05.何を言えばいいかな?
食事のサーブに入った翌日は休みの時間が長い。
当然だ、あんな精神的重労働の後は誰だって休みが欲しいよ。特に昨日はきつ過ぎた。新婚夫婦の食事の場じゃないよ……
ということで、私は休みを満喫している。つくづく、ここはホワイトな職場だなと思う。前世のあそこがブラックに過ぎただけだけど。それはそれ、大変有難いことである。女官の働き方改革をしてくれた先人様に感謝感謝。
というわけで、私は一人で庭園に来ていた。
ハルシュタットの王宮はとにかく広い。丘の麓をぐるりと城壁で囲んで、その中を『王宮』と総称しているだけで、敷地には政府庁舎も国王の住まいも教会も散策用の庭園もなんでもある。
丘の南側にある王宮とは逆側、日陰の濃い一帯は庭園として整備されている。国王一家の散策の場所であると同時に、使用人一同の休憩スポットでもあるのだ。そこかしこにベンチやテーブルが設置されていて、軽食を取ったり読書や昼寝を楽しんだりと、寛いでいる人たちが多い。
……なんてお洒落な休憩スポットから外れた木陰の小道の突き当たり。ここは私の八つ当たり練習場所だ。辛いことがあったら、ヴァイオリンを抱えて此処に逃げてくるに限るのだ。
ヴァイオリンを弾くと落ち着く。
演奏に没頭することが気分転換になっているだと思うんだよね。
それに、ちゃんと練習したいという大義名分もあるんだ。
だって、部屋ではやりにくい。ほかならぬカタリーナがキラキラした目で見てくるのが恥ずかしいんだもの。隣室の同僚たちへの遠慮もある。
かといって練習しないでいると鈍る。対して良い腕ではないのに、鈍る余地があるのだ。何故だ。
悔しい。
練習しても練習しても、私はちっとも巧くならない。
私が王宮勤めを始めたのは、今世の姉兄のように万雷の拍手で迎えられるような演奏家になれないと思ったから。
ピアノを得意とする姉と兄は、一人で様々な曲を弾きこなす。それも超絶技巧と呼ばれるような運指でだ。まだ修行中という弟も、ヴァイオリンを豊かに響かせることができて、将来はさぞや立派な演奏家になるだろうと言われている。
それでも、今世で好きになった音楽を私は捨てきれなくて、あくまでも趣味として弾く道を模索して、今に至る。
……まあ、ね。カゲナミ世界だって分かってたら、王宮勤めは避けていたかもしれないけど。
見上げれば、日時計にもなる教会の尖塔。特徴的なシルエットでカゲナミと気が付いた。憎らしいシルエットを睨みつけながら、弓を引く。
この旋律も、ゲームとして仕組まれた世界だからこそのものだったら、どうしよう。
――向こうから近づく気配に手を止める。
ヴァイオリンの音に気が付いて覗きに来る人が全くいないわけではないから、他人の気配があっても不思議はないのだけれど。
今日は、ひっそりと舌を打った。
「やあ、ご令嬢」
そう言って片手を上げて合図を送ってきたのは、推しの声を持つ、白い上着の騎士。アルブレヒトがやってくる。
「たまに聞こえてたこの音、あんただったんだなぁ」
そう言って目を細めた人に、じりっと後ずさる。
「なんか御用ですか」
「いいや? 特に探していたわけではないんだが、せっかく会ったからね」
ひらひらと手を揺らして近づいてきて。
彼は傍の椎の木の根元に、どっこいしょ、と腰を下ろした。
「お喋りも一興だろう?」
「何をお喋りしようっていうんですか」
「そうだな…… まずは」
と彼は唇を綻ばせた。
「ヴァイオリンの音に限らず、俺とあんた、今までも結構顔を合わせてたんだなという話をしようか」
「そうなの?」
目が点になる。彼は笑った。
「陛下の食事の護衛に付いた時に何度も顔を合わせていたんだ。昨日気が付いた」
「だって、昨日初めて一緒だったのかもしれないじゃないですか」
「それはない」
自信満々にアルブレヒトは言い切る。
「あんた、お辞儀の仕草に特徴があるんだ。それで覚えていた」
成程、と納得しかけて。
「そういうものなの?」
そんなに目立つことをしていただろうかと不安になる。
「ああ、悪い意味じゃない。綺麗な仕草だよ。演奏家って聞いて納得したがね」
彼は微笑む。
「あんたの方も俺は知らなかったんだな」
「それは…… そうですよ」
前世の姉に無理やりボイスは聞かされてましたけど。ビジュアルはちゃんと覚えてなかったんですよね。だから。
「声聞かなきゃ分からないし」
つい、言ってしまって。
「おや」
とアルブレヒトが目を丸くする。
しまった。私は何を言ってしまったんだ。
「声を聞けば分かってくれるのか」
言い訳をどうしようと思う横で、彼はニヤニヤし始めた。
「何を言えばいいかな? 愛の言葉かい?」
「却下」
「つれないな」
「特に何もおっしゃらなくて結構です」
なんだ、とアルブレヒトはまだ笑って。それからふと表情を消した。
「何もおっしゃらないといえば、昨夜の陛下夫妻なんだが」
どうして、ここで、その話題にするの。私の妙な発言から離れてくれるのはありがたいけど。
眉を寄せてみせれば。
「あんたは昨夜のあの会話をどう思った?」
聞かれる。王妃様が、陛下の食事を一緒にしたいという願いを却下した、あの会話のことでしょう?
「考えたくないです」
即答だ。彼は吹き出した。
「薄情なことを言うなぁ」
仕方ないでしょ。陛下たちが…… もっと言えば、王妃様がどうするかで、この先が決まるのは確かだけど、私がどうにかできるわけでもないんだから。
黙っていると、彼はすっと右手を上げて、私が抱えたままのヴァイオリンを指差した。
「演奏はあんなに優しかったのに」
「そ、そう?」
声が上擦る。
うん。良い声に褒められるって、刺激が強い。顔が熱い。
「いい音だった。曲を理解するまで何度譜読みをしているんじゃないかな。演奏自体も技巧に頼り過ぎず、気持ちがしっかり込められている。だから聞いているこちらの心に響くんだろうな」
「その感想、人生を重ねたおじいちゃんみたいですよ」
恥ずかしいのを誤魔化すために言うと、彼は眉を寄せた。
「納得がいかない評価だ、それは。俺が一番若いんだぞ」
「若い?」
そうさ、と彼は肩を竦める。
「スヴェンが27歳で、デニスは25歳。俺は23だ。一番若いだろう?」
「嘘」
同い年? 新手の冗談でしょ?
「こんなところで嘘をついてもなぁ」
私の科白に、彼はますます肩を落とした。でも、それはすぐに終わる。
「同い年と言われると、親近感が湧いたな」
どういうことなの、瞬く。彼は立ち上がって、近寄ってきた。
「仲良くしよう。アルと呼んでくれ」
「はぁ」
「俺も、ロッテ、と呼ぶからさ」
彼はさらに一歩身を寄せて、ふっと息を零した。
「声を聞けば俺を分かってくれるんだろう、なあロッテ?」
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