第1章 4話 拒絶
「リチャードさん。もう一度はっきり言います。1+1の話も、ジャミールがあなたの友達だという話も、神様への接し方もすべてにおいて不愉快です。大切な息子をあなたに任せたくありません!」
「バシ!」という音が鳴った。あまりの図々しさに我慢しきれなくなったロゼッタがリチャードのほおに平手を放ったのだ。リチャードは熱くなっていくほおを左手で押さえた。
「……ドレスタ夫人。あなたは本当に素敵な母親だ。ジャミール君のことでここまで怒りをあらわにできる。あなたのジャミール君に対しての愛は深い。ではなおさらこの私めに家庭教師をお任せください。主はあなたです」
リチャードはゆるんだ顔をひきしめて、片ひざをつき右手を左胸の前に置き、主従のポーズをとった。
しかしロゼッタのリチャードに対する不信感は消えなかった。見せかけの態度は通用しないと、強く自分に言い聞かせていた。
ただその直後、あきれかえってこの話題を早く終わらせたくなった。
「顔をあげて姿勢を楽にしてください。そしてできるならこのまま帰ってくださいませ」
ロゼッタは冷静さを取り戻しつつあった。あきれたために頭に上った血も下がったのだ。
「いえ!帰りません!主がお許しになるまでは!」
リチャードは主従のポーズを取ったまま、初めて声をはりあげた。ロゼッタはもううんざりといわんばかり夫に合図を送った。バレンは小さく息を吐いた。
「どうしてそこまで家庭教師にこだわるのですか?」
バレンが妻の気持ちを代弁する。
「……ジャミール君が僕の友達だからです。心の底から友達の手助けをしたいのです」
リチャードはかがみこんだまま答えた。いつになく真剣だ。
「うーん。私はリチャードさんのことを嫌っているわけではありませんが、こうも妻に嫌がられていましたら……。私もリチャードさんが『友達』や『神』を軽はずみに使われている気はしますし……」
バレンは頭をかきながら答えた。
「僕は決して軽い気持ちで言っているわけではございません。本当にジャミール君を心配しているんです。お願いします。私に機会を与えてください!」
リチャードはさらに頭を下げて頼んだ。ジャミールはそれを眺めているだけだったが、後ろにいる息子に気づいたバレンがジャミールに尋ねた。
「ジャミール、リチャードさんがこのようにおっしゃっているがどうしたい?」
ジャミールはびくっと震えた。父が自分の意見をきいてくれたことは嬉しいが、気持ちを素直に言えば、リチャードを傷つけることを知っていた。
そしてリチャードが友達だと言ってくれたことは、本当は嬉しかったのかもしれない。
でも誰かを友達だと思うことはジャミールにとっては怖いことだった。過去に勝手に友達だと思い込んで裏切られたことが頭から消えない。期待はしたくなかったのだ。
「僕は家庭教師はいらない」
ジャミールはいつもどおり人を遠ざけた。母親の口元がゆるむ。
「ジャミール、お願いだ。僕にチャンスをくれ!」
リチャードは顔を上げて、ジャミールの目を見て言った。ジャミールはその眼差しに気後れしたが、やはり首を縦に振ることはできなかった。
「勉強は大丈夫です。1人でできます。僕は図鑑とか読みます。いろんな動物や花の名前も知ってます。昔、恐竜がいたことも、地球がまるいことも知ってます。成績も悪くありません」
ジャミールはリチャードを傷つけないですむ理由を探した。これでやんわりと断れたと思ったが、想像してもいなかった言葉が返ってきた。
「ジャミール、本当に恐竜なんていたのかい?誰も生きた恐竜を見たことがないんだぞ」
「え……」
ジャミールは返答に困った。
「昔の人は地球は平らだと思っていたんだ。最初に地球が丸いと言った学者はみんなから馬鹿にされた。彼がどれだけ苦悩したかわかるか?」
「えっと……」
ジャミールはまた答えることができなかった。
「その図鑑にのっていることが絶対に正しいって言えるのか?」
リチャードの問いにジャミールはただ黙り込むしかなかった。リチャードはふっと息を吐き、話を続けた。
「ジャミール、僕は1+1=2が嫌いだと言ったが、知識だけつめこんで頭が固くなってしまうことを恐れているだけなんだ。僕も知識は大切だと思うけど、それ以上に大切なものもある。それは図鑑では教えてもらえないことなんだ」
リチャードはどうやら要求が通るまでここを動かないつもりのようだ。
ジャミールはパニックになってどうしたらいいかわからなくなってしまった。すぐに返事はできない状態だった。
しばらくの静寂が続いた。バレンが口を開くまでの間だ。
「リチャードさんあなたの気持ちはよくわかりました。でもあまりにも突然の出来事でジャミールは答えを出しあぐねているようです。どうですか、少しお時間をいただけませんか?家族でよく話しあって答えを出したいと思います」
バレンの言葉で騒ぎはおさまった。リチャードがようやく立ち上がり、家に帰ったのだ。ジャミールはその場にしゃがみこんだ。あまりにも予期していない出来事に疲れた。リチャードの存在が重荷になって頭から拭えなくなりそうだった。
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