Case FileⅠ 狂三ディテクティブ(3)

「――結局、事件発生時の映像には、何も映っていませんでしたわね……」

「そうですわね」

 狂三は、残念そうな茉莉花の言葉に短く返すと、ふうと吐息した。

 そう。あのあとすぐに防犯カメラの映像を確認したものの、犯人の姿は映っていなかったのである。

 それも、件の部屋の前の廊下はもちろん、他の場所にいたるまで、事件発生時に怪しい人物の姿はなかった。

結局、捜査は振り出し。佐田は難しげな顔で頭を掻きながら、再度現場の状況を洗うようにと部下に指示を出していた。

 今狂三と茉莉花が歩いているのは、栖空辺邸本館の外であった。一応、件の部屋を外側からも確認しておこうと、こうして二人で繰り出してきていたのである。

 改めて外から見てみると、かなり大きな建物であるということがわかる。敷地面積自体も広大で、まるで自然公園か、ちょっとした森といった様相だった。

「でも……わかりませんわ。犯行に使われたと思しき銃があの部屋にあったということは、佐田のおじさまの仰るとおり、事件後に犯人があの部屋を訪れたことは間違いないはずですわよね? なのに、映像にそれらしき人物の姿はない……一体どういうことですの?」

 狂三の隣を歩きながら、茉莉花が困惑するように言ってくる。狂三は歩調を保ったまま、ちらとそちらに目をやった。

「考えられる可能性はいくつかありますわ。――一つは、防犯カメラに映らないルートや、隠し通路などがあるケース」

「隠し通路……ですの? あたくし、何年もここに住んでおりますけど、聞いたこともありませんわよ」

「あくまで可能性のお話ですわ。――もう一つは、あの銃は犯行には使われていなかった、というケース」

「……! つまり、犯人が警察の目を惑わすために、故意に発砲の痕跡を残したということですの?」

「ええ。これ見よがしな偽の証拠品を用意し、警察がそれを調べている間に本物の凶器を処分する……これが計画的犯行であれば、あり得ない話ではありませんわ。そしてもう一つは――」

「も、もう一つは……?」

 茉莉花がゴクリと息を呑みながら問うてくる。

 狂三は肩をすくめながら続けた。

「――こちらの思いもよらないような方法であの銃を使ったというケースですわ」

「な、なるほど!」

 茉莉花は目を見開きながらそう言ったが、やがてその言葉の意味するところに気づいたのだろう。たらりと頬に汗を垂らしてきた。

「……それって、何もわからないということではありませんの?」

「雅語で表現するとそういうことになるかもしれませんわね」

 狂三は適当な調子でそう返すと、そのまま歩みを進めていった。

 そしてどれくらい歩いた頃だろうか、狂三たちは、目的の部屋の下まで辿り着いた。

「ふむ……位置的に考えて、例の銃が飾られていた部屋は、あの辺りのようですわね」

「ええ。とはいっても、何か変わった様子があるようには見えませんけれど……」

 茉莉花が、狂三に倣うように二階の窓を見上げながら言ってくる。

 実際、彼女の言うとおりではあった。まあ狂三も、何らかの強力な手がかりが見つかるという確信があったわけではなく、他に調べるところがないため足を運んだだけではあったが――

「……あら?」

 が、そこで狂三は何かを見つけ、目を細めた。

「いかがいたしましたの、狂三さん」

「あれを見てくださいまし。窓の下の方に、何かが挟まってはいませんこと?」

 言って、窓の方を指さす。茉莉花が目を凝らすように細めた。

「あれは……葉っぱ、ですわね」

 そう。窓の下方に、一枚の葉っぱが挟まっていたのである。

「…………」

 それを見て、狂三は微かに眉根を寄せた。

 別にそれ自体は何の変哲もない葉っぱだ。周囲に木々が生い茂っていることから考えても、別段不思議なことではない。

 だがその青々とした色の葉は、それが挟まってからそう時間が経っていないことを示しているように思われた。

「茉莉花さん、あのお部屋は、頻繁に出入りしたり、換気のために窓を開けたりされますの?」

「いえ、半ば物置のようになっている部屋ですし、あまり入りませんけれど……。

 はっ、もしかして、何か重要な手がかりですの!?」

 茉莉花が興奮したような調子で言ってくる。狂三は小さく首を傾げながら返した。

「……現状ではまだなんとも言えませんわ。一応、写真だけは撮っておきましょう」

 言って、狂三はスマートフォンを取り出し、窓の様子を写真に収めた。茉莉花もそれを真似するように写真を撮る。その際なぜか身を低くし、プロカメラマンのようなポーズを取っていた。

 その後、屋敷の外側をぐるりと一周して入り口へと戻る。

 するとそこで、捜査中の佐田と再会した。

「ん……? ああ、お嬢さん方。一体どちらに?」

「狂三さんと手がかりを捜して、先ほどの部屋の外側を見にいっておりましたの!」

 茉莉花がテンション高く返す。佐田は気圧されるように身体を反らしながら「そ、そうですか」と呟いた。

「……お嬢さん、熱心なのはいいんですが、先ほども言った通り犯人が隠れている可能性はゼロではないので、あまり勝手に出歩かないでください」

「これは失礼しましたわ!」

 あまり悪びれた様子もなく茉莉花が詫びる。佐田はため息交じりに言葉を続けてきた。

「……にしても、これだけ大きなお屋敷だ。一周するだけで一苦労だったでしょう」

「大きい……ですの? 普通くらいかと思いますけれど」

 佐田の言葉に、キョトンとした様子で茉莉花が言う。

 別に自慢しているとか、挑発しているといった様子はない。心の底からそう思っているようだ。

 佐田もそれを察したのだろう。力なく苦笑する。……まあ、子供の頃から住んでいるとなれば、彼女にとってはそういうものかもしれなかった。

「かなり立派なお屋敷ですわよ。時計を見てみてくださいまし。途中少し足を止めたとはいえ、周りを一周しただけで五分近くは経って――」

 ――と。

 そこまで言ったところで、狂三は言葉を止めた。

 頭の中を、とある可能性が掠めたのである。

「一周……?」

 そして独り言のように呟きながら、顔を上げる。

 それは、荒唐無稽に過ぎる考えだった。狂三自身、もしも他人からこんな推理を披露されたなら、そんな馬鹿なと返してしまうやもしれない。

 けれどそれを認識した瞬間、狂三の頭の中には、半ば無意識のうちに幾つもの数字が躍っていた。

 そして――

「まさか、そんなことが」

 答えが出た瞬間、狂三は駆け出していた。茉莉花と佐田の間を抜けるようにして、本館の中へと入っていく。

「――へっ!? 狂三さん、いかがいたしまして!? 狂三さーん!?」

 背後に茉莉花の声を聞きながら、狂三は一目散に目的地へと向かった。



 栖空辺邸一階、警備室。

 壁一面にモニタが並び、屋敷内の様子が映し出されている。

「…………」

 先ほどこの部屋に駆け込んできた狂三は、モニタに映し出された映像をジッと見つめると、やがて細く息を吐いた。

「――あら、あら。これはこれは――」

 そして、ぽつりとそう呟く。

 するとモニタの前に座っていた警備員が、不思議そうな顔をしてきた。――今し方狂三の要請に従い、とある映像を再生してくれた男である。

「ええと……何かわかりましたか?」

「ええ。ご協力感謝いたしますわ」

「それは何よりです。――でも、なんでまたこんな映像を? 今回の事件には関係ありませんよね……?」

「そう――ですわね。普通に考えれば、そうですわ」

「…………?」

 狂三の言葉に、警備員が首を傾げる。

 狂三はもう一度短く礼を言うと、警備室を出ていった。

「ああ、ああ――もしも探偵さんならば、こんなとき、こう言うのかもしれませんわね」

 そして一人廊下を歩きながら、零すように呟く。

「――謎は、全て解けましたわ」


       ◇


「はぁ……っ、はぁ……っ、ようやく見つけましたわ、狂三さん。いきなり走り出すんですもの。驚きましてよ」

 ――それから数分後。

 息を切らした茉莉花が、狂三のいる部屋へとやってきた。どうやら、狂三を探して屋敷中を走り回ってきたらしい。額には、玉のような汗が浮かんでいる。

 狂三が待ち構えていたのは、本館二階最奥に位置する部屋だった。

 そう、件の銃が飾られていた場所だ。警備室で用事を済ませた狂三は、階段を上がり再度この部屋を訪れていたのである。

「それで……どうかされましたの、狂三さん。随分慌てた様子でしたけれど……」

 呼吸を整えるようにしながら、茉莉花が問うてくる。

 狂三は窓側に向けていた身体をゆっくりと彼女の方に向けると、静かに唇を動かした。

「――犯人が、わかりましたわ」

「…………! ほ、本当ですの!?」

 茉莉花が顔を驚愕の色に染める。

「一体誰ですの!? 誰が探偵さんを――」

 そしてそのまま、捲し立てるように続けてくる。しかし狂三は、その言葉を止めるように手のひらを広げた。

「――乙女には、夢見がちな時期があるもの。そう仰いましたわよね、茉莉花さん」

「え? ああ……はい。それがどうかしまして?」

 茉莉花が不思議そうに返してくる。狂三は少し芝居がかった調子で両手を広げながら続けた。

「少しの間、お付き合いいただけませんこと? わたくしの、荒唐無稽な空想話に」

「空想話……ですの?」

「ええ、ええ。聞くに堪えない妄想ですわ。――もしも本当に、『魔弾』などというものが存在したら、という」

「……! 『魔弾』――」

 狂三の言葉に、茉莉花の表情が変わる。

「それは、例の脅迫状に書かれていた……?」

「その通りですわ。ひとたび放たれれば、必ず目標に当たるという魔性の弾丸。あらゆる障害物を避け、獲物がどれだけ逃げようとも、決して外れることのない弾――」

 無論普通に考えれば、そんなものが存在するはずはない。

 そう――普通に考えれば。

 けれど狂三は知っていた。この世界に、人智を超えた神秘が存在することを。

 何しろ狂三は今からおよそ一年前まで――人間ではなかったのだから。

 精霊。世界を殺す災厄とさえ謳われた超常存在。それこそがかつての狂三であった。

 不可逆の概念に干渉する時の天使〈刻々帝ザフキエル〉と、この世のあらゆる事象を識ることのできる書の天使〈囁告篇帙ラジエル〉。

 まさに世界を滅ぼしうる二つの天使を、狂三はその手に握っていたのだ。

 そして〈囁告篇帙ラジエル〉を失う前に、狂三は時間の許す限り、この世界のことを調べていた。

 ――精霊を生み出すに至った、『魔術』の存在を。

 顕現装置リアライザが開発されるより以前から、世界の裏側に息づいていた秘術の存在を。

 そしてその過程で狂三は、副次的にではあるが、様々な神秘についての知識を得ていった。

 かつて魔術師たちが作り上げたという、数々の魔術工芸品アーティファクト

 狂三の記憶が確かならば――その中に、『魔弾』の名で呼ばれるものがあった気がしたのである。

「――ねぇ、茉莉花さん。もしもの話ですわ。

 もしも本当にそんなものが存在するとしたならば――あなたなら一体、どのように使用されまして?」

「き、急にそんなことを仰られましても……」

 茉莉花が困惑するように眉を歪める。

 狂三は、さもあらんとうなずいたのち、あとを続けた。

「失礼。唐突な質問でしたわね。では質問を変えましょう。

 佐田警部がこの事件において重要視していらっしゃったことは、大きく分けて三つ。『誰が』、『どこから』、『どうやって』銃を撃ったのか、ですわ」

「え、ええ……そうですわね」

「ですが、もしも『魔弾』が実在するなら、もう一つ気にせねばならないことが生じてくるのですわ。何かおわかりになりまして?」

 狂三の問いに、茉莉花はしばしの間腕組みしながら唸ったが、やがて諦めるように息を吐いた。

「……ギブアップですわ。一体何ですの?」

「――『時間』。つまり、『いつ』銃を撃ったのか、ですわ」

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