清楚で可憐な幼馴染の秘密を知ってしまった僕が出会ったのはもう一人の幼馴染!? しかもそっちの方が積極的に仕掛けてくるからすごく困る
あやかね
第1話
―――ねえ、私の事もっと見て?
そう言って少女は艶めかしい手つきでコートのボタンを外していく。プチ、プチ、と焦らすような指使いに僕は思わず生唾を飲み下した。
それは清涼な月の輝く夜半の事。
彼女は月夜の色に照らされた肢体をさらけだした。
これから僕が語らんとすることは、とどのつまり、ごく普通の少女と少女たちの織り成すごく普通の恋愛にまつわる物語なのである。………多分、そう。
☆ ☆ ☆
その日、
6月にしてはよく晴れた日曜日の朝。
佳乃は早朝の電車に乗って市内に向かっていた。雨続きの1週間だったせいか、久方ぶりの好日に人出も多い。いつもは空席の目立つ電車内に人、人、人。やがて朽ちゆく錆びた1両編成もこうしてみればまだまだ現役であった。
「専門書を買ってこい。さもなくば貴君の大切にしている
「人が多い……ああ、嫌だ。でもこのまま帰ったら姉さんにどやされる。それはもっと嫌だ」
姉に頼まれた本は量子力学と脳科学を足して2で割ったような本だった。タイトルはたしか『空想が現実に及ぼす物理学的影響とボイドの関連について』といったろうか。量子の不確定性原理がうんたらという本らしいが、姉が何のためにこんな本を読みたがるのか佳乃には理解できない。
せっかくの日曜日にわざわざ弟を使いにやってまで読みたい本なのか。
小説の文字を無心で追っていると、ふと目の前に誰かが立った気配がした。
折しも電車が11個めの駅を出発したところであった。さっき乗ってきたばかりなのだろうが、空席が残っているのだからわざわざ自分の前に立たなくても良いだろうに……。
「こんにちは」
しかし、話しかけてきた。
「こんにちは。灰崎佳乃くん」
なお最悪なことに自分を知っていた。
湿気と人混みによる不快指数が我慢の限界を超えていたところへ出先で知り合いに絡まれるというトリプルコンボ。佳乃はこの人物をできる限り無視したいと思っていた。人付き合いが苦手な佳乃にとっては知り合いに絡まれるというのが地獄の門をくぐるに等しい行為なのであって、ただでさえ嫌なお使いの最中に最悪の塗り重ねをするつもりはない。
しかし声の主はなおも「おーい、灰崎佳乃くん、聞こえてますかー」と諦める様子は無く、彼の反応をうかがうような問いかけを続ける。
佳乃はついにため息をついて小説を閉じた。
「誰だよ」
「私だよ、私」
「ああ、その声は
そこには、魔法使いがいた。
「…………誰?」
思わず呟いて
ロールプレイングゲームが流行りだしてからこのかた、魔法使いの正装は紫のローブであるという風潮が根強い。よほど世界観が作りこまれたゲームでもない限り魔法使いの服装は紫のローブ。アニメも漫画もだいたいそう。そしてだいたい女の子。そういう認識が佳乃の中にもあったからか、目の前で破廉恥な恰好をしている紫色の人物を魔法使いだと判断した。
しかしながら、線の細い肩を覆う紫のマント、今にもこぼれ落ちそうな胸部を支える紫のビキニ、お腹を隠すものは何もなく美しいくびれとおへそが惜しげもなくさらされている。ほとんど紐パンのようなパンツも大事な所をかろうじて隠しているだけ。むしろ腰回りに食い込んでいるお肉が煽情的だった。
手にはお決まりの魔法の杖。
身長は160センチくらいであろうか。足に履いているブーツは厚底のように見えるけれど、それを差し引いても背は高めだといえる。柔和な顔立ちには小悪魔的微笑をたたえており、見られることを楽しんでいるような余裕が大人の色気を感じさせた。
全体的に男の性を刺激する恰好であることを考え合わせるとコスプレであると判断できるが、すぐに、本当にそうか? という疑問が湧いて出る。
魔法使いがいた。としか形容できない不可思議で変態チックな人物は別に不思議な生き物ではない。東京のコスプレイベントではよく見る類の恰好だし、会場へ向かう電車の中ですでに着込んでいる猛者もいる。佳乃もそういう場面に遭遇したことがあるから驚きはしなかったけれど、それはイベントがあるからコスプレをしているのであって、常日頃から魔法使いになりきっている人間はただの変質者じゃあなかろうか。
佳乃の記憶する限りでは阿坂市でコスプレイベントがあるなんて告知は無かったはずだし、そもそもこんな地方都市でまずお目にかかることはないイベントだ。何かの撮影だろうかとも疑ってみたけれど、カメラマンやスタッフらしき大人は見当たらない。彼女は一人っきりである。というわけで撮影でもない。ゆえにこれは野生の魔法使い……いや、コスプレイヤーであると言って良かろう。
佳乃が
「やっと見てくれたね。灰崎佳乃くん」
「………………………」
「また無視? でも、いつまで続けられるかな」
「………………………」
「てかさ、このコスプレどう? 似合う?」
両肩をグッと中央にいれて豊満な胸を強調する魔法使い。
同じ高さに顔がある事でよく見えるようになったマントの結び目。その下の白い胸元にホクロがある事に佳乃は気づいた。向かって右の胸の根元にあった。しかしチラ見したことが彼女にバレたら、こういう変質者は何をしでかすか分からないから鉄の意思で小説を開いた。
性的に見られる事に喜びを感じるから露出的な恰好をするのであって、いま、佳乃が魔法使いの胸元に目をやる行為はまさしく火に油。もうすでに目が合ってイエローカードが出ている状況で胸元を見てしまう事はレッドカードが出るまでも無く退場そしてピンクホテルへ……である。
どうあっても見て欲しいらしい魔法使いはメロンの如き胸部を左右に振って「ねぇ~どうなの?」と誘惑してくるが、無視。
佳乃はお腹に顔を
「強情だなぁ………」
電車にコスプレイヤーが乗っているのはまだいい。地方都市の1両編成にドレスコードはないし、隠すべきところは隠しているから
毎日無数の人間が土足で踏みしめる電車の床である。そこへ魔法使いはズボンも履いていない生足をついたのだ。汚いどころの話ではない。もはや常識が無いと断言しても良い。
彼女の後ろに立って足を踏まれている大学生だって、彼女のマントがショルダーバッグに被って邪魔になっているお姉さんだって、実害を被っている人々はこの迷惑コスプレイヤーを注意してしかるべきである。
しかしながら誰も注意しない。佳乃が唖然としている一番の理由は、この魔法使いを誰もが無視していることだった。
いや、注意されないどころではない。横目でチラリと見たりだとか、苛立たしげに舌打ちをしたりだとか、遠くでヒソヒソ話をしたりだとか、見るからに異質なのに自分は関わりたくないからシカトしよう。だけどやっぱり不愉快である。誰か何か言わないかなぁ。というような押し付け合う雰囲気すらない。
完全な無視。完全な沈黙であった。
お前が話しかけられているんだからお前が言えよ。なんて空気も無い。
誰にも彼女の姿が見えていないのではないか? そう疑いたくもなる状況だけど、だからと言ってエチエチ魔法使いだわーい、なんて男心に素直になれるほど馬鹿ではなかった。
「ほれほれー。どうだー? 男の子はこういう恰好が好きなんだろー?」
コレが他人に見えていないにしろ無視されているにしろ、返答をすることはすなわち佳乃も魔法使い側に分類されることになるのだ。
つまり、周囲の人間から佳乃も関わりたくない人物に認定されてしまうという事。なお厄介なことに、この魔法使いが佳乃の知り合いである事が佳乃の頭を痛くした。
佳乃の記憶する限り(というか最後に会った先週の金曜日まで)では千鶴はこんな変態ではなかったはずだ。品行方正という言葉を体現したかのごとく礼儀正しく朗らかで、いつも微笑みを絶やさない天使であったはずだ。エッチなことなど知らないししたこともない純粋無垢で穢れない少女である。というのが佳乃を始めとしたクラスの男子全員の共通認識で、実際、そういう話題を振られて困っている姿を佳乃は何度も目撃している。
だからこそ関わりたくないし、だからこそ関わらなければいけないのである。
いま、電車は
千鶴の不審な言動も、キチンと話を聞いてやれば解決するかもしれない。今は性欲に侵された千鶴も冷静になればいつも通りに戻るかもしれない。
とにかく耐えるしかない。佳乃は目を閉じて一切の視覚情報をシャットアウトすることを選んだ。
後でしっかり彼女の要望を聞いてやろう。
しかし、千鶴の願いというのは、やはり人に見られることであったらしい。
彼女は佳乃の唇に人差し指をあてがうと、耳元をくすぐるようにこう囁いた。「佳乃くんがそう出るなら……唇、奪っちゃうよ?」
「―――――――――ッ!?」
「あはは、冗談。でも声は聞こえていて、私の姿も見えているんだね」
思わず目を開けた佳乃。しかし、すぐに自分の
真正面に千鶴の顔があって、その瞳は喜びと親しみの色に濡れていた。唇を奪うというのはどこまでが冗談なのか? いますぐ奪われてもおかしくないくらい頬が高揚している。
これがあの千鶴なのか?
「佳乃くんには見えている……と。これが分かれば満足だよ」
しかし、まるで自分に見えている事が分かればいいのだと言わんばかりに千鶴は立ち上がった。それ以上は何も手を出してこなかった。佳乃は拍子抜けする思いだったが、時を同じくして電車が阿坂市に着いた。
空気の抜ける音がしてドアが開く。
「私ね、こういうコスプレをよくしてるんだ。見てみたいなら『ゆな』で調べてみたら?」
そう言い残して千鶴は人混みに消えていった。
電車内にいた乗客のほとんどが目的としていた駅だけあって、大きな流動が1両編成に起こる。しかし、ほぼ下着姿のコスプレイヤーに目を止める人はいなかった。
後に残されたのは佳乃と
佳乃はため息をつきながら上体を倒すと、目を閉じて呟いた。
「なんだったんだ……ありゃ」
当初の予定通り追いかける事だってできた。昔馴染みの女の子が突然露出に目覚めたとあれば追いかけて話を聞くのがスジだろうという意見も分かる。
しかしながら、佳乃にはいまの一連の出来事が本当に現実の事だったのか、それすらも怪しまれるのだった。
電車のドアをくぐった千鶴の姿はたしかに見えていた。その瞬間まで輪郭もハッキリしていた。
ところが、一歩外に出た途端、千鶴の輪郭がかすんで、まるで空気に溶けるみたいにフッと消えてなくなったのだった。
まるで、初めからそこにいないかのように消えてしまったのだ。
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