魔術探偵・時崎狂三の事件簿

橘公司/ファンタジア文庫

Case FileⅠ 狂三ディテクティブ(1)

「――卑劣なる犯人は、予告状にこうしたためました。今宵、この屋敷にて惨劇が起こる、と――」

 広い邸宅の中。ホールの中央に立った男が、高らかに声を上げていた。

 三〇代半ばくらいの、背の高い男である。顔の造作は整っているのだが、鹿撃ち帽とコート、そして手にした古めかしいパイプが、その雰囲気を胡乱なものに変貌させていた。

「ですがご安心ください! この名探偵・伊丹いたみさだよしがいる限り、決して犯人の好きにはさせません!」

 全身で、己が『探偵』であることを主張しているかのような男――伊丹は、両手を広げながら高らかにそう言った。

 それを受けてか、ホールにパチパチという拍手が鳴り響く。

「…………」

 ときさきくるは、ホールの隅で頬に汗を垂らしながら、そんな光景を眺めていた。

 ……まるで演劇のワンシーンでも見ているかのような気分である。いや、そう言ってしまっては劇作家に悪いか。今時あんなにも探偵探偵した姿の探偵は、フィクションの中にもそうは存在するまい。

 とはいえ、これは紛れもない現実であった。少なくとも、この屋敷に不審な手紙が届き、屋敷の主人の依頼で探偵が招聘された――という点に関しては。

 主人が騙されているのでなければ、彼は紛れもなく探偵なのだろう。それも、このような場に招かれるということは、それなりに主人から信頼を得ていると考えられる。

 まあ、だからといって胡散臭さが軽減されるというわけではなかったけれど――

「――――っ!?」

瞬間。狂三は、小さく息を詰まらせた。

 否、狂三だけではない。ホールにいる者全員が、彼女と同じような反応を示していた。

 けれど、それも無理からぬことだろう。

 何しろ――

「……ぐ、あ……っ――」

 皆の視線が集まる中、突然探偵の胸が弾け、血が噴き出したのだから。

「――きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」

「じ、銃撃!? 一体どこから!?」

「危険です! 皆さん身を低くしてテーブルの陰に!」

 一拍遅れて、ホール内が騒然となる。悲鳴と怒号が飛び交い、そこに激しい足音やテーブルをひっくり返す音、グラスが割れる音などが混じる。

 そんな中。

「な……まさか、本当に――」

 力なくくずおれる探偵の姿を見ながら、狂三は呆然とその場に立ち尽くしていた。

 そしてその唇から、微かに声が漏れる。

「魔弾の――射手……」

 狂三の小さな呟きは、誰に聞かれることもなく、騒音の中に呑み込まれていった。


       ◇


 ことの始まりは三日前の昼であった。

「――あなたが時崎狂三さんですわね!」

 狂三がさい大学のキャンパスを歩いていると、不意に後方から、やたらとテンションの高い声がかけられた。

 聞き覚えのない声である。不思議に思ってちらと後方を見やると、そこに一人の少女が立っていることがわかった。

「…………」

 それを見て、狂三は一瞬身体の動きを止めた。

 だがそれも当然だ。何しろそこにいたのは、長い髪を見事な縦ロールにセットし、キャンパスライフに向きそうもないドレスを身に纏った、絵に描いたようなご令嬢だったのだから。

 しかも左手を腰に当て、右手を狂三の方に伸ばすという、なんとも優雅な立ち姿である。堂に入りすぎていて、ちょっと胡散臭ささえあった。

 狂三は数瞬の間考えを巡らせたが……

「人違いですわ」

 関わり合いにならない方がいいと判断し、にこやかにそう言って、歩みを再開した。

「ちょ、ちょ、ちょ……!」

 が、少女は諦めなかった。慌てた様子でスカートの裾を揺らし、狂三の前に回り込んでくる。

「お待ちくださいまし! おとぼけになっても無駄ですわよ! 調べはついておりますわ! 彩戸大学一年生、時崎狂三さん!」

「……、あなたは?」

 どうやら誤魔化すのは難しいようだ。これ以上叫ばれて注目を集めてしまうのも望ましくない。狂三はため息交じりにそう問うた。

 すると少女は満足げに首肯し、ビッとポーズを決めてみせた。

「あたくしはからまつ! あなたと同じ一年生ですわ! 以後お見知りおきくださいまし!」

「それで、その茉莉花さんが一体何のご用でして?」

「よく聞いてくれましたわ! あなたにお願いしたいことがありますの!」

 狂三が問うと、茉莉花は途端に調子を取り戻し、懐から封筒のようなものを取り出した。

「それは?」

「先日我が家に届いた謎の脅迫状ですわ!」

「…………はい?」

脈絡がなさ過ぎるキーワードに、狂三は思わず目を点にした。

 しかし茉莉花はまったく気にする素振りも見せず、言葉を続けてくる。

「こんなものを出した犯人が誰なのか、調査していただきたいのですわ! もちろんタダとは申しません! 十分なお礼をご用意して――」

「勝手に話を進めないでくださいまし。一体なぜ、わたくしがそんなことを? 警察か探偵さんにでも依頼すればよいのでは?」

「警察にはとうに通報済みですし、お父様のお知り合いの探偵さんも調査に乗り出していますわ!」

「……では、それでいいではありませんの」

「あたくしも何かしたいではありませんの!」

 狂三は軽い頭痛を覚えながら、なんとか言葉を続けた。

「……あなたの思考回路はまったく理解できませんけれど、話はわかりましたわ。しかし、脅迫状とやらの調査をしたいとして、なぜわたくしに?」

「とある方からの紹介ですわ!」

「とある方?」

「クールな才媛――とだけ申しておきますわ!」

「…………」

 その表現でパッと思い浮かぶのは、同級生のとびいちおりがみだった。

 大方、最初は彩戸大学始まって以来の秀才と謳われた折紙に相談に行ったが、断られてたらい回しにされたというところだろう。

「まったく……面倒事を寄越してくださいますわね」

「でもその方は、脅迫状を見るなり、これは時崎狂三さんの領分だ、と仰られましたわ!」

「わたくしの領分……?」

 狂三は微かに眉根を寄せた。茉莉花の対応が面倒になったとはいえ、彼女が何の意味もなくそんなことを言うとも思えなかったのである。

「――その脅迫状、見せていただけまして?」

「もちろんですわ!」

 茉莉花は大仰にうなずくと、その封筒を手渡してきた。

 狂三は矯めつ眇めつ封筒を眺め回したのち、中に入っていた手紙を取り出し、その紙面に視線を落とした。


『五月一八日。

 栖空辺邸にて惨劇が起こる。

          魔弾の射手』


 そこには、味気ない印字でそう記されていた。

 別に文の内容に見るべきところはない。脅迫かどうかも定かではない、ただ意味深に見せただけの文章だ。

 けれど、その手紙の送り主と思しき名前だけが、妙に気にかかった。

「魔弾の射手――」

「ええ。ウェーバーですわね。――はっ、まさか犯人はオペラ好きですの!?」

 茉莉花が何かに気づいたようにハッと肩を揺らす。

 確かに『魔弾の射手』といえば、ドイツの作曲家、カール・マリア・フォン・ウェーバーのオペラだ。気取り屋の犯人がそこから名を取ったと考えるのが自然だろう。

 しかしその名を目にした瞬間、狂三の脳裏を過ったのは、別の事柄だった。

「……まさか――とは思いますけれど」

「? どうかしましたの?」

 急に考え込んだ狂三を不思議に思ってか、茉莉花が首を傾げてくる。

 ――荒唐無稽な話だ。偶然の符合に違いない。

 けれど、なぜだろうか。狂三の胸の奥に生じた微かなざわめきが、首を横に振ることを許さなかった。

「……お受けいたしますわ」

「えっ?」

「お受けする、と言ったのですわ。詳しい話を聞かせてくださいまし」

「――! 本当ですの!?」

 狂三の言葉に、茉莉花はパァッと顔を明るくし、勢いよく手を握ってきた。

「ああっ、感激ですわ! やはり闇を払うのは、知性と慈愛と、ほんの少しの暴力ですのね!」

 その圧の強さに、早くも依頼を受けたことを後悔しそうになる狂三ではあったけれど……まあ乗りかかった船だ。仕方あるまい。やれやれと息を吐きながら肩をすくめる。

「――ところで、先ほどから気になっておりましたけれど、なんですのその口調。如何に良家のご令嬢でも、今日日そんな喋り方はいたしませんわよ」

「!? あなたにだけは言われたくないですわー!?」

 狂三が半眼を作りながら言うと、茉莉花は納得いかないといった調子で大声を上げた。


       ◇


「…………」

 探偵狙撃事件の少しあと。

 栖空辺邸別館の一室で椅子に腰掛けながら、狂三は考えを巡らせていた。

 ――衆人環視の中で、ホールの中央に立っていた探偵が銃撃された。シンプルに言えば、起こったことはそれだけだ。ホールには警察官もいれば、屋敷のボディガードもいた。狙撃が可能な場所も限られている。犯人はすぐに見つかるだろう。

 しかしなぜだろうか。何かがずっと、頭の中に引っかかっていたのである。あごを撫でながら、さらに思考を巡らせる。

 まあ、とはいえ――

「あわわわわ……! い、いかがいたしましょう、いかがいたしましょう! あたくしのおうちで大事件が起こってしまいましたわーっ!」

 今狂三がいる場所が、考えごとをするのに向く場所かと言われれば、決してそんなことはなかったのだけれど。

 目を泳がせまくった茉莉花が、両手を戦慄かせながら叫びを上げている。狂三は小さくため息を吐きながらそちらを見やった。

「少し落ち着いてくださいまし、茉莉花さん」

「目の前で人が撃たれているのに、落ち着いてなどいられませんわっ! むしろ狂三さんはなんでそんなに落ち着いていらっしゃるんですの!?」  

「慣れているもので」

「へっ?」

「なんでもありませんわ」

 狂三は誤魔化すように言うと、改めて部屋の中を見回した。

 ここには今、あのとき事件現場であるホールにいた人間が集められていた。

 茉莉花の父と母、屋敷の使用人が四名、ボディガードが二名。それに狂三と茉莉花を合わせた一〇名である。一緒にいた警察官は、今ホールで現場検証に立ち会っているようだ。

 狙撃の危険がある以上あの場所に残り続けるわけにはいかなかったが、ここにいる全員が重要参考人であるため放っておくわけにもいかない――ということで、ボディチェックを済まされた上で、こうして別館の部屋に押し込められていたのである。まあ、部屋には十分な広さがある上設備も整っていたので、居心地は決して悪くなかったのだけれど。

 だがだからといって、ゆったりくつろげるというわけでもないらしい。茉莉花のように叫びこそしていなかったものの、皆大なり小なり動揺しているようだった。

「……『魔弾』――」

 狂三はぽつりと呟いた。

 謎の手紙だけならばまだしも、銃撃事件まで起こってしまった。普通に考えれば、警察に任せておいた方がいいだろう。

 だが、『魔弾の射手』を名乗る者からの手紙が届いた上で起こった謎の銃撃事件という符合が、狂三の胸をざわつかせてならなかったのである。

「――茉莉花さん」

 狂三は意を決すると、茉莉花の名を呼んだ。

「は、はい? なんですの?」

「あなた、仰いましたわね。手紙を出した犯人を、わたくしに突き止めてほしいと」

「え、ええ。言いましたけれど……」

 茉莉花が額に汗を滲ませながら返してくる。狂三は小さく息を吐くと、椅子から立ち上がった。

「本来こういったことは探偵さんのお仕事なのでしょうけれど……いなくなってしまわれた以上仕方ありません。――不肖この時崎狂三が、謎を解いて差し上げますわ」

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