第2章 20話 素敵と無能
「ところでクロエ、親友とは何ですか?」
ロボットは知らない言葉にこだわるようだ。クロエはシャルロットに目配せしながら、笑顔で話し始めた。
「とっても仲良しの友達のことよ!一緒にいると肩に羽が生えたみたいに軽くなって、自由にどこにでも飛んで行けるの!
心はおしゃべりを止めないのに、疲れるどころかみるみる元気になっていくのよ!どれだけ一緒にいても一緒にいすぎないの。
ほら、私の隣にいるシャルロット。私たちいつも一緒にいるわ!親友なの。ね、シャルロット!」
クロエの真っ直ぐな笑顔に少し照れくさくなりながら、シャルロットは肯定した。
「ほんと、どれだけあんたと一緒にいても退屈しないわ……たまに疲れるけど」
彼女はそう言った後で苦笑いした。少女たちはお互いに楽しそうに笑いあったが、ロボットは猫目をぎょろつかせた。
「……友達……その言葉はインプットされています。すごく重要な言葉として……出会って2日目にして友達という言葉を容易く使うクロエが僕には理解できません……」
ロボットの目が青く点滅した。そして、彼は釣り竿を川辺に置いて下を向いてしまった。
クロエはロボットの反応に驚いたが、すぐに弁明しようとした。
「ごめんなさい。私の言葉は軽すぎたかしら。でも、重苦しい関係を友達とは呼ばないと思うの。私はあなたの羽根になりたいわ。一緒に世界を飛び回りたい。きっと素敵だわ」
シャルロットはクロエのこの表現がすきだったが、ロボットに通用するかは疑問に思った。そして、その不安は的中した。
「言葉が軽い?言葉には重量があるのですか?あなたが僕の羽根になる?人は羽根を持っていません。
僕も羽根を持たないので一緒に飛び回れません。素敵?どういう意味かわかりません。僕はクロエの言っている言葉をおおむね理解できません」
クロエは
「ごめんね。私の表現が意地悪なのよ。リチャードは何も悪くないわ。わからないことをわからないとはっきり言えるのは素敵なことよ……あ、ごめんなさい。『素敵』の意味を知らないのよね……」
少女たちはロボットの
「はい、『素敵』という言葉は知りません。クロエは僕に『素敵』と言いましたね?僕は無能な存在です。ということは『素敵』は『無能』と似た意味なのですか?」
「あなたのことを無能だなんて誰が言ったの!?」
クロエは腹が立ってきて、思わず大声になった。
「まさかジャミールが!?」
シャルロットも続いた。ロボットは2人の言葉を頭の中で整理してから首を振った。
「いいえ、ジャミールは『しかたない』と言います。彼は僕をなんでもできる全能のロボットとして造り上げました。
しかし僕は何をしてもだいたい失敗するし、何度修正プログラムを発動させてもミスが絶えません。
僕が洗濯をするとジャミールは『しかたない』と言います。僕が部屋の掃除をすると高い確率で物を壊します。
僕は料理も作りますが、これは成功なのか失敗なのかさえわかりません。僕に味覚がないからです。
ジャミールは『料理の味付けは上手いけど、食材が無駄になるのはしかたない』と言います。
彼の真意が理解できません。それだけ僕が無能であるということです。例えば釣りにしたって僕は無能です」
「そんなことないわ!今日はきっと大きなお魚が釣れる気がする!」
クロエがここぞとばかりにロボットを励ました。そしてシャルロットのほうを向いて、
「シャルロット、あなたもそう思うでしょ?」
と親友に同意を求めたので、シャルロットは「そうね、私も釣れると思うわ」と思ってもみないことを返さざるをえなかった。ロボットは2人を観察するように眺めたあとで静かに竿を上げた。
「これでもですか?」
ロボットは釣り糸の先の浮きをつかんだ。その下には重りがついているだけで針がなかった。
「あっ、リチャード、針が取れてるわよ!」
シャルロットの感情の入った声が響いた。クロエは言葉がでなかった。
「針が外れてることに気づいていなかったの?」
ロボットの返答を待てないシャルロットが続けて言った。ロボットは寂しげに首を振った。
「最初からこの釣り竿に針はありません」
「え!?なんでよ!?」
シャルロットの声がひときわ大きくなった。クロエは今だに何も言わずにロボットを眺めている。ロボットは冷静に状況を説明した。
「僕が針をつけられなかったからです。僕はジャミールに殺生は
それなのに彼に釣りにいくように命じられています。釣り針は魚を傷つけ、ときに命を奪います。
だから、僕は針をつけられません。つまり僕は魚を釣り上げることができない無能です」
シャルロットの頭がショートした。命を奪えないようにプログラミングされているから釣り針をつけられないだとか、それでも命令に逆らわずに釣りに出かけるだとか、いやそもそも、魚が食いつくこともないのに1日中真剣に釣りをしているロボットの思考が理解できない。しかも淡々と無機質な声で聞かされるとなれば、ますます共感できない。
しかしクロエは雷に打たれたような衝撃を受けていた。両手を組んで体を小刻みに震わせ、目の焦点が合わないままだ。
「リチャード……あなた、たとえ主の命令であっても決して命を奪わないという自分の強い意志で行動しているのね……」
そしてうっとりした口調で続けた。
「自分より強い立場の人間に流されない深い慈しみの心……リチャード、あなたってとっても素敵だわ。
戦争では人が人の命を奪うこともあるでしょ?でも、戦争をする人間がみんな、心から人を殺したいと思っているかしら?
きっと多くは自分の心の弱さや状況に流されるのよ。恐怖心や怒りといったマイナスの感情や、周りの人間がゲームのように武器を扱う姿に理性が麻痺してしまうんだわ。
世界中があなたのような慈愛に満ちていたら、この世から戦争はなくなると思うの。
だいたいジャミールはあなたの釣った魚を食べなくたって生きていけるわ。ジャミールには広大な土地があるんですもの。
お金で食材を買ったり、自分で作物を育てたりしてね。あなたが魚を釣らなければ死んでしまうなら話は別だけれど……リチャード、嫌なことを無理して引き受けなくてもいいのよ。
あなたにはあなたらしく生きる権利があるの」
ロボットはクロエの話が長いので、また釣り糸を川に垂らしていた。
「なぜ、魚が釣れないことと戦争が関係あるのですか?それと僕は心を持たないので感情がどういったものかわかりません。とりあえず僕が素敵だということは認識しました」
クロエはロボットの発言の前半部分は聞かなかったことにして、最後の「素敵」という部分にこくこくとうなずいて話を進めた。
「私、ジャミールに会って、あなたを解放するように理解を求めたいわ。きっとわかってくれると思うの。
だって命を大切にするようにプログラムする人なんでしょう?心根は優しいんだわ」
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