第96話帰郷④
かつて自分の家だった屋敷に入っていったが、アデリーは見知らぬところに来たように感じていた。むしろ、見知らぬところだと思ったほうが断然気が楽なのだ。
「なんて酷い有り様なの……」
敷かれていた絨毯もなければ、カーテンもない。もちろん絵画や高価な壺などの装飾品は皆無だ。階段の手前にあった両親の肖像画も、兄の小さい頃の肖像画も、アデリーの澄ました顔の肖像画もない。
「嵐が去った跡のようだな」
ダグマも玄関を入って直ぐのところで立ち止まり、辺りを見回して言った。
階段の下に待機していた傭兵は外の者よりは幾分マシな格好をしていた。臭わないという点ではかなり良かった。
「執務室に来いってことだ。案内してやろう」
傭兵の一人が先に階段を上ろうとしたがアデリーはキッパリ断った。
「結構です。ここなら目を瞑っても行けますから」
何より泥だらけの靴で階段を踏むのはやめてほしかった。思い出を踏みにじられる気分だ。
「そういうわけにはいかないんでな、お嬢さん。侍女と二人でついて来い」
男が命令したところで黙っていたダグマが口を開いた。
「女だけでは行かせられん。当然ながら我々も着いて行く」
男は無遠慮にダグマの頭から足先までジロジロと観察し、フンと鼻を鳴らす。
「ついてきたところで何にもかわりゃしないか。騎士団よろしくついてくりゃいいさ」
本物の騎士団だとは知らず、皮肉のつもりで言っているのだ。ダグマは眉を片方上げたし、ニコラスは笑いを堪え誤魔化すために咳払いをした。
「そうか。じゃあ騎士団のように振る舞わせてもらうさ」
ダグマの返しに、ニコラスが堪えきれずゲホゲホとむせたようになり、肩を揺らしていた。
晴れて全員揃ってアデリーの父が使っていた執務室に入っていった。アデリー一行を迎えるゴードンの傍らには数人の傭兵が立っていた。ゴードン側の傭兵でやっとまともな傭兵に会った。空気がピリッと緊張し、ゴードンの横でダグマ達を睨みつけていた。
部屋に入って目についたのはイリーヤ領主ゴートンが偉そうにふんぞり返っている姿だ。椅子に父の面影がちらつき、アデリーは顔を歪めた。絶対にゴードンの前では泣きたくない。視線を彷徨わせ、ゴードンの見事な腹の膨らみに嫌悪感を覚えて忌々しく思ったのが良かった。気持ちが切り替えられて泣かずに済んだ。
「やぁ、久し振りだな、アデリー。と言っても覚えては居ないだろうが。赤ん坊の頃に会ったきりだ」
ゴードンは初老のでっぷりとした男で、前歯が一本抜けていた。髪は嫌味なほどふさふさしているのだが、なんとなく不潔な感じが否めない。金満家というか、服装には金をかけているのがひと目でわかる、いやらしい人物だった。
「ゴードンさん、お噂は聞いておりました。一度お会いしたいと思っておりました」
これはアデリーなりの嫌味だった。ゴードンが嫌味ととったかどうかはわからない。なんせ、豪快に笑って腹を揺らしていたのだから。
「そりゃぁ、いい。ま、これから毎日顔を合わすことになるがな。明日にでも司祭を呼んで結婚の儀を執り行おう」
「なるほど。もちろん、それはお断りいたします」
一切の迷いなく言い返したアデリーに、ゴードンは明らかに不快感を覚えたらしく苦々しい表情でアデリーを見つめた。
「わかっちゃいないようだが、君の選択肢は二つしかない。俺と結婚するか、地面と接吻するかだ」
「申し訳ないのですが、おっしゃる意味がわかりません」
「ふん。結婚するか、死ぬか、だと言っている」
アデリーは大きく息を吸い込んでから答えた。
「どちらもお断りです」
アデリーの態度に面食らったゴードンが「おい、リル! 話が違うじゃないか!」と大声で叫んだ。すると、部屋のドアが開き、上等な羊毛のチェニックを着たリルが部屋へと入ってきた。平民でこのレベルの服を着ているものはほとんどいない。いても大金を稼ぎ出しているやり手の商人くらいのものだろう。今のリルはさながら痩せたゴードンだ。
「呼びましたか?」
リルはアデリー一行を見ようとしなかった。ただゴードンだけしか存在しない世界にいるかのような態度で答える。
「話が違うぞ。アデリーは決断力のない泣き虫で無能な女だと言っていたじゃないか」
これにはたじろがずにはいられなかった。廃城に居たときのアデリーそのものだと感じ、それをリルも感じ取っていたのだ。恥ずかしくて俯きたくなったが、ここは顎を引いてグッと堪えた。
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