第七話 浅瀬船中学校①

 遠藤侑帆が失踪して何日が経つ? 正確なところを僕たちは知らない。まだ一週間は過ぎていないだろう。警察は家出の線も視野に入れて、遠藤の学校外の交友関係を中心に捜査を進めているらしい。


 その夜、僕たちは浅瀬船中学校を訪れていた。


 僕と菅原だけで良いと言っておいたのに、思ったよりも大勢の人間──大人が浅瀬船中学校正門前に集合している。迷惑だ。何があっても知らないぞ。

 まず光臣、そしてマネージャーの長田おさださん。このふたりに関しては、分かる。午前零時以降の浅瀬船中学校内部を調査したい、という僕らの申し出に関して、中学校と区の教育委員会に掛け合ってくれたのが光臣……ということになっているが、実際のところは長田さんだ。この季節に着るにしては少し薄手のコートを羽織った光臣は仁王立ちで煙草を吸っているし、分厚すぎるダウンジャケット姿の長田さんは眉根を寄せて心配そうに僕たちを見詰めている。


 更に、遠藤侑帆の両親。結果が出るまで待ってくれって伝えた(長田さん経由で)はずなのに、聞きやしない。繰り返しになるけど、何があっても知らないぞ。中学校の敷地内ですべてが完結する保証はない。母親はハンカチを握ってグスグスと泣いているし、父親は鬼のような顔でこっちを睨み付けている。警察署で僕らに手を上げただけでは気が済まなかったか。僕たちの仕事が始まったら好きなだけ光臣と殴り合ってくれ。


 そして、浅瀬警察署の鷹村たかむらさんと諏訪すわさん。このふたりには、あの取り調べの日に浅瀬船中学校に語り継がれる七不思議について説明をしてある。もちろん爽谷先輩の名前や立場は伏せて、「いじめ被害に遭っていたにも関わらず学校側から何のケアも受けることができなかった元生徒が作って広めた七不思議」と伝えた。鷹村さんは頭を抱え、諏訪さんは「あの学校ときたら……」と溜息を吐いていたので、浅瀬船中学校では生徒間のいじめが常習的に行われており、学校側が不干渉を決め込んでいるということはすぐに分かった。


 最後に、この人たちは本当に何しに来たの? って感じなんだけど、浅瀬船中学校の教頭、保健医、理科教師の三人が木偶のように突っ立っている。


「呼んだのか?」


 煙草を片手に光臣が尋ねる。僕は首を横に振る。


「では、お引き取り願えますか。お呼びしていませんので」


 光臣の横柄な口調や態度はこういう時に効力を発揮する。こういう時だけ。いやあ……と、禿頭の教頭が揉み手をしながら応じた。


「とはいえ、学校内に部外者を入れるわけですから……」

「同行するつもりなんですか?」


 眉を顰めて光臣が尋ねる。ちなみに光臣は着いてこない。来られても邪魔になるだけなので。でも、教頭とか保健の先生とか理科の先生が僕や菅原に同行して来るっていうのは光臣が一緒に来るより更に迷惑だな。確実に何の役にも立たない。それどころか、めちゃくちゃに足を引っ張られる予感しかしない。


「いやあ……」


 教頭の顔がサッと青褪める。ああはいはい。中には入りたくないってことね。


「苅谷夜明さんの件についてはわたくしどもも責任を感じておりまして……」


 と口を開いたのは、教頭の傍らに立っていた保健医だ。男性。40代ぐらいかな。光臣と同世代ぐらいに見える。


「我々が、もっときちんと見ていればこんなことには」

「本当に申し訳なく思っています!」


 ハンカチを握り締めた理科教師が声を張り上げた。こっちは女性で、30代ぐらい。もう泣いてる。3人全員の左手の薬指に指輪が光っているのが、ひどく滑稽だった。



 菅原が、普通の声で言った。その場にいる全員に聞こえる声だった。光臣の隣に立つ長田さんが苦笑いを浮かべている。警察官の鷹村さんと諏訪さんも同様だ。遠藤侑帆の両親がどんな表情をしているのかは、僕たちからは見えない。ただ、涙を拭う理科教師の手がぴたりと止まり、頬が引き攣るのは分かった。


「責任逃れ。言い訳。人間というのはまったく、生き物です」


 菅原がこういう言い方をするのは、かなり手に負えないぐらい苛々している時である。滅多にない。レアなシーンにこの場にいる大人たちは居合わせている。


「どうせ誰か、誰でもいいから、坊ちゃんと私の仕事ぶりを見届けて学校側もきちんと対処しましたよ──ということにしたくていらっしゃったんでしょう。メンバーはあみだくじで決めたんですか? 迷惑です。帰ってください」

「きみ、さっきから聞いていれば失礼だな」


 教頭がいきり立つ。が、身長160センチほどの彼が2メートル超えの菅原に食ってかかるのは少々無理があった。それに──菅原の言葉に間違いはない。僕にだって分かる。僕以外の、この場にいる大人たちにも分かってるはずだ。そういえば理科教師は苅谷夜明さんといじめ加害児童のクラスの担当教師だと誰かに聞いたのを思い出す。加害行為に苦しむ苅谷夜明さんを保健室にも受け入れず、きちんとしたケアを行わずに教室に通わせ続け、遂には自殺未遂にまで追いやった。ここにいる教師たちも立派な加害者だ。


「坊ちゃん、菅原は失礼ですか?」

「僕はそう思わないけど」

「とにかく、先生方は引っ込んでてください」


 割って入ったのは警察の諏訪さんだ。ありがたい。

 黒のレザージャケットを着用し、量販品店で買った『見た目以上になんでも入るショルダーバッグ』の中に色々なものを詰め込んだ僕。それに黒のハイネックセーターにブラックデニム、足元も黒い革靴という格好で手ぶらの菅原。学校内に入るのは、ふたりだけでじゅうぶんだ。


「行こっか」

「はい」

「ふたりとも、何かあったらすぐに連絡するように」


 警察の鷹村さんが、僕の私用スマホとは別に年季の入ったスマートフォンを持たせてくれた。鷹村さん直通の業務用スマホらしい。こういう心遣いも嬉しい。

 教師たちに「どけ」と光臣が短く命じる。教頭が正門の鍵を開け、教師たちは黙って後退りをする。菅原が手を伸ばして、正門を開ける──


「待って! ふたり! ちょっと待って!!」


 ──


「誰だ!」


 鷹村さんが声を張り上げる。時刻は午前零時を少し過ぎたところ。こんな時間にこんなところに突撃してくる人間は、間違いなく不審者なんだけど──


「響野さんじゃあないですか」


 菅原が大きく瞬きをした。そう。ライターの響野きょうの憲造けんぞうが、こちらに向かって走って来るところだった。「知り合いです」と鷹村さんに伝えると、彼は「そうか」と何か腑に落ちないような顔をした。響野憲造はひとりではなかった。女性を伴っていた。

 その女性のことも、僕たちは知っていた。


「響野さん、と

「こんばんは、あー良かった間に合って……」

「間に合ってませんよ。もう入るところでしたよ」


 響野の言葉に、菅原がくちびるを尖らせる。全力疾走の響野の後ろを優雅に着いてきた市岡さんが、その場にいる全員に「こんばんは」と挨拶をする。

 黒い和服を着ていた。一瞬喪服のようにも見えたが、たぶん違う。夜目にも分かるほどに細かく刺繍が入った艶やかで美しい着物は、市岡いちおか凛子りんこさんの、おそらく


「私もご一緒してよろしいかしら」


 市岡凛子さんが、そう尋ねる。「」と光臣が小さく呟くのが分かった。

 僕は黙って菅原を見上げる。菅原も僕を見詰めていた。


「役に立つから」


 それはそうだろう。市岡凛子さんは、今浅瀬船中学校正門前にいる誰よりもだ。にぶつけるには惜しいほどに。


 浅瀬船中学校の中に足を踏み入れる。背後で正門が閉まる。響野憲造の「あー。疲れたー!」という大声が聞こえた。


「彼、喫煙者で、普段運動もしてないから」

「自業自得ですね」


 市岡凛子さんと菅原がヒソヒソしている。緊張感がないなぁ。

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