第二幕

「あ、イヌがいマス! やっぱり動物は可愛いデスネ」

 助手席でアリスがはしゃいでいる中、私の運転する車はとある町中を走っていた。西園寺邸は相当辺鄙なところにあるらしく、最寄りの町であるこの場所も相当寂れている。

 エアコンの効いた車内は暖気いっぱいで快適であり、朝が早かったせいでだんだん眠くなってきた。

 何度目かの欠伸を噛み殺しながら、私はとある疑問を口にする。

「なあアリス。お前は車の運転はできないのか?」

 最近の車にはAIアシストが付いている。なんでも、自動で駐車すらしてくれるらしい。同じくAIであるアリスも運転ができるかもしれない。

 外の景色を眺めてはしゃいでいたアリスはこちらを振り向く。

「もちろん、できマス。ワタシは車もバイクも船もヘリも運転できるようにプログラムされていマス」

 ドヤ顔で平たい胸を逸らすアリスに、私は内心歓喜する。探偵助手だけでなく念願のAI搭載車も手に入ったようなものなのだ。

「アリス、運転を頼めるか?」

「任せてクダサイ」

 私は車を道路脇に停め、外に出てアリスと席を交代する。

 びっくりするくらい座席を前に動かしてルームミラーをチェックしたアリスは「ソレデハ出発しマス」と言ってアクセルを踏み、スムーズに車を発進させた。

 アリスの運転はとても丁寧であり、急ブレーキを踏む事もない。運転から解放された私はシートに身体を沈めてゆったりと寛いだ。

 そのまま暫く走っていると。

「ふと気になったのデスガ」

 唐突にアリスが口を開いた。

「当然ワタシは国交省から運転の認可を受けていないAIデス。もしワタシが事故を起こした場合、事故の責任を負うのはワタシを開発したタカノ博士と、ワタシに運転を任せたソウジさんの、どちらになるんデスカ?」

「今すぐ車を停めろ!」

 がばっと身を起こして私は叫んだ。

 アリスはスムーズな運転で近くのうどん屋の駐車場に車を停め、少し落ち込みながら車を降りてきた。

「車の運転、もっとやりたかったデス」

「今度遊園地に連れて行ってやるから、ゴーカートで我慢しろ」

「ワタシの事、子供だと思っていマセンカ? ワタシは立派なレディデスヨ」

「そうは言ってもなあ」

 じとーっとアリスが睨んでくる。だが彼女は身長が150センチほどしかないので、子供が拗ねて不貞腐れたようにしか見えない。

「他人を子供扱いするのは、自分が歳をとった証拠デス」

「そもそもお前は作られてから間もないんだから、子供どころか赤ん坊みたいなものだろ」

 子供のように頬を膨らませるアリスを無視し、私はうどん屋を見た。朝が早かったので朝食をまだ食べていない。

「アリス、少し早目の昼食にしようか」

「むー」

 子供扱いされた事をまだ不満に思っているようだが、コートのポケットからサングラスを取り出して装着した。

 飯時にはまだ早いせいか、店内はガラガラだった。私とアリスは店員のおばちゃんに案内されて二人席に向かい合わせに座った。二人ともコートを脱いで椅子にかけ、私はメニューを机に広げる。

「俺は天ぷらうどんにしようかな。アリスは何がいい?」

 尋ねると、アリスは困ったように眉根を寄せる。

「ワタシは人形なので、飲食はできないんデス」

 ……考えてみれば、至極当たり前の事である。そもそも昨晩、アリスもモモさんも何も食べていなかった。

「注文は決まったかい?」

 おばちゃんが気さくな調子で注文をとりに来たので、私は注文を口にする。

「天ぷらうどんをひとつ」

「あいよ。お兄さんが天ぷらうどんね。お嬢ちゃんは?」

 おばちゃんに注文を尋ねられ、アリスは「ワタシは結構デス」と答える。

 すると、おばちゃんはこちらをジロッと睨んできた。

「お兄さん、この子はあんたの妹か姪っ子かい? ご飯代くらい出してあげなよ」

「いや、別にご飯代をケチってるわけじゃなくてですね……こいつ今はダイエット中なんですよ」

 私はしどろもどろになって弁明するも、おばちゃんの追求は止まない。

「何言ってんだい。この子はダイエットするまでもなく痩せてるじゃないか。見なよこの細い体。まるで人形じゃないか」

 探偵もびっくりな鋭さに思わず閉口してしまう。

「ワタシはちゃんと朝ごはんを食べたけど、ソウジさんは朝ごはんを食べ損ねたんデス。だからソウジさんだけ今、遅めの朝ごはんを食べるんデス」

 見かねたのかアリスが口を挟むと、その言葉におばちゃんは「なるほどねえ」と言って納得したようだ。助け船を出してくれたアリスに内心感謝する。

「あと、ワタシはソウジさんの妹でも姪でもありマセン」

 おばちゃんの顔が真っ青になった。

 そこには驚愕と怯えが走っている。

「え、まさか、犯罪……」

「いや、違います! 違うから電話の受話器を置いてください!」

 慌てて否定するも、その必死さがさらにおばちゃんの不信を煽る。余計な事を言った助手を内心呪った。

 その後、おばちゃんに私とアリスは仕事上の関係でありアリスが助手である事を必死に説明してなんとか誤解を解いたのであった。

 

       ◯


「アリス。探偵はあまり自分の素性を語らないものなんだ。向こうが誤解してくれているならそれに乗っかればいい。一々訂正して自分の素性を語るなんて事は、もっての外だ」

「すみませんデシタ」

 助手席に座ったアリスはしゅん。と項垂れる。

 うどん屋から出ると天気は雪になっていた。ワイパーがフロントガラスに張り付く雪を必死に掻いている。ラジオからは低気圧が近づいて豪雪になるかもしれないという予報が流れている。

 煙草をとりだして咥えると、すかさずアリスが指を伸ばし火を点けた。何度やってもらっても慣れそうにない光景である。

 私は煙を吐き出して一服する。

「よし、西園寺邸に着く前に俺たちの関係の設定を練っておこう」

「ハイ」

「俺は弁一の友人でミュージシャン志望の冴えないフリーターという設定にしよう」

「ソウジさんの身なりは貧乏そうなので、ピッタリデスネ。自分を客観視して説得力のある設定を組み立てられるとは、流石は探偵デス」

 悪気は無いのだろう。無いと思いたい。

 私は話を続ける。

「お前は俺の姉である夏美が海外に嫁いでできた娘のアリス。つまり俺の姪っ子という設定だな。身分は学生で、そうだな。中学……」

 そこまで言いかけて助手席から強烈な視線を感じたので、私は咳払いをする。

「大学一年生という事にしておこう。夏美の仕事は建築デザイナーで、各国の建築物を訪問している最中に、同じく海外を回る画家のガストンと出会い、二人は意気投合して結婚。そしてこの冬に夏美はお前を連れて日本を訪れ実家に帰省するも、仕事で急用ができたからお前を俺に預けて戻ったんだ。そして俺は友人である弁一に頼まれて西園寺龍彦さんの法事に出席する事になるも、姪っ子を一人残しておくわけにもいかずに、連れて行く事にした。以上だ」

「よく即興でよくそんな設定を思いつきマスネ」

 そう言ってアリスはぱちぱちと小さく拍手をする。褒められて悪い気はしない。

「そういえば最近のAIは、人間の代わりに小説を作れるって聞いたんだが、お前もできるのか?」

 そう訊くと、アリスは数秒間じっと正面を見据え、口を開いた。

「ワタシの名前はアリス。異世界エヴァーニアスの王都エスクリアにて、国王バリグトロム八世と、女王エリセルラの間に生まれた王妃デス。ワタシは勉学、武芸、乗馬、魔法の腕に優れ、隣国の王子との許嫁の約束も交わした将来有望なお姫様デシタ。しかしある日、城の地下にて禁断の書物「ネルコルキシア」の封印が解かれてしまい、王都に災厄が溢れてしまいマシタ。天候は荒れ、大地は枯れ、人々の心は荒廃してしまいマス。それをなんとかすべく、ワタシは禁断の書物を再び封印する方法を探す旅に出マス。ワタシはかつてネルコルキシアを封印した方法を調べる事にしマシタ。紆余曲折を経て、その方法とは音楽に呪文をのせて詠唱する事だと判明しマス。そして、ネルコルキシアを封印する音楽を奏でる事ができる楽器を手に入れマシタ。しかし、その楽器はエヴァーニアスとは異なる世界、チキュウから持ち込まれた楽器であり、この世界にその楽器を奏でる事ができる人間はいませんデシタ。なのでワタシは地球に繋がると言われる禁足地ゴルテア山に行き、地球へとやってきマシタ。楽器を弾ける人間を探しているうちにミュージシャン志望のソウジさんに出会い、共に楽器を弾ける人間を探す旅の最中。という設定はどうデスカ?」

「うーん、俺が編集者だったらゴミ箱に投げ捨てたくなるあらすじだな」

 これはアリスを作った弁一のセンスなのか、アリス自身のセンスなのか地味に気になるところである。

 やがて道は林道に入る。雪の勢いはどんどん強くなり、視界がすこぶる悪い。

 そんな一面雪景色の中で、黒い人影がぽつぽつと歩いている姿が見えた。

「こんな雪の日に林道を歩いているとは妙だな」

「話しかけマスカ? 無視して通り過ぎマスカ? ちなみにこういうシチュエーションで話しかけた場合、トラブルに巻き込まれる確率は87%デス」

「初めてお前がAIらしい言葉を使っているところを聞いたよ。そんな統計があるんだな」

「ワタシのデータバンクにある推理小説から統計をとりマシタ」

 本当に大丈夫だろうか、この助手は。

 車が近づくにつれて、その人影の姿が鮮明になる。

 雪の積もった笠を被った、黒い法衣と袈裟姿。わかやすいくらいわかりやすい、お坊さんであった。

 脚半と足袋を装着し雪を踏み締めるその足取りに姿勢のぶれはなく、日々の修行の成果が伺える。

「お坊さんがこんな所で何をしているんでショウカ」

「何かしらの修行をしているのかもしれんな。こんな雪の中を歩かなきゃいけないなんて、悟りを開くのも大変だ」

 車のエンジン音に気づいたのだろう。お坊さんがこちらを振り返り、法衣に包まれた腕を伸ばして親指を立てる。俗に言う、ヒッチハイクの合図である。

 お坊さんらしからぬアクティブな所作に困惑しながら、私は車を停めてパワーウィンドウを開く。途端に雪が舞い込んで来た。

「車を停めてもらって申し訳ありません。拙僧はこの近くにある寺院、蓮光寺の世話になっている、雲水の海円かいえんと申します」

 お坊さんこと海円さんは一礼する。見た感じでは歳は三十半ばくらいだろう。探偵の仕事柄、人を見る目は養われている。年齢の推定が外れた事はない。

「この先にある西園寺邸にて明日法事が行われるため、寺を出て当宅に向かっていたところ、この突然の雪に見舞われました。私の見立ててではこの雪はまだ強くなるでしょう。そうなれば立ち往生は必然。ご迷惑でなければ拙僧を西園寺邸まで送ってもらって頂けないでしょうか」

 そう言って慇懃な態度で頼み込む。落ち着いたその喋り方や、優雅で洗礼された所作には、見た目の年齢以上の貫禄が備わっているた。

「実は俺と連れも法事に出席するために西園寺邸に向かうところなんです」

 私は親指でアリスを指差す。すでにサングラスをかけて瞳を隠したアリスが黙礼する。

「おお、これはなんと奇遇な。ここで拙僧達が出会ったのも何かのご縁でしょう。なればこの縁を無碍にするのも罰当たりというものです。拙僧を車に乗せる事が仏の御意志でしょう」

 優雅な喋り方と慇懃な態度に誤魔化されているが、なんか若干言い方が図々しくないだろうか。

よくよく考えたら海円さん、ヒッチハイクで車をとめたお坊さんである。

案外、俗っぽいのかもしれない。

 とはいえ我々も西園寺邸に行くので、同行を断る道理はない。

「仏の御意志に逆らって天国に行けなくなると困るので、どうぞ乗ってください海円さん」

 海円さんは「かたじけない」と言って傘や肩の雪をはらい、後部座席に乗り込んだ。

 扉が閉まるのを待ち、私は車を発進させる。

「ちなみに仏教に於いて死語の行く先は極楽浄土なので、天国に行きたかったのならば仏の御意志は特に関係はありませんな」

 要らない注釈をつけられた。その場ではなく車が発進してから訂正するあたり、したたかなお坊さんである。

「そういえば自己紹介がまだでしたね。俺の名前は七崎霜二。ミュージシャン志望のフリーターです。助手席に座っているのは俺の姪のアリスです」

「よろしくお願いしマス」

「こちらこそよろしくお願いします」

 自己紹介を終えた私は煙草を咥えてライターで火をつけようとし、喫煙者のマナーとして海円さんに尋ねる。

「そういえば海円さん。煙草の煙は平気ですか?」 

「平気ですよ。なんなら七崎殿が極楽浄土に行くにしろ天国に行くにしろ功徳を積みたいのであれば、拙僧に煙草を一本布施するお手伝いをして差し上げるのも吝かではありません」

 遠回しに煙草をねだるお坊さんに閉口して、煙草の箱とライターを後部座席に差し出した。

「お坊さんも煙草を吸うんデスネ」

「托鉢したものは目の前で殺生されたものでなければなんでも受け取りますよ。肉でも酒でもなんでもござれです」

 とんだ生草坊主である。

 美味そうに煙草の煙を吐き出しながら私に煙草とライターを返却する。私も煙草を咥え、ライターで火を点けた。紫煙を肺いっぱいに吸い込む。

「ところでアリス殿は人間ではありませんね?」

「ゴホッゴホッ!」

 いきなりアリスの正体を見破られた事に動揺し、思わず煙を咽せた。

 私は車を停め、後ろを振り向く。

「機巧人形の事を知っているんですか⁉︎」

 思わずそう問いかけるも、そうではないと内心否定する。仮に海円さんが機巧人形の事を知っていたとしても、アリスはサングラスと手袋でその特徴を隠している。彼女を見て機巧人形であると見抜く事は不可能だろう。

「機巧なんたらなるものは知りませぬ。人間は皆、多かれ少なかれ信仰心を持つ生き物です。どれだけ合理的であろうと、何かに祈らない人はいません。しかし、アリス殿からは全くと言っていいほど信仰心を感じません。それ即ち、人間では無い証拠でしょう」

 普通に驚いた。初対面の人間に煙草をねだる、とんだ生草坊主だと思っていたが、まさか出会ってすぐのアリスを人間ではないと見抜くとは。

「これがお坊さんの法力というやつデスカ……」

「法力ではありませんよ、アリス殿。日々禅を組み、自らの心の中にある信仰心を探り、それを見つめ耳を傾けていれば、他者の信仰心にも気づく事は容易でしょう」

 サングラスを外したアリスが青い瞳でまじまじと海円さんを見つめる。

「なるほど、面妖な瞳を持っていらっしゃる」

 もうここまで来たら、機巧人形について隠す事は難しいだろう。いっその事、全てを説明した上で口止めした方がいい。私は心の中で弁一に詫びる。

「アリスは機巧人形という……まあ、ロボットのようなものです。西園寺医院の前当主――今回法事を行う龍彦さんの要請で開発された、看護ロボが原型になっているんです」

「なるほど。要するにアリス殿は、アラレちゃんやウランちゃんのようなものなのでしょうか」

「アラレちゃん……? ウランちゃん……?」

 海円さんの言葉に首を傾げるアリス。例えが古いうえに、女の子のロボットをチョイスしたのは彼なりの気遣いなのだろうが、アトムではなくその妹のウランを選んだせいでより一層わかりづらくなっている。

「そんな感じです。それで、機巧人形の事は西園寺医院の中でも極秘の存在なんです。ですから、海円さんも誰にも言わないでおいてもらえませんか?」

「安心なされ七崎殿。拙僧は人の秘密をみだりに口する事はありません。それにしても最近の科学技術は凄いですな。拙僧が小学生の頃に遊んだシーボの頃から、随分と進歩したものです」

「シーボ……?」

「海円さん。その辺にしないとアリスが話についていけません」

 古すぎる単語の連発に、アリスの瞳が混乱からかぐるぐると回っている。

「アリス、正気に戻れ」

「いえ、ワタシは正気デス」

 アリスの瞳がピタリと止まり、私を見つめる。

「ワタシは知らない単語をインターネットで検索できる機能がありマス」

 さっきの目玉をぐるぐる回す動作は検索中という事だったのか。不気味すぎる。

「デスガ、ここは電波が届いていマセン」

「なんだって?」

 スマートフォンを取り出して確認する。アリスの言う通り、圏外になっていた。

「おや。拙僧のいた蓮光寺ですらバリ三なのに、ここまでは届かないのですね」

「バリ三……?」

 海円さんとアリスを無視して、私はハンドルの上に組んだ手に顎を乗せて考え込む。

 一悶着ありそうな西園寺邸での法事なのに、有事の際に電波が届かず連絡が取れないのだ。しかも、雪はこれから更に激しくなりそうだという。

 よく殺人事件が起きた時に都合よくクローズドサークル……外界と遮断された状態になると言われているが、逆に外界と遮断された状況こそが、人々の殺意を後押しする場合がある。外界から閉ざされた事で、「これはチャンスだ」と思って殺人に手をかけるのである。

 かつて私が解決した殺人事件でも、クローズドサークルになったからこそ、警察の捜査を恐れる必要がなくなり、殺人を決行した犯人がいた。

「これは一層警戒する必要があるな……」

 私は不安を募らせながら車を再び発進させ、西園寺邸に向かった。

 しばらく走っていると、急に海円さんが口を開いた。

「こうも雪が深いと、あの怪談を思い出しますな」

「怪談ですか?」

「ええ。檀家を巡るとそれなりに地域の噂話を聞かされるものでしてな。ほら、老人は暇を持て余した人が多いでしょう。ですから、話し相手が見つかるとご近所の噂話や地元の言い伝えなどを、聞いてもいないのに喋ってくれるものなのですよ」

 私にも覚えがある。探偵の仕事で聞き込みをすると、老人の長話に付き合わされる事が多々ある。しかも事件と全然関係ない身内話である事がほとんどである。

 煙草家のおばちゃんからスマートに話を聞き出す事。それが探偵としての第一歩である。

「カイダンなんてどうせ作り話デス。真面目に聞くものではありマセン」

「たまにAIらしい事を言うなお前は」

「ワタシは科学技術の結晶デス。オカルト要素は廃してなんぼデス」

 まあ、その点は探偵も同じと言えなくもない。合理的推理と論理的推理。それこそが事件を見極める際に必要な事なのだから。

「アリス殿。怪談は手品と同じですよ」

「? どういう事デスカ」

「手品は当然、種も仕掛けもあります。観客だってそんな事はわかっていますよ。しかしながら、観客は種も仕掛けもないという体で、目の前で起こる魔術を楽しむものです。怪談もまた同じ。幽霊はいるという体で、語られる物語に恐怖するのです。「種も仕掛けもありません」と「これは本当にあった話です」は、本質的に同じ前口上なのですよ」

「自分の思考を誤魔化すという事デスカ? よくわかりマセン」

「まあ、プログラムで作られたお前には難しいだろうな。海円さん。よければその話を聞かせてもらえませんか?」

 アリスの考えはさておき、道中の暇潰しに海円さんからその話を聞くことにした。

「かつて、この先……地図によると西園寺邸のさらに向こうには、小さな村がありました。畑を耕し細々と暮らす、名産も何もない、普通の村です。ただ、一つ変わったところがありまして、その村ではスズメバチを崇め祀っていたのです」

「ムシを崇めるなんて、変わってマスネ」

「さほど珍しい事ではありません。仏教に於いても、ムカデは毘沙門天の使いとして有難い存在として崇められています。古事記には常世神という虫を祀る話がありますし、拙僧は仏教徒なので詳しくは知りませんが、京都には大蜘蛛神社なる、蜘蛛を祀る神社もあるようです」

「あとはエジプトではスカラベ……フンコロガシを太陽神の化身としてるんでしたっけ」

 丸い糞を転がす姿が、太陽の運行のようだとかなんだとか。

「そういえばそんな話も聞いた事があります。あと、蛇を龍神や水神とする伝承もあるらしいですな」

「いや、蛇は爬虫類……ああ、爬虫類という言葉には、しっかり「虫」が含まれていますね」

「よくわかりマセンガ、ニンゲンはなんでもありがたく思うのデスネ」

「鰯の頭も信心からと言いますからね。祈る対象ではなく、祈る行為こそが尊いのですよ。話を戻しますが、その村ではかつてスズメバチの被害に遭っており、悩んだ村人達はスズメバチの生息域の木を伐採する事で、スズメバチ達が住めないようにしました。そして、駆除したスズメバチの祟りを恐れ、スズメバチを祀って鎮めていたのです」

「ジブン達で駆除しておいて祟らないでほしいなんて、都合のいい話デス」

「そうですな。その上、村には宮司も和尚もおらず、随分と雑な祀り方だったと聞きます」

「雑でも構わないのでは? さっき、祈る行為こそが尊いと仰っていたでしょう」

「左様。しかし、自分の信仰心に祈る事と、他者を鎮める為に祈る事は違います。誤った作法では、正く自分の祈りが届かない。言ってみれば、憎悪という名の煮えたぎった油の満ちた鍋に、火をかけたまま蓋をし、目の届かないところに追いやったようなものなのです、本来ならば、しっかりと火を止めて油の危険性を目視し、用心しながら冷ますべきなのです。そんな誤った鎮め方をしたから、蓋が開き煮えたぎった油を被ってしまう事になる――もっとも、開いたのは地獄の蓋でしょうが」

 海円さんの話し方は坊主らしく、語りが堂に入っている。私は思わず唾を飲み込む。

「とある雪の日の夜。村人の一人は、山から人間の形をした黒い靄が現れるのを目撃しました。その靄は、ゆっくりとした足取りで村人に近づいてきます。思わず悲鳴をあげて逃げ出そうとした時、その人間の形をした靄はその場に崩れ落ち、靄が晴れました。そこにいたのは、山に入って行った同じ村の男だったのです。その者の体は醜く腫れ上がっており、絶命していました。それだけではありません。靄だと思われたもの。それは大量のスズメバチだったのです。その男は、全身をスズメバチに覆われて体中を刺さされていたのです。そして、スズメバチは次の標的に目をつけ、靄のような群衆となって全身を覆い、体中を突き刺しました。悲鳴を聞きつけた村人達は家屋から出てきて異変を目の当たりにします。しかし、逃げ場はありません。家屋に逃げ込んでも、スズメバチ達は家屋の隙間から入って人間に襲いかかります。村の外に逃げようにも、雪の日の夜は視界が悪く、雪に足を取られている間にスズメバチに追いつかれてしまいます。かくして、村人達は全員スズメバチに殺されてしまい、その村は一夜にして滅びました」

 そう締めくくり、海円さんの話は終わった。

 雪に囲まれた逃げ場のない場所で、襲いかかるスズメバチ達。

 振り払おうにも数が多すぎる。あっという間に全身を覆われてしまい、体中をその強力な針で突き刺される。針には毒もあるだろう。全身に走る激痛は並大抵のものではない。村は阿鼻叫喚の嵐だったに違いない。悲鳴は山間の村に響き、雪に吸い込まれ、最後には声を上げるものすらいなくなる。

 後に残るのは、スズメバチの羽音だけだったのだろう。

 私はその光景を想像し、ぶるりと体を震わせた。

「なかなか、怖い話ですね」

「拙僧も初めて聞いた時、思わず数珠を取り出して念仏を唱えました」

 我々が昔話の恐怖に身を凍らせている中。

「ドウシテ全員死んだのに、その時の光景が語り継がれているんデスカ」

 アリスだけは呆れた顔で冷静なコメントをしたのであった。

 

       ◯

       

 雪はどんどん勢いを増していき、かろうじて道を視認できるといった状態になっていた。

「ズイブンとチョベリバな天気で、まいっちんぐデスネ」

「アリス。悪いことは言わんから海円さんに教えてもらった言葉は全部忘れろ」

「前方に黒い屋根が見えてきたでしょう。あれが西園寺邸です」

 海円さんの言う通り、雪景色の中に建物の屋根らしきものが見えてきた。

 そこから走ること数分。土塀に囲われた大きな日本屋敷に辿りついた。塀の前には広場があり、車が三台停まっている。法事に来た客のものだろう。私も同じ場所に車を停める。

 我々三人は車から降り、荷物を下ろす。私は擦り切れたナップザックを、アリスは古風なトランクを、そして海円さんはくたびれた頭陀袋を。

「ソウジさん、そのナップザックにはもしかして、探偵七つ道具のようなものが入っているんデスカ?」

「いや、着替えと髭剃りと暇つぶし用の文庫本、あとは煙草のストックとウイスキーの入ったスキットルだ」

 アリスがダメな大人を見るかのような視線を向けてきた。小娘には大人の魅力がわかるまい。

 大きな門の前に立つと、扉の横にインターホンがあったので、私が代表してそれを押す。

『はい』

 インターホンのスピーカーから大人の女性の声が響く。

「高野弁一の代理で法事に来た七崎霜二と、連れのアリスです。あと、蓮光寺のお坊さんの海円さんも一緒です」

 そう名乗ると、門の上のカメラが音を立ててこちらを向く。よく見ると弁一のいた研究所と同じものだった。どちらも西園寺家が用意したものなので、当然と言えば当然である。

 扉が開き、桃色の着物の上にエプロンを装着した女性が現れた。髪を美しく結って簪を刺している。

「高野博士から話は聞いています。七崎さんとアリスさん、そして海円さんですね。私は当家のメイド長を務めるキャシーと申します。掃除洗濯から害獣駆除まで、なんでもお任せください」

 彼女が弁一の話に登場した、メイド機巧人形なのだろう。マニピュレーターを隠すためか、手には薄手のゴム製の手袋を装着している。170センチほどある身長も、高い場所にある物をとれるよう設計されているのかもしれない。

「わあ、ワタシのお姉さん機体にあたるんデスネ。よろしくお願いシマス」

 アリスが無邪気にキャシーさんの手を握る。身体の大きさが違うのでアリスが小さな手で握っても、キャシーさんの手は隠れる事はない。

「あの、我々のことは……」

 困惑した様子でキャシーさんが私を見る。海円さんの前で機巧人形の事を話すのはまずいという事だろう。

「海円さんは機巧人形の事を知っていますから、隠す必要はありませんよ」

 正確に言えば知っているというよりバレたのだが。

「ご安心ください。拙僧はみだりに他者の秘密を言いふらしはしません」

 キャシーさんは逡巡するも、納得したらしく頷いた。

「わかりました。ではこちらへどうぞ」

 そう言って踵を返し、雪の中の庭を歩いていく。我々も彼女のあとに続く。

 西園寺邸の庭は松の木などが植えられた純日本庭園だった。そして前方に聳える母屋も、純日本屋敷といった家構えだ。

 玄関に辿り着いた時、キャシーさんがこちらを振り返る。

「当屋敷では皆様方にくれぐれも気をつけて欲しい事があります。私たち機巧人形の事を知っているのは、当主である西園寺閑奈様と、同じく機巧人形であるメイド機巧人形の私、料理人機巧人形であるロック、庭師機巧人形であるバーリィのみです。その他の人たちには、機巧人形のことはくれぐれもご内密にお願いします」

「わかりました」

「御意に」

 私と海円さんが頷くも、アリスは首を傾げる。

「ワタシの中にはタカノ博士が開発した全ての機巧人形のデータが入っていマス。この屋敷にいる機巧人形は、キャシーさんとロックさんだけだったはずデスガ」

「庭師のバーリィは先代当主である西園寺龍彦様が、別の工場でロックの身体を複製することで作った機巧人形です。複製した機巧人形は他にも、私を複製したメイド機巧人形がいましたが、AIプログラムの書き換えに失敗し廃棄されました」

 なるほど。複製くらいなら可能という弁一の見立ては正しかったわけである。

「ちなみにチワワ型人形も開発しようと思いましたが、小型化はともかく骨格の改造が不可能で挫折しました」

 ここまで弁一の見立て通りだと、あいつの方が探偵っぽく感じてしまう。

 

「それでは――ようこそ、お客様がた。西園寺邸へ」 

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