第一章 聖人と盗人

第一話 僕

 19歳の冬。僕は大学二回生で、それなりに忙しかった。


 光臣みつおみだってそれぐらい知っているはずなのに、真っ昼間、講義を受けてる真っ最中にスマートフォンに着信があり、何事かと思って講義を終えてすぐに折り返したら「今夜本家に顔を出せ」と命令された。仕事の話だ、と考えなくても分かって、うんざりした。無視しても良かったけれど、一応僕の学費は光臣が──錆殻さびがら家が払っている。僕はアルバイトをしてはいけないと厳命されていて、その理由は光臣が持ち込む面倒な『仕事』を請け負う際に僕がバイト中だったりしたら困るという身勝手なものなのだが、とにかく僕には自由に動かせるお金があまりない。学費の支払いを打ち切られたらかなり困る。光臣の顔など正直少しも見たくなかったが、仕方がない。今夜はサークルの飲み会があったんだけどなぁ。まだ未成年だからお酒は飲めないけど、二回生になったお陰で後輩もできて、書道同好会のみんなと交友を深める良い機会だったのに……。


「あ、ねえ、ごめん。今日の飲み会行けなくなっちゃった」

「えー! マジで!? 今夜、新入生も全員来るのに……?」


 同期生で書道同好会のメンバーでもある片寄かたよりくんが中庭のベンチ前を通りかかったので、声をかけた。丸眼鏡にマッシュヘアの片寄くんは大きく瞬きをして、


「夏休みの合宿にも来れなかったじゃんか。せっかく、後輩たちに紹介したかったのに」

「うう、ごめんねえ……」


 そう、夏休み。書道同好会は伊豆の旅館で合宿を行っていた。僕も参加する予定だったのだが、直前でキャンセルする羽目になった。原因はもちろん光臣だ。光臣に命令されて飛行機に乗って沖縄に飛んで、海に現れるという怪異と激闘を繰り広げているうちに夏休みは終わっていた。本当に残念な八月だった。


「もう〜……まあ、おまえにも事情があるっていうのは知ってるけど……」

「そうなんだよ、伯父が暴君でさぁ……」


 僕が本物か偽物かという話は、大学の関係者にはひと言も伝えていない。どうでもいいことだからだ。それよりも、僕には父も母もおらず、亡くなった父の兄である伯父・錆殻光臣という男に学費を全額負担してもらっており、その代わり彼の仕事を手伝っている──という情報の方がずっと大切だった。テレビのバラエティ番組なんかで光臣を見たことがあるという同期生や先輩も、何人かいた。皆光臣のファンだった。光臣は演技がうまい。それに、こんなことを甥の僕が言うのもなんだけど、顔がいい。芸能人よりも芸能人っぽいって良く言われている。僕から見るとただのクソな親戚でしかないのだけど。それはともかく。僕が、飲み会や合宿を忌避していると勘違いされるのは困る。本当に困る。僕はどちらかといえば人付き合いをしたい方だし、友達だっていっぱいほしい。だから、正直あんまりつまびらかにしたくなかった光臣情報を早い時点でサークルのメンバーや、同じゼミを受講している同期生には伝えておいた。仕方がないのだ。僕の意思ではない。光臣が全部悪い。そういう気持ちで。


「でも、光臣先生って霊能者なんだろ? おまえ、何の手伝いしてるんだ?」

「うーん、荷物持ちとか……?」


 これも必ず受ける質問だ。霊能者の光臣先生。そいつはペテン師で実際仕事をしているのは僕なんだよと言いたい気にもなるが、それはそれでなんだか面倒なことになりそうだから質問をされる度にゴニョゴニョと濁してしまう。友達に嘘を吐くのは、かなり嫌な気持ちだ。


「あ、そうか。守秘義務があるもんな、ごめん」

「ん、全然。それより、また飲み会あったら教えてよ。絶対行くから」

「分かった。みんなにも伝えとくな」


 片寄くんはそう言ってニコニコと笑うと、中庭を抜けて、法学部の研究科がある建物へと消えて行った。分厚い本を片手に抱えていたし、研究科の側にある図書室にでも行くのだろう。

 ベンチに再び腰を下ろし、僕は大きく溜息を吐く。ああ、嫌だなぁ。光臣になんか会いたくない。飲み会行きたい。そんな風に考えながら、スマートフォンの画面に指を滑らせる。

 コール一回。目当ての人物の声が聞こえてくる。


『はい、菅原すがわらです。何かありましたか、坊ちゃん?』


 ──。僕が知る限り、この世に存在する、僕以外の唯一の『』。

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