切り落としたことも不問とします」
くすくすくすくす。スヴェンを苦しめる笑みが広がっていくのが分かる。
胃がきゅっと竦みあがる。
「大丈夫。今のその白い制服を着たままでできることよ。今の国王に仕えたふりをしながら、忠誠だけ私に向けなさい。そうすればできること」
「……今の?」
うん。私も気になった。エドゥアルド幼王を、今の、と表現するの?
「ええ。あの人は今だけ。そのうち、わたくしがこの国の王になるわ」
アンネマリーの声は変わらず明るい。
「エドゥアルドも父上でも駄目だと思うから」
「それは何故」
「告げる必要があって?」
「……あなたが、自分こそ相応しいと自信をお持ちなのだけしか分かりませんので」
「それが分かれば十分よ」
一拍の間を置いて。
「わたくしが王となるために力を尽くしなさい」
アンネマリーが告げる。
本気で、王位を狙っているの? それとも演技?
彼女が女王になるルートがどこかに存在していたのか、と記憶を辿るけど、さっぱり分からない。
それはそうよね。実際にプレイしていないゲームの細かい選択肢など知るものですか!
「具体的には」
苦し気なスヴェンの問いに、アンネマリーはこともなげに答えた。
「機を見て、エドゥアルドを殺さなきゃいけないかしら」
息を呑む。
スヴェンのトゥルーエンドは、国王を手にかけることなの? それって、国王陛下はもちろん、デニスとアルブレヒト――仲間を裏切る行為じゃない! 完全な闇落ち! いやすぎる!
私が一人パニックを感じている間に。
さあ、とアンネマリーは続けた。
「今の王を立てるか、己が定めた主人を立てるか。選びなさい」
沈黙。星も瞬かない、風も吹かない、静寂。
口の中がどんどん乾いていく。
やがて、カツン、と靴音が響いた。
「もちろん、貴女を」
スヴェンの硬い声も聞こえてくる。
「俺は貴女の騎士。かつても、今も」
スヴェン様がただの騎士となって、王妃様の冷たい手を恭しく取り、跪く姿が見えた――気がした。
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