第十二話 市岡家
夜明さんの病室を出ると、久秀さんと響野憲造が知らない男の人と喋っていた。また登場人物が増えた。
「先生、娘の様子は」
「まだ、もう少しといったところです。でも絶対に死なせないから、安心して」
サングラスを装着した市岡さんは、そう言って微笑んだ。絶対に死なせない。狐の力を使うのだろうか。何をどうするつもりなのかはまるで想像できなかったけれど、市岡さんの言葉は力強かった。
「あら」
響野憲造に「その人は誰ですか」と尋ねるより先に、市岡さんが声を上げた。
「あなた、来てたの」
「そっちこそ」
白いワイシャツに黒いネクタイ、黒いスーツの襟元に……ひまわりの中央に天秤が描かれたバッジを付けている。弁護士だ。
響野と視線がぶつかる。彼はパッと笑顔になって、
「こちら、弁護士の
「市岡……!?」
背後に立つ菅原が、病室でもそうしたように僕の肩を掴む。菅原がどんな顔をしているのか、今の僕には見えない。ただ。
「お、お知り合いですか」
市岡さんに尋ねると、彼女は軽く頷き、
「長男」
「こんにちは」
もう何がなんだか分からない。優しく微笑んで挨拶してくれる市岡──息子さんの方はすごく若く見えるし、市岡お母さんの方も現役弁護士のお子さんがいるような雰囲気じゃないし、市岡家って何なの? 狐パワーで年を取らないの?
「は、はじめまして……」
差し出された手を握り、軽く握手をする。それ以外にどうしろというのだ。名前を名乗り、錆殻光臣の甥であり、伯父の仕事をサポートしている──といういつもの口上を述べる。
「錆殻光臣さん」
市岡息子さんはそう繰り返し、鼻の上に皺を寄せた。素直な人だ。そうだよな。光臣はインチキ霊媒師なんだもんな。知ってる人は知ってるよなっていうか、響野と付き合いがあるならそもそも光臣の世間の評判がどうこう以前に本性を知ってるか……。
「こっちは僕の保護者代理をしている、菅原です」
「はじめまして。……保護者代理?」
怪訝な顔で首を傾げる市岡息子さんに、
「父が亡くなりまして、その……」
「ああ、すみません。つらい話を。大丈夫です」
何が大丈夫なのか分からないけれど、市岡息子さんはまた優しく微笑んだ。
「稟市は子どもが関係する案件とか、若い人の相談を聞くための事務所を開いてるの。あなたも何かあったら訪ねるといいと思うよ」
市岡凛子さんが善意100%の笑顔で言い、「そうだね、何かあったらぜひ」と市岡息子さん──稟市さんが名刺入れを取り出す。名刺。そういえば、近藤教授からも貰ったな。
「今回の件の代理人をお願いしているんです」
と、苅谷久秀さんがおずおずと口を挟んだ。そうか。浅瀬船中学校はいじめがあったということ事態をそもそも認めていない。夜明さんの病室に入る前、凛子さんが現れる前にも「弁護士さんだけが頼り」と言っていたもんな。
市岡家、狐の一族が総出で苅谷家を支えようとしている。凛子さんは夜明さんのことを「よっちゃん」と呼んで可愛がっている。これはつまり、どう解釈すればいいんだ?
僕から見た市岡凛子さんと稟市さんは、なんというか、善人に見える。加害児童のところに狐とかバフォメットを送り込むようなタイプには見えない。光臣とは正反対の人格を持っているように見える。
ただ、さっきから、僕の肩を掴む菅原がまったく口を開かない。病室の中でのあの饒舌っぷりが嘘のようだ。肩を掴む力も強い。痛い。これは、ちょっとおかしい。
「響野くん、また記事を書くの」
稟市さんが尋ね、響野が首を縦に振る。
「俺も昔はられっ子だったから。こういう件見て見ぬ振りできんのよね」
「そう。まあ、俺の仕事が終わるまではあまり大々的には……」
仕事。弁護士としての、代理人としての仕事という意味だろうか。そうだろう。そうとしか思えない。
そう思いたい僕と、そうではないのではないか? と内心警鐘を鳴らしている僕がいる。
「響野さんも、夜明の顔見て行かれますか」
久秀さんが尋ね、響野が肯く。
「はい。夜明さんが目を覚ます頃には全部解決してるからねーって、いつもの、言って上げたいんで」
「夜明も喜ぶと思います」
言葉を交わしながら、響野と久秀さんが夜明さんの病室に消えて行った。
病室前の廊下には、僕と、菅原と、市岡母子が残された。
「質問を」
菅原が、唐突に口を開いた。「どうぞ」と応じたのは稟市さん──弁護士さんの方だった。
「呪い返しを行った記憶はありますか?」
「菅原!」
それを。今訊くのか。おまえは。
すみません今のなしで、と言える雰囲気ではなかった。凛子さんが小さく溜息を吐く。稟市さんは状況を掴みかねている表情で、母親と、それから僕たちを交互に見詰めている。
「呪い返し? 何? 母さん?」
「錆殻光臣の甥っ子って聞いた時点でちょっと……とは思っていたんだけど」
心当たりがある人の言い方だ。菅原の質問はファインプレーだったんだろうか。いやそうでもないな。唐突すぎたよな。
「錆殻」
凛子さんが無感情な声で言う。
「あなたのお父さんは、錆殻という名前ではなかったよね」
僕への質問だ。首を縦に振る。
「その上、本物だった」
「父を知ってるんですか」
「もちろん。久秀さんも、おそらく」
神がどうとかいう研究のことで、父に接触したことがあるのだろうか。父は神ではなく人間で、ただ本物だったというだけなんだけど。
「錆殻光臣は、偽物だよね」
凛子さんが重ねて尋ね、僕は黙って首肯する。
「偽物が何かを仕出かしたとして、それを返すことなんてできないわ」
「──」
では、やはり、僕の、父が。
「一度、錆殻光臣ときちんと話をした方がいいと思う」
凛子さんの言葉は誠実で、真摯で、それは、僕がずっと避け続けていたことだった。
腹を括らなきゃいけないみたいだ。なあ、菅原。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます