第2章 8話 不器用なロボット

 2人の少女がとんがり屋根を目指して小道を進み、森のように繁った木々をくぐり抜けると屋敷の扉が見えた。シャルロットは何かの気配を感じて、目を細めて扉を見た。次の瞬間、


「隠れてクロエ!」


 頭の中が別世界のクロエを現実世界に引き戻すために、力強く腕を引っ張った。多少なりとも警戒しているシャルロットのほうがクロエより早く扉が開く気配を感じ取ったのだ。


 突然体を後ろに引っ張られて振り返ったクロエの頭を抑えて茂みの中へと隠した。


「何か出てくるわよ!」


 小さいが確実に空気を引き裂くような声がクロエの耳に届いた。クロエは体験したことのない状況にさらに興奮してきた。


 「まあ、シャルロット!あなたまるで有能なエージェントよ!これから始まる2人の物語にドキドキのスパイスを加えてくれているのね!」


 クロエはスリルたっぷりのアトラクションを楽しむかのようにはしゃいでいる。しかし彼女の親友は緊張していた。


「楽しむのはまだ早いわ。一昨日の黒い影が出てくるかもしれないのよ」


 シャルロットは小声で早口になった。彼女は慎重派のようだが、隠れた茂みから少し背中が見えていた。一方の緊張感のないクロエは上手に身をかがめている。彼女のかくれんぼは万全だ。


「な、なに!?」


 扉を凝視していたシャルロットは驚いて情けない声を漏らした。頑丈な扉がぎぎぎぎーと大層な音を立てて開いたかと思うと、暗い屋敷内にぼんやりと白い物が漂っているのが見えたのだ。遠目ではよくわからないが、白い塊に黒っぽい物が混ざってふわふわ浮いているように見える。シャルロットは背中の筋がキーンと凍るような感覚に陥った。


「まあ、布が浮かんでいるの?」


 クロエが呟いた。よく見ると、大きな桶に薄汚れた布きれが山盛りに載っている。それが蛇行しながら2人の方向に進んできている。


 あと30メートルも近づけば2人にぶつかるだろう。しかし、布きれの載った桶は蛇行しながら井戸らしきものの手前で止まった。


 シャルロットは警戒してさらに体を小さく屈めた。そのままクロエの様子をうかがうと、クロエは立ち上がっていた。シャルロットは焦って彼女の腕を引き、座りなおさせた。


「クロエ、勝手な行動を取らないで!」


 彼女は悲痛な声をだした。しかし、クロエは何かを考え込んでいるようにシャルロットの方は見ないで、視線が桶の行方を追っていた。


「ねえ、シャルロット。魔法の桶があったら素敵よね。汚れ物を自分で運んで洗ってくれるの。便利だけど、ファンタジーとしては少し機能的すぎるかしら?ファンタジーはもっと無意味なものでなくちゃいけないのよ……」


 クロエの言葉を聞き、シャルロットはうなだれた。非現実な物事にもっと警戒心を持って欲しかった。クロエはなおも何か言いたそうだ。


「でも、シャルロット、あれはもしかして……」


 言葉を失って下を向いていたシャルロットはクロエのきゃっという歓声で前を向いた。浮かんでいた桶が井戸の横の地面に着地すると、そこからひょっこり2頭身の体が見えた。


「一昨日のロボットだわ!動いているの!?」


 シャルロットは思わず口走った。しかし、その後は言葉を失い、ぽかんとしてしまった。一昨日見た鉄の人形が動くだなんて、想像してもみなかったからだ。


 呆然とする彼女の横では、同じくクロエも言葉を失っていた。両腕で自分を抱きしめるような格好をして、身震いを必死で抑えている。


 だが、2人の瞳の色は確実に違っていた。シャルロットは虚ろな瞳で、クロエは瞳孔を見開いてロボットを見つめた。


 2人の存在に気づいていないロボットは、井戸のロープに繋がられていた小さな桶を井戸の中に投げ込み、不器用にロープを引っ張った。


 ロープを引っ張るたび、重心が前後にぶれて、井戸の中に引きずりこまれそうになる。


「スコティッシュ・リリィ……頑張って……もう少しで桶が上がるわ」


 クロエは唾を呑んでロボットを見守った。シャルロットはまだ混乱していたが、きゃっ!というクロエの声で少し目が覚めた。


 ロボットが指を滑らし、水を汲んでいた桶が井戸の中に落ちたのだ。ロボットは井戸をのぞき込んだまま数秒間停止し、直立して両手で頭をポカポカと殴りだした。


「きゃ、止めて!あのこ、自分を責めてるんだわ!そんな必要ないのに!失敗は成功の母なのよ!」


 クロエはあたふたと取り乱したが、茂みから出る様子はない。最終的には耐えられずに目をつむってしまった。


「止まったわよ」


 ようやく状況を受け入れたシャルロットが冷静にロボットの行動を読んだ。クロエは閉じていたまぶたを開けて、安堵あんどのため息をついた。


 ロボットは何事もなかったように桶を井戸に落とし、3往復の水を大きな桶に移した。


 そして、水を汲み終えると、なぜかぐるぐると桶の周りを周回した後、両腕を桶に押し込み、両足を宙に浮かせ、全体重をかけてぐいぐいと布きれを押した。


「あれ、洗濯のつもりよね?すごく効率の悪い洗い方をしてるわね。あんなに強く押したら破けてしまうわよ。水も全部こぼれてしまうわ」


 すっかり落ち着いてきたシャルロットは細かい分析を始めた。


「シャルロット。スコティッシュ・リリィはちょっぴり慣れていないだけよ。でも彼なりに一生懸命よ。すごく健気で可愛い!私たちをの親友にぴったりね!」


 クロエはシャルロットの服の袖を引っ張り同意を求めてきた。シャルロットはクロエをチラリと見て、


「まあ……私たちに完璧は似合わないものね」


とうなずいた。


 ロボットはしばらく布を桶に押しつけた後で、両手を使って1枚ずつ布きれの水を絞っていったが、びりびりっと布の破れる音がクロエたちにも聴こえてきそうだった。


 ロボットは2枚に裂けた布を見つめて、また頭をポカポカ殴り、何事もなかったかのように裂けた布を桶にもどした。


 2人の少女は声を合わせて「あちゃー」と呟いた。


 ロボットは桶に残った水がなくなるまで布で水を吸い取り、桶の外で水をしぼり、また桶に戻して水を吸い取りを繰り返した。クロエが深刻そうに言った。


「ちょっぴり慣れていないだけではなさそうね……」


 布きれたちが、まだずぶ濡れなのは遠目でもわかった。しかし、ロボットはもう気にせずに、山盛りになった大きな桶を持ち上げた。


 残った水がざっと溢れた。布が水分を含んで重たくなったせいか、彼はよろよろとふらつきながら屋敷へと帰っていった。


 一部始終を見守っていた2人はそろって大きく息を吐いた。顔を見合わせ、お互いに苦笑いした。


「なにあれ……」


 長い緊張状態から解き放たれたシャルロットの声は震えていたが、顔は笑っていた。


 クロエはこみ上げてくる高揚感で顔が真っ赤になっていた。しかしあまりの興奮状態に疲れたのか、弱々しい声で話し始めた。




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