1 いつもの通学路

 無機質な蛍光灯に照らされたエレベーターを降りてエントランスを抜けると、幼馴染のリクが俺を待っていた。


「おはよう鷹広。遅いよ!」

「ああ、悪い、おはよう」


 いたずらっぽく優しい瞳をしかめて、それでいて笑顔で手を振るリク。太陽に反射する美しい髪のキューティクルが、まるで天使の輪のように見える。

 リクは性別で言えば間違いなく男子なのだが、中性的というレベルを越えて、線の細い女子そのものの外見をしている。


 俺はそんなリクの尻へ手を伸ばすと、慣れた手つきではたき落とされた。



 ――なぜ、俺がいまリクの尻を触ろうとしたのか。ここで説明しておかなければならない。



 唐突だが宣言しよう。俺は女子の尻が好きだ。

 腰のラインから美しく跳ね上がる、美しい曲線を描いた女子の尻を、もうどうしようもないくらいに触りたい。


 ではなぜ、同性のリクの尻に手を伸ばしたのか。

 例えばいかつい男の尻を揉みしだいたとしよう。そこには情熱も何も存在しない。ただのおふざけだ。笑止。


 しかし実際に女子の尻を触ろうものなら、変態呼ばわりされて学校生活に支障を来すのがオチだ。学校中に瞬く間に拡散されて、きっと俺の居場所は無くなる。社会的な死を意味する。


 だから、見た目は可愛い女子だけど、実は男で揉み放題。そんなリクの尻が必要なのだ。


 賢明な俺は合法的に、誰も傷つかない方法で、尻への情熱を満たしているのだ。

 何てクレバーだろう。まあリクには怒られるのだが。


 ――だが今、俺は驚愕している。

 ついさっきまでは尻を触ろうとするだけで嫌がっていたリクが、どうしたことか急に抵抗をやめて、大人しく揉みしだかれているでは無いか。


 本当は気持ち良かったんだろう……ほら……もっと素直になれよリクゥゥ……!       


「あれ、何だろう。飛行機かな?」


 リクがなんか喋ったがそれどころじゃなかった。

 我慢するなよリクゥ……声を出しても良いんだぜ……? 


「うわっ!」


 なんかでかい音が鳴ったっぽいけどそれどころじゃなかった。

 初めての快楽に驚いて思わず声をあげたか。可愛い奴め……じゃあこれはどうだ……? 


「い、今のすごいね鷹広!」


 ほほーう! 今のが良かったか、このスケベが! もっと、もっと良くしてやるぜ! 


「隕石落ちたのかな?」

「いやしかし良い尻をしている」


 いつものバス停に着くと同時に、リクが俺の手を振り払った。



 騒がしいスクールバスの車窓から、流れてゆく景色を眺める。

 桜の木はもう半分くらいは緑の葉で埋まっている。新年度感、とでもいうべきか、襟をびしっと正したくなるような新鮮な感情を徐々に薄れさせて、代わりにほんの少しずつ、やがて来る夏の面影を形作ってゆく。


「鷹広、チョコ食べる?」

「サンキュ、リク」


 田舎の郊外にぽつんと佇む俺達の通う高校は、周囲に電車は通っておらずスクールバス以外の通学方法は皆無。まさに茨城、これが茨城だ。

 稀に一時間ほどかけて自転車で通う猛者もいる。それもまた、茨城。


「はーあ、都会の電車通学だったらもっといろんな尻見れたのになあ」


 俺はぶつぶつと独り言を呟きながら、隣に座るリクの尻に手を伸ばす。


「鷹広。ガムも食べる?」 


 手刀で俺の手をはたき落としながら、リクはガムをくれた。チョコの後にガムを食べると溶けるのに。


「あー、また鷹広君お尻触ろうとしてる。変なの」


 後ろの席から立ち上がって声をかけて来たのは、昨年クラスメイトだった折原乙姫。

 大きく可憐な瞳で、いつも弾けるような爽やかな笑顔を見せてくれる快活な美少女。セミロングの艶々とした黒髪に三日月をあしらったヘアピンがトレードマークの、誰もが認める超絶可愛い人気者だ。


 そして正直に言おう。今なぜか俺の頭でぺしぺしとエイトビートを刻むこの少女、折原乙姫は俺の最推しである。

 華奢で細い身体つきながらに、美しく曲線を描く尻。初めて出会ってから幾度となく、様々なシーンに映える尻をこの目に焼き付けて来た。

 もちろん、キラキラとした笑顔も。


「ねえねえ、そんなにリク君のお尻好きなの?」

「い、いやべべべ別に尻とか興味ないし」

「鷹広は休み明けだと人見知りになるよね。あ、乙姫さんもチョコ食べる?」

「ありがとー! ちょーだい」


 尻が尻がと大言壮語を心の中で吐いておきながらのコミュ障ぶりを笑えばいい。そもそも俺は友人なんて別に沢山いらないし、基本的に独りが好きなのだ。


 だが、いずれは女の子とは小粋なトークの一つや二つ、弾ませられるようにならなければ。

 大丈夫、俺はまだ十七。人生を一日の時間の流れに例えるならば、まだ午前中どころか朝。今は力をつけるのだ。修練の時だ。


「あれ?」


 ふと、リクからチョコを貰った乙姫さんが外の何かに気づいた。


「どうしたの、おとおとおとひ……折原さん」

「乙姫でいいって。あれ、事故かな。大丈夫かな」


 窓の外を見ると、赤い回転灯を光らせるパトカーの周りに人だかりが出来ていた。だがそのパトカー以外に車は見当たらない。特に騒いでいる様子も無いので、どこかの家畜でも逃げて轢かれてしまったとか、そんなとこだろう。


「何だろうね。まあ、そんなに大事でもなさそうだよ。乙姫さん、ガムもいる?」

「リク、どうしていつもチョコの後にガムを食わせたがるんだ」


 その時、バスの最後尾からけたたましい笑い声が響いた。


「おいおいもしかしてセンコーが轢かれて死んだんじゃね!?」

「うひゃひゃ! 熊ちんひでー!」


 少しガラの悪い生徒達が後部座席に陣取って、馬鹿騒ぎを繰り広げている。

 ふいに。


「あんた達うるっさいわね! 少しは黙りなさいよ!」


 俺とリクの、通路を挟んだ席に座るツインテールの女子が立ち上がって叫んだ。もともと鋭い目つきをさらに尖らせて。


 一年の時はクラスが違ったのであまり良く知らないが、マイと呼ばれているのを聞いたことがある。確かバスケ部のエースで、若干気が強そうな、というか間違いなく強い女子生徒だ。


 可憐さと対極の印象ではあるが、大きく鋭い瞳で整った目鼻立ちと、健康的な引き締まったスタイル、それと併せて運動神経の良さでも度々生徒達の話題に上がる。

 席から立ち上がって揺れたスカートに曲線を描く尻は、なかなかどうして。乙姫さんに劣らない。


「ほう。悪くない尻だ」

「マイちゃんに言いつけるよ」

「!?」


 しまった。声に出ていた。よりによって乙姫さんに聞かれた。

 しかしそんなほのぼのと会話をしていたのは、俺達だけである事に気付いた。


「ああん? うるっせえのはてめえだキーキー喚くな」

「熊田。あんた喧嘩売ってんのね」


 最後尾の席の連中のリーダー格、茶色く染めたツンツン頭の熊田が挑発的なニヤけ面で挑発し、一触即発の空気が漂う。

 朝から喧嘩とか勘弁して欲しい。全く、全人類が尻を愛でれば世界は平和になるのにな。

 その時バスはゆっくりと大きく曲がり、俺達の高校の校門をくぐって昇降口前に止まった。さっさと降りろとでも言うかのように、バスのドアが呼気のような音を伴って開く。


「ほら、遅刻しちまうだろヒステリックが」

「二度と登校できなくしてやるわ」


 そう言って熊田に詰め寄るマイは眉間に深く皺を寄せて拳を握り、今にも爆発しそうなオーラを纏っている。こんな好戦的で、自ら肉弾戦を仕掛けそうな女子は見たことが無い。俺は喧嘩を止めることも忘れて唖然としていた。


「マイちゃん、ストーップ! ほら、クラス分け見に行こうよ」

「どいてよ乙姫。あの腐れ馬鹿ぶん殴って……あ、ち、ちょっと!」


 俺の女神である乙姫さんが、その間に割って入ってマイをくるりと回転させて、背中を押して出て行った。


「鷹広、僕らも行こう。ふー、ヒヤヒヤしたよ」

「あ、ああ……やばい女だな……」


 我に返って、乙姫さん達の後を追った。

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