第6話陶器屋カリーナと大工カルロ①
廃城に辿り着いて一日目。
床で座ったまま膝に頭をつけて寝ていると、聞き慣れない声で目を覚ました。寝ぼけ眼で見上げると朝焼けに照らされたダグマが布を差し出していた。
「ほら、これをやる。顔と手を洗いたいだろ」
手を伸ばしそれを受け取ると、あちこち軋む体を無理矢理動かして立ち上がった。さすがに石の上だと体が悲鳴をあげている。
薬師の少女を看病しながら、いつの間にか眠りに落ちたらしい。ベッドで横にならなかったのに、朝になるまで一度も起きなかった。これまでの蓄積した疲れもあるが、やはり誰かの保護下にあると感じるだけで緊張から解放されて熟睡したらしかった。
「ありがとうございます」
「体や顔を洗うのは川の水だ。ついて来い」
アデリーはベッドで穏やかな寝息を立てている少女を見やった。
「置いていって大丈夫でしょうか」
「回復しているようだし、ここは下からしか入れんから人が来ることもない」
「山腹からはこの建物に入れないようになっているのですね」
昨日見た山の全貌を思い出してみた。見える範囲では確かに崖ばかりだ。所々に数本木が生えていたり草もあるが、基本的にははげ山に近い。いや、元は城で、端々が崩れて山なりになったのだと説明されたらそうなのかと信じそうな風貌をしている。
「山の中腹に湧水が出ているところがあって、そこから水を引くようになっているが、放置されてた間に水路があちこちで崩れててな……あれが直れば毎日の水くみから解放されるんだが」
昨日話していた上水道だ。見たことも聞いたこともないので、とても興味がある。
「すごいですね。直せそうですか?」
「石工がいなけりゃ無理だな。水の流れる通路を修理しなきゃならんのだが、それには石工が必要だ。だが、今残っている水路を掃除すればかなり近い所まで水を誘導できるはずだ」
とりあえず川だと言うので桶を持ったダグマについて行く。崖に作られた通路は石畳みになっていて、大人二人並ぶのがやっとの道幅だ。腰までの石造りの手すりは所々すり鉢状になっていて火を灯せるようになっている。しかもそのすり鉢状の石は波のような彫刻が施してあった。
「いつの時代に作られたのかもわからんが、ここはとにかく機能的だぞ」
前を行くダグマは機嫌よくこの廃城を自慢する。第一印象は熊だと感じたが、威風堂々とした雰囲気は王のようだ。近寄りがたい感じは受けないが、何をしていても威厳を感じた。たとえ、肉を撒き散らしながら豪快に切っていてもだ。
「道幅がこんなに狭くても、機能的ですか?」
ダグマはアデリーの問いに答える前に、背に背負っていた立派な槍を鮮やかに引き抜いて見せた。
「いいか、槍を抜くことは出来るが、気をつけねば壁にぶつかるだろ? 俺は慣れているから出来るが初めて来た敵には無理だ。それにいくら大挙して襲ってきても同時に上がれるのはせいぜい二人。まごまごしてるうちに上から弓で倒せるだろ」
再び槍を背負うと、石畳みの横にある溝を指し「これは下水道だ。下の川までつながっている」と教えた。アデリーは下水道に水の流れを確認して、素晴らしいですねと感想を述べる。アデリーの家で、下働きの者たちが使い終わった水や湯を苦労して捨てに行く様子を見ていたから、これは画期的だと思った。
下までくると川に沿って大きくはないが畑が山を囲むように連なっている。今は一番手前の畑にキャベツが植えられているだけで、残りは雑草が生えていた。アデリーの視線に気付いたダグマが足を止めて畑に屈み込んだ。
「実はこの畑も見た目じゃわからんがすごい仕掛けになっててな、掘り返すとわかるんだが浸透桝になってるんだぞ」
「浸透桝?」
「ああ、聞き慣れないか? 簡単に言えば要らない水分を排出する機能ってことだ。元々ここは岩場だからな、土を置いただけじゃ、雨で流れちまう。それを理解して岩場の上に砕いた石を敷き、更にその上にもっと細かい石を置き、それを重ねて最後に土を乗せてある。すると、土に溜め込めない分の雨水は下へ下へと落ちていき、最終的に川へと流れるシステムだ」
アデリーは想像してみたがそれだと土が水分不足にならないのか心配になる。それを察したのかダグマが「層の作り方を工夫すると程よい感じになるらしい。ま、雨の少ない時期は水を撒かなきゃならんこともあるがな」と、説明してくれた。
畑の横にある川は川幅が馬車ひとつ分ほどで、そこに二人は屈み、並んで顔を洗った。冷たい雫を滴らせた顔を布で拭くと、何だか曇っていた天気が晴れ渡った時のような清々しさだ。実際、汚れも雲を掛けたようにどんより肌に積もっていたようだ。
「フッ、随分汚れてたんだな。白くなった」
ダグマはアデリーの顔を眺めて笑う。アデリーは「仕方がないじゃないですか。洗うことも出来なければ、拭くものも何も持っていなかったんですもの」と、不貞腐れた。
「まぁな。服もなんとか手に入れんとな」
アデリーは頬を膨らませてそれに抗議する。
「確かに汚れてますが、これは上等な生地──」
ダグマは両手を挙げて待て待てといなす。
「汚れていて気の毒に思うのもあるが、それは目立ちすぎるんだよ。俺は一目みて『こりゃ訳ありだな』って思ったしな。こんなところで無駄に高そうな服を着てたら目をつけられるだろ」
そういうことなら怒ることではないけれど、かと言って着替えなどあるはずもない。
「そうですか……服を手に入れなければなりませんね。お代は金の腕輪で足りるのでしょうか」
「そりゃ金の腕輪と引き換えになら、何着も手に入れられるだろうが、問題はここに居ても服は勝手に歩いてきちゃくれないことだな」
「仕立て屋さんはいつ頃いらっしゃるのでしょうか。私の家には春と秋に来て、一ヶ月ほど滞在して服を仕立ててくれましたけど」
真剣にそれまで待たなければならないのかと悩んでいたアデリーにダグマは吹き出して笑い出した。
「いやいや、参ったな。本当にかなり裕福な領主の娘か。いや、疑ったわけじゃないが、アハハ」
何がそんなにおかしいのかわからないアデリーは「そんなにおかしなことを言いましたか? 私」と憮然とした。
「いや、まぁ少しな。街に住んでりゃ仕立て屋は店を構えてるもんだし、それ以外は大抵家で女たちが作るのが一般的だ。アデリーの答えは『私は金持ちよ』と宣言してるようなもんだ。わざわざ仕立て屋がやってくるとはな」
ダグマは楽しそうだが、アデリーは眉間に皺を寄せて黙り込んだ。自分が思っている以上に浮き世離れしていることに不安を覚えていた。何も出来ない上に、無意識といえど庶民生活とかけ離れた発言をすれば当然嫌われるだろう。
「私……昨日も言いましたが、もう行くところはないのです。努力しますから、追い出さないでください」
肩を落とし懇願するアデリーの背を、ダグマは笑いながら叩いた。
「そんなに落ち込むな。笑ってすまないな。アデリーは嫌味な上流階級の人間とは違うってことくらいわかるさ。ただ、どうしても育ちの良さが滲み出てきちまうんだなぁ。さ、気落ちしてないで仕事だ、仕事。この桶に水を汲んでキッチンに持っていってくれ。俺は仕掛けておいた魚の罠をチェックしてくる」
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